写真をごろうじろ。
拙宅でござる。
築八十有余年、その年月を風雪に耐えた家でござる。
残念ながら、拙者の年月はそれにはちと及ばぬのでござる。
そして、写っているのは拙者の叔母と今は亡き祖母とでござる。
祖母は齢104歳で眠るが如き大往生でござった。
そして叔母は今も90の齢で今も達者で暮らしているのでござる。
拙宅の軒先の柱の根元をご覧いただきたいのでござる。
今の建築とまったく異なったものと存ずるのでござるが、お分かりいただけようか。
礎石の上に盤木を置き、その上に柱が乗っているのでござる。
何故に今日はこのような話かというと、今日の天候にあるのでござる。
突風が吹くと拙宅は身震いするが如く揺れるのでござる。
大工さんがおっしゃるには、拙宅は「一階仕様の家に無理やり中二階をくっつけたものでござり、かなり無理をしている家」だそうでござる。
故によく揺れるのでござるな。
そのためか、50年ほど前の伊勢湾台風では家が上下で4・5cmゆがんでしまい、今は戸がぴっちりと閉まらぬのでござる。
冬は外と中との温度差がさほども無いということで、冬、布団に入ると息が白く吹き上がるのでござる。
実に珍しい家と思し召すところでござる。
阪神淡路地震の時など、今にも崩れるかというぐらい揺れ申し、家内などはどえらい悲鳴を上げ続けたのでござる。
拙者、それのほうに恐れを感じてもいたような気がするようなしないような。
何事も無く今に至っているところでござるが、このような家は最近トンとお目にかからなくなったのでござる。
奈良で唐招提寺の説明を受けたときに、昔の建築は全てこのような礎石であり、拙宅も良いものと感じ入った次第でござる。
拙宅、このような事だけを誇るのでござるが、東海地震や東南海地震がきたらひとたまりもないと覚悟を決めている昨今でござる。
今後十年以内には建て替えをしなければならないと存ずるのでござるが、貧乏百姓にはとてつもない大事業でござるのだ。
もっとも、その頃は、このようなでかいものではなくもう少しこじんまりと、正しくはずっとこじんまりとした家にしてしまうつもりでござる。
などと考えながら、突風に揺られているのでござる。
ボチボチと御夕飯の支度でござるゆえ、これで御終いでござる。
それでは、恒例の、「明日の心だ!」
拙宅でござる。
築八十有余年、その年月を風雪に耐えた家でござる。
残念ながら、拙者の年月はそれにはちと及ばぬのでござる。
そして、写っているのは拙者の叔母と今は亡き祖母とでござる。
祖母は齢104歳で眠るが如き大往生でござった。
そして叔母は今も90の齢で今も達者で暮らしているのでござる。
拙宅の軒先の柱の根元をご覧いただきたいのでござる。
今の建築とまったく異なったものと存ずるのでござるが、お分かりいただけようか。
礎石の上に盤木を置き、その上に柱が乗っているのでござる。
何故に今日はこのような話かというと、今日の天候にあるのでござる。
突風が吹くと拙宅は身震いするが如く揺れるのでござる。
大工さんがおっしゃるには、拙宅は「一階仕様の家に無理やり中二階をくっつけたものでござり、かなり無理をしている家」だそうでござる。
故によく揺れるのでござるな。
そのためか、50年ほど前の伊勢湾台風では家が上下で4・5cmゆがんでしまい、今は戸がぴっちりと閉まらぬのでござる。
冬は外と中との温度差がさほども無いということで、冬、布団に入ると息が白く吹き上がるのでござる。
実に珍しい家と思し召すところでござる。
阪神淡路地震の時など、今にも崩れるかというぐらい揺れ申し、家内などはどえらい悲鳴を上げ続けたのでござる。
拙者、それのほうに恐れを感じてもいたような気がするようなしないような。
何事も無く今に至っているところでござるが、このような家は最近トンとお目にかからなくなったのでござる。
奈良で唐招提寺の説明を受けたときに、昔の建築は全てこのような礎石であり、拙宅も良いものと感じ入った次第でござる。
拙宅、このような事だけを誇るのでござるが、東海地震や東南海地震がきたらひとたまりもないと覚悟を決めている昨今でござる。
今後十年以内には建て替えをしなければならないと存ずるのでござるが、貧乏百姓にはとてつもない大事業でござるのだ。
もっとも、その頃は、このようなでかいものではなくもう少しこじんまりと、正しくはずっとこじんまりとした家にしてしまうつもりでござる。
などと考えながら、突風に揺られているのでござる。
ボチボチと御夕飯の支度でござるゆえ、これで御終いでござる。
それでは、恒例の、「明日の心だ!」