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交流

若返り?若作りかも??白髪染め

2005-01-30 22:35:00 | 徒然なるままに
1月20日(木)

午前中は、ソーラン便りを執筆。

午後は、末娘の帰宅を待って、髪の毛をカットしに行った。
私は2ヶ月ぶりの白髪染め。
娘がチラホラ目立ち始めた白髪を私以上に気にしてくれていたのだ。
娘もさっぱりと可愛くなったし、私も見た目は5歳は若返ったかな???

悩み事やストレスからか、このところ白髪がすごい。
時々、鏡を見ては自分でも愕然とするときがある。
でも、こうしてよみがえった黒髪を見ると、なんだか元気になってくる。
まだまだいけそうじゃない?
皺だってまだ1本もないし!
体型はすっかり中年のおばさん体型になっちゃったけど・・・。
いや、これだって努力しだいで、昔のスカートがはけるようになるかも????!
後は、気持ちの問題だよね。
まだまだ老け込むには早いもんね。
なんてったって、私は「花の女子大生」でもあるわけだし。
笑顔、笑顔で、前向きにがんばるぞ!

夢見ることをあきらめている子どもたちへ

2005-01-20 23:03:00 | 徒然なるままに
1月19日(水)

今日は、4年生の「ばか面」作りの色づけと、6年生のBOXアートの続き。
「ばか面」は、肌色を作るのにみな四苦八苦していた。なかなか個性的なお面ができて、本番が楽しみだ。
BOXアートの参考作品として、私も『マチュピチュの遺跡でケーナを吹く自分』と言う作品を作ってみた。
今回のテーマは『未来に生きる自分』。卒業を前にした6年生に、10年後、20年後の自分はどんなことをしているだろうと言う場面を、30×20×5cmのBOXの中に構成するのだ。
子ども達の下書きを見ると何と言うか、現実的というか、『夢』とか『スケールの大きさ』と言うのがあまり感じられないものが多かったので、創作意欲を膨らませるためにいろんなヒントを出してみたけどなんだか反応がイマイチなのだ。
でも、私の作品を見て、描き直したい、作り直したいと言って来た子が何人かいたり、放課後残って制作したいという子もいたり 、反応は良かった。

放課後、そういう子ども達と、将来の夢や恋愛論について語り合いながら作品作りをした。
12歳と44歳の10年後はずいぶん違うものだろうけど、私もまだまだ負けてはいられない。
夢は叶えるもの。いつも、子ども達にとって、刺激を与えられるような生き方をしたい。そして、がんばる子どもたちはもちろん、夢見ることをあきらめている子達にエールを送り続けれれる教師でいたい。

3月の教員美術展まで2ヶ月。子ども達へのメッセージと自分の将来のために、がんばって作品を作らねば・・・!

キリスト教を学ぶ

2005-01-20 23:02:00 | 徒然なるままに
1月18日(火)

午前中、友人が来て久しぶりにお茶をした。
彼女は敬虔なクリスチャンで、彼女の信仰の深さと勉強熱心さにはいつも学ぶものが多い。

私は、この夏、玉川大学のスクーリングで、いろいろな講義の中で、キリスト教について学ぶ機会があった。
特に、『教師論』や『教育学名著』の講義では前提および、発展として、キリスト教の思想についての勉強は必須だ。

そういう意味もあって、これから毎週彼女にキリスト教について教えてもらうことにした。

仏教でもそうだが、元はひとつなのに、いろいろな宗派に分かれているように、キリスト教についても、カトリック、プロテスタント、エホバの証人、モルモン教ETCといろいろに別れている。
それぞれ解釈は違うのだろうが、仏教も、キリスト教も、どんな宗教も一番の元は『愛』であり、『平和』なのだと思う。
人として生きていくうえで、親として子どもを育て、教師として人を導く上で、あまりに迷いも多く、経験も少なく、自身のない私としては、その欠落部分を補強し、自分自身を成長させるために、『知識』が必要だと思う。

以前ある人に、
「おぼれている人を助けとうとするとき、むやみに飛び込めば自分もおぼれる。でも、しっかりした木に縛られている綱につかまっていれば安心して救助できる。その木や綱が信仰だ」
と、いわれた。
でも、私の中でだからと言って自分も信仰しようと言うところまではいけない、「引っかかり」がある。
それが何かわからないと彼女に言ったところ、彼女の言葉で興味深かったのは
「私が心から身を投げ出して助けようとしたとき、神はけしてあなたの手を離さないでしょう。神はあなたにとって、必要な助けを与えてくださる。それが信仰です。」
と言う言葉と、
「『聖書』は人として生きていくうえでの『マニュアル』であり、『知識』です」
と言う言葉だ。

以前、NHKの特集で、コルベ神父のことを放送していた。
第二時世界大戦中、収容所の中で、拷問の身代わりを買って出、あらゆる拷問ね耐えながらも人としての尊厳を失わず、獄死した人だ。
彼を支え、ともに苦しんだ人たちを救ったのは「マリア信仰」だった。
遺体を処理した人たちが、後に、「最後まで人として死んだのは彼だけだった」と語ったと言う。
泣きながら番組を見終え、彼の意志の強さと慈悲深さに感動した。
コルベ神父について知りたいと思い、彼のこの生きる姿勢はどこから来るのだろうと大いに興味を抱いた。

「真理」についてはあまりにテーマが大きすぎて、多くは語れないが、人智を超えた大きな力、法則と言うのがこの宇宙には存在するのは確かだと思う。
このたびのスマトラ沖地震・津波など、人間の文明をあざ笑うかのような現象だ。

そういう自然や目に見えない力に対しての恐れと畏敬の念は、昔の人ほど強かった。
そして、自然の中の自分を意識し、自然との共生を真摯な気持ちで実践してきた。
今、生態系に限らず、いろいろなメカニズムやリズムが狂ってきている。これは『警告』だと思う。
自然や自分があるべき姿と、それに対してなすべきことを真剣に考えたいと思う。

午後、子宮がん検診に行った。
初めてのことで緊張したが、健康管理・早期発見・早期治療は親としての最低限の責務と思う。

ペ・ヨンジュンと笑顔

2005-01-20 23:01:00 | 徒然なるままに
1月16日(日)

最近、再び『冬のソナタ』にハマっている。
年末に完全版を見て、改めて興味をもち、『もうひとつの冬のソナタ』なる本まで買って読んでみた。
一昨年の最初の放送のときは第3話からしか見れなくて、ドラマの複線部分が良くわからなかったが、今回、完全版を通して見てやっと全部のピースがはめ込まれたジグソーパズルを見ている感じ。
ところどころ疑問に思う点はあるが、なかなか良くできたドラマだ。
作者のエッセイを読んで、このドラマを生み出すご苦労と達成感を身近に感じることができた。
今回は、音楽や、役者、スタッフのことについても気をつけて見ていたので、それぞれ再発見することも多く、興味深く見た。

特に、主役のペ・ヨンジュン氏については、これほどの『ヨン様フィーバー』を引き起こす源について再認識することもできた。
彼の魅力は、その『笑顔』だけに留まらず、生き方、仕事ぶりについても大いに学ぶところがある。
特に、ファンやスタッフに対しての心配りと腰の低さ、、自分に対しての厳しさは尊敬に値する。
『家族』(ファンの事を彼はこう呼ぶ)が、その彼の行動を理解しよう、応援をしようとして、彼の言動に賛同し、ボランティアや寄付をするというのも良くわかる。

仕事人ペ・ヨンジュンも大いに魅力的だが、彼の思想、内面性についても興味がわく。
彼が役者として、人間としてこれからどう成長し、どんなことに挑戦していくかが大変楽しみだ。

いい笑顔は、人を癒し、明るくし、元気と勇気を与えてくれる。
私もそういう笑顔が自然にできるようでありたいと思う。

『韓流ブーム』と言うが、およそ、10年前には誰も想像しなかったこの現象が、単なるブームではなく、お互いの国の見えない壁を乗り越えて、よき隣人となるきっかけとなり、文化交流が広がる『芽』として成長していくことを望む。

そういう意味では『冬のソナタ』とぺ・ヨンジュン氏の功績は大きいと思う。
私も、子ども達に伝えられることは伝え、大人になったら、お互いに手を携えて共に歩めるように、私自身韓国について勉強しようと思う。


『冬のソナタ』サントラ盤はなかなかの名盤だ。
仕事帰りの車の中で、主題歌『初めから、今まで』を歌っているうちに、出なかった声が出るようになり、授業中の声が、職員室まで聞こえるくらい声量も回復した?!
ちなみに一番好きな曲は『忘れないで』。
チュンサンが、二人で行った海で、夜中、ユジンをあきらめようと海にネックレスを捨てるときに流れる曲だ。ペ・ヨンジュン氏の演技がまたいい。
曲調が韓国っぽくて、歌詞の意味を知らなかったときから切なくなる歌だった。

『初めから今まで』はいろいろな訳詞があるが、実際はどんな歌詞なんだろう。
やはり、ハングル語を勉強して自分で訳してみるのが一番いいのかな。

5年生の三次元立体絵画の参考作品に、『冬のソナタ』の一場面を作ることにした。
初雪デートで、湖のほとりで雪だるまを作っているシーン。
かなり個人的な趣味だけど、ま、いいじゃない?

ソーラン踊り初め 2

2005-01-10 21:21:00 | 徒然なるままに
1月8日

今日は、子どもの部のソーラン踊り初め。
でも、みんな休みボケなのかいまいち踊りに身が入らない感じ。
来月13日のイベント本番まで練習日数が無い。
今日はチョット辛口の一喝を入れてしまった。
でも、帰りがけ、次回のソーラン便りに載せる『みんなの今年の抱負』のために書いてきてくれた原稿を読んだら、
『もっと上手に踊れるようにがんばる』とか、
『今年はふざけないでまじめにやる』とか、前向きで殊勝な心がけが書いてあって嬉しかった。

ソーランも今年で結成5年目を迎える。
『楽しくなければソーランじゃない。見る人も踊る人も元気になるソーランを目指して!』

まずは2月13日の『ソーランINワンズモール2005』を成功させるぞ

始業式&ソーラン踊り初め

2005-01-10 21:20:00 | 徒然なるままに
1月7日(金)

今年最初の日記。
冬休み中に、HP更新するぞ~!と思っていたのに、PCは不調だわ、忙しいわでなんだかんだと2005年も7日目になってしまった。

年内にやるべきことが年明けに持ち越され、なし崩し的に新年を向かえてしまった。
でも、家族がみんな元気で新年を迎えられただけでもありがたいと思わなくてはならないようなニュースを見るに付け、一日一日を大切に過ごさなくてはと思う。

今日から、新学期が始まった。
図工室で3学期の指導案を作成していたら、5年生の女の子達が6人挨拶に来てくれた。
6人とも、ゴム版の年賀状を送ってくれた子達で、その苦労話をしながら、私の返信がパソコンのイラストだったことに抗議しにきたのだ。
『先生の版画の年賀状がほしかった』
というリクエストにお答えして、もう一度返信する羽目になってしまった。
そして、図工の教科書を見ながら、こんなのがやりたい、これが面白そうと散々リクエストやら文句をつけていった。
あの子達がどの教科に対してもこんなに積極的なのかどうかはわからないが、その意欲と好奇心の旺盛さには、教える側としては大いにうれしい。
年賀状をくれたほかの子達も、「3学期の図工が楽しみです。」とか、「嫌いだった図工が好きになりました」とか、「いろいろなやり方を教えたくれてありがとうございます」というようなことを書いてくれて、本当に嬉しかった。
私自身、子どもたちから教わることもたくさんあるし、何より、子ども達の完成にすごく刺激を受けている。
表現方法や「テクニック」が無いだけで、宝石の原石のような感性を持っている子がたくさんいるのだ。
1教えれば10通りイメージがわく子もいれば、10のヒントを教えても、4時間画面が真っ白の子もいる。
でも、何とかみんな、作品は仕上げてくれた。
仕ーてくれた作品を1枚1枚、1つ1つデジカメで撮影して、1人1人の作品のアルバムを作ったり、書評を書き込んでいるうちにどの子にも、どの作品にも愛情がわいてくるから不思議だ。
作品を見れば、どの子とどんな会話をしたかがすぐに思い出せる。
それだけに「評価」は難しかった。
「相対評価」と「絶対評価」どちらも一長一短あると思うが、「評価」とは、教科に限らず、「結果」では無くて次の段階への「指針」で無ければならないと思う。
ましてや、芸術系であればなおのこと。
「達成度」に対しては客観的な「評価」はできても、「意欲」や「構想」に関しては、常に授業中の生徒とのコミュニケーションを大切にしていないと難しい。
本人が納得するような「評価」は難しいが、良いところはバンバンほめてあげて、より良い表現と意欲が増すように、認めて上げること励ましが大切だ。

担任の先生方と打ち合わせて、3学期は結構面白い制作活動ができそうで、私自身、わくわくして、頭の中はいろんなアイディアが次々沸いてきている。

3学期は時数が減っている分、効率の良い授業を心がけよう。

夜、マダムの部のソーラン踊り初めに参加。
2月13日のイベントに向けて、マダムパワーエネルギー全開、始動開始といったところ。
久々に踊って、いい汗をかいてきた。
今年もがんばるぞ!

かけがえのない友達

2005-01-10 21:18:00 | 徒然なるままに
1月6日

二期制の学校は今日が始業式。末娘は元気に登校。
勤務先の小学校はまだ三期制なので、私は今日までお休み。

年明けに出した年賀状もようやく届いたらしく、いろいろな人からお礼の電話を頂いた。
中でも嬉しかったのは、中学時代からの文通相手からの電話。

『中三時代』の8月号の文通欄に私の『古代文明に興味がある方と』と言う紹介文が載り、当時、100名ぐらいから手紙を貰った。
その中から10名ぐらいの人たちと文通を続け、お互いに『古代文明』への熱い思いを語り合い、情報交換をしたものだ。
中3の2学期に、受験勉強そっちのけでやっていた。でも、そのおかげで辞書を引く週間と文章力は多少ついたのではないかと思う。
小6のときに『海のトリトン』を見て、古代文明に目覚め、中学時代にNHKの『未来への遺産』や『シルクロード』に大いに影響を受けたものの、身近には父意外にそういう話ができる友達がいなかった。
中学時代の私の夢は『考古学者』か『民俗学学者』だった。

10人の文通相手とは『古代文明』のほかにもいろいろな話題で盛り上がり、一緒に『マン研』もやったり、修学旅行の時には俟ち合せて会ったり、大学時代には泊りがけで旅行に行ったり。
その中で、29年たっても年賀状のやり取りが続いている人が3人いる。

夢多き多感な時代、互いに夢を語り合い、刺激を受け合った友達は、今もこれから先もかけがえの無い存在だ。
今はお互い忙しい身だけど、いつか彼の地に行ってみたいという夢は実現したい。
私の中には12歳~17歳の自分が今も熱い思いをたぎらせて、ある日突然私を支配する。
そういうときの私は、きっといつもとは違う顔をして、背筋もぴんとしているんだろうなあ・・・、『ソフィー』のように。

だから、その頃の友達からの電話がかかってくると、声まで若返るような気がする。
あの頃のピュアーな気持ちに帰って、話が弾む。

昨日はそういう友達の一人から久々に電話があった。
彼女とは高校2年の京都への修学旅行のとき、上野から東京に移動する間、ホームで待ち合わせて山手線の中で話したったけ。
それまで、カセットテープの交換や電話では話したが、会って話をしたのは初めて。
あの興奮と感動は今も忘れられない。

年月は過ぎ、お互い今年は40も半ばになるけれど、今も、これからも、大切な友達だ。
なかなか遠出はできないと言う彼女に、今年は時間を作って、私から会いに行こうと思う。

『ハウルの動く城』

2005-01-10 21:17:00 | 徒然なるままに
1月5日

今日は末娘と『ハウルの動く城」を見てきた。
昨年11月から上映中のこの映画、ず~っと観たかったんだよね。

ここからは私の主観での感想。
原作本は制作発表後にすでに買ってあるが、上映後に読もうと思ってまだ読んではいない。
どの部分が原作に忠実で、どこが脚色されているかはわからないが、アニメーションという手法が大いに生かされている作品だった。

職業柄、どうしても背景美術に目が行ってしまうのだが、残雪の山岳地帯も、ヨーロッパの町並みもお王宮内も、湖水と花畑のシーンも見事だった。
『城』は、各パーツがそれぞれが独特の動きをするように設計され、意思を持った生き物のように動くところが面白かった。
城内は、全容はわからないが、メインの部屋だけでなく、 いろんな部屋をのぞいてみたくなるような好奇心をかき立てる。
1番魅力的なのは『玄関のドア』ドラえもんの『どこでもドア』 は、主人公のソフィーも1番興味を持っただけあって 魅力的なドアだ。
ダイアルを回して別な場所に通じたのが、そばの窓ガラスから入ってくる光の変化で感じせるところが心憎い。

印象に残るシーンは、ハウルが風呂から出てきて、
「ソフィーが風呂を片付けたためにまじないがめちゃくちゃになった~!」
と絶望して落ち込むシーン。あのドロドロ状態には笑ってしまった。
2つ目は、ハウルが光の子と戯れ、悪魔と契約を交わし、カルシファーが生まれるシーン。ディズニーの『ファンタジア』を髣髴とさせる幻想的なシーンだ。

そして圧巻は、ハウルが『守るべきものができたたんだ・・・君だ』と言って、熱風と火の粉の舞う空へ上っていくシーンだ。
それに対して、「あの人は弱虫がいいの」と言って、ハウルを助けに引っ越そうとするソフィーがまたいい!
宮崎駿アニメの女主人公は皆、凛々しくたくましい。iウシカ、さつき、メイ、キキ、シータ、サン、千尋、皆魅力的だ。

今回のソフィーは、呪いで90歳の老婆になるが、ソフィーの意思が反映してなのか、さまざまな年齢に変容する。40代に見えたり、30代に見えたり、19歳に戻ったり。背筋やプロポーションが変化するところが面白い。
現実の世界でも、実年齢より老けて見えたり若く見えたりすることがあったりするけど、あんなふうにプロポーションが変われたら面白いな~。
倍賞千恵子さんも楽しく演じられたのではないだろうか。

ハウルはとても人間的に描かれていてこれもまた魅力的だった。愛する人のためだけのヒーローと言った感じ。魔よけのお守りだらけの部屋に引きこもるところや落ち込み方の激しさは、ソフィーの母性本能の塊のような性格を際立たせている。

『あの人は弱虫がいいの』この言葉は、逆説的効果がある。
『あんたは男でしょ!しっかりしなさい』と言われるよりも、逆に『弱虫でいい』と、自分の弱いところを認めてくれた上で、ありのままの自分を丸ごと受け入れてもらえてこそ、自信と勇気と責任感が生まれるのだと思う。
そういう人を守るために戦いに挑んでいくハウルは、とても男らしくて素敵だ。

ストーリーも場面展開も登場人物も面白かった~!
と言う感じだが、いまひとつ何か物足りない感じも残る作品だった。
原作ではハウルの妻となったソフィーが登場する『アブダラと空飛ぶ絨毯』があるらしいので、それも読んでみよう。

末娘はすっかり『ハウル』にハマって
しまって、早速アニメ本を買い、台詞まで覚えてしまっている。

私も久々に創作意欲を掻き立てられ、一気にスケッチブックを埋めてしまった。

「おかえり~~~!」

2005-01-10 21:16:00 | 徒然なるままに
1月4日

末娘が帰ってきた。「おかえり~~~!」
行きは大雪で新幹線の送電線が故障したりして大変だったが、帰りは順調だったらしい。
津田沼に迎えに行った時は6時を回っていた。
末娘と共に石巻でお正月を過ごしに行き、連れて帰ってきてくれた私の妹の風邪は、鼻声になっていてあまり芳しくなかった。
末娘は、大好きなおねえちゃんと新幹線で旅ができて大満足だったようだ。
風邪気味なのに、雪の石巻に末娘を連れて行って過ごしてくれた妹に心から感謝!

末娘は、お年玉でみんなにお土産を買ってきてくれた。あんたはえらい!

お正月

2005-01-10 21:14:00 | 徒然なるままに
1月3日

末娘に朝電話する。
そろそろホームシックかなぁと思っていたら、親の心配をよそに、毎日雪遊びやら、エンドレス・カルタやらで、元気いっぱい宮城のお正月を楽しんでいる模様。
息子と長女は、お年玉を握り締めてそれぞれ友達と初売りに出かけて行った。

故郷の友達からの年賀状にはどれも、
「今年は帰らないの?」とか、
「帰ってきたら連絡頂戴ね」というような嬉しい書き込みが添えてある。
子ども達が大きくなるにつれ、なかなか故郷でお正月を過ごすのが難しくなる。
部活動、冬期講習、バイト、受験、年末年始のTV番組etc.
でも、この子達も、やがて、年末年始は友達や恋人と過ごすようになったり、仕事や結婚して家庭を持つと、家では一緒にお正月を迎えられなくなるのだろう・・・。
子ども達の夜更かし、朝寝坊に声を荒げ、ささやかなおせち料理の奪い合いなんて光景は、あと何年も無いのだなぁと思うと、なんだか寂しいような、愛おしいような感じだ。
と同時に、大きくなった孫達がなかなか遊びに来なくなって、寂しがっている故郷の両親とともに過ごすお正月もまた大切にしなくてはとも思う。

末娘は明日帰ってくる。
しっかり、おじいちゃん・おばあちゃん孝行をして・・・。