St. John of the Crossの生き方に憧れて

受洗後、最初に買ったカトリックの本が「愛への道」。相応しい生き方をしてない。彼に倣う生き方が出来るよう心がけたいです。

日記

2014-10-08 15:10:40 | Weblog
1 goo blogの記事”ニ・ュ。ハ」ア」ー。ソ」イ」ケ。ヒ”が自身の参照2位に入っている。別にdadaではない。種明かしすると、OCNさんの”Blog Cafe”からの変換が上手くいかなかったのだ。OCNさん後継ブログでは成功したので、“どうしても”という方はそちらを見て欲しい。

2 詩の変更のみ。写真は、9/20(土)の東京、21(日)の名古屋。

3 月曜と今日、日課の壁打ちテニスと読書しながらの散歩。「百年の孤独を歩く」(田村さと子)、「現代詩手帖年鑑‘14」を読む。小一時間。両日、午後は仕事の準備。月は仕事後、夜中すきやで夕食。その後読書。1時閉店で“報道されている通り”を実感する。2冊、「グアバの香り」(マルケス)“Introduction to Quantum Fields on a Lattice”(J.Smit)を僅か読む。火曜日は個人の詩集を大量に読む。仕事の準備をする。買い物をする。帰宅後、真夜中の夕食。見ながらTVを見る。「“ブロディー”のプロデューサー」「指し手指導を指し子に乞う」「失敗の経験、失態じゃなくて」「原典と原点に学ぶ」「倉庫番しながらエンタメプロデュース」だったら“ブロディー”かな。自分の中、ラテン・アメリカ文学季節だし。

「聖女」(1~4、6)「そこをなんとか2」(1~3)をNHKOnDemandで視聴。 “そう言えば、春先民法について一生懸命学んでたなあ”と思いつつ、「刑法」(村井敏邦)から引用。p.199、

“第1章において、二つのことを検証するという課題を設定した。その第一は、犯罪と刑罰を定める主体が国家の一部の権力者でなく、多数の直接には権力を持たない一般民衆であるかということであり、その第二は、犯罪を摘発し処罰する側から摘発・処罰を受ける側への視点の転換が行われているかということである。”

次に、p.201から、

“日本の刑法はドイツ法系であるのに対して、刑事訴訟法は英米法系であるといわれる。”
“少し大ざっぱな見方だが、ドイツ法系はどちらかといえば演繹的な思考方法をとるのに対して、英米法系は帰納的は方法をとる。”
“このようにみてぅると、刑法と刑事訴訟法との乖離ということは、ドイツ法と英米法との違いというよりも、演繹的思考法と帰納的思考方法の違いといったほうがよいかもしれない。しかし、個別性を無視した一般化も、一般性を無視した個別化も、どちらも妥当でない。”

「民法入門」(川井健)を引用。p.、p.1から、

“いうまでもなく、民法上の各制度は有機的に関連しあっている。所有者といい、契約といい、民法の条文ではバラバラに登場するが、ある紛争が生じてそれを解決するためにはこれらを結合させた基準を見つけなければならない。民法を学ぶうえでも、各制度を関連しあうものとして把握しておくことが肝要である。”

“人々が日常生活をしていくうえで紛争が生じたときに、それは法的にどのように解決されるであろうか。法を大きく分けると、第一に、公法がある。これは、国家と国民との関係および国家の機関相互の関係を定める法である。具体的には、国会法、地方自治法、租税にかかわる法などがある。これに対して、第二に、私法がある。これは、国民相互の関係を定める法である。その中には、民法、商法、労働法などが含まれる。それは、いわば国民と国民との間に紛争が生じたときに、これをどのように解決するかという基準を与える法であるが、その中で民法が一般法となっており、商法、労働法はその特別法である。一般法とういうのは、ごく一般の人々の間の紛争を解決する法であるが、商法、労働法はそれぞれ特有の分野について生じた紛争を解決する法である。”

時間があったら、憲法・外国法・法哲学含め法律学について読み返したい。



マグダラのマリアについて。教会では7月22日を“マグダラのマリア”の記念日に定めています。関連して「毎日のミサの友」「毎日の福音」から抜粋します。なお、マグダラのマリアの取り成しを願う祈りを探したのですが、見つかりません。「マグダラのマリア様、・・・」と祈るか、叙唱の“聖人”「聖なる父、全能永遠の神、聖人を通して示されたあなたの栄光をたたえ、・・・」に従って祈ればいいと思います。

“キリストに従う人たちの一人で、キリストが十字架上で亡くなられたときそばに立ち、三日目の朝早く、復活したイエスと最初に出会った。マグダラのマリアへの崇敬は、特に十二世紀から西方教会に広まった。”
“マグダラのマリアは、「肉に従って」復活のイエスを見ようとしたとき、「イエスだとは分からなかった」。しかし、イエスの「マリア」という呼びかけで、彼女はすべてを理解する。彼女が深く「キリスト」と結ばれていたからである。”
“墓の外に立って泣いていたマグダラのマリアに復活した主が現れる。彼女は復活の喜びを最初に告げる者、使徒たちへの使徒となる。それは彼女のイエスに対するひたむきな愛があったから。”
“マリアにとってイエスは「わたしの主」、「わたしのいのち」でした。女性として信じ、愛し、嘆きに沈むマリアに、イエスは近づき、「マリア」と呼ばれます。イエスはわたしたち一人ひとりを、それぞれの状況、ありのままの状態においてお呼びになります。”

第一朗読は2コリンチャンス第5章。詩篇は第63章、福音朗読はヨハネによる第20章を見てください。もう一つの第一朗読・雅歌からのみ引用します。

“[おとめは歌う。]夜ごと、ふしどに恋いしたう人を求めても/求めても、見つかりません。/起き出して町をめぐり/通りや広場をめぐって/恋い慕う人を求めよう。//求めても、あの人は見つかりません。/わたしが町をめぐる夜警に見つかりました。「わたしの恋い慕う人を見かけましたか。」/彼らに分かれるとすぐに/恋い慕う人が見つかりました。”

4 半年程前に「現代詩手帖」に投稿したけど採られることのなかった詩の紹介。7回目、多分。段々と書き足していきます。一定のレベルに達しない詩ではありますが・・・。

“「昼」 白い小さな指先から 零れ落ちる サラサラした細かい砂 アポロニウスの円筒形 破損した硝子 //振り子細工のように 時を刻んで来た その機械はもう鳴らない //何千もの部品からなる 精密なゼンマイ装置 淀みのない時を刻み 傷みの欠けた歴史を繰り返す 空間の歪み そして 抜けるように広い青空//補正しようにも 補正しようのない 鋭い悔恨 戦禍にも その村は焼け落ちず・・・ 空間が そして 後に時間が後退して 仄かな祈りが・・・//空に白雲が立ち籠め 木々の緑 その影は 日差しを遮り 小さなバルコニーには 混沌が形成されていた 空港に出て 半島を半時計周りに巡って また読み止しの本に戻った// 「ステファニーが フランスに旅をして お菓子屋になる為に パリで勉強する やがて 大人のする恋をした そして 振られ・・・」//お座なりに投げ出された鞄から 星が銀河のように溢れ出て 空間を限りない光で満たした//次第に遠のいて行く テールランプ 棒状に浮かぶ雲たち 庇には もう東の月が出ている 周到に準備された 文月のような それでもう 終末に近いことが分かる//しなければならなかったことを 後悔して 記憶に残る糸を 辿ってみる 階段を駆け上る//そして 過ぎ去った時間の中 人間は人魚であった 住み慣れた街を捨て 逸れた恋人が タクシーで テールランプを追うように 記憶の微かなうねりを そのままに捉える//人間は嘗て海にあった 朝焼けは意外と簡単で 独り下宿の六畳間で 立ち尽くしていたが 調べなき夕暮れに 東風が出てきた 珈琲を飲み 貿易風についいて 若干議論する//「必然」と染められた旗が 風に運ばれ「憮然」と翻る それが自然の真情だったのかと 轍にぬかるんで 夏の午後 身動きが取れなくなった//白い幽霊が 下北に出て 蒼い白鳥が 係累を払いながら 露に噎せ入って 水底に沈められたのは 何の象徴だったのか//水路を流れる 淡い鴇色の風景 結末は未だ知らない 春も未だ来ない 体育館から人が出て 五島の方へ旅立つ ぞろぞろと 黒子のあった辺りを結ぶ 嵌められた絵のような 水晶の球ばかり 一瞬のざわめき//エテルニタスの様に 風船が 瞬間 大空に駆け登って来た 良心のないエゴイズム 緑なす高原を そして谷川を 列車は 二時間遅れて 終点迄向かう むか伏す夢//アウレーニアとフリージアは もう歌わない夢 だから 歌わなくても それはそれでいい もう夏だ
(掲載完了)

一応完成。次から如何しよう?困っている。詩自体は、何処で終わっても何ら変わらないどうでもいい文章。響いてこない。最後息切れしたか、西脇詩のパクリ。寂しい風が吹く。雲が切れる。月が覗く。狐目をした女が通りかかる。旗竿が風に靡き、如何しようもない倦怠を運び来る。奥沢に幽霊が出る。奥多摩に静寂が戻る。何時かきちんと推敲したい。という訳で私はこれで。

5 From “Introduction to Quantum Computation and Informatios”(Hoi-Kwong Lo et.al.;World Scientific)の“Quantum Computaion with Nuclear Magnetic Resonance”(I.L.Chuang)より、p.316
“We shall use the fact that for σ±≡(σx±iσy)/2,e^(σz)σ±e^(-σz)=e^(±2ξ)σ±.Let the state of the system be |ψ(t)>,and define the rotating frame state |χ(t)>=e^(iωtσz/2)|ψ(t)>,such that the Schrodinger equation for the system,ih∂t|ψ(t)>=H|ψ(t)>、can be expressed as ih∂t|χ(t)>=δ[e^(-iωtz)+e^(iωt)}/2][{e^(iωt)σ+}+{e^(-iωt)σ-}]≒δ/2・σx|χ(t)> where the high frequency terms were dropped (the rotaing wave appoximation).This has the solution |χ(t)>=e^(iδtσx/2)|χ(0)> δt represents the integrated power of the applied resonant RF field.|χ(0)> is a two-component spinor,and the effect of e^(iωtσz/2) is just a rotation of the state about the x^ axis by the angle δt。
量子コンピュータの代表的な教科書からの第6回。“コンピューティングにハミルトンの四元数を使う”に関連し。

6 “泰山木と野に駆け遊ぶヒヨドリの声”
自作俳句。破調の上少し古い。

7 “1939:The principle of solidarity,also articulated in terms of ”friendship“ or ”social charity“,is a direct demand of human and Christian brotherhood.”
 (from “Catechism of the Catholic Church”)
 
8 “1939: These attitudes and “structures of sin” are only conquered -presupposing the help of divine grace-by a diametrically opposed attitude;a commitment to the good of one‘s heighbor with the readiness,in the gospel sense,to “lose oneself” for the sake of the other instead of exploiting him,and to “serve him” instead of oppressing him for one’s own advantage.
(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
 
9 年間第27水曜日福音朗読より。ルカによる第11章から。

“「祈るときには、こう言いなさい。「父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないですださい。」」”
-(私たちをご自分の兄弟としてくださった神の御子イエスと共に、御父に祈る。キリスト者の祈りは三位一体の交わりにおける祈りなのだ。)

†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。

2014年10月8日
                       乗倉寿明記す

日記

2014-10-06 02:36:24 | Weblog
1 goo blogの記事”ニ・ュ。ハ」ア」ー。ソ」イ」ケ。ヒ”が自身の参照2位に入っている。別にdadaではない。種明かしすると、OCNさんの”Blog Cafe”からの変換が上手くいかなかったのだ。OCNさん後継ブログでは成功したので、“どうしても”という方はそちらを見て欲しい。

2 数学の変更のみ。写真は、9/20(土)の東京、21(日)の名古屋。

3 月はファミレスで。仕事関連の他、“Japan Times On Sunday”「英文和訳演習上級編」(伊藤和夫)「パドヴァの聖アントニオ」などを読む。火は飯田へ。松川沿いに自転車で行き、歩きで羽場坂を登っていく。「ヴァージニア・ウルフ」(ゴードン)「モジュライ理論1」(向井茂)の2冊を読む。書棚に並んでいて、タイトルを“モジリアニ”と(壁にもモジリアニの絵が張ってある)読んでしまう。思わず手にする。そのまま持ち出す。ウルフやモジリアニの悲運にオーバーラップするかのように苦しみが。苦しいとき、わたくしは次のように祈ることにしています。“主よ、この苦しみに感謝します。主の十字架に与れたことに感謝しています。そして主よ、わたくしは他の苦しみ・悲しみをも欲します。他の杯をもあなたから欲します”。木曜の晩、ちっぽけな詩一編を作り「詩と思想」新人投稿欄に送る。ここ2・3日掛かり切っていて、昨夜どうにか仕上げる。金曜は金曜で、午後上郷図書館。「教育の論点」(文藝春秋)「芸術の思想」(筑摩書房、伊丹氏の作品を読みたい)「コーチング」(落合)を借り、仕事関係他、「演技について」(オリビエ)「現代詩の鑑賞3」(明治書院)「現代詩手帖9月号」などを読む。何時ものことだが、現代詩手帖掲載の詩に甚く感動する。オリビエの「舞台恐怖症」にハラハラする。演出・教育・コーチングの括りで読み始めたが、純粋に文学として楽しむ。土曜は昼からマック上郷店へ。仕事関連他、“Poems and Exiles”(Joyce)「演技について」(オリビエ)「量子情報と進化の力学」(大矢雅則)「寄り道の多い数学」「謎解きガルシア=マルケス」(木村栄一)などを読む。一旦帰宅後、松川へ。伊藤神父様のミサ。飯田教会で午前1時迄祈って帰ってくる。昨日は雨。台風が酷そう。家で過ごす。上の挙げた本の他、「現代詩手帖」「詩と思想」など読まず溜めてたものを読む。「My Best地理」(学研)「光のイメジャリー」(上杉文世)「象徴主義の文学運動」(シモンズ)も読む。「聖女」(1~4)「そこをなんとか2」(1~3)をNHKOnDemandで一気視聴。土日に、小津安二郎記念蓼科映画祭に行けなかった。チケット迄買ってたのに経済的に無理。そこで、代わりに2本、刑事・民事、違いはあるが、事件・弁護士ドラマを見ることにする。しょせん商業ベースと思いつつ、ゾラかバルザックかと思いながら見る。1点。マグダラのマリアについて。教会では7月22日がマグダラのマリアの記念日に定めています。関連して「毎日のミサの友」「毎日の福音」から抜粋します。マグダラのマリアの取り成しを願う祈りを探したのですが、見つかりません。ただ「マグダラのマリア様、・・・」と祈ればいいと思います。

“キリストに従う人たちの一人で、キリストが十字架上で亡くなられたときそばに立ち、三日目の朝早く、復活したイエスと最初に出会った。マグダラのマリアへの崇敬は、特に十二世紀から西方教会に広まった。”
“マグダラのマリアは、「肉に従って」復活のイエスを見ようとしたとき、「イエスだとは分からなかった」。しかし、イエスの「マリア」という呼びかけで、彼女はすべてを理解する。彼女が深く「キリスト」と結ばれていたからである。”
“墓の外に立って泣いていたマグダラのマリアに復活した主が現れる。彼女は復活の喜びを最初に告げる者、使徒たちへの使徒となる。それは彼女のイエスに対するひたむきな愛があったから。”
“マリアにとってイエスは「わたしの主」、「わたしのいのち」でした。女性として信じ、愛し、嘆きに沈むマリアに、イエスは近づき、「マリア」と呼ばれます。イエスはわたしたち一人ひとりを、それぞれの状況、ありのままの状態においてお呼びになります。”

第一朗読は2コリンチャンス第5章。詩篇は第63章、福音朗読はヨハネによる第20章を見てください。もう一つの第一朗読・雅歌からのみ引用します。

“[おとめは歌う。]夜ごと、ふしどに恋いしたう人を求めても/求めても、見つかりません。/起き出して町をめぐり/通りや広場をめぐって/恋い慕う人を求めよう。//求めても、あの人は見つかりません。/わたしが町をめぐる夜警に見つかりました。「わたしの恋い慕う人を見かけましたか。」/彼らに分かれるとすぐに/恋い慕う人が見つかりました。”


4 半年程前に「現代詩手帖」に投稿したけど採られることのなかった詩の紹介。6回目、多分。段々と書き足していきます。一定のレベルに達しない詩ではありますが・・・。

“「昼」 白い小さな指先から 零れ落ちる サラサラした細かい砂 アポロニウスの円筒形 破損した硝子 //振り子細工のように 時を刻んで来た その機械はもう鳴らない //何千もの部品からなる 精密なゼンマイ装置 淀みのない時を刻み 傷みの欠けた歴史を繰り返す 空間の歪み そして 抜けるように広い青空//補正しようにも 補正しようのない 鋭い悔恨 戦禍にも その村は焼け落ちず・・・ 空間が そして 後に時間が後退して 仄かな祈りが・・・//空に白雲が立ち籠め 木々の緑 その影は 日差しを遮り 小さなバルコニーには 混沌が形成されていた 空港に出て 半島を半時計周りに巡って また読み止しの本に戻った// 「ステファニーが フランスに旅をして お菓子屋になる為に パリで勉強する やがて 大人のする恋をした そして 振られ・・・」//お座なりに投げ出された鞄から 星が銀河のように溢れ出て 空間を限りない光で満たした//次第に遠のいて行く テールランプ 棒状に浮かぶ雲たち 庇には もう東の月が出ている 周到に準備された 文月のような それでもう 終末に近いことが分かる//しなければならなかったことを 後悔して 記憶に残る糸を 辿ってみる 階段を駆け上る//そして 過ぎ去った時間の中 人間は人魚であった 住み慣れた街を捨て 逸れた恋人が タクシーで テールランプを追うように 記憶の微かなうねりを そのままに捉える//人間は嘗て海にあった 朝焼けは意外と簡単で 独り下宿の六畳間で 立ち尽くしていたが 調べなき夕暮れに 東風が出てきた 珈琲を飲み 貿易風についいて 若干議論する//「必然」と染められた旗が 風に運ばれ「憮然」と翻る それが自然の真情だったのかと 轍にぬかるんで 夏の午後 身動きが取れなくなった//白い幽霊が 下北に出て 蒼い白鳥が 係累を払いながら 露に噎せ入って 水底に沈められたのは 何の象徴だったのか//水路を流れる 淡い鴇色の風景 結末は未だ知らない 春も未だ来ない 体育館から人が出て 五島の方へ旅立つ ぞろぞろと 黒子のあった辺りを結ぶ 嵌められた絵のような 水晶の球ばかり 一瞬のざわめき//(掲載未了)

追加分だけ見ても、粗い。推敲が足りない。一応シュール詩だが、2つの連の終わり“水底に沈められたのは 何の象徴だったのか“”一瞬のざわめき“が甘い。唐突。そこを何とかしたい。そういった箇所を埋めるのが詩作・推敲の中でも大きなウェートを占める。切れ味!

5 From “Introduction to Quantum Computation and Informatios”(Hoi-Kwong Lo et.al.;World Scientific)の“Quantum Computaion with Nuclear Magnetic Resonance”(I.L.Chuang)より、p.316
“We shall use the fact that for σ±≡(σx±iσy)/2,e^(σz)σ±e^(-σz)=e^(±2ξ)σ±.Let the state of the system be |ψ(t)>,and define the rotating frame state |χ(t)>=e^(iωtσz/2)|ψ(t)>,such that the Schrodinger equation for the system,ih∂t|ψ(t)>=H|ψ(t)>、can be expressed as ih∂t|χ(t)>=δ[e^(-iωtz)+e^(iωt)}/2][{e^(iωt)σ+}+{e^(-iωt)σ-}]≒δ/2・σx|χ(t)> where the high frequency terms were dropped (the rotaing wave appoximation).This has the solution |χ(t)>=e^(iδtσx/2)|χ(0)> δt represents the integrated power of the applied resonant RF field.|χ(0)> is a two-component spinor,and the effect of e^(iωtσz/2) is just a rotation of the state about the x^ axis by the angle δt。
量子コンピュータの代表的な教科書からの第6回。“コンピューティングにハミルトンの四元数を使う”に関連し。

6 “朴散華落剥花さえ風に舞い”
自作俳句。少し古い。

7 “1939:The principle of solidarity,also articulated in terms of ”friendship“ or ”social charity“,is a direct demand of human and Christian brotherhood.”
 (from “Catechism of the Catholic Church”)
 
8 “1939: These attitudes and “structures of sin” are only conquered -presupposing the help of divine grace-by a diametrically opposed attitude;a commitment to the good of one‘s heighbor with the readiness,in the gospel sense,to “lose oneself” for the sake of the other instead of exploiting him,and to “serve him” instead of oppressing him for one’s own advantage.
(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
 
9 年間第27月曜日福音朗読より。ルカによる第10章から。

“「「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あたなの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい」とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」・・・「旅をしていたサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。「この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。」さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎの襲われた人の隣人になったと思うか。」”
-(傷つき、道端に倒れ、誰も手を差し伸べてくれなかった私たちに手を差し伸べてくれたのは主イエス。だから、私たちも主に倣って善いサマリア人にならなければ。)

†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。

2014年10月6日
                       乗倉寿明記す

日記

2014-09-29 02:17:15 | Weblog
00 記事”ニ・ュ。ハ」ア」ー。ソ」イ」ケ。ヒ”が参照2位に入っている。別にdadaではない。種明かしすると、OCNさんの”Blog Cafe”からの変換が上手くいかなかったのだ。OCNさん後継ブログでは成功したので、“どうしても”という方はそちらを見て欲しい。
0 カテキズムの変更のみ。写真は、9/20(土)の東京、21(日)の名古屋。八重洲口名古屋行夜行バスの待合。2時間程過ごしたが、何年か前に夢に見た。アジア大会のTVや言ったジョーク迄覚えている。
27・28の土日は近所で過ごす。二日とも午前壁打ちテニス&散歩しながらの「現代詩手帖・現代詩年鑑2014」熟読。土曜日昼から、教会で「ミサの友」使っての「集会祭儀」、上郷図書館での読書、飯高グランドでのテニスの3つ。夜は、松川の集会祭儀に与る。飯田教会に寄り、10時頃迄祈って帰ってくる。TVで御嶽噴火のテロップに驚く。亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。NHK字幕では、「日曜午後中南信に灰が降る」と。目の悪い母と二人暮らしでは、日曜松本行きは見合すべきと決める。日曜休む。が、翌日散歩していて懸念は当たらないと。昼から教会へいく。午後11時に帰ってくる。実は、神父様が不在。ドイツに休暇で帰っている。なので、お御堂で祈っては信徒会館で勉強を繰り返す。
二日で読んだ本。仕事関連の他、“The Dairy of Saint Faustina Kowalska”「作業療法の理論」(キールホフナー)「現代詩手帖・現代詩年鑑2014」「ヨーロッパ文学」(西脇順三郎)アーサー・シモンズ「象徴主義の文学運動」「写生俳句及び写生文の研究」「写生派歌人の研究」(北住敏夫)(この2冊は松本に行くということで電車の中読み返したかった本。わたくしの中の絶対のリテラチャー・バイブル。なお、宮先生の「気品」。この本によると、長塚節は「品位」と。或いは「冴え」と。)「複素解析概論」(野口潤次郎)「万葉名歌」(土屋文明)など。
帰ってTVをつけたら教育で「量子コンピュータ」をやっていた。ラスト5分を見る。カナダの会社が実現とか。実現する上で、‘90~’00の日本の研究が鍵らしい。更に、グーグルとカナダの会社共同で量子コンピュータが実現しつつあるとか。嬉しい限り。
不思議なことが。10時頃、明日があるし、夕食未だなので、帰ろうと。ついては、3回目の「主の慈しみ」「ロザリオ」を祈ってた。終了間近、目がマリア様に釘付けになる。半脱魂状態に。心の中に「理科大の大矢先生の為に一生懸命祈りなさい」の言葉が。およりてで、歩きながら夜空の下、ロザリオを唱えていたときも、再び「祈り通しなさい」の言葉。以前はずっと、祭儀の中で、先生の為にも祈っていたが、ここ半年程サボっていた。何か先生のご迷惑になるようなことを知らずやってしまったのだろうか。心配になる。
帰り、野底川で流星を見る。何もなければいいが・・・。

アントニオーニの映画「情事」をなかなか進められない。島の小屋のところ。リチーの指摘に納得。リチーの「映画のどこをどう読むか」の該当箇所を読む。
引用は変わらない。

“正反対性(両極性)を使って自分の言いたいことをあらわすこのアントニオーニの方法は、幾何学的である。両極端を持つ線があって、われわれはその両端を見るよう求められる。後へ行くほどこの映画は幾何学的な要素でいっぱいになる。背景の一部に見られるバロック風の幾何学的なものとか、青写真や建築用の図面の使用といった見てすぐわかる表現だけではなく、テーマを明確にし、例証し、文学的にあらわすための幾何学的な構図がたくさん使われている。”(p.87)

1 家にあるCDによるクラッシック紹介は2枚。前回踏襲。
「バッハ:ゴルトベルク変奏曲」(ピノック(チェンバロ);アリヒーフ)
「バッハ:パッサカリアとフーガハ短調他」(ヴァルヒャ(チェンバロ);FIC)

2 アルスの主任司祭聖ヴィアンネの本「聖ヴィアンネの精神」(モンナン神父)からは、変更なし。

“信仰と愛徳によって、御言葉がわれわれの中に住まい給うとき、われわれの霊に注ぎ給う神的光に照らされた知性の徳がある。”
“「心の眼を清めて、真の光に向かって飛翔するには、世のわずらいを軽んじ、身体を抑制し、痛悔の心を抱き、涙を注がねばならない・・・神の賛嘆すべき本質とその無垢なる心理とを黙想し、純なる意向をもって熱心に祈り、神に於いて喜び、天国を熱烈に望まなければならぬ」”
(p.13~14)

4 半年程前に「現代詩手帖」に投稿したけど採られることのなかった詩の紹介。6回目、多分。段々と書き足していきます。一定のレベルに達しない詩ではありますが・・・。

“「昼」 白い小さな指先から 零れ落ちる サラサラした細かい砂 アポロニウスの円筒形 破損した硝子 //振り子細工のように 時を刻んで来た その機械はもう鳴らない //何千もの部品からなる 精密なゼンマイ装置 淀みのない時を刻み 傷みの欠けた歴史を繰り返す 空間の歪み そして 抜けるように広い青空//補正しようにも 補正しようのない 鋭い悔恨 戦禍にも その村は焼け落ちず・・・ 空間が そして 後に時間が後退して 仄かな祈りが・・・//空に白雲が立ち籠め 木々の緑 その影は 日差しを遮り 小さなバルコニーには 混沌が形成されていた 空港に出て 半島を半時計周りに巡って また読み止しの本に戻った// 「ステファニーが フランスに旅をして お菓子屋になる為に パリで勉強する やがて 大人のする恋をした そして 振られ・・・」//お座なりに投げ出された鞄から 星が銀河のように溢れ出て 空間を限りない光で満たした//次第に遠のいて行く テールランプ 棒状に浮かぶ雲たち 庇には もう東の月が出ている 周到に準備された 文月のような それでもう 終末に近いことが分かる//しなければならなかったことを 後悔して 記憶に残る糸を 辿ってみる 階段を駆け上る//そして 過ぎ去った時間の中 人間は人魚であった 住み慣れた街を捨て 逸れた恋人が タクシーで テールランプを追うように 記憶の微かなうねりを そのままに捉える//人間は嘗て海にあった 朝焼けは意外と簡単で 独り下宿の六畳間で 立ち尽くしていたが 調べなき夕暮れに 東風が出てきた 珈琲を飲み 貿易風についいて 若干議論する//「必然」と染められた旗が 風に運ばれ「憮然」と翻る それが自然の真情だったのかと 轍にぬかるんで 夏の午後 身動きが取れなくなった//白い幽霊が 下北に出て 蒼い白鳥が 係累を払いながら 露に噎せ入って 水底に沈められたのは 何の象徴だったのか//水路を流れる 淡い鴇色の風景 結末は未だ知らない 春も未だ来ない 体育館から人が出て 五島の方へ旅立つ ぞろぞろと 黒子のあった辺りを結ぶ 嵌められた絵のような 水晶の球ばかり 一瞬のざわめき//(掲載未了)

追加分だけ見ても、粗い。推敲が足りない。一応シュール詩だが、2つの連の終わり“水底に沈められたのは 何の象徴だったのか“”一瞬のざわめき“が甘い。唐突。そこを何とかしたい。そういった箇所を埋めるのが詩作・推敲の中でも大きなウェートを占める。切れ味!

5 From “Introduction to Quantum Computation and Informatios”(Hoi-Kwong Lo et.al.;World Scientific)の“Quantum Computaion with Nuclear Magnetic Resonance”(I.L.Chuang)より、p.316
“2.3 Spin manipulations /Spin are manipulated by applying a much smaller radio-frequency field,B1,in the x-y plane to excite the spins at their resonat frequencies ωi.Using the rotating wave appoximation,we find that in the rotating frame the spin evolves under an effective field B=B1cos(φ)x+B1sin(φ)y(where φ is the RF phase).Near resonance,even a small B1 can cause large spin rotations,and by varying φ and magnitude of B1,the rotation angle and axis can be controlled.Furthermore,by applying RF fields at different frequencies,different spins can be selectively exited.Mathematically,this effect from a resonant perturbation is well known,and a derivation is selected here for completeness.Consider the Hamiltonian H=hω/2σz+hδcosωtσx where σi are the usual Puli matrices.

量子コンピュータの代表的な教科書からの第5回。“コンピューティングにハミルトンの四元数を使う”に関連し。

6 “白手袋編みて満天の星白牡丹”
自作俳句。破調の上少し古い。

7 “1939:The principle of solidarity,also articulated in terms of ”friendship“ or ”social charity“,is a direct demand of human and Christian brotherhood.”
 (from “Catechism of the Catholic Church”)
 
8 “1939: These attitudes and “structures of sin” are only conquered -presupposing the help of divine grace-by a diametrically opposed attitude;a commitment to the good of one‘s heighbor with the readiness,in the gospel sense,to “lose oneself” for the sake of the other instead of exploiting him,and to “serve him” instead of oppressing him for one’s own advantage.
(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
 
9 聖ミカエル・聖ガブリエル・聖ラファエル大天使祝日福音朗読。ヨハネによる第1章から。

“ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」”
-(人となられたみことばの生涯は、その受肉から昇天まで、天使たちの礼拝と奉仕に囲まれています。)

†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。

2014年9月29日
                       乗倉寿明記す

日記

2014-09-25 19:07:27 | Weblog

00 記事”ニ・ュ。ハ」ア」ー。ソ」イ」ケ。ヒ”が参照2位に入っている。別にdadaではない。種明かしすると、NTT OCNさんの”Blog Cafe”からの変換が上手くいかなかったのだ。NTT OCNさん後継ブログは成功したので、どうしてもという方はそちらを見て欲しい。
0 詩の変更のみ。写真は、9/20(土)の東京、21(日)の名古屋。今週は俳句の週になってしまう。やっと50作って、うち5つを「角川俳句9月号」に送る。昨夜深夜。その他仕事の準備もあって、今週は毎日の一人での「集会祭儀」や「慈しみの祈り」の他、殆ど何もせず。やっとさっき、上郷図書館に行って予約してた本を借りてくる。ラテン・アメリカ文学数冊と光太郎・ホイットマン。「光太郎・ホイットマン比較文学」は既に世にある。「村上文学とガルシア=マルケス比較文学」はあるかな?一瞬思う。午後にかけて勉強。西脇「ヨーロッパ文学」、シーサー・シモンズ「象徴主義の文学運動」「古典再入門」(円地文子)などを読む。今週は他、 “Dubliners”(Joyce)「俳句鑑賞歳時記」(山本健吉)「非線型力学」。あと仕事関連。前回の続きだが、横浜辺り、夜行の中「現代の短歌」(高野公彦)を読んでいて、宮柊二先生の歌に甚く感動する。涙が止まらなくなる。表現は、いろいろ雑なものを削ぎ落として出てくる凛とした気品がすべてと思う。“作品のクオリティー”に“作品のアトモスファー”と答えたのはボルヘスだった。そんな中「現代の短歌」(高野公彦)を逆順に読んでいて、先生の短歌の他を圧する気品に出くわす。コスモスに席を置く僥倖を思う。今週末は本来なら広島。そこを意識して2・3日過ごそうと思う。

アントニオーニの映画「情事」をなかなか進められない。島の小屋のところ。リチーの指摘に納得。リチーの「映画のどこをどう読むか」の該当箇所を読む。
引用は変わらない。

“正反対性(両極性)を使って自分の言いたいことをあらわすこのアントニオーニの方法は、幾何学的である。両極端を持つ線があって、われわれはその両端を見るよう求められる。後へ行くほどこの映画は幾何学的な要素でいっぱいになる。背景の一部に見られるバロック風の幾何学的なものとか、青写真や建築用の図面の使用といった見てすぐわかる表現だけではなく、テーマを明確にし、例証し、文学的にあらわすための幾何学的な構図がたくさん使われている。”(p.87)

1 家にあるCDによるクラッシック紹介は2枚。前回踏襲。
「バッハ:ゴルトベルク変奏曲」(ピノック(チェンバロ);アリヒーフ)
「バッハ:パッサカリアとフーガハ短調他」(ヴァルヒャ(チェンバロ);FIC)

2 アルスの主任司祭聖ヴィアンネの本「聖ヴィアンネの精神」(モンナン神父)からは、変更なし。

“信仰と愛徳によって、御言葉がわれわれの中に住まい給うとき、われわれの霊に注ぎ給う神的光に照らされた知性の徳がある。”
“「心の眼を清めて、真の光に向かって飛翔するには、世のわずらいを軽んじ、身体を抑制し、痛悔の心を抱き、涙を注がねばならない・・・神の賛嘆すべき本質とその無垢なる心理とを黙想し、純なる意向をもって熱心に祈り、神に於いて喜び、天国を熱烈に望まなければならぬ」”
(p.13~14)

4 半年程前に「現代詩手帖」に投稿したけど採られることのなかった詩の紹介。6回目、確か。段々と書き足していきます。一定のレベルに達しない詩ではありますが・・・。

“「昼」 白い小さな指先から 零れ落ちる サラサラした細かい砂 アポロニウスの円筒形 破損した硝子 //振り子細工のように 時を刻んで来た その機械はもう鳴らない //何千もの部品からなる 精密なゼンマイ装置 淀みのない時を刻み 傷みの欠けた歴史を繰り返す 空間の歪み そして 抜けるように広い青空//補正しようにも 補正しようのない 鋭い悔恨 戦禍にも その村は焼け落ちず・・・ 空間が そして 後に時間が後退して 仄かな祈りが・・・//空に白雲が立ち籠め 木々の緑 その影は 日差しを遮り 小さなバルコニーには 混沌が形成されていた 空港に出て 半島を半時計周りに巡って また読み止しの本に戻った// 「ステファニーが フランスに旅をして お菓子屋になる為に パリで勉強する やがて 大人のする恋をした そして 振られ・・・」//お座なりに投げ出された鞄から 星が銀河のように溢れ出て 空間を限りない光で満たした//次第に遠のいて行く テールランプ 棒状に浮かぶ雲たち 庇には もう東の月が出ている 周到に準備された 文月のような それでもう 終末に近いことが分かる//しなければならなかったことを 後悔して 記憶に残る糸を 辿ってみる 階段を駆け上る//そして 過ぎ去った時間の中 人間は人魚であった 住み慣れた街を捨て 逸れた恋人が タクシーで テールランプを追うように 記憶の微かなうねりを そのままに捉える//人間は嘗て海にあった 朝焼けは意外と簡単で 独り下宿の六畳間で 立ち尽くしていたが 調べなき夕暮れに 東風が出てきた 珈琲を飲み 貿易風についいて 若干議論する//「必然」と染められた旗が 風に運ばれ「憮然」と翻る それが自然の真情だったのかと 轍にぬかるんで 夏の午後 身動きが取れなくなった//白い幽霊が 下北に出て 蒼い白鳥が 係累を払いながら 露に噎せ入って 水底に沈められたのは 何の象徴だったのか//水路を流れる 淡い鴇色の風景 結末は未だ知らない 春も未だ来ない 体育館から人が出て 五島の方へ旅立つ ぞろぞろと 黒子のあった辺りを結ぶ 嵌められた絵のような 水晶の球ばかり 一瞬のざわめき//(掲載未了)

追加分だけ見ても、粗い。推敲が足りない。一応シュール詩だが、2つの連の終わり“水底に沈められたのは 何の象徴だったのか“”一瞬のざわめき“が甘い。唐突。そこを何とかしたい。そういった箇所を埋めるのが詩作・推敲の中でも大きなウェートを占める。切れ味!

5 From “Introduction to Quantum Computation and Informatios”(Hoi-Kwong Lo et.al.;World Scientific)の“Quantum Computaion with Nuclear Magnetic Resonance”(I.L.Chuang)より、p.316
“2.3 Spin manipulations /Spin are manipulated by applying a much smaller radio-frequency field,B1,in the x-y plane to excite the spins at their resonat frequencies ωi.Using the rotating wave appoximation,we find that in the rotating frame the spin evolves under an effective field B=B1cos(φ)x+B1sin(φ)y(where φ is the RF phase).Near resonance,even a small B1 can cause large spin rotations,and by varying φ and magnitude of B1,the rotation angle and axis can be controlled.Furthermore,by applying RF fields at different frequencies,different spins can be selectively exited.Mathematically,this effect from a resonant perturbation is well known,and a derivation is selected here for completeness.Consider the Hamiltonian H=hω/2σz+hδcosωtσx where σi are the usual Puli matrices.

量子コンピュータの代表的な教科書からの第4回。“コンピューティングにハミルトンの四元数を使う”に関連し。

6 “葉桜にすずろ響けり蝉の声”
自作俳句。少し古い。

7 “1939:The principle of solidarity,also articulated in terms of ”friendship“ or ”social charity“,is a direct demand of human and Christian brotherhood.”
 (from “Catechism of the Catholic Church”)
 
8 “1939:On the contrary,it is a firm and persevering determination to commit oneself to the common good;that is to say to the good of all and of each individual,because we all really responsible for all.This determination is based on the solid conviction that what is hidering full development is that desire for profit and that thirst for power already mentioned.”
(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
 
9 年間第25木曜福音朗読。ルカによる第7章から。

“(そのとき、)領主ヘロデは、これらの出来事をすべて聞いて戸惑った。というのは、イエスについて、「ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」と言う人もいれば、「エリヤが現れたのだ」と言う人もいて、更に、「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」と言う人もいたからである。しかし、ヘロデは言った。「ヨハネなら、わたしが首をはねた。いったい、何者だろう。耳に入ってくるこんなうわさの主は。」そして、イエスに会ってみたいと思った。”
(-権力者、金持ち、自分の力や富に執着するものはイエスの神秘に近づくことができない。)

†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。

2014年9月25日
                       乗倉寿明記す

日記

2014-09-22 01:55:16 | Weblog
0 多忙なので、数学変更のみ。写真は、9/20(土)の東京、21(日)の名古屋。火から来月の評論に向け、詩を読み始める。評論すべき詩と「高村光太郎」などに関して。木は教会に祈りに行く。主の現存を肌で感じる。水に弟と詩の交渉でミサをサボったのを詫びていたとき。先週の土日に実は、スタバ・ミスド・モスで本を読みながら、ヨハネ=パウロ2世パパ様のラテン語のロザリオをずっと聞いていた。金にかけては、ここ2~3日推敲していた短歌を脱稿。コスモス・コスモス名古屋・コスモス松本・かばん・赤石の各短歌会に送る。その間も、庄司神父様の「主の慈しみのチャプレット」をヘッドホンで聞く。土日は、東京・名古屋に行く。二都物語。母校同窓会と愛知コスモス。「都の西北」にうるうる来る。他のメンバーの優秀な短歌にたじろぐ。開き時間新宿マックと栄サンシャイン・バスのラウンジなどで読書。 “Dubliners”(Joyce)「俳句鑑賞歳時記」(山本健吉)「現代の短歌」(高野公彦)「万葉集(上)」「高村光太郎」(伊藤信吉)「現代政治理論」(キムリッカ)「人文地理学」(ウエッブ、ブルック)「多変数函数論」(西野利雄)「多変数複素解析」(大沢健夫)を読む。ずっとでないが、その間ロザリオ。東京-名古屋間の消灯6時間は眠れず、パパ様のロザリオ。日のミサは布池。9:30に。

アントニオーニの映画「情事」をなかなか進められない。島の小屋のところ。リチーの指摘に納得。リチーの「映画のどこをどう読むか」の該当箇所を読む。
引用は変わらない。

“正反対性(両極性)を使って自分の言いたいことをあらわすこのアントニオーニの方法は、幾何学的である。両極端を持つ線があって、われわれはその両端を見るよう求められる。後へ行くほどこの映画は幾何学的な要素でいっぱいになる。背景の一部に見られるバロック風の幾何学的なものとか、青写真や建築用の図面の使用といった見てすぐわかる表現だけではなく、テーマを明確にし、例証し、文学的にあらわすための幾何学的な構図がたくさん使われている。”(p.87)

1 家にあるCDによるクラッシック紹介は2枚。前回踏襲。
「バッハ:ゴルトベルク変奏曲」(ピノック(チェンバロ);アリヒーフ)
「バッハ:パッサカリアとフーガハ短調他」(ヴァルヒャ(チェンバロ);FIC)

2 アルスの主任司祭聖ヴィアンネの本「聖ヴィアンネの精神」(モンナン神父)からは、変更なし。

“信仰と愛徳によって、御言葉がわれわれの中に住まい給うとき、われわれの霊に注ぎ給う神的光に照らされた知性の徳がある。”
“「心の眼を清めて、真の光に向かって飛翔するには、世のわずらいを軽んじ、身体を抑制し、痛悔の心を抱き、涙を注がねばならない・・・神の賛嘆すべき本質とその無垢なる心理とを黙想し、純なる意向をもって熱心に祈り、神に於いて喜び、天国を熱烈に望まなければならぬ」”
(p.13~14)

4 半年程前に「現代詩手帖」に投稿したけど採られることのなかった詩の紹介。5回目。段々と書き足していきます。一定のレベルに達しない詩ではありますが・・・。

“「昼」 白い小さな指先から 零れ落ちる サラサラした細かい砂 アポロニウスの円筒形 破損した硝子 //振り子細工のように 時を刻んで来た その機械はもう鳴らない //何千もの部品からなる 精密なゼンマイ装置 淀みのない時を刻み 傷みの欠けた歴史を繰り返す 空間の歪み そして 抜けるように広い青空//補正しようにも 補正しようのない 鋭い悔恨 戦禍にも その村は焼け落ちず・・・ 空間が そして 後に時間が後退して 仄かな祈りが・・・//空に白雲が立ち籠め 木々の緑 その影は 日差しを遮り 小さなバルコニーには 混沌が形成されていた 空港に出て 半島を半時計周りに巡って また読み止しの本に戻った// 「ステファニーが フランスに旅をして お菓子屋になる為に パリで勉強する やがて 大人のする恋をした そして 振られ・・・」//お座なりに投げ出された鞄から 星が銀河のように溢れ出て 空間を限りない光で満たした//次第に遠のいて行く テールランプ 棒状に浮かぶ雲たち 庇には もう東の月が出ている 周到に準備された 文月のような それでもう 終末に近いことが分かる//しなければならなかったことを 後悔して 記憶に残る糸を 辿ってみる 階段を駆け上る//そして 過ぎ去った時間の中 人間は人魚であった 住み慣れた街を捨て 逸れた恋人が タクシーで テールランプを追うように 記憶の微かなうねりを そのままに捉える//人間は嘗て海にあった 朝焼けは意外と簡単で 独り下宿の六畳間で 立ち尽くしていたが 調べなき夕暮れに 東風が出てきた 珈琲を飲み 貿易風についいて 若干議論する//「必然」と染められた旗が 風に運ばれ「憮然」と翻る それが自然の真情だったのかと 轍にぬかるんで 夏の午後 身動きが取れなくなった//”(掲載未了)

先週は詩の本ばかり読んでいたが、今、学会で気分がそちらに行っているので。格差・労働問題も押さえておかなければいけないし・・・。と、場面展開が早い、というより乱雑。街・下宿・道。更に致命的なのは、熟してない。推敲不足を露呈している。別段、暗く重厚などというものではない。元々、明るく軽やかに歌えないのだ。自分の欠点。そこを突き詰めていけばとの思いもあるが。あと何と言っても黙示録。いい詩・歌を書けたとき、必ず黙示録を読み込んでいる。いい作品を書くための(自分の中の)必須条件。

5 From “Introduction to Quantum Computation and Informatios”(Hoi-Kwong Lo et.al.;World Scientific)の“Quantum Computaion with Nuclear Magnetic Resonance”(I.L.Chuang)より、p.316
“2.3 Spin manipulations /Spin are manipulated by applying a much smaller radio-frequency field,B1,in the x-y plane to excite the spins at their resonat frequencies ωi.Using the rotating wave appoximation,we find that in the rotating frame the spin evolves under an effective field B=B1cos(φ)x+B1sin(φ)y(where φ is the RF phase).Near resonance,even a small B1 can cause large spin rotations,and by varying φ and magnitude of B1,the rotation angle and axis can be controlled.Furthermore,by applying RF fields at different frequencies,different spins can be selectively exited.Mathematically,this effect from a resonant perturbation is well known,and a derivation is selected here for completeness.Consider the Hamiltonian H=hω/2σz+hδcosωtσx where σi are the usual Puli matrices.

量子コンピュータの代表的な教科書からの第4回。“コンピューティングにハミルトンの四元数を使う”に関連し。

6 “葉桜に似たるかなや小春の日和”
自作俳句。少し古い。

7 “1939:The principle of solidarity,also articulated in terms of ”friendship“ or ”social charity“,is a direct demand of human and Christian brotherhood.”
 (from “Catechism of the Catholic Church”)
 
8 “1939:On the contrary,it is a firm and persevering determination to commit oneself to the common good;that is to say to the good of all and of each individual,because we all really responsible for all.This determination is based on the solid conviction that what is hidering full development is that desire for profit and that thirst for power already mentioned.”
(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
 
9 年間第25月曜福音朗読。ルカによる第7章から。

“「隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。だから、どう聞くべきかに注意しなさい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる。」
(-どう聞くべきかに注意しよう。良い土地に受け入れられるよう、実を結ぶように聞こう)

†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。

2014年9月22日
                       乗倉寿明記す