TOLITON's WEB SITE

日記中心
 
情報提供(アニメ・映画・美術関係)

交流

年賀状

2005-01-10 21:13:00 | 徒然なるままに
1月2日

今回の年賀状は、年末のすったもんだで結局年明けに出すことになってしまった。
皆さん、ごめんなさい。松の内には届きますように・・・。

元旦には、たくさんの年賀状の中に、教え子からの年賀状もあり、とても嬉しかった。
特に5年生からは、授業でがんばって彫ったゴム版の年賀状を送ってくれた子が何人もいて、本当に嬉しかった。
年賀状コンクールに出すために、何枚も何度も刷りなおしてがんばっていた姿が目に浮かぶだけに、私に送ってくれたこの1枚にどれだけ神経と時間を使ってくれたかと思うと、返信がパソコンで作成したものでは申し訳ないような気がして・・・。

年賀状に、「3学期の図工が楽しみです。」とか、「嫌いだった図工が好きになりました」とか、「いろいろなやり方を教えたくれてありがとうございます」というようなことが書いてあって、本当に嬉しかった。

息子にも何枚か年賀状が来ていた。
「返事は書かないの?」と聞くと、
「携帯から一斉メールで送った」という返事。
なんだか味気ないような気がするのは、私がアナログ人間だから?
息子も去年は受験生にもかかわらず、パソコンで画像をコラージュしたりして年賀状を作成し、友達と合格祈願のメッセージのやり取りをしていたのだが・・・。

年賀状は、年に1度の一大イベントだと思う。
普段のご無沙汰をわびながら、長年の友情を温めあったり、確かめ合ったり、お互いの健康や活躍を祈り合うという素敵な習慣だと思う。
この歳になると、とても他人事とは思えないような喪中はがきも頂くようになる。
家族そろって無事に新年を迎え、祝うことができることのありがたさを痛感する。

来年こそ、元旦には配達してもらえるように、今年の年末にはもっと手際よく年賀状作りをしよう!

カラオケで母子歌い初め!

2005-01-10 21:12:00 | 徒然なるままに
1月1日

今日は久々に子ども達とカラオケに行って歌い初め。
小3の次女は年末から私の実家に泊まりに行っているので、高1の息子と中2の長女という珍しいメンバー構成だ。

3人で、フリータイム3時間たっぷり歌いまくってきた。
最初は息子が断然リード。全部90~92点以内。ラップ系の早口言葉のような歌も、リズムに乗ってノリノリで歌うのだ。声変わりもすっかり落ち着いて、ファルセットの声もなかなか。
長女も負けじと頑張るが、最高でも91点止まりでなかなか兄を追い抜けない。
でも、高いキィーの歌も透明感のある声と細い身体に似合わない声量と天性のリズム感で上手に歌うもんだと思った。これで発声がちゃんとできていたら完璧だ。

いつの間にやら手ごわい歌い手に成長していた子ども達に負けじと勝負をかける母。
でも、私は5月から声が出にくくなって、夏からは音声にならない状態でコーラスもお休みしていた。
授業やソーランの時は演劇的発声法でやっていたが、日常会話や電話の声はほとんどかすれて聞きづらい様な声しか出せなかった。
原因は心因性ストレスから来るもので、ポリープではなかったのだが、この声の出ない半年間は本当につらかった。

それが!どういうわけか、車の中で歌を歌っているうちにいつの間にか出るようになったのだ。
その歌とは・・・?!
そう!あの『冬のソナタ』の主題歌『最初から今まで』なのだ。
歌っているうちに感極まって、咽喉を開けたような感じで歌っているうちに、今まで 音声にならなかったキィーまで楽に出せるようになっていたのだ。
昔、劇団の養成所の発声の授業で、『声によるうがい』というのを習った。原理は同じだった。
RYUのキィーは私にとってちょうどいい高さで、歌えば歌うほど、咽喉に詰まっていたものが洗い流されていくような感じがする。
おかげで、半年振りに『米良美一』の声も、『堀江美都子』の声も出るようになった!

でも、協力ライバル達との勝負に勝ったのは、ユーミンの『HAPPY NEW YEAR!』の93点だった。
ちなみに今までの最高は『島唄』とユーミンの『紙ヒコーキ』と『明日はどこから』(キャンディーキャンディーのエンディング)の95点。
『最初から今まで』も95点を取れるようにがんばるぞ!
今年は半年振りにPTAコーラスにも参加するぞ!

新年の祈りと誓い

2005-01-10 21:11:00 | 徒然なるままに
1月1日

2004年に置いて来るはずの物を整理できずに抱え込んだまま、なし崩し的に新年を迎えてしまった・・・というような年明け・・・。

でも、それぞれ、大なり小なり問題は抱えていても家族が皆元気で新年を迎えることができただけでも幸せなことだ。

中越地震の恐ろしさ、スマトラ沖地震のすさまじさ、本当に天災の前には人類の英知も文明も無力なんだと思い知らされるばかりだ。
高校3年のとき、宮城県沖地震を体験した。
1月17日は阪神淡路大震災が起きた日だ。
中越地震の直後、川口町にボランティアに行っていた弟と電話で話した。

突然、一瞬のうちに断ち切られてしまった日常。変わり果てた住まいとふるさとの景色、奪われしまったった命・・・。なんの心の準備も出来ない内に人生を閉ざされてしまった無念は想像を絶する。
「生きているだけで丸儲け」とは言うが、被災から立ち直るにはまだまだ多くの時間とエネルギーとお金がかかることでしょう。
被災された方々のご冥福を祈り、ご遺族の方、関係者の方々に心からお見舞い申し上げます。
そして今、自分にできることと、いざ自分の身に災害が降りかかったときのための心積もりを真剣に考えねばと思う。

年頭に当たり、まずは家族の健康と安全を心から祈る。そして、2005年は、世界が平和でみんなが安らかに笑顔で暮らせる日が1日でも多いことを願う。