蓬莱の島通信ブログ別館

「すでに起こったことは、明らかに可能なことがらである」
在台日本語教師の東アジア時事論評あるいはカサンドラの眼差し

カオスの時代:21世紀という新しい「中世」の到来

2015年01月06日 | 22世紀を迎えるために
(写真:同時代から攻撃されたマリ・キューリー)
1.はじめに
 昨年、夏に更新してから4ヶ月過ぎてしまった。実は個人的に老母の介護をする状況が生まれて、この4ヶ月はその準備に追われ、最終的には母を台湾に迎えることになり、現在は台湾で介護をしている。今回、母の必要が生まれて初めて日本の高齢化社会の現実を知った。日本には介護保険があってどのように地域で使われているかも初めて分かった。しかし、近くに家族が居ない限り今の介護保険は役にはほとんどたたない。一方、台湾の方は永久居留権保持者でも両親や兄弟を呼ぶことはできない。よって母は観光ビザで3ヶ月滞在し、また日本に戻ってまた台湾に来るという状態を繰り返すことになる。自分の身にこうした問題が具体化して、改めて、グルーバル化の実態を知った。若いときはいいが、後半生に入って両親の介護や自身の老後が問題になったとき、移民の多くは非常に大きな問題を抱えることになる。
 国境の枠が次第に曖昧になってはいても、その曖昧さを利用して生活している私のような人間にとって、地域のサービスが受けられない状況が結局、両国に跨っている人間には生じてしまう。

 以下、新年の雑感に過ぎないが書いておこう。

2.日本市民の選択
 2014年12月の選挙で安倍内閣は大勝利をおさめたが、たとえ40%以上が棄権だったとしても反対党を選ばなかったことは間接的なアベノミクス支持であり、日本市民はアベノミクスを今後の道として選んだことになる。『朝日』等のナチス中国系マスコミの執拗な攻撃にもかかわらず、日本市民がアベノミクスを選んだことは時間はかかるとしても、第二の明治維新になるような大きな変化を日本の社会に与えることだろう。
 本ブログでもアベノミクスのもたらすものについていくつか書いてきた。
有閑国家を越えて:真摯さをまず回復しよう
有閑国家を越えて(続):バランス感覚をまず回復しよう
有閑国家を越えて(続続):見ようとすれば見えるはず
新しい「黒船」の時代が・・・1:「江戸末期」としての「日本国」の未来
新しい「黒船」の時代が・・・2:崩れてゆく「江戸末期」の「日本国」
新しい「黒船」の時代が・・・2:崩れてゆく「江戸末期」の「日本国」(続)
新しい「黒船」の時代が・・・3:維新の責任は日本市民の見識に
 結論だけ言えば、江戸幕府が幕末の通貨膨張政策によって通貨を管理する能力を失い、「明治維新」という形で新しい通貨の使い道を見つけた新政権に転換したように、21世紀は20世紀の国民国家だった日本国がやがて通貨を管理する能力を失い、同じようにやがて新しい通貨の使い道を見つけた新政権に転換する、それが21世紀の日本社会の未来像である。誰が新政権の担い手になるか、それは明治維新が最下層武士層やそれを支援した地方の商人や庶民によって始まり、それが欧米の知識の日本への導入という形で具体化されて実現したと考えれば、自ずから明らかだろう。日本社会の下層市民にチャンスがあり、それはインターネットなど21世紀の新しい情報通信革命や数々の新しい技術革新と結合して、社会や組織の形態を変えていく中で実現するに違いない。通貨膨張に乗って新しい技術に相応しい社会形態を構築する、それが「ポスト日本国」という新しい日本市民の新国家になるだろう。
 今年時間ができたら、それについて考えてみたい。
 台湾市民は偽善的な専制金權腐敗政権であり事実上のナチス中国傀儡政権だった馬英九一派を拒否して、新しいリーダーを捜し始めている。昨年3月の反FTA学生運動のリーダーへの『東洋経済』へのインタビューがあるので、ご紹介しておこう。

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「中国への嫌悪感」が台湾民進党圧勝の背景
台湾学生運動のリーダー・林飛帆氏に聞く
11月29日に統一地方選挙が行われた台湾。2016年実施予定の総統選挙の行方を占う、台湾政治において重要な選挙だったが、最大野党の民主進歩党(民進党)が圧勝、与党・中国国民党(国民党)は歴史的敗北を喫した。
国民党の牙城だった台北市では、民進党が推す無所属候補が当選。台中市なども民進党候補が市長選に勝利、民進党の勢力を拡大することになった。現在の馬英九総統の政治手腕に地方レベルではあるが「ノー」を突きつけたことになる。責任を取って江宜樺・行政院長(首相)が辞任。さらに、馬英九総統も兼任していた国民党主席を辞任した。
今回の選挙では今年3月に発生した学生運動の影響が強いという見方がある。現政権の対中国政策に不満を持ち、中国との自由貿易協定の中身に賛同できない学生たちが国会に当たる立法院をひと月あまり占拠。この運動は、「ひまわり学運」と呼ばれ、若者の運動から台湾国民へ幅広い支持と共感を呼び、結果、自由貿易協定のスケジュール進行を食い止める役割を果たした。
その「ひまわり学運」のリーダーだったのが、台湾大学大学院生の林飛帆氏(26)。現在も学生運動を行い、社会運動の中心的存在となっている。林氏に野党圧勝で終わった今回の地方選挙の結果について聞いて見た。
――今回の統一地方選挙では与党・国民党が惨敗しました。これまで「民進党はしっかりせよ」と批判してきましたが、民進党は国民党にダブルスコアで勝利しました。ここまで民進党が票を伸ばした理由は何でしょうか。今年3月の学生運動の影響があったのでしょうか。
今回の選挙結果には驚きました。民進党自身も、これほどの勝利になるとは事前にわからなかったでしょう。特に主要選挙区で行われた投票日前最後の世論調査を見たら、すべて国民党がリードしているという結果が出ていました。最後に1週間で民進党に票が流れたのであれば、それはとても意外なことでした。
選挙結果にはさまざまな意見があるようです。実家を離れて住んでいる若者たちがわざわざ帰省して投票するなど、市民意識が高まったことと関係があると言う人もいる。一方で、今回は民進党の圧勝であり、馬英九政権に対する不信感が力を結集したという意見もあるようです。ただ私は、民進党に完全なる支持を得たと言えるのかどうか疑問に思っています。
それでも、われわれ学生も民進党が今回多くの選挙区で勝利したことを肯定的に受け止めています。これまで民進党は選挙戦に多くの注意を払い、自らが優勢な地域を熱心に歩き、また決定的な失敗(突然のスキャンダルや否定的な動きなど)もなかったようです。
民進党を云々する前に、台湾全体に与党・国民党への不信感が広がっています。馬英九政権が強力に推進している両岸サービス貿易協定、それこそ中国側に立つものであり、多くの人がこのような政策に不満を持っています。この不信感、不満が、間接的であれ直接的であれ、選挙結果に影響を与えたと思います。
――3月の学生運動が成功したことが、有権者に「今回の選挙に参加しよう」と喚起させたと考えますか。
3月の学生運動の影響は確実にあると思います。ただ、私が運動で果たしてきた役割からみて、今回の選挙結果について分析するのはちょっと適当ではないと考えます。多くの立候補者と選挙関係者、そして社会運動に参加する人たちすべてが選挙運動に心血を注ぎました。運動の幹部として、今回の学生運動が今回の選挙結果を直接的につくりあげたと述べることは望ましくないと考えるためです。
勢いに乗る民進党をどう監視するか
いま考えているのは、「青色(国民党)より緑色(民進党)がより大きくなった」という新たな政治局面について、どう対応すべきかが焦眉の課題だと思います。今後、各地域で民進党が安定的に政治を担い、これから1年間の政治革新アジェンダをどう推進するか、これはわれわれがすぐに議論すべき問題だと考えます。
――学生運動のリーダーとして、どのような政治、社会状況になることを望んでいますか。
民進党にどう対応し監督するか、そして民進党に一歩進んで提案と批判を提出することが、いま最も重要なことだと考えています。われわれがどれだけのことをできるか、まさにこの市民社会の自主性を高めることができるのかが課題です。
われわれが結局、国民党や民進党固有のイデオロギーに束縛されたり、あるいはこの市民社会が真の自主性、主体性を見せることができるのか。大事なのは、われわれが民進党にどのような批判をできるのかということでしょう。
2015年の2月までに実施される立法院(国会)補欠選挙があり、同年末には立法院選挙、そして2016年には総統選挙があります。地方選挙の後に中央政府が権力を再分配する過程で、民進党にとっても市民社会にとっても、改革するためのよい機会になるでしょう。
私自身も、次にわれわれがどのような政治アジェンダを提案できるかということを考えています。汎野党勢力がすでに馬英九政権より力をつけたこの時期に、より強い影響をどう与えることができるか。それには3つのイシューがあります。
まずは憲法改正を要求すること、そして選挙制度の改革について議論すべきこと、最後に国民投票法を改正すること、です。
この次に議論すべきことは、両岸関係です。われわれは、民進党と台湾団結連盟など野党の院内代表と会った際、二つの提案を申し上げました。
一つは両岸協議監督条例です。行政院が提出したものは撤回させ、再度検討して改めて提出すべきだと主張しました。なぜなら、現在の行政院案は統一選挙に惨敗した責任をとって辞任した江宜樺・前行政院長(首相)の考えであるためです。すでに彼は辞任し、行政院案はこれ以上議論すべきではないと考えています。だからこそ、いったん撤回し、再度審議せよと主張しました。
もう一つは、この両岸協議監督条例の立法化の時期についてです(この条例が成立するまで、台湾と中国との毛自由貿易協定のうち、サービス貿易協定に関する協議は立法院では行わないとするもの。今後、大陸との協議は立法院での協議を最優先することを取り決める条例)。
同条例の立法化には、われわれも賛成し、支持します。しかし、立法化する時期はとても重要だと考えています。今、内閣は過渡期にあり、新たな内閣が就任した直後に政策を調整したり変更したりするものです。国民党は今でも国会では多数を占めています。とはいえ、地方レベルでは市民らはすでに国民党を全面的に否定しました。ですから、国民党がこの条例を審議するするのはいけないと考えています。
大陸の香港への態度は、台湾の不信感を増す
われわれは、新たな立法委員の推薦手続きが終えた後に審査せよと要求しました。つまり、権力が揺らいでいたり、真空状態にある時に、馬英九総統が管理する立法委員が審査の主導権を掌握するのはいけない。次の任期を迎える立法委員候補の推薦手続き(2015年4〜6月)が終わった後、立法委員選挙の前に審査を推進しようと考えています。
――江宜樺行政院長をはじめ内閣が辞職したことについてどう考えますか。
江宜樺院長はその前から辞任すべきでした。今回の選挙結果が理由ではなく、今年の学生運動で彼が警察力を持って学生運動を鎮圧した政治責任を負うべきでした。
今になって辞任したことは、国民の期待、希望とは合っていません。また、辞任時期がとても遅かったから、国民党がこのような惨敗を負ってしまったのです。学生運動当時、すぐさま決定し、江宜樺院長を辞任させ、馬英九総統が政治責任をとって政策をちょっと調整していたならば、国民党は今のような状況に追いやられることはなかったでしょう。また、江宜樺院長が選挙敗北の責任をとって辞めたことは、「おれは悪くないが」と言い訳しながら辞めたような行動です。
――選挙後の両岸関係について、どう見ていますか。
現在の台湾は完全に新たな局面に入ったと、北京当局ははっきりと理解していると思います。対台湾政策では、大陸は今後も統一戦線方式で行い、台湾地方と政治、経済ネットワークに浸透しようとしていることは台湾国民もすでに知っており、また無駄なことだと思います。
中国政府は台湾に対し、台湾に友好的な政策を提案しなかったり、国際社会で台湾がもっと活動できるような空間を与えなければ自業自得になるだけだと思います。なぜなら、中国政府が考えたように統一の効果を与えることができず、そんな行動には台湾国民はかえって嫌悪感を感じるだけだからです。
そして、香港に対する中国政府の態度も、台湾国民にとっては、より高い自主性と独立性への希望を呼び起こすだけです。中国が香港市民を鎮圧する手法をとり、これまで香港で発生したことを見ると、独裁政権である中国は、台湾にはますます接近したくない対象として写ります。中国であれ政治であれ、経済レベルでの往来はこれ以上したくないと思うでしょう。
今後、われわれと中国の民間社会との往来が続くでしょう。経済レベルの往来、今はサービス貿易協定と品目貿易協定を結ばなくても、台湾と中国は少なくともWTO(世界貿易機関)で多くの貿易品目を非課税にした状態であり、台湾と中国とは一定の経済的交流の基礎があります。今後、これをどうすべきかは台湾の民心はすでによくわかっていると思います。中国の態度もどうなるか注目すべきでしょう。
――鴻海グループの郭台銘会長は、3月の学生運動の際に仲裁役を買って出て、学生指導部に接触しようとしました。ところが、今回の統一地方選挙では彼は「国民党を支持せよ」とおおっぴらに発言しました。このような行動をどう思いますか。
学生運動の際、彼の影響力はまったくありませんでした。彼が学生と連絡を取り合うことで発言権を得て、さらに仲裁役になりたかった。ところが学生がそれを受け入れませんでした。その当時、われわれが選挙していた立法院に来ることに反対していました。両岸の政治代表者と資本主義の代表的な人物であったためです。
鴻海会長の行動は、若者の反感を買うだけ
そのため、彼は腹を立てたのでしょう。悪口を言い始めました。「民主主義だけでは飯は食えない」という言葉まで口にしました。しかし、彼の発言は、青年層の怒りの度合いを高め、反感を買うだけです。
――台湾の若者たちの考えや行動は、香港をはじめアジア諸国にも影響を与えています。このような状況についてどう評価していますか。香港の学生たちの行動に実質的な影響を与えたと見ていますか。3月の学生運動と香港の民主化運動を比べると、どのように考えますか。
立法院前で。今年春に占拠して以来初めて、久しぶりに訪れた香港の行動について、私は言及することを避けたいと考えています。なぜなら、香港の市民運動が現在進行形であり、彼らにも主体性と未来への対策を持っているからです。
私が台湾で話すことが、台湾ではそれほど大きな影響力はないと考えがちですが、それが香港に伝わると北京当局と香港政府が「セントラル(中環)占拠運動は台湾の学生運動と台湾の独立運動勢力と結託している」とウソをつき続けます。
いま、このようなことに言及すれば、香港の学生に提案しているような形になり、われわれは成功者であり、われわれが背後で指導しているというような意味になりかねない。それは不適切だと考えます。
また、中国政府であれ香港政府であれ、どちらもすでに多くのウソや虚偽の情報を流している状態です。香港の運動に影響を与えることは避けたい。だからこそ、私はノーコメントです。
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 学生運動のリーダーに日本の経済誌が注目したのは非常に優れた見識だと思われる。21世紀の台湾市民のリーダーは昨年3月の反FTA闘争に参加した学生の中から生まれていくだろう。明治維新が坂本竜馬のようなまったく無名の地方の下層武士階層=下層知識人階層の若者から始まったように。しかも彼らの武器はインターネットでの連帯の呼びかけただひとつだった。時代は確かに動き始めている。


3.「日本国」末期癌的症状
 昨年はアベノミクスという新時代の基礎になる新しい通貨膨張政策を日本市民が肯定した画期的な年であった。しかし、その一方で日本社会の深い闇を知らせる象徴的事件も発生した。STAP細胞言論弾圧事件である。3流研究者として大学に身を置いている立場で言えば、こうした異常な事件は政治的原因以外のいかなる理由も存在しない。本ブログでも繰り返し論じてきた。
メディア「暴力」を考える1:記者・編集者の「見識」「方法」の基本的欠如
ナチス中国が開戦に踏み切る日2:ナチス中国の対日短期決戦戦略を封殺するには?
メディア「暴力」を考える2:メディアが作る「風評被害」(前
STAP細胞問題の暗黒3:メディア「買収」の金主はやはり・・・
STAP細胞問題の暗黒4:「専門家」「専門用語」というメディアの手品(まやかし)
メディア暴力を考える2:メディアが作る「風評被害」(後)
メディア「暴力」を考える3:「メディアは何をしてもすべて免罪」という恐怖の社会「日本」(前)
集団自衛体制は平和維持の要点(前):”暴力・虐殺・強姦が大好きな中国軍、韓国軍”から身を守るために
 武田先生がやはり新年のエッセーで書いていらっしゃる。
 新春シリーズSTAP細胞まとめ
 「お前はマスコミやSTAP細胞不在を証明した研究者のご意向をないがしろにしてまだ言うか」というご意見をお持ちの方も多いと思われるが、今までも繰り返し理由は説明してきたのでこれ以上は繰り返さない。武田先生がまとめていらっしゃるので以下に紹介させていただく。

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STAPの悲劇を作った人たち(1) 放送法の意味
(先日、このブログで笹井さんの自殺について扱ったが、あまりに可哀想な事件が起こったことから、記事の調子がこのブログの趣旨(常に前向き)と少し違ったので、いったん下げてキチンと論述することにした。内容としては同じである)
NHKは国民の預託を受けて放送業をしていますが、その時に国民と約束したことがあります。それが放送法で、特にその第4条が重要です。
一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
二  政治的に公平であること。
三  報道は事実をまげないですること。
四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
放送はNHKでも民法でも基本的には同じですが、特にNHKは国民から強制的に受信料をとり、日本人全員が良質な放送を見たり聞いたりできるように特別なシステムを持っていますので、良い方向を向けば国民にとっては有意義なことになりますが、間違ったことをしたらその被害はものすごいものになります。
だから、第4条に定められた4つの最低条件は、民放にも及びますが、まずはNHKが絶対に守る必要があるもので、この条件を守るからこそNHKというものが存在できるともいえます。
7月27日のNHKスペシャル、STAP事件を扱ったこの番組は第4条に大きく悖る(もとる、反する)もので、STAPの悲劇を招いた直接的原因になったと考えられます。NHKスペシャルは第4条の一、三にも反していますが、特にここでは“四”の重要性について整理をしてみたいと思っています。
社会生活を送っていると、時々、不意にトラブルに巻き込まれることがあります。それは自分が原因していることもあれば、他人から仕掛けられることもあります。日常的な小さなトラブルはともかく、社会的に問題になるようなことが起これば、その内容はともかく、日本人が相互に約束したこと(法律で決まっていること)によって裁判所で和解か判決を受けて処理できるという確信があります。
このような日本社会の基本を守ることは、NHKはもとより一国民としてもとても重要なことは言うまでもありません。“一”に書かれた「善良は風俗」というのをあまり大きく拡大してはいけませんが、まずは「法律を守ること」や「相手をゆえなく侮辱すること」などが大切でしょう。
ところが、ある特定の人が法律にも訴えずに、全国民にある個人の名誉に関係することを一方的に放送したり、報道されたりしたら、とんでもないことになります。幸福で平和な生活を一瞬にして特定の人の為に奪われることになります。そんな場合でも被害を受けたほうが裁判に訴えることができますが、NHKのような巨大な組織を相手に裁判を起こすこと自体が難しいのです。
まず、裁判になると訴えた一個人の方は仕事もできず、体力も消耗し、お金もかかります。一方、NHKの方は裁判担当弁護士をお金で雇い、大勢の人が分担し、それにかかった費用は受信料から支払うことができます。これでは形式だけ「もしNHKが一個人の名誉を傷つけたら裁判に訴えればよい」と言っても、それは形式だけであって、現実性のない話になります。
そこで、NHKという組織を置く前提として、この4つの項目を守ることをNHKは国民と約束しているのですが、特に“四”は重要です。「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」です。
この条文はとても大切(法律ですから、国民とNHKの約束なので、もともと「大切」とか「大切ではない」ということはなく、すべて「大切」)です。日本国民が法律で罰せられる場合は、キチンとした手続きがあり、十分な弁明の機会が与えられます。日本の裁判は「起訴されたら有罪」というところがあり、「裁判は死んだ」とも言われていますが、それでも弁明の機会は与えられます。
しかし、NHKがある特定の個人を葬ろうと思ったら、「放送」という権力を使って、手続きなしに個人を葬ることができます。そんなことをされたら、日本という自由で人権がある国に住んでいるとは言えなくなります。もしそんなことをNHKがしたら、日本は「NHK独裁国家」になり、いつ何時、社会的に葬り去られるか、あるいは精神的な圧力を受けて自らの命を絶たなければならない羽目に陥ります。
NHKは政治団体でもなく、宗教団体でもなく、もしくは教育機関でもありません。単に国民がNHKという情報提供機関を作って、できるだけ正確な情報の提供を求め、それによって国民が正しく考えられるシステムを作ったに過ぎないのです。
STAP事件の当事者は、(故)笹井さん、小保方さん、丹羽さん、それに若山さんであり、この人たちと「意見が対立している人」というのは、「現在の日本にはいません」!! だからNHKがSTAP事件を報じるときには、研究者の言っていることを報じることはあり得ますが、STAP事件を批判している人のことを報じることはあり得ないのです。
STAP事件発生以来、当事者というのは、「STAPの研究者」、「理研」、それにかなり拡大すれば「文科省」ぐらいで、あとは「外野」、つまり「利害関係者」ではありません。それにもかかわらず、NHKが7月27日のNHKスペシャルで、仮想的な「反撃グループ」を中心に据えて、当事者のことを報じないというあり得ないことをして、当事者としての研究者に大きな打撃を与え、因果関係はまだはっきりしないものの、その直後に研究者の自殺を招いたことは日本社会にとってどうしても解明しなければならないことです。
(平成26年8月8日)
STAPの悲劇を作った人たち(2) 最初の人は理研
先回のこのシリーズで、STAP事件の報道が放送法に適合していたかという整理から、もともとこの事件は「論文を書いた著者」たち、あるいはその「組織である理研」しか当事者(野次馬ではなく、一般の日本社会の概念で「外野」ではない人。ほぼ利害関係者にあたる)がいなかったのではないか、それ以外の「当事者」はNHKなどが作り上げた特別な人たちではなかったかというところまで書きました。
それでは2014年の1月から笹井さんが自殺をされる8月までの実質6か月(半年)間、放送法第4条の4に記載された「意見が対立している問題」というのはいったい何だったのか、それを整理してみたいと思います。
まず研究をして論文を発表した人たちは当事者です。日本の報道では著者のうち、最初から小保方さんだけを特別に扱っていましたが、それは組織体である理研が小保方さんを区別したこと、NHKなどがその判断をそのまま踏襲したことだけで、学問的に言えば著者は同じ立場と言えます(筆頭著者が責任を持つというのは村の掟で、どこにも書いていません。責任著者というのは一部の雑誌で使われています)。
次に理研ですが、研究を支えてきた組織ですから、やはり当事者です。理研は当初から組織としてはやや常識的ではない振舞をしていました。自ら企画して記者会見をし、論文がネイチャーに投稿されて1週間ぐらいすると、ネットで論文の不備が指摘されました。しかし、この時点で指摘されたことは、写真3枚と小保方さんの個人的なこと(卒業論文の不備)で、論文全体が撤回に相当するような欠陥ではありませんでした。
しかし、この段階で当事者の理研は、記者会見を開き、ノーベル賞を受賞した理事長が「頭を下げて謝罪」をしました。ここでこの事件は、大きくこれまでの日本の常識を逸脱し、その後の「錯覚」を加速させたと考えられます。論文の不備を指摘したのはネットの匿名の人ですから、普通なら理研の担当部長クラスの人が故笹井さんらに電話をして、「論文が不備だという声があるけれどどうか」という問い合わせをしたでしょう。
その後の故笹井さん、小保方さんの記者会見などによると、「研究は先進的なものであり、論文には不備はあったが、不正はない」と言っているのですから、理研の調査や記者会見が行われたころは、「理研内部の当事者は研究には問題はないと言い、ネットが炎上している」という状態だったのです。この段階で理研がなにかの声明を出すとしたら、「STAP論文についてネットなどで疑義が呈されているが、論文は価値のあるものであり、著者らも問題はないとしている。理研としては念のため理研内で調査を行う予定である」というぐらいでしょう。
実際、理研は2013年初頭から「若山、小保方」の研究で論文が拒絶されたことから、故笹井さんを研究に参加させ、2013年4月には特許を出願しています。また、故笹井さんは2014年5月ごろの取材に対して、「論文を作成し始めてから、繰り返し若山、小保方さんと議論を重ねた」と言っていますが、新たに研究に参加した人が、それまで研究していた人と十分な議論をすることも当然です。
つまり理研は1年半ほどの間、理研のエース級の研究者だった故笹井さんにSTAP細胞の論文や研究の進展を任せ、それが新しい研究センターへつながるように進めていたことを示しています。その中心的な論文の一つがネットから指摘があったからと言って、方針が変わるのも不思議です。理研としては、論文評価にあたって信頼できる人は、第一に故笹井さんであり、第二に特許を申請するときにその担当をした弁理士(特許出願担当)であり、第三にネイチャー査読委員だったはずです。その研究が基礎になっている論文の80枚ある写真のうち、2枚に違うものが入っていたとしても、全体の研究に影響が及ぶはずもありません。
理研は笹井さんを信頼して副センター長に起用していましたし、この方面では日本の第一人者として世界の評価も高かったのです。その人が執筆した論文をネットで指摘されたからと言って理研が信頼をなくするということになると、「笹井さんより実力が低い他人(ネット)が、「1年間にわたって笹井、若山、小保方が検討を重ねた論文」について、発表後、1週間も経たないうちに指摘したほうが正しい」と理研が判断したことになるからです。
つまり、STAPの悲劇を作った最初の人は「理研」だったことがわかります。理研が普通の研究機関にように、1)謙虚に批判は受け止め、2)なにが問題だったかを調べ、3)十分な科学的根拠をもって調査をする、ことをしていれば、STAP事件そのものは「ネットの炎上」だけで終わったでしょう。
ところが理研が「調査委員会」なるものを作り、不完全な規則を使い(このブログの剽窃論に詳しい。実施不可能な内規で捏造や剽窃とした)、論文の不備が問題になっている(小保方さん個人の問題ではない)のに著者のうち理由を示さずに小保方さんだけを理研は調査対象にしたのです。さらに調査が行き届かないうちに中間報告をして、その中でたとえば実験ノートが提出されていないのに、提出されたと委員長が記者会見でウソまで言ったのです。
この段階で、社会はあまりに不合理に進む理研の調査に疑問を持ちつつ、これほどの不合理が続くのであれば、表面的に発表されること以外になにか大きな間違いがあったのではないか、それが理事長の記者会見の異様ともいえる表情に表れているのではないかと勘繰り始めたのです。
つまり、理研は「もともと無いものをあることにした」という意味で、当事者のいない事件を創作し、それを引き継いだのがNHK、毎日新聞、そして関西系のテレビ番組などでした。
(平成26年8月8日)
STAPの悲劇を作った人たち(3) 2番目は学問より政治が好きな学者たち
先回の記事にまとめたように、理研の調査報告書ほど奇妙なものはありませんでしたが、1)論文は複数の著者で書いていて、故笹井さんが中心になって執筆したとされているのに小保方さんだけを研究不正の調査対象にしたこと(筆頭著者が責任を持つというのは特定の学会の掟に過ぎない)、2)不正とされた写真2枚はすでに調査委員会が調査を始める前に自主的に小保方さんから提出されているのに其れに触れずに不正としたこと、3)写真を正しいものに入れ替えても論文の結論や成立性は変わらないこと、4)理研の規則には「悪意のないときには不正にはならない」と定めているのに「悪意がなくても悪意とする」としたこと、などが特に奇妙でした。
そして、調査結果に対して不服があれば再調査するとしておきながら、再調査はしないとしたり、調査委員長がSTAP論文と同じミスをしていたのに辞任だけで研究不正とはしなかったことなど、実に不誠実な経過をたどったのです。
しかし、その後の展開もさらに奇妙なものになったのです。2014年5月にSTAP事件に関する理研の最終報告書がでると、メディアは「論文の不正が確定した」と報道し、さらに論文が取り下げられると「これですべてゼロになった」としたのです。つまりメディアと理研で、研究者を不正として非難を展開し、論文を取り下げざるを得ないようにし、2014年7月2日にSTAP事件は、論文が取り下げられたことによって、
1)不正が確定し、
2)もともと何もなかったことになった。
のです。しかし、その後、さらに社会は奇妙な方向に進みます。それは
3)STAP細胞の再現性が得られれば良い、
4)STAP論文にさらに別の不正がある、
と言い始めたのです。この奇妙な仕掛けをした人はまだ特定できませんが、もともとこの事件はSTAP論文にあり、その論文が取り下げられたことで「ゼロになった」としたのですから、STAP細胞があるかどうか、つまり研究が成功したかどうかも問題ではありません。
(もちろん、「再現実験」などは科学的にあまり意味のないことで、価値のある研究ほど論文の再現性には時間がかかりますし、再現性があるかどうかは科学的価値とは無関係です。)
ですから、日本社会が正常なら、STAP研究は社会の目から遠く離れて、また2013年までのように「理研内で静かに研究ができる」という環境に戻ったのです。今頃、笹井さんも小保方さんも通常の生活に帰り、理研かあるいは別の場所で研究を続けていたでしょう。
小保方さんは研究は順調で、論文にケアレスミスはあったけれど、ウソやダマシはないと言っていましたし、笹井さんも記者会見や取材で「自分のチェックが甘く論文に欠陥があったことは責任があるが、研究は順調だ。論文に示された4本のビデオからも研究が有望であることがわかる」ということを言っておられました。
ところが、この経過の中で再び火の手が上がったのです。それが、若山さん、メディアの登場していた研究不正に関する専門家と言われる人たち、そして分子生物学会を中心とする学者や日本学術会議でした。私はメディアに登場する専門家の方の論文を調べてみましたが、暗闇の中で苦しく創造的な研究の経験のある人はおられませんでした。
その中で、若山さんは何が目的であったかはっきりしませんが、共同研究者でなければわからないような日常的で小さなことを何回かにわたってメディアに暴露を繰り返しました。特に「マウスが違っていた」とか、「小保方さんがポケットにマウスを入れて研究室に入ることができる」など、研究内容より人格攻撃と思われることを言われたのにはびっくりしました。
私は研究者が身内をかばう方が良いと言っているのではなく、犯罪も被害者もなく、論文も取り下げたのですから、研究の内部の人だけが知っている細かいことを言う必要がないのです。特にマウスの問題は若山さんのほうが間違っていました。
次に、研究不正の専門家ですが、理研内部の人、東大東工大グループと称する匿名の人、京都大学の人、それに医学部出身者を中心にして、きわめて厳しいコメントが続きました。すでに理研の調査が終わり、「不正が確定した」とし(わたしはそう思わないが)、論文が取り下げられ、もしくは取り下げの手続きが進んでいるのですから、その論文の欠陥をさらに追及したところでまったく意味がありません。
また、論文を執筆したのは最初は小保方さんと錯覚されていましたが、すでに3月ごろには笹井さんが中心になって書き直したことがわかっていましたし、若山さんの力では論文が通らないので、笹井さんの知識をもって論文をまとめたこともわかっていたのです。研究不正の専門家は研究不正という点では知識があると思いますが、研究そのものについてははるかに笹井さんのほうが力があると考えられますから、普通の学者なら「私より力のある人が書いたものだから」と遠慮するのが普通です。
それに加えて分子生物学会が学会としての声明を出しました。3月11日の理事長声明をはじめとして、7月4日の第3次声明が続き、論文が撤回された後も、「不正の追及」をするように理研に求めました。この声明に答えて、学会幹部も声明を出しました。たとえば大阪大学教授が理事長声明を支持することを社会に向かって表明し、「STAP論文はネッシーだ」という趣旨の発言もあったと伝えられています。
学問というのは「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というような不合理を排するものですし、STAP論文で指摘されているのは(ネットの匿名を除いて)、「写真2枚のミスと1枚の加工」だけであり、「その裏に理研の腐敗体質がある」かどうかは不明なのです。理事長声明はSTAP論文に関する研究に大きな不正があったとして、理研にその返答を求めていますが、学会が伝聞によってある特定の研究者や研究機関を批判するのは、好ましくないことです。
学会は学問的に間違っていることを明らかにすることはその役目の一つですが、組織の運営や研究者個人の人生にも活動を及ぼすものではありません。普通なら笹井さん、若山さん、小保方さんの発表を聞きに行って、自分が疑問に思うことを質問するとか、学会単位なら、研究者を丁寧に研究会にお呼びして、ご足労をお詫びし、疑問点を質問するということをします。
このような活動は「学者は学問的なことに興味がある人」だからで、「運営、管理、虚偽などには興味がなく、また自分の研究時間を犠牲にしてそんなものに関係する時間も惜しい」のが普通です。
私は、ネットの人、理研内部の人、研究不正の専門家という人たち、それに分子生物学会の学者の方は学問には興味がなく、管理運営などにご興味があるということなら、学会から去っていただき、別の仕事をされたらよいと思うのです。学問は比較的簡単で、人を批判しなくても自分でよい仕事をすれば、みんなは評価してくれるからです。
「学者なのにいやに政治家のようだな。自然より人間に興味があるのかな?」というのが私の感想です。この人たちがSTAPの悲劇に加担することになりました。
(平成26年8月10日)
STAPの悲劇を作った人たち(4) 3番目は言うまでもなく毎日新聞
毎日新聞というのは伝統的で素晴らしい新聞でした。満州国建国に際して国際連盟を脱退した時、朝日新聞がその時の政府に迎合して脱退を支持したのに対して、毎日新聞は断固、筋を通し、販売部数を減らしたのです。 沖縄返還の時の日米の密約でも、毎日新聞は断固、メディアとしての立場を貫き、時の政府からいじめられて不買運動に泣いて、朝日、読売の後塵を拝するようになりました。でも、そんな逆境だったからでもあるでしょう、毎日新聞には立派な人が多く、ここでお名前を挙げるのは控えますが、そういえばあの人・・・と思いだします。 その毎日新聞が「窮すれば瀕した」のでしょう。こともあろうに、STAP事件に関する理研の調査が終わり、「不正が確定」(私は不正とは思わないが)し、最後に論文が取り下げられ、日本としては大きな痛手をこうむった後も、毎日のようにSTAP事件の取材を続けて、紙面に掲載していました。 それは、著者を痛めつけたい!そう思う一心の記事でした。そして論文が撤回されて約半月後、毎日新聞は驚くべき記事を全国版の1面に出したのです(7月16日の朝刊と思う)。それは、奇妙奇天烈というか、前代未聞、それとも魔女狩り・・・なんと表現してもそれ以上の醜悪な記事でした。 1)問題となった論文ではないものを取り上げた、 2)若山先生(共著者は小保方さん)が出して拒絶された論文を取り上げた、 3)論文の査読過程のやり取りを「不正」とした。 毎日新聞の記事をたぶん月曜日に読んで、私はあまりのことに絶句した。この記事を笹井さんがお読みになったかは不明だが、関係のない私が読んでもびっくりしたのだから、当事者が読んだら腹が煮えくり返っただろう。 理由 1)掲載に至らなかった論文の原稿は著者の手元にしかない、 2)ましてその査読結果などは執筆担当の主要な著者の手元にしかない、 3)従って、毎日新聞は若山さんから情報を得たか、建物に侵入して獲得した以外にない。 4)掲載に至らなかった論文は欠陥があるから掲載されなかったのだから、その論文に欠陥があるということは当然であり、そのような学問上のことを知らない一般の読者を騙す手法だった、 5)若山さんが自らそんなことをしたら大学教授を辞任しなければならないから、記者が不当な方法で入手した盗品である、 6)すでに掲載された本論文が撤回された(7月2日)後だから、学問的意味も、社会的意味もない。 毎日新聞は沖縄の密約で外務省の女性事務官に記者が接近し「情を通じて」国家機密を手に入れたとされました。行為は不倫で、これを政治家に「情を通じて」と言われて社会が反応し、毎日新聞の不買運動につながりました。私は、国家機密を得るときには小さな犯罪は許されると思っていましたが、今回のことで毎日新聞は性根から曲がっていることを知ったのです。 今回のことを沖縄の報道になぞらえると、「情に通じて」と言われた後、他の新聞やテレビが「どのように情を通じたか」、「セックスの回数は何回だったか」、「最初の時に積極的に体に触ったのはどちらだったのか」などを微にいり細にいり書き立てるのと同じです。人間としてすべきではなく、また興味本位のいかがわしい雑誌が取り上げるならまだ別ですが、天下の毎日新聞だから取り返しがつかない。今後、何を記事にしても国民は毎日新聞をバカにしているから信用しないでしょう。ついに毎日新聞はその誇りある長い歴史に終わりが来ると思います。 【学術的意味】 ここでは、以上のような世俗的な倫理違反とは別に、「掲載されなかった論文の査読経過は意味があるか」ということについて参考までに述べます。論文を提出したことがない人には参考になると思うからです。 人にはそれぞれ考えがあります。だから研究者が「これは論文として価値がある」と思えば、そのまま論文として掲載してもよいのですが、昔はネットのようなものがなかったので、印刷代がかかり、さらに「誰かがある程度は審査したもののほうが読みやすい」ということで「査読」が始まりました。 査読は「論理的に整合性があるか」、「他人が読んで理解できるか」、「すでにどこかで知られていないか」などをチェックし、時には親切に誤字脱字も見ます。しかし、時に研究者は「このデータは必要だ」と思っても、査読委員は「論理的に不要である」としたりしますが、そんな時に、ほぼ査読委員の通りにしておかないと論文は通りません。 また、研究者は自分の研究に思いいれがあるので、若干、論理が通らなくても「言いたいこと」がある場合も多いのですが、査読委員は他人なので冷たく削除を求めることもあります。その他、いろいろあって、毎日新聞の記事のように5ケのデータのうち、査読委員が修正を求めたので、2つを削除したということをとらえて、「これは不正をするためだ」と邪推するのは科学の世界に感情を持ち込むことだから、この記事は断じて科学者としては許せないのです。 おまけにこの論文は「掲載が認められていない」のですから毎日新聞が指摘したことそのものが指摘の対象になっていたかも知れません。査読委員が問題にしたことを、著者がいやいや削除したとすると、それを不正だというのは査読委員が不正ということになります。 そしてこの問題は、さらに取材方法が偏っていることです。 まず第一に若山さんが出した論文なのに若山さんに取材していません。当時、若山さんは理研の研究者で、小保方さんは臨時の無休研究員です。だから、共同著者のうち、若山さんにその事情を聴くべきですし、聞いても若山さんは答える必要もありません。「それは取り下げた論文ですからいろいろなことがありました」と言えばよいのです。 私は近年、これほど醜悪な記事を見たことがなく(大新聞の一面)、またこの記事もSTAPの悲劇を生んだ一つとして検証されるべきであり、このようなメディアの力を使った精神的リンチによる殺人の可能性について、司法は捜査を開始すべきと考えられるほどひどい記事です。言論の自由は無制限ではなく、大新聞が個人をめがけて圧倒的で不当な攻撃を続けるのは犯罪だからです。 その時の私の感想は「論文を取り下げても、ここまでやってくるのか? これは記者の出世のためか、または毎日新聞の販売部数を増やすためか」と思ったのです。たとえば理研の不正、日本の生物学会関係の腐敗を報じるなら、それ自体を取材して報じるのがマスコミというもので、掲載されなかった論文の審査過程を読んで日本の研究の不正を推定するなどはしません。 また、掲載されない論文の査読過程で何が起こっても犯罪でも研究不正でも倫理違反でもありませんし、そんな規則、内規、法律もないのです。記者は新聞という巨大な力を身につけて「裁きの神」になったのでしょう。 毎日新聞はとりあえず、「掲載されなかった論文の査読過程の修正」が「ある人から見て不適切」というだけで、なぜ「全国紙の1面に載せるほどの大事件」と判断したのか、新聞さとして論理的に示さなければならないと思います。 (平成26年8月10日)
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 今回のSTAP細胞実験でSTAP細胞ができなかったことは、以上の今回の事件の首謀者たちからみれば最初から決まっていたことで、まさにヨーロッパ中世の暗黒魔女狩り裁判やガリレオの宗教裁判と同じように、結論が先にあって、残りの理由はあとから適当に捏造っただけのことである。
 前にも紹介したが、マリ・キューリーも同じような目にあっている。

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誹謗の渦中に得た二度目の栄誉
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 新発見というのはこうしたもので、同時代人にはほとんど内容も価値も理解できない。成人は習慣というスキーマですべての認識や行動を管理しているので、それから外れたものは受けることが基本的にはできない。社会に好く適応して成功した人物ほどそうであり、ある時期は革新的でも時間が経過して環境が変化し自分のスキーマが老朽化してくると無用の長物になる。学界も経済界も政界もこうした無用の長物の巣窟である。
 小保方さん、海外に亡命し、応援してくれた笹井先生やバカンティ教授の敵を討ちましょう!!


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