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『春の嵐』

2004-04-30 03:54:00 | 徒然なるままに
4月26日(月)

 今日は、昨日の体育祭の振り替えで長女は休み。早速朝から友達と遊びに行った。
 夕方、診療内科に行ってくれた妹を迎えに行った。
 先生からは、妹から見た私と長女の親子関係についていくつか質問があり、次回私が来院する時に、妹が日常気がついたことをメモして私に持って来させるようにと指示があったそうだ。
 先生としても、正直なところ、問題が複雑で難しく、治療法に困っているのだそうだ。
 なんとも心もとない話だが、じっくりかかって取り組んでいくしかないのだろう。

 昨日のNHKのTV番組の中で、今の子どもたちの『不登校』という現象は、戦後の学校教育のあり方についての子どもたちからの警告だという見方をしていた。
 強い国、進んだ国を目指し、同じ価値観や知識をインプットするような大量生産型一斉授業の弊害が、子どもたちの『荒れ』や『不登校』という負の形になって現れているのではないだろうか・・・。
 それをプラスに転化させるためには、その負の現象の根底や背景を明らかにしていかなくてはならない。なぜなら、このままの状態では、この負の現象は無くなるどころか、ますます増えていき、当たり前のことになっていってしまうかもしれない。
 見方によっては、感受性の強い子などは特に、学校に適応できないから『不登校』しているのではなく、逆に『不登校』することで社会に適応しているのかもしれない。
 
 長女の場合はもうひとつ、いつか訪れるであろう彼女の『成長した日』のために、必要があって過ごしている日々であり、置かれている状況なのかもしれない。乗り越えるべくして現れる『壁』なのであれば、逃げてもまた現れるのであろう。
 かつて息子がそうであったように、そして今の息子の成長があるように、長女にはこういう形で現れ、母親としての私に取り組ませていることなのだろう。
 『つわり』の『出産』も三人三様だったように、思春期・反抗期もそれぞれの個性的にあった現れ方なのだろう。
 息子のときの大変さは、今はあの頃があったから今のつらさに耐え、待つこともできる強さに転嫁していると思う。
 息子自身もずいぶんと成長し、今は私とも何でも話せる関係になり、私を労わってくれるようになった。長女のことも心配し、見守ってくれている。私がいろいろ言わなくても、自分の将来についても考えてはいるようだ。
 そのための2年間の『嵐の日々』だったのだろうか・・・。
 その計算で行くと、長女の場合は、あと3ヶ月ぐらいは親子で嵐の真っ只中を手探り状態で進んでいかざるを得ないだろう。
 でも、今回は、家の中にも、外にも強い味方がいる。一人で背負い込まず、自分を責めず、安定していられる時間と距離を保ちながら、『春の嵐』を受け止めていこう。

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