上郷隆崖城は栃木県那珂川町大山田上郷にあります。
上郷隆崖城地図
一度目は見つけられなかった山城ですが、今回地元の方に教えられ見つけることができました。栃木の人は親切な方が多い印象を持ちました。
国道461号線でバス停駒込前付近で、この看板があります。この右手に入ります。
看板の脇には西川橋があります。
右手の道に民家があり(廃屋)、この民家の裏手から沢を渡る個所があり山道があります。
30mも登ればこの虎口が見えてきます。
虎口に入ると、曲輪があります。
曲輪9
縄張り図は「余湖くんのお城のページ」より、
曲輪8
曲輪7
蝸牛の登り道を進み
登って15分、主郭部の城壁が見えてきました。
大きな堀切
曲輪4まで登ってきました。これ以降は次回とします。
上郷隆崖城は下郷要害城の支城であったと伝えられています。城主は大山田氏
下郷要害城は大山田氏の居城である。大山田氏は武茂氏の一族で、永禄年間頃の築城であるという。築城者は武茂泰宗の子孫の泰景で、彼は大山田左京亮と名乗り、大山田氏の祖となった。
元亀年間、佐竹氏はこの地に攻め寄せてきて、下郷要害は落城、そして廃城となったという。永禄13年年8月7日付けの、根本紀伊宛の佐竹義重感状が残っており、それによると大山田の地で合戦があったことが分かるので、この攻城というのは、実際にはこのときのことであったのかもしれない。それにしても、大山田氏は佐竹氏のシンパであった武茂氏の一族である。それを佐竹が攻めたということは、大山田氏は本家を裏切って那須氏方に付いたということなのであろうか。しかし那須の烏山城との間には武茂城もあり、ここで反旗を翻すのはかなり大変なことである。この辺り検討を要すると思う。記事は「余湖くんのお城のページ」より
上郷隆崖城地図
一度目は見つけられなかった山城ですが、今回地元の方に教えられ見つけることができました。栃木の人は親切な方が多い印象を持ちました。
国道461号線でバス停駒込前付近で、この看板があります。この右手に入ります。
看板の脇には西川橋があります。
右手の道に民家があり(廃屋)、この民家の裏手から沢を渡る個所があり山道があります。
30mも登ればこの虎口が見えてきます。
虎口に入ると、曲輪があります。
曲輪9
縄張り図は「余湖くんのお城のページ」より、
曲輪8
曲輪7
蝸牛の登り道を進み
登って15分、主郭部の城壁が見えてきました。
大きな堀切
曲輪4まで登ってきました。これ以降は次回とします。
上郷隆崖城は下郷要害城の支城であったと伝えられています。城主は大山田氏
下郷要害城は大山田氏の居城である。大山田氏は武茂氏の一族で、永禄年間頃の築城であるという。築城者は武茂泰宗の子孫の泰景で、彼は大山田左京亮と名乗り、大山田氏の祖となった。
元亀年間、佐竹氏はこの地に攻め寄せてきて、下郷要害は落城、そして廃城となったという。永禄13年年8月7日付けの、根本紀伊宛の佐竹義重感状が残っており、それによると大山田の地で合戦があったことが分かるので、この攻城というのは、実際にはこのときのことであったのかもしれない。それにしても、大山田氏は佐竹氏のシンパであった武茂氏の一族である。それを佐竹が攻めたということは、大山田氏は本家を裏切って那須氏方に付いたということなのであろうか。しかし那須の烏山城との間には武茂城もあり、ここで反旗を翻すのはかなり大変なことである。この辺り検討を要すると思う。記事は「余湖くんのお城のページ」より