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交流

夢見ることをあきらめている子どもたちへ

2005-01-20 23:03:00 | 徒然なるままに
1月19日(水)

今日は、4年生の「ばか面」作りの色づけと、6年生のBOXアートの続き。
「ばか面」は、肌色を作るのにみな四苦八苦していた。なかなか個性的なお面ができて、本番が楽しみだ。
BOXアートの参考作品として、私も『マチュピチュの遺跡でケーナを吹く自分』と言う作品を作ってみた。
今回のテーマは『未来に生きる自分』。卒業を前にした6年生に、10年後、20年後の自分はどんなことをしているだろうと言う場面を、30×20×5cmのBOXの中に構成するのだ。
子ども達の下書きを見ると何と言うか、現実的というか、『夢』とか『スケールの大きさ』と言うのがあまり感じられないものが多かったので、創作意欲を膨らませるためにいろんなヒントを出してみたけどなんだか反応がイマイチなのだ。
でも、私の作品を見て、描き直したい、作り直したいと言って来た子が何人かいたり、放課後残って制作したいという子もいたり 、反応は良かった。

放課後、そういう子ども達と、将来の夢や恋愛論について語り合いながら作品作りをした。
12歳と44歳の10年後はずいぶん違うものだろうけど、私もまだまだ負けてはいられない。
夢は叶えるもの。いつも、子ども達にとって、刺激を与えられるような生き方をしたい。そして、がんばる子どもたちはもちろん、夢見ることをあきらめている子達にエールを送り続けれれる教師でいたい。

3月の教員美術展まで2ヶ月。子ども達へのメッセージと自分の将来のために、がんばって作品を作らねば・・・!

キリスト教を学ぶ

2005-01-20 23:02:00 | 徒然なるままに
1月18日(火)

午前中、友人が来て久しぶりにお茶をした。
彼女は敬虔なクリスチャンで、彼女の信仰の深さと勉強熱心さにはいつも学ぶものが多い。

私は、この夏、玉川大学のスクーリングで、いろいろな講義の中で、キリスト教について学ぶ機会があった。
特に、『教師論』や『教育学名著』の講義では前提および、発展として、キリスト教の思想についての勉強は必須だ。

そういう意味もあって、これから毎週彼女にキリスト教について教えてもらうことにした。

仏教でもそうだが、元はひとつなのに、いろいろな宗派に分かれているように、キリスト教についても、カトリック、プロテスタント、エホバの証人、モルモン教ETCといろいろに別れている。
それぞれ解釈は違うのだろうが、仏教も、キリスト教も、どんな宗教も一番の元は『愛』であり、『平和』なのだと思う。
人として生きていくうえで、親として子どもを育て、教師として人を導く上で、あまりに迷いも多く、経験も少なく、自身のない私としては、その欠落部分を補強し、自分自身を成長させるために、『知識』が必要だと思う。

以前ある人に、
「おぼれている人を助けとうとするとき、むやみに飛び込めば自分もおぼれる。でも、しっかりした木に縛られている綱につかまっていれば安心して救助できる。その木や綱が信仰だ」
と、いわれた。
でも、私の中でだからと言って自分も信仰しようと言うところまではいけない、「引っかかり」がある。
それが何かわからないと彼女に言ったところ、彼女の言葉で興味深かったのは
「私が心から身を投げ出して助けようとしたとき、神はけしてあなたの手を離さないでしょう。神はあなたにとって、必要な助けを与えてくださる。それが信仰です。」
と言う言葉と、
「『聖書』は人として生きていくうえでの『マニュアル』であり、『知識』です」
と言う言葉だ。

以前、NHKの特集で、コルベ神父のことを放送していた。
第二時世界大戦中、収容所の中で、拷問の身代わりを買って出、あらゆる拷問ね耐えながらも人としての尊厳を失わず、獄死した人だ。
彼を支え、ともに苦しんだ人たちを救ったのは「マリア信仰」だった。
遺体を処理した人たちが、後に、「最後まで人として死んだのは彼だけだった」と語ったと言う。
泣きながら番組を見終え、彼の意志の強さと慈悲深さに感動した。
コルベ神父について知りたいと思い、彼のこの生きる姿勢はどこから来るのだろうと大いに興味を抱いた。

「真理」についてはあまりにテーマが大きすぎて、多くは語れないが、人智を超えた大きな力、法則と言うのがこの宇宙には存在するのは確かだと思う。
このたびのスマトラ沖地震・津波など、人間の文明をあざ笑うかのような現象だ。

そういう自然や目に見えない力に対しての恐れと畏敬の念は、昔の人ほど強かった。
そして、自然の中の自分を意識し、自然との共生を真摯な気持ちで実践してきた。
今、生態系に限らず、いろいろなメカニズムやリズムが狂ってきている。これは『警告』だと思う。
自然や自分があるべき姿と、それに対してなすべきことを真剣に考えたいと思う。

午後、子宮がん検診に行った。
初めてのことで緊張したが、健康管理・早期発見・早期治療は親としての最低限の責務と思う。

ペ・ヨンジュンと笑顔

2005-01-20 23:01:00 | 徒然なるままに
1月16日(日)

最近、再び『冬のソナタ』にハマっている。
年末に完全版を見て、改めて興味をもち、『もうひとつの冬のソナタ』なる本まで買って読んでみた。
一昨年の最初の放送のときは第3話からしか見れなくて、ドラマの複線部分が良くわからなかったが、今回、完全版を通して見てやっと全部のピースがはめ込まれたジグソーパズルを見ている感じ。
ところどころ疑問に思う点はあるが、なかなか良くできたドラマだ。
作者のエッセイを読んで、このドラマを生み出すご苦労と達成感を身近に感じることができた。
今回は、音楽や、役者、スタッフのことについても気をつけて見ていたので、それぞれ再発見することも多く、興味深く見た。

特に、主役のペ・ヨンジュン氏については、これほどの『ヨン様フィーバー』を引き起こす源について再認識することもできた。
彼の魅力は、その『笑顔』だけに留まらず、生き方、仕事ぶりについても大いに学ぶところがある。
特に、ファンやスタッフに対しての心配りと腰の低さ、、自分に対しての厳しさは尊敬に値する。
『家族』(ファンの事を彼はこう呼ぶ)が、その彼の行動を理解しよう、応援をしようとして、彼の言動に賛同し、ボランティアや寄付をするというのも良くわかる。

仕事人ペ・ヨンジュンも大いに魅力的だが、彼の思想、内面性についても興味がわく。
彼が役者として、人間としてこれからどう成長し、どんなことに挑戦していくかが大変楽しみだ。

いい笑顔は、人を癒し、明るくし、元気と勇気を与えてくれる。
私もそういう笑顔が自然にできるようでありたいと思う。

『韓流ブーム』と言うが、およそ、10年前には誰も想像しなかったこの現象が、単なるブームではなく、お互いの国の見えない壁を乗り越えて、よき隣人となるきっかけとなり、文化交流が広がる『芽』として成長していくことを望む。

そういう意味では『冬のソナタ』とぺ・ヨンジュン氏の功績は大きいと思う。
私も、子ども達に伝えられることは伝え、大人になったら、お互いに手を携えて共に歩めるように、私自身韓国について勉強しようと思う。


『冬のソナタ』サントラ盤はなかなかの名盤だ。
仕事帰りの車の中で、主題歌『初めから、今まで』を歌っているうちに、出なかった声が出るようになり、授業中の声が、職員室まで聞こえるくらい声量も回復した?!
ちなみに一番好きな曲は『忘れないで』。
チュンサンが、二人で行った海で、夜中、ユジンをあきらめようと海にネックレスを捨てるときに流れる曲だ。ペ・ヨンジュン氏の演技がまたいい。
曲調が韓国っぽくて、歌詞の意味を知らなかったときから切なくなる歌だった。

『初めから今まで』はいろいろな訳詞があるが、実際はどんな歌詞なんだろう。
やはり、ハングル語を勉強して自分で訳してみるのが一番いいのかな。

5年生の三次元立体絵画の参考作品に、『冬のソナタ』の一場面を作ることにした。
初雪デートで、湖のほとりで雪だるまを作っているシーン。
かなり個人的な趣味だけど、ま、いいじゃない?