JR 山田線沿線を歩く旅
このところ毎日がどんよりとした曇り空か雨模様である。
過去1か月で晴天だったのは4日間だけだった、気温も低くて最高気温が21度くらいだったりしている。
九州では豪雨で死者多数とのニュースだし、新型コロナウィルスの感染者が再度増えてきていて仙台や青森でも感染者が出るようになってきた。
政府の対応がどうもよろしくない「自粛」ということで国民に責任を押し付けようとしているように思える。
だが、完全にウィルスの心配が消えたわけでもないのに、ホストクラブやらキャバクラへ行くとか宴会をする市民のほうも大いに問題があるよなあ。
あと数か月か半年も我慢すればいいのにと、そのようなところとは無縁な爺さんは思うのだ。
どうして政府は中国やタイ、韓国、ベトナムなどの事例を参考にしないのだろうか。
近隣の国では新コロナウィルスの封じ込めに成功しているというのに。
日本政府としては「そのような”後進国”に倣うことはしたくない!」ということだろうか。
市民を犠牲にしてまで意地を張ることではないだろう。
感染の封じ込めに失敗すれば政権の失墜は免れないと思うが為政者はそれでもかまわんと突き進むんだろうな。
さて、
天気予報を見て降水確率の低い日を選んで歩き旅の続きをすることにする。
2020年7月14日 区界駅 ―> 松草駅駅 JR営業キロ8.0キロ
いつもより早起きしてトーストと飲み物を持って車で区界駅まで行く。
JR山田線の普通列車の下り始発時刻が17時50分だなんて、、、
なぜこんな時刻に設定したんだろうか?
まるでJRから「おまえら山田線を利用するんじゃねえぞ!」と言われているみたいだ。
快速なら宮古行きがあるのだが、それでも11時06分の始発である、しかも区界駅には停車しないのだ。
区界の道の駅に車を停めて朝食にする。
午前8時に歩き旅スタート。
駅から駅までの旅(のつもり)なので区界駅まで行きそこから歩き出す。

いまは使われなくなったプラットホームにある待合室は寂しい感じ。

駅前には「宮古市まで69Km」の標識があった。まだまだ遠い、つい「ふぅ」とため息が出る。

気温は16度。風が冷たくて半袖短パンでは寒く感じるほどだ。

少し行くと左手に兜明神岳が見えてくる。
標高は1005メートルだ。

昔は盛岡市の小学生の夏のキャンプや遠足の定番の地だったが今はどうなんだろうか。
盛岡市内から日帰りで楽しめる高原ということで人気だったが、今の若い人に受けそうな施設はないだろうなあ。
大きな明神神社の鳥居。

線路わきにあるのは勾配標というものだが数値は16となっている。

うーむ1000メートルで16メートル登るということか。
ディーゼル車ならスイスイと行くが蒸気機関車にとっては大変な急勾配だな。
昨年乗った大井川鉄道のアプト式鉄道はなんと90パーミルだそうだ。
今日も歩くのは下り坂ばかりなので気持ちはラクである。
区界峠から両方向に向かって下り坂を歩くという考えはラクして生きたいというわたしの性格が選択させるものだった。
歩いているとイヤでも目に入ってくるのが廃屋と道路工事だ。


寒さの厳しいこの土地では農作物での収入は限られる、若い人が都会へと流出するのを防ぐ手立てはないのだ。
後継者がいなくなり老人だけで暮らしていては限界が来るのは当然なので家も畑も放置することになる。




小さな集落を通ってみるとまさにゴーストタウン状態だ、たまに洗濯物が干してある家を見ると「えっ! 人は住んでいるのか」と、驚いてしまうほどだ。
と、向こうから歩いてくる人がいた。
近所のおばあさんのようだ。

今日の歩き旅ですれちがったのはこの人だけだった。


草むしてしまったお墓があちらこちらにある。




それらを見下ろすように三陸復興道路が建設中である。
ダンプカーが列をなして轟音を響かせ通っていく。

この盛岡、宮古横断道路が完成すれば三陸沿岸への交通は便利になる。
だが途中の区界地区に立ち寄る人はいなくなるだろうなあ。

あの区界の道の駅はどうなるんだろうか。
そしてJR山田線の運命はいかに?

道路わきを流れる閉伊川の水はこのところの雨の影響で濁り気味だった。


高原なので白樺林がある。

わたしの年代だと高原―白樺林―テニスー皇太子と美智子さまという連想になってしまう。
あちこちに小さな滝があり、小川が流れ白樺の林がある。
東京から200キロ圏なら高原リゾートとして開発されてマンションが立ち並んでいただろうなあ。
寒さの厳しい土地なので暖房のための薪を積んでいるお宅が多い。


今は石油が燃料だが以前は薪だけだった。
都会でも暖炉を使っているお宅はあるが、ここではおしゃれのためでなく生活のための薪ストーブなのだ。
長い冬のことを思えば大量の薪は大事な支えである。
人家の少ないところなのでマンホールは無い。

これは簡易水道のためのものだろうか。
バスの待合室もちょっとおしゃれな感じだったりする。

このバス待合室には時計がかけてあったし椅子にはちゃんと座布団が敷いてあった。


国道106号線から旧道へと入っていく。

民家がぽつぽつとある道を歩いていくと松草駅だ。



がらーんと広い駅前を見ると道路からの階段には屋根が掛けてあった。

昔は利用客がそれなりに多かったんだろうな。
いまは利用する人もいないのか階段下は草に覆われていた。



時刻は10時、ちょうど2時間歩いたので休憩にする。

このところ毎日がどんよりとした曇り空か雨模様である。
過去1か月で晴天だったのは4日間だけだった、気温も低くて最高気温が21度くらいだったりしている。
九州では豪雨で死者多数とのニュースだし、新型コロナウィルスの感染者が再度増えてきていて仙台や青森でも感染者が出るようになってきた。
政府の対応がどうもよろしくない「自粛」ということで国民に責任を押し付けようとしているように思える。
だが、完全にウィルスの心配が消えたわけでもないのに、ホストクラブやらキャバクラへ行くとか宴会をする市民のほうも大いに問題があるよなあ。
あと数か月か半年も我慢すればいいのにと、そのようなところとは無縁な爺さんは思うのだ。
どうして政府は中国やタイ、韓国、ベトナムなどの事例を参考にしないのだろうか。
近隣の国では新コロナウィルスの封じ込めに成功しているというのに。
日本政府としては「そのような”後進国”に倣うことはしたくない!」ということだろうか。
市民を犠牲にしてまで意地を張ることではないだろう。
感染の封じ込めに失敗すれば政権の失墜は免れないと思うが為政者はそれでもかまわんと突き進むんだろうな。
さて、
天気予報を見て降水確率の低い日を選んで歩き旅の続きをすることにする。
2020年7月14日 区界駅 ―> 松草駅駅 JR営業キロ8.0キロ
いつもより早起きしてトーストと飲み物を持って車で区界駅まで行く。
JR山田線の普通列車の下り始発時刻が17時50分だなんて、、、
なぜこんな時刻に設定したんだろうか?
まるでJRから「おまえら山田線を利用するんじゃねえぞ!」と言われているみたいだ。
快速なら宮古行きがあるのだが、それでも11時06分の始発である、しかも区界駅には停車しないのだ。
区界の道の駅に車を停めて朝食にする。
午前8時に歩き旅スタート。
駅から駅までの旅(のつもり)なので区界駅まで行きそこから歩き出す。

いまは使われなくなったプラットホームにある待合室は寂しい感じ。

駅前には「宮古市まで69Km」の標識があった。まだまだ遠い、つい「ふぅ」とため息が出る。

気温は16度。風が冷たくて半袖短パンでは寒く感じるほどだ。

少し行くと左手に兜明神岳が見えてくる。
標高は1005メートルだ。

昔は盛岡市の小学生の夏のキャンプや遠足の定番の地だったが今はどうなんだろうか。
盛岡市内から日帰りで楽しめる高原ということで人気だったが、今の若い人に受けそうな施設はないだろうなあ。
大きな明神神社の鳥居。

線路わきにあるのは勾配標というものだが数値は16となっている。

うーむ1000メートルで16メートル登るということか。
ディーゼル車ならスイスイと行くが蒸気機関車にとっては大変な急勾配だな。
昨年乗った大井川鉄道のアプト式鉄道はなんと90パーミルだそうだ。
今日も歩くのは下り坂ばかりなので気持ちはラクである。
区界峠から両方向に向かって下り坂を歩くという考えはラクして生きたいというわたしの性格が選択させるものだった。
歩いているとイヤでも目に入ってくるのが廃屋と道路工事だ。


寒さの厳しいこの土地では農作物での収入は限られる、若い人が都会へと流出するのを防ぐ手立てはないのだ。
後継者がいなくなり老人だけで暮らしていては限界が来るのは当然なので家も畑も放置することになる。




小さな集落を通ってみるとまさにゴーストタウン状態だ、たまに洗濯物が干してある家を見ると「えっ! 人は住んでいるのか」と、驚いてしまうほどだ。
と、向こうから歩いてくる人がいた。
近所のおばあさんのようだ。

今日の歩き旅ですれちがったのはこの人だけだった。


草むしてしまったお墓があちらこちらにある。




それらを見下ろすように三陸復興道路が建設中である。
ダンプカーが列をなして轟音を響かせ通っていく。

この盛岡、宮古横断道路が完成すれば三陸沿岸への交通は便利になる。
だが途中の区界地区に立ち寄る人はいなくなるだろうなあ。

あの区界の道の駅はどうなるんだろうか。
そしてJR山田線の運命はいかに?

道路わきを流れる閉伊川の水はこのところの雨の影響で濁り気味だった。


高原なので白樺林がある。

わたしの年代だと高原―白樺林―テニスー皇太子と美智子さまという連想になってしまう。
あちこちに小さな滝があり、小川が流れ白樺の林がある。
東京から200キロ圏なら高原リゾートとして開発されてマンションが立ち並んでいただろうなあ。
寒さの厳しい土地なので暖房のための薪を積んでいるお宅が多い。


今は石油が燃料だが以前は薪だけだった。
都会でも暖炉を使っているお宅はあるが、ここではおしゃれのためでなく生活のための薪ストーブなのだ。
長い冬のことを思えば大量の薪は大事な支えである。
人家の少ないところなのでマンホールは無い。

これは簡易水道のためのものだろうか。
バスの待合室もちょっとおしゃれな感じだったりする。

このバス待合室には時計がかけてあったし椅子にはちゃんと座布団が敷いてあった。


国道106号線から旧道へと入っていく。

民家がぽつぽつとある道を歩いていくと松草駅だ。



がらーんと広い駅前を見ると道路からの階段には屋根が掛けてあった。

昔は利用客がそれなりに多かったんだろうな。
いまは利用する人もいないのか階段下は草に覆われていた。



時刻は10時、ちょうど2時間歩いたので休憩にする。
