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石巻帰省レポート その2 石巻市立門脇小学校

2012-01-07 21:04:00 | 石巻ボランティア日記
1月3日(火)

今日は、高校時代の友人と、石巻の初売りに行った。
仙台や石巻の初売りと言えば、福袋や景品が豪華で有名なのだが、今年は、震災の影響で、石巻の中心街の商店街も開いている店が少なかった。私達は、それでも頑張って開店している店を探し歩いて、もりや食堂でカレー南蛮そばを食べ(美味しかった!!*(グッド)*)、珈琲館でマンデリンを飲み、観慶丸でおわんを買い、白松もなかでお土産を買い、白謙(しらけん)で笹かまぼこを買った。
どのお店も、夏に来た時よりはきれいに片付いていたし、通常通り営業はしていたが、夏は川開きもあってそれなりにお客さんはいたのだろうが、せっかくの初売りなのに、本当に客がいなかった。
『復興』『石巻再興』の難しさを痛感した。入ったお店の方に、震災当時のお話を伺いながら、「昨年の分以上、良いことがたくさんありますように。頑張ってください!」と声をかけると、みなさん、深々とお辞儀をしてくださっていた。
石巻を離れてしまった私が言うべきことではないが、同じ石巻市民が、ああやってかつての中心街で頑張っている老舗を、なじみの店を支えてあげてほしい。
ただでさえ、震災前からドーナツ化現象でシャッター街化していた商店街ではあったとしても。
特に、石巻出身者のみなさん!石巻でお金を使いに帰ろう!!石巻を元気にしに行こう!!!かつてエンドーチェーンがあった駐車場には、仮設店舗があった。そこから皆で立ち上がろうとしている。どうか、心折れずに、踏ん張って、再起を図ってほしいです。
おだづなよ、津波!(ふざけるなよ、津波!)負ねげねど頑張る!石巻!!(負けないで頑張る!石巻!!)友人と北上川沿いを河口に向かって走り、日和山の麓に広がる門脇地区に行った。大晦日に長淵剛さんが『ひとつ』を歌った石巻市立門脇小学校に行った。
photo by toliton717 from OCNフォトフレンド
津波に打ちつけられた瓦礫に、船や車の油が引火し、炎上して、小学校は全焼。校庭に押し寄せた瓦礫はきれいになくなっていたが、校舎の中はあの日のまま、焼けて止まったままの時計と一緒に時が止まったままだった。 焼けただれた校舎の外壁や、ボロボロのカーテン、煤けた天井…。どれほどの猛火がこの校舎を焼き尽くしたのか…。地震と津波だけでも壊滅状態なのに…。まるで、原爆ドームのようだった。
長淵剛さんが、昨年の紅白歌合戦で、この角のわき小学校の校舎を背にして歌った時、漆黒の闇と言った場所の昼間の様子がこの写真だ。
photo by toliton717 from OCNフォトフレンド
遠くに見える防波堤のようなものは、何台も積み重ねられた津波で流された車だ。ズームアップで撮った写真を見てほしい。
photo by toliton717 from OCNフォトフレンド
小学校の近くに、TVに良く映る『がんばろう!石巻』の看板があった。
photo by toliton717 from OCNフォトフレンド
この看板は、セブンイレブンがあった跡地に立てかけてあるのだそうだ。店長夫妻と18歳のアルバイトの女の子が被災し、夫妻は行方不明。女の子は、数日後、そこからほど近いガソリンスタンドの屋根の上で自衛隊によって発見されたのだそうだ。

 私はこの地区の南浜町という地域に、幼稚園に入る前まで住んでいた。
川沿いを歩いて行くと海になるのだが、こちら側の海は、当時東北パルプ、または石巻パルプ(現在は日本製紙)と言った大きな製紙工場があり、その向こうは工業港だ。小学生の時、父と弟と、工業港に停泊している大型貨物船を描きに行き、展覧会で賞を取ったことを覚えている。
 石巻は、北上川を境に、左右に大きな港があり、牡鹿半島側は東洋一の魚市場がある新漁港(かつては美しい砂浜と松林が続く海水浴場もあった。)、仙台方面側は釜工業港だ。そして、河口には造船所が建ち並ぶ、典型的な港町だ。
この門脇地区に住んでいた高校時代の友人の息子さんとお姑さんが、震災9日後、瓦礫の中から奇跡的に救助された。夏にその友人から聞いた当時の話は、本当に過酷で奇跡的で、感動した。人間、最後まで諦めてはいけないのだ。息子さんのおばあさんを助けたい一心で、凍傷の足で瓦礫の隙間から屋根に這いあがり、何時間も叫び続けて救助してもっらたという話は、今でも涙がこみ上げてくる。
この地区にはまた、母の友人が、最初の津波の時は、犬の散歩中で、ご主人と避難できていたのに、引き波の時に自宅に戻ったまま、未だに行方不明だ。
見渡す限りの荒野には、何千人もの当たり前の生活があったはずだ。友人は、
「日和山から見下ろしただけでは分からない、感じられない、この状況を見てほしかったの・・・」
と言っていた。
門脇小学校の児童は、今、日和山にある門脇中学校で一緒に勉強をしている。かつての学び舎をどんな思いで眺めて暮らしているのだろう…。
どうか、子どもたちの未来に、明るい光がたくさん差し込んできますように…。
子どもたちが安心して、安全に、健康で、楽しく、勉強できる環境を保障してあげるのは、私たち大人の責任と役割だ。
夕闇せまる門脇小学校の前で、私はこれから自分の成すべきことを考えていた。


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