「取り立てて、何も。花見をしていたので、どこそこの花が綺麗だとか。そんなことぐらいかしら。どこの誰なのか知りたかっただけだから、それがわかれば、その場はそれでよかったのだもの。・・・そういえば、五節の舞姫の話はしていたの。好きな和歌の話をしていて。だから、あの歌なのかしら。」
あまつかぜ雲のかよいぢ吹きとぢよ乙女の姿しばしとどめむ 良岑宗貞
その時の歌を口ずさむ。この乙女とは、五節の舞姫。美しく舞う姿を愛しんだものだ。
「五節の舞姫のことだな。あの文の歌も、舞姫に歌いかけた歌だ。」
「ええ。悲しそうに、五節の舞姫とだけ呟いて、少し俯かれてしまって、慌てて話題を変えたの。他には、思う方には、別に誰か、いるみたいだというふうに受け取れることを言っていた。だから、人に言えぬ悩みなのかしら。ねえ。あの後、彼女と話をした私を害そうとした、あの賊が犯人?いいえ。確か、行平さまは、あの人の恋人の宮さまを調べていたのよね?」
「常盤どのを害したのは、私が射たあの賊だったらしい。それは、寺への出入りを調べて、すぐ足がついたと聞いた。千沙が、たまたま言葉を交わしているのを知っていた賊が、用心のため、害そうとしたのか。それとも、つながりのある宮の指示かは、わからない。けれど、千沙という女は、あの後、急な病で亡くなったということになっている。姫のことを知っているものは、少ない。だから、安心しろ。」
「安心しろですって。違うわ、私が言いたいのは・・・。」
ばさっと、御簾を跳ね除けて、周子(あまねこ)が姿を見せる。怒っている。
「常盤さまは、あんなに宮のことを思ってらしたのに、それを簡単に害するなんて。あんまりだわ。」
「害したのは、賊の勝手な判断かもしれない。奴らは、非常に臆病な一面ももってるからな。」
「ひどいわっ。」
「お、落ち着け姫。」
わっと、泣き出しそうだ。行平は、彼女の体を引き寄せて、腕に抱き、よしよしと背を撫でる。
「姫の気持ちもわかる。けれど、そのまま、捨て置くわけじゃない。いずれ、真相もわかる。それまでは、その気持ちにも、蓋をしておいてくれないか。私だけじゃない、皆が、姫を心配しているのだから。」
「私も、お手伝いさせて下さい。」
「危険なことはしたくないと、始め言っていたではないか。」
「・・・・亡くなられた方と話をしなければ、そう思えたかもしれない。お願いします。邪魔にはならないから。」
「だが、姫は顔を見られているかもしれない。近付けば、危ない。」
「・・・・でも、でも・・・・。」
「姫だけじゃない。この屋敷の人間も、この一件に係わっている者たちの命にも係わるかもしれない。わかるか?」
こくんと、周子(あまねこ)が首を縦に振る。
「そのかわり、捕まったら、いの一番に知らせてやるから。それで、勘弁な。」
彼がすまなそうにしているからだろうか。
「行平さまが、悪いわけではないです。」
くすっと、周子(あまねこ)が笑う。笑った。行平が、その頬に手を延ばしかけた時。ごほんと、咳払いがした。ちっ。まるで、見計らったかのようではないか。行平は、すぐ近くに、何食わぬ顔で、座っている知則を見た。
「申し訳ありません。私は、関守を申し付かっておりますゆえ、ただ、一度であっさり、お通しするわけにも行きません。姉上も、分ってないみたいだし。」
「きゃあ。」
周子(あまねこ)が、叫び声をあげて、慌てて御簾のうちに入る。さすがに、隅に固まって、小動物のように身構えはしなかったが、いたたまれないといった感じで、座ってる。
「函(かん)谷関(こくかん)は、知恵を働かせないと通れないのかな。しかし、やっかいな関守をどうやって、誤魔化そうか。」
おどけて言った行平。
函谷関・・・は、何のことかというと。中国の故事で、敵に追われた孟嘗君(もうしょうくん)が、函谷関と呼ばれる城門を抜けるさいに、一番鳥が鳴かないと開かないという門を、配下の鳥の鳴き声のうまい奴に助けられ、門衛が勘違いして開けてしまった門を、無事通り抜けることができたという話だ。
夜をこめて 鳥のそら音ははかるとも 世に逢坂の関は許さじ 清少納言
夜中に、ニセの鶏でだまそうとしたって、駄目よ。私の心の扉は開かないのよ?関守はとっても、守りが堅いの。なんて、意味の歌を、詠んだ女房もいる。
君の心の関(扉)を開けてよと言ってきた人に、関と関をかけて、男女の(逢う・・・は、男女の関係になることを暗示)間の心のずれを関と表現し、それとなかなか開かない函谷関をかけたのだ。こんなふうに、気の利いた答えを返したり、会話の中に取り入れたりするのが、おしゃれな流行のやり方だ。
漢籍は、男の必須教養科目だけど、女性は学ばないものなので、行平は、傍らの知則に言ったつもりだった。
「あら。行平さまが、鶏のまねをなさるの?」
と、周子(あまねこ)。目を見張る行平。知則は、へえといった顔で見てる。漢籍をかじってるなんて、ほんとじゃじゃ馬だなとのつぶやきとは、反対に、にやりと笑い。行平は。
「また、来る。姫は、面白いな。」
次の約束を残して、周子(あまねこ)のもとを去って行った。
あまつかぜ雲のかよいぢ吹きとぢよ乙女の姿しばしとどめむ 良岑宗貞
その時の歌を口ずさむ。この乙女とは、五節の舞姫。美しく舞う姿を愛しんだものだ。
「五節の舞姫のことだな。あの文の歌も、舞姫に歌いかけた歌だ。」
「ええ。悲しそうに、五節の舞姫とだけ呟いて、少し俯かれてしまって、慌てて話題を変えたの。他には、思う方には、別に誰か、いるみたいだというふうに受け取れることを言っていた。だから、人に言えぬ悩みなのかしら。ねえ。あの後、彼女と話をした私を害そうとした、あの賊が犯人?いいえ。確か、行平さまは、あの人の恋人の宮さまを調べていたのよね?」
「常盤どのを害したのは、私が射たあの賊だったらしい。それは、寺への出入りを調べて、すぐ足がついたと聞いた。千沙が、たまたま言葉を交わしているのを知っていた賊が、用心のため、害そうとしたのか。それとも、つながりのある宮の指示かは、わからない。けれど、千沙という女は、あの後、急な病で亡くなったということになっている。姫のことを知っているものは、少ない。だから、安心しろ。」
「安心しろですって。違うわ、私が言いたいのは・・・。」
ばさっと、御簾を跳ね除けて、周子(あまねこ)が姿を見せる。怒っている。
「常盤さまは、あんなに宮のことを思ってらしたのに、それを簡単に害するなんて。あんまりだわ。」
「害したのは、賊の勝手な判断かもしれない。奴らは、非常に臆病な一面ももってるからな。」
「ひどいわっ。」
「お、落ち着け姫。」
わっと、泣き出しそうだ。行平は、彼女の体を引き寄せて、腕に抱き、よしよしと背を撫でる。
「姫の気持ちもわかる。けれど、そのまま、捨て置くわけじゃない。いずれ、真相もわかる。それまでは、その気持ちにも、蓋をしておいてくれないか。私だけじゃない、皆が、姫を心配しているのだから。」
「私も、お手伝いさせて下さい。」
「危険なことはしたくないと、始め言っていたではないか。」
「・・・・亡くなられた方と話をしなければ、そう思えたかもしれない。お願いします。邪魔にはならないから。」
「だが、姫は顔を見られているかもしれない。近付けば、危ない。」
「・・・・でも、でも・・・・。」
「姫だけじゃない。この屋敷の人間も、この一件に係わっている者たちの命にも係わるかもしれない。わかるか?」
こくんと、周子(あまねこ)が首を縦に振る。
「そのかわり、捕まったら、いの一番に知らせてやるから。それで、勘弁な。」
彼がすまなそうにしているからだろうか。
「行平さまが、悪いわけではないです。」
くすっと、周子(あまねこ)が笑う。笑った。行平が、その頬に手を延ばしかけた時。ごほんと、咳払いがした。ちっ。まるで、見計らったかのようではないか。行平は、すぐ近くに、何食わぬ顔で、座っている知則を見た。
「申し訳ありません。私は、関守を申し付かっておりますゆえ、ただ、一度であっさり、お通しするわけにも行きません。姉上も、分ってないみたいだし。」
「きゃあ。」
周子(あまねこ)が、叫び声をあげて、慌てて御簾のうちに入る。さすがに、隅に固まって、小動物のように身構えはしなかったが、いたたまれないといった感じで、座ってる。
「函(かん)谷関(こくかん)は、知恵を働かせないと通れないのかな。しかし、やっかいな関守をどうやって、誤魔化そうか。」
おどけて言った行平。
函谷関・・・は、何のことかというと。中国の故事で、敵に追われた孟嘗君(もうしょうくん)が、函谷関と呼ばれる城門を抜けるさいに、一番鳥が鳴かないと開かないという門を、配下の鳥の鳴き声のうまい奴に助けられ、門衛が勘違いして開けてしまった門を、無事通り抜けることができたという話だ。
夜をこめて 鳥のそら音ははかるとも 世に逢坂の関は許さじ 清少納言
夜中に、ニセの鶏でだまそうとしたって、駄目よ。私の心の扉は開かないのよ?関守はとっても、守りが堅いの。なんて、意味の歌を、詠んだ女房もいる。
君の心の関(扉)を開けてよと言ってきた人に、関と関をかけて、男女の(逢う・・・は、男女の関係になることを暗示)間の心のずれを関と表現し、それとなかなか開かない函谷関をかけたのだ。こんなふうに、気の利いた答えを返したり、会話の中に取り入れたりするのが、おしゃれな流行のやり方だ。
漢籍は、男の必須教養科目だけど、女性は学ばないものなので、行平は、傍らの知則に言ったつもりだった。
「あら。行平さまが、鶏のまねをなさるの?」
と、周子(あまねこ)。目を見張る行平。知則は、へえといった顔で見てる。漢籍をかじってるなんて、ほんとじゃじゃ馬だなとのつぶやきとは、反対に、にやりと笑い。行平は。
「また、来る。姫は、面白いな。」
次の約束を残して、周子(あまねこ)のもとを去って行った。