色覚ってあるじゃない。
人の色覚が少しずつ変化したとき、たとえば青が緑に見えるようになったとき、その人はそれを「青」と認識するか「緑」と認識するのか。
そもそも色覚が絶対的なものであるという保障はどこにも無くて、光の波長による違いを色として認識しているだけで、それが本当に「赤」なのか「青」なのかは分からない。
光の波長によって「緑」と呼んでいるものが、ある人には「赤」に見えていて、それを「緑」だと感じているかもしれないのである。
たとえば「緑色が好きな人が多い」っていうのは、きっとその波長が生物にとって隠れ家のある波長あるいは食料に溢れていることを象徴する波長として認識しているだけで、その「緑」自体が綺麗だとおもっているわけではなく、「青」だろうが「赤」だろうが本能的に「いい波長」として認識しているかもしれない。
たとえば、先天性青黄色覚異常者と呼ばれる人たちは全く不自由なく別の色覚で生活しているし、先天性赤緑色覚異常者と呼ばれる人たちも若干の不自由が生じるとされるが別の色覚を持っているといえる。
これらは錐体細胞が人と違っていることで起きるものだが、このような事例では本来青色を感じる錐体細胞が人と違うことで脳では黄色であると判断しても、その「黄色」はきちんと青色として認識できる。
この事例は錐体細胞による違いなので、先天的であれば経験で区別できるかも知れないが、緑も赤も「赤」に見えるなど、ダブる色が存在して感じ方にムラは出うる。
脳での判断が「ずれている」場合などは、生活上全く不自由しないのは言うまでもない。
きちんと錐体細胞は「赤」「青」「緑」として色を脳に伝えているのだから。
さて、色覚が少しずつ変化した場合、それに適応できるようになるのか、あるいは違う色に見えるようになるのか。
後天的色覚異常と呼ばれる人たちのように、急激に1つの色覚がずれれば違和感があるに違いないが、少しずつなら気が付かないのではないかなとも思える。
それなら実際に起こっていてもだれも気が付かないわけだし、そもそも起こりえないようなシチュエーションかも知れませんが。
まぁ、原色同士でズレが起こればダブる色が出てくるからすぐ分かるわけですが。

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人の色覚が少しずつ変化したとき、たとえば青が緑に見えるようになったとき、その人はそれを「青」と認識するか「緑」と認識するのか。
そもそも色覚が絶対的なものであるという保障はどこにも無くて、光の波長による違いを色として認識しているだけで、それが本当に「赤」なのか「青」なのかは分からない。
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たとえば、先天性青黄色覚異常者と呼ばれる人たちは全く不自由なく別の色覚で生活しているし、先天性赤緑色覚異常者と呼ばれる人たちも若干の不自由が生じるとされるが別の色覚を持っているといえる。
これらは錐体細胞が人と違っていることで起きるものだが、このような事例では本来青色を感じる錐体細胞が人と違うことで脳では黄色であると判断しても、その「黄色」はきちんと青色として認識できる。
この事例は錐体細胞による違いなので、先天的であれば経験で区別できるかも知れないが、緑も赤も「赤」に見えるなど、ダブる色が存在して感じ方にムラは出うる。
脳での判断が「ずれている」場合などは、生活上全く不自由しないのは言うまでもない。
きちんと錐体細胞は「赤」「青」「緑」として色を脳に伝えているのだから。
さて、色覚が少しずつ変化した場合、それに適応できるようになるのか、あるいは違う色に見えるようになるのか。
後天的色覚異常と呼ばれる人たちのように、急激に1つの色覚がずれれば違和感があるに違いないが、少しずつなら気が付かないのではないかなとも思える。
それなら実際に起こっていてもだれも気が付かないわけだし、そもそも起こりえないようなシチュエーションかも知れませんが。
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