11月7日(水)
午前中、党内の情勢などの情報交換を複数の衆院議員らと行う。
午後、民間団体主催の「日米安全保障戦略会議」に出席。
米国のコーエン元国防次官らの話を聞く。
ゲストスピーカーの予定だった前原誠司代議士は欠席であった。
夕方、党の「両院議員懇談会」に出席。
すでに報道でもご存知の通り、
小沢一郎氏が辞意を撤回して代表職にとどまることを表明した。
代表の挨拶を聞いた印象としては、
国会議員はもちろんのこと国民や党員に対して、
お詫びや反省の言葉が随所に入っており、
総じて好意的に受け止めていいのではないかと思う。
私が懸念の思いを持った事についても、
参院選大勝の余勢でもって勝てるほど衆院選は甘くないことを述べたと、
明確な説明があったので理解できた。
席上、渡部恒三最高顧問が、
「小沢さんとは38年間つきあいがあるが、
今回ほど私の意見に耳を傾けてくれることはなかった」と述べたことが印象的だった。
結果的には全議員で小沢代表の決意に大きな拍手を送り、
「ガンバロウ」三唱をして締めくくった。
ただ、こうした党内の熱気とは裏腹に、
国民一般の見方は随分冷めたものだろうとは思う。
ついこの間に安倍首相の辞任を声を大にして批判しておいて、
その舌の根が乾かないうちに自らの代表の辞意表明と辞意撤回。
「もう、ええかげんにせんかい」という声があがるのももっともである。「永田町民主党村」の理屈では、
「雨降って地固まる」といって胸をなでおろしても、
国民の目には内輪の話でしかないだろう。
ただ、今回の一連のドタバタ劇での成果をあげるとするならば、
自民党との連立はないことと、
個別の政策課題についての政策協議はある、ということだろう、
そして何よりも、失われた党での信頼を取り戻すべく、
衆参議員は当然のこと党員・サポーターが一丸となって、
日常の活動を強化することが再確認されたことだ。
昨年の「偽メール問題」で民主党は消滅すると言われたが、
みんなが頑張って危機を乗り切ったように、
今回も民主党に期待してくださった方々に対し、
「もうい1回民主党にチャンスをやろう」を言っていただけるよう、
全力を尽くしたい。
私も民主党所属国会議員の一人として、
心からお詫び申し上げたいと思います。
ー記ー
小泉純一郎元首相は政治には上り坂、下り坂のほかに「まさか」という坂がある、と述べたがその「まさか」が起きた。民主党の小沢一郎代表の辞任表明と撤回だ。
小沢氏ほど毀誉褒貶の激しい政治家はいない。筆者などは「毒にもクスリにもならない」政治家よりは、政局転換の節目で大胆に働いてきた小沢氏の存在感を買いたいものだが、それにしても、一般には今回の騒動は分かりにくかったに違いない。
小沢氏はとかく説明不足で、ときに投げやり、傲慢、独断専行に映る。長い間、政治記者として小沢氏の政治行動をウオッチしてきたが、ふだんの小沢氏はシャイで酒席などでは実に楽しい座談の名手でもある。それが、政局を動かそうという時には「壊し屋」「自爆テロ」などと悪罵を投げつけられることがままある。
今回の辞任騒ぎでも、大連立構想は小沢氏の側から出た、といった趣旨の報道に対して、激しいマスコミ批判を行った。このこともあってか、メディアでの評価は散々である。
そこで、あえて小沢氏の心境を推測しながらこの辞意騒動は何だったのか、何を残したのか、考えて見たい。
小沢氏の批判はたやすい。「茶番劇だ」「加藤の乱の再現だ」「独断的な悪い癖がまた出た」などとメディアは批判のオンパレードだ。だが、その次元に留まっていては、この特異な政治家の政治行動を解析することは出来なくなる。
福田首相との2回にわたる首脳会談で大連立の構想が出た。これを小沢氏は党に持ち帰って役員会に諮った所、全面的に拒否された。このため、「代表不信任と同じだ」と辞意を表明。これに対して、党執行部は慰留に努め、小沢氏はこれを受けて辞意を撤回した。これが一連の流れの概略である。
7月の参院選で民主党は小沢氏の陣頭指揮によって大勝し、「衆参ねじれ」構造が生まれた。小沢氏が大連立を受け入れに傾いたのは、「ねじれ」によって政策の実現が困難になったため新体制が必要になった、という認識に基ずいているというのだから、なんとも皮肉な話ではある。
小沢氏は辞意表明の記者会見で、民主党の現状について、「力量不足」「政権担当能力に疑問」「次期衆院選も厳しい情勢」などと率直に述べた。党首が自分の党の脆弱さを公言したのだから、これは尋常ではない。
だが、小沢氏の現状認識は間違ってはいないと思える。参院選で自民党が大敗したのは「年金」「政治と金」「閣僚の失言」といった不始末、不祥事が最大の要因だ。民主党側に積極的な勝因があったのかというと疑問が残る。「敵失頼み、風任せ」の勝利だったのではないか。
民主党には、その実態に対する厳粛な認識が欠落していた。参院選大勝の勢いで衆院選も勝ち抜けると踏んでいたようだが、小沢氏はそこへ冷や水を浴びせたのだ。これによる覚醒効果は絶大であると見ていい。
ドイツに見られるように、大連立はあってもおかしくない政治選択である。だが、小選挙区制を軸とした選挙制度においては、大連立は非現実的なものとして受け止められていた。大連立論者には中選挙区制への復帰願望が付いてまわるのである。
小選挙区制導入に尽力した小沢氏が大連立構想に乗ったことの不可解さが指摘された。だが、小沢氏流の大連立構想は、目線がちょっと違ったのではないか。つまりは、大連立によって国際貢献策などの国家的課題に決着をつけ、民主党も政権担当能力を備えていることをじ実証する。その上で、2大政党時代を目指した一大決戦に挑む・・・これが小沢氏の感覚であった。
これまでは、福田政権を追い詰め、国会を大混乱に陥れて早期解散、総選挙を目指すというのが民主党の基本戦略だったが、小沢氏はそれでは勝てないと判断して、路線転換を図ろうとしたのであろう。確かに、衆院選では、自民は現職を50人落選させても過半数を維持できるが、民主党が過半数に達するには倍増でも追いつかないのである。
小選挙区制は思わぬ結果を生む選挙システムだが、それだけに頼ることの危うさを、小沢氏は見抜いていたといっていい。福田政権は予想以上に安定感を示しており、小沢氏のあせりも理解できる。
小沢氏は大連立構想の具体的な展開については詳細に言及してないが、おそらくは1~2年の長期にわたる大連立時代を描いていたのではなかったか。その間に、目下のテーマの自衛隊の国際協力についての恒久法をはじめ、年金、消費税、憲法といった国家的課題を一気に片付ける。政治決戦はその次の段階でと考えれば、「大連立と2大政党制は矛盾しない」とした小沢氏の主張も理解できる。
民主党執行部が慰留工作に奔走したのは、小沢氏の離党ー新党結成という事態を懸念したことが大きい。その場合、大連立ではなく、中連立、小連立となるが、これまでの小沢氏の政治行動から見て、どういう策に打って出るか、民主党幹部ならずとも「何でもあり」の小沢氏の怖さを意識しない訳にはいかない。
衆参ねじれを解消するためには、参院で自公与党に17人上乗せする必要がある。参院選で初当選した「小沢チルドレン」にとって小沢氏には多大な恩義がある。参院には解散はないから6年間は安泰だ。6年後には政界再編によって、現在とは異なる政治構造が生まれているはずと踏めば、この局面で「小沢新党」にはせ参じても支障はない。
小沢氏を中心とする政策グループ「一新会」は衆院の党所属議員の3分の1を占めている。大連立は消えたとしても、小沢氏の出方ひとつで、中連立、小連立は不可能ではないのだ。
小沢氏は大連立への政策協議の入口として、自衛隊の海外派遣について「国連決議に基づく活動に参加する」ことで福田首相と合意したとし、「これまでの政府方針、憲法解釈の大転換だ」と強調した。小沢氏の「国連中心主義」に沿うものだが、党内からはこれに対する激しい反発も出た。
だが、これも過敏すぎる反応と言っていいのではないか。大連立に踏み切るかどうかが問題なのであって、政治
といった事を考えると、民主党は千載一隅のチャンスを逃がしたといえる。このまま対決路線で進み、衆院選で勝って政権奪取といけば文句なしなのだろうが、そういう単線的展開はなかなか考えにくい。
今回の騒動によって、民主党は多大なダメージを受け、小沢氏の求心力も落ちた、という解説がある。はたして、そうか。
民主党は小沢氏に代わる代表候補をただちに選定できなかった。これによって、小沢氏の指導力の突出ぶりが裏づけられたことになる。加えて小沢氏は大連立は放棄したとしても、中連立、小連立の選択肢を握った。
そう考えると、一般的評価はともかくとして、党内的には逆に小沢氏の立場が強くなるかもしれない。政治の流れは速いのであって、目先の動きだけで即断するのは禁物だ。
以上です。
ご操作で二つに分かれましたがご容赦下さい。
小沢代表は今まで民主党にはいない先の読めるタイプの人物です。心を一つにして小沢代表につていけば民主党政権の道は開けるのではないか。