せっかくに休みなので、一夜城へと。
豊臣秀吉の出世城としてまた、一夜にして築いた城として有名です。
上流で材料を全て準備し、現地では組み立てるだけにして川に流し実際は三日間かかったそうです。
また、斉藤家に攻められながらの築城で昼間は戦いが激しかった為、主に夜の間に組み立てていたので、夜が明ける度に大きくなっているのに毎朝驚いてついた名前のようです。
「一夜にして築いた」のではなく、「一夜にしてこんなに出来ている」というのが本当の名前の由来のようです。
また、これを言っては根も葉もないのですが、当時の存在自体が疑われたりもしています。
ここまで来たなら大垣城にもと。
関が原の戦いの前に石田三成が入城したことで有名です。
ここから関が原に向かったとされています。
木造のころは国宝とされていたのですが、焼けてしまい再建された城です。
それにしてもお城が沢山あります。
まだまだではありますが、当時の状況を少しずつ理解してきました。
休みを利用して伊吹山へ。
その帰りに麓にある関が原を散策してきました。
街全体が歴史のある場所だなと感じました。
石田三成の陣営跡から関が原を眺め、徳川家康最初の陣営跡・最後の陣営跡。
最後に資料館。
少なくなったといえ、歴女らしき人もぼちぼちいました。
連休ということもあり、関東に戻ってきました。
もちろん余震の状況や部屋の片付け等もあり。
新幹線で東京駅に着くと通路の照明が3つに1つ位しか点いていませんでした。
また、エスカレーターも新幹線の改札の中は全部動いていましたが、在来線のホームに上がるエスカレーターは所々動いていませんでした。故障ではなく、利用率の低いホームへのエスカレーターを稼動させていない感じでした。
停車中の車輌は空調を切っていたりと、各所で節電されていました。
こういった努力が大規模停電を防ぎ計画停電を回避しているんだろうなと思いました。
駅に限らず下りのエスカレーターを動かしていないところが目立ちました。
コンビニのおにぎりやパンは並んでいましたが、カップラーメンなどの棚は空っぽの状態でした。
スーパーも水やカップラーメンの棚は空っぽで水は腐らないのかなと余計なことを思ってしまいました。
心配していた部屋の屋根は瓦が落ちていたところにブルーシートがかけてあり、雨漏りの心配をしていたのですが安心しました。
今夜から雨予報なので、雨漏りの確認ができそうです。
昼頃に気象庁から宮城県沖の地震を知らせるエリアメールが飛んできて、関東に帰ってきたんだなと実感しました。