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「すでに起こったことは、明らかに可能なことがらである」
在台日本語教師の東アジア時事論評あるいはカサンドラの眼差し

恐怖の言論統制社会としての日本1:衰退を加速させる日本市民の知的退廃(つづき+マスコミの捏造番組)

2016年03月03日 | 20110311東北関東大震災と政治
(写真:日本の歴史的人口変動:第2回 「日本が乗り越えてきた4つの人口の波」 鬼頭宏(歴史人口学者)から)
恐怖の言論統制社会としての日本1:衰退を加速させる日本市民の知的退廃(続き
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第2回 「日本が乗り越えてきた4つの人口の波」 鬼頭宏(歴史人口学者)
■開国で訪れた第4の巨大な波
「19世紀に入ると、寒冷気候がゆるくなり、人口は再び増え始めます。これが現代に続く、4つめの波の始まりです」
 文政の時代になると、物価が上がってインフレが起こり、国内経済が再び拡大路線を進むようになる。同時に人口も増加に転じていった。生まれたばかりの子供たちも、20年もすれば労働力となり、さらに次の世代の経済発展を支えた。労働者が多いため、賃金は上がらないが、投資には最適。「人口増加、物価上昇、投資増大」という3点セットによる、現代型の経済成長が起こった。
 同時に、人が生活する土地も広がった。コストをかけて海を埋め立てて干拓する、新田開発が活発化したからだ。こうした拡大路線に、さらに弾みをつけたのが1859年の「安政の開国」。つまり、320年もの長期間続いた鎖国に終止符を打ったことだった。
「鎖国のままならこのような人口増加は続かなかったはず。開国による、海外からの技術の輸入、エネルギーの輸入、農業用の肥料の輸入などが可能になったからこその、人口拡大でした。たとえば食料に関していえば、19世紀の終わりには米の生産が頭打ちになり、自給率が落ちてくる。大正期1920年代には米の自給率が85%くらいにまで落ち込みます」
 安政の開国時、3300万人だった人口は、明治の終わりごろには約5000万人に。自給自足がギリギリ回っていた江戸時代の人口と比べると、2000万人近くの食料が必要となった。干拓などによって土地を広げたり、技術改良によって生産を増大させるだけでは追いつかなくなり、日本は海外に、食料やエネルギーを求めるようになっていく。
「たとえば米でいえば、台湾や朝鮮が供給基地となる外米が、日本人にとって重要な食料になった。それとともに、ハワイへ、米国西海岸へ、ブラジルへ、南米へと海外移民送出を広げ、1930年代になるといよいよ満州開拓が始まります。そうやって日本は、つねに人口圧の回避と食料やエネルギーの調達のために、対外政策をしてきたのです」
近代における日本の経済成長が本格化したのは、西南戦争が終わった1880年頃。
「経済成長と合わせるように、人口も年率1%の割合で増加を重ね、1967年には1億人を突破します。ところが70年代に入ると、1960年代の高度成長期には10%と高かった経済成長率が、5%前後に落ち込み、さらに90年代には2%台にまで低下する。人口はまだ減少しないまでも、これに合わせるように、その増加が鈍っていきます」
 経済成長と人口。このふたつが、どのような因果関係を生んだのか。この人口増加が鈍った原因を、あらためて鬼頭氏に聞いてみた。
「かつての人口減少は、一般に死亡率が増えることで、出生率を死亡率が上回った。一方現代では、出生率が猛烈に低下したことが大きな原因になっていることは明らかです。少子化という言葉自体は、1990年に誕生した新しいものですが、出生率が減ることで次世代の人口規模を維持できる水準を下回り、現代の人口鈍化が始まったのは1974年。翌年には、日本人の合計特殊出生率、すなわち1人の女性が生涯に産む子供の数が2を割り込み、のちに言われる『少子化』が始まったと考えていい」
 この少子化の大きな要因を、鬼頭氏は「エネルギー問題」と見ている。きっかけは1973年のオイルショック。たとえばガソリンや灯油の価格が高騰し、町からはトイレットペーパーが消え、エネルギーが枯渇するという未来を、国民の多くが実感した。
「これは高度成長が一段落し、安定成長に移行した時期とも重なって、国民の将来への期待感が急速に失われた時期でもあった。エネルギーは足りない、永遠に続くかに見えた経済成長も鈍る。また公害問題もつぎつぎ浮上して、将来への暗雲が立ちこめ始めるのです。これまでも歴史が繰り返してきたように、将来を悲観する国民の心理が、人口増加に歯止めをかけたと考えることができるかもしれません」
■出生率増加に足りないものは?
 限りある食料やエネルギーの供給量とのバランス、自然災害、将来への絶望……その時代のさまざまな要因と絡み合いながら、日本の人口は縄文時代から現代に続く約1万年の歴史のなかで、増減しながら適切な人口を探ってきた。
「日本は、たしかに海外の諸国と比べて、農業に適した土地が少ないというデメリットがあるかもしれない。でも江戸時代は鎖国したまま、3200万人もの人口を自給自足とリサイクルで養うことができた。しかも現代は、食料自給率が40%を切りつつも、海外からふんだんに食料を輸入できるようになっています」
 そんな時代の人口変動のキーとなるのは、やはり将来へ悲観楽観という心理的な要因だ。
「食料やエネルギーが、どんなにたくさんあっても、産まない人は産まない。物質的な要因より、将来への心理的な悲観楽観が大きく作用しているからです。つまり国民の心持ちひとつで、現在の少子化も食い止められる可能性はあると思っています」
 そう話しながら、鬼頭氏はスクラップしている1974年のある新聞記事を見せてくれた。「人口ゼロ成長をめざせ。子供は2人が限度」。そんな大きな見出しが書かれた記事には、同年の「人口白書」による、「人口増加への警告」を報じている。もちろん誤植ではない。わずか30年ちょっと前には、人口減少ではなく、人口増加に国が警鐘を鳴らしているのだ。
「つまり今問題になっている少子化は、日本で人口増加が起こっていた60~70年代、世界の人口爆発と、食料・資源問題などを解決するため、政府主導で始まったものなんですね。しかもこの1974年の『人口白書』が提唱した『2011年までに人口減少に転じる』という推計は、6年も前倒しで2005年にはほぼ実現してしまった」
 つまり、この皮肉な「実績」を見る限り、日本の人口は、政府主導のコントロールが不可能ではないのだ。
最後に鬼頭氏に聞いてみた。日本人が明るい未来を描き、出生率を増加に転じさせるために、今、足りないものは何ですか?
「長い歴史の中で、日本は食料をどうするか、エネルギーをどうするか、豊かになるために産業をどうするかを探ってきた。そしてときには中国やヨーロッパの技術や社会システムを取り込みながら、それをアレンジして日本ならではの新しいシステムを作ってきたと言えます。ただし、戦後、短期間で急速な発展を遂げた現代は、技術にしても、社会システムにしても多くを海外から取り込んだものの、まだ十分に日本的なものにアレンジされていないものも多い。家族制度の変化などはその最たるものです。この不安定な空気が、少子化の加速を生んでいるとも言える」
 そこで必要になるのが、幸福感だ。それもGDPなどの経済的な価値ではない、「幸福の新しい価値観」を持つことだと鬼頭氏は言う。
「暮らしの豊かさを追求していけばいい。簡単に言えば、人間らしく生きるということですね。どんなに今から人口を増やすムードが広がったとしても、現在の出生率から考えると2050年頃までは、人口が減少していくことは仕方ない。高齢化がますます進み、労働力不足などによる、さまざまな弊害も生まれてくるでしょう。でも、幸福とは何かという発想を転換して、子供を産みたい社会を実現すれば、その後は合理的に社会が回っていく、落ち着いた日本が待っているはずです」
 多くの日本人に未来を悲観させた東日本大震災も、実は価値観の転換のきっかけになりうるというのが、鬼頭氏の考えだ。
「原発事故によって、エネルギーと自分の暮らしとをあらためて考えた人も多いでしょう。また新しいエネルギーの可能性も、国民を挙げて模索しています。これをきっかけに、自然と共存しながら、そこそこ豊かになればそれでいいんじゃないかという、新しい幸福の価値観に気づいた日本人も多いのです」
 2011年。「第5」と言える、日本の人口曲線の山が、ここから始まるかもしれない。
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 おそらく当時の民主党政権に迎合して書かれた記事であるが、歴史上の変動を描いている点で興味深い。この中で、直接、言われていない点がある。それは、人口変動=社会変動=政治変動であるという点である。人口が停滞し、減少する時期は、新しい政治権力の台頭期でもある。縄文時代から弥生時代・古墳時代へ、平安時代から中世へ、中世から近世へ、近世から近代へ、いずれも人口変動期は政治権力の交代期でもある。古代、中世のように交代の時間が長い場合もあれば、近代のように比較的短い場合もあるが、いずれも新しい社会が生まれている。
 ここから考えれば、日本が人口減少期に入ったと言うことは、新しい社会を産み出す必要を日本市民に告げていることになる。これは、「脱近代」というメッセージである。明治期の成功体験を反復し、墨守している限り、人口減少は止めることはできない。すでに、日本社会は新しい入れ物を必要としているのである。

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「やんのかコノヤロー」老人に若者暴言の映像は「ヤラセ」? 水戸市がTBSに訂正求め、BPOに意見書出す騒ぎに
2016/3/ 2 20:41 印刷
TBS BPO 水戸市
バラエティ番組で若者らが高齢者に暴言を吐くシーンを意図的に作られ、イメージが悪くなった――。茨城県水戸市がこう訴えてTBSに抗議したことが、ネット上で論議になっている。
「水戸なら今でも印籠の効果あるんじゃないか説」。水戸市が問題にしたのは、「水曜日のダウンタウン」で2016年2月3日に放送したこんな企画だ。
ヤラセがあったことは否定したが…
ヤラセがあったことは否定したが…
放送後「水戸こわすぎ」との声が相次ぐ
番組では、水戸黄門に扮する高齢者男性がJR水戸駅周辺にいるマナーの悪い人に次々と注意していった。反抗的な態度に出られれば、助さん格さんに扮したスタッフ2人が黄門の印籠を示し、その効果を確かめるという設定だ。
高齢者はまず、歩きスマホの人に注意したが、反論されることはなく、迷惑な場所でタバコを吸っている「ヤンチャそうな人」に狙いを定めた。
3番目に注意した若者の男性4人組は、「何?」などと初めて反抗的な態度を示した。
「やんのかコノヤロー! 警察でも何でも呼ばれコノヤロー!」
タバコをふかしながら怒り出したため、助さん格さん役2人が若者らの前に立ち、「控えおろう」「この紋所が目に入らぬか!」と印籠を差し出した。ところが、若者らは、「バカにしてんのかコノヤロー!」とさらに凄み、2人に詰め寄って突き飛ばすなどした。映像にはなかったが、暴力を振るわれているかのような音も聞こえていた。
高齢者が若者らにお詫びしてその場を収めたが、高齢者は「危ないとこでした」とつぶやいていた。スタジオで笑いが起こると、番組で「ちょっとドキュメントをお見せしてしまいました」と説明があり、ダウンタウンの松本人志さんが「2度と止めてね」と発言して終わった。
放送後には、このシーンがツイッターなどで大きな話題になり、「水戸こわすぎでしょ」「やっぱガラが悪いわ」「ヤンキーDQNすぎて腹立たしい」といった声が相次いだ。
ヤラセがあったとは考えておりません」
これに対し、水戸市は、市のイメージダウンになるとしてTBSに説明を求め、3月1日になって、番組内での謝罪や訂正を求めた。放送倫理上の問題があるとして、放送倫理・番組向上機構(BPO)にも意見書を提出する事態になっている。
市の「みとの魅力発信課」では、J-CASTニュースの取材に対し、TBSから提出してもらった番組の企画書には若者4人組はTBSが手配したエキストラとされてあったとして、「ドキュメントとして放送したのはおかしい」と批判した。TBSは、4人組に駅に来てほしいと言っただけだとして、暴言が演出であることは否定したというが、4人組には、水戸市民でない人もいたという。
市では、取材に対し、「番組は、ヤラセではないかと考えています。梅まつりの直前だったのに、これで観光客が来なくなることは困ります」と話している。
TBSの広報部では、「BPOへの意見書を十分に検討した上で、今後も誠意をもって対応してまいります」と取材にコメントした。若者らが暴言を吐くようにヤラセをしたかについては、「そのようには、考えておりません」と答えた。
ネット上では、番組について、「放送禁止レベルだった」「水戸のイメージが悪くなる」と批判が出ている一方、水戸市の対応についても、「そんなんだからテレビが詰まらなくなる」「騒げば騒ぐほどイメージ下がる」といった冷ややかな声も出て、論議になっている。
過去にも、「水曜日のダウンタウン」の番組では、14年7月30日の放送で兵庫県尼崎市のイメージダウンになるようなシーンがあったとネット上で騒ぎがあった。このときは、尼崎市がTBSに抗議することはなかったが、市の都市魅力創造発信課では、「面白おかしく取り上げられただけで、事実と違うという内容ではありませんでしたので、抗議には値しないと考えました」と言っている。
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 こうした状況から分かるように、小保方氏に対するNHKの「捏造ドキュメンタリー」と同じ様な捏造は現在のマスコミでは常習化していると考えられる。
 背景には、既成メディア広告料の減少がある。
 【グラフ&表】日本の広告費推移(2005~2014年)
 インターネット広告が伸びているのに反比例して、既成メディアの広告費は、年々低下しており、高給をむさぼってきた既成メディア界は、厳しいシュリンク状態に陥っている。視聴率を上げるために番組を捏造するのも、視聴率=広告費という切実な問題があるためで、今や既成メディアは自分達の高給を維持するためだけに、悪戦苦闘しているに過ぎない状態と言える。当然、中国、韓国からの工作資金が入り込む余地は、有りすぎるほどあることになる。
 既成メディアの時代はもうすでに終わっているのである。

 テレビに象徴される「メディアの見せ物化」は、高度の軍事力と残虐さで周辺民族に恐怖の帝国として恐れられながらも、最後は内部崩壊して無残に滅亡したローマ帝国の「剣闘士競技」を思わせるところがある。この話しを聞いて「ローマ帝国の栄光」を思った人は、想像力の欠如を恥じた方がいいだろう。競技塲で戦わされたのは、奴隷として売り買いされていたローマ軍の捕虜や被占領地の民衆たちであり、奴隷として売り買いされていたローマ軍の捕虜や被占領地の民衆たちが無残に死んでいくのを、「栄光のローマ市民」たちは、毎日喜んで自分達の勝利を満喫するスペクタクルショーとして、今のテレビのように見物していたのである。
 剣闘士

 感覚としては、中国でウイグル族処刑の番組を流したり、アメリカに原爆投下されて廃虚になり、惨めに死んでいった日本の市民の様子がアメリカ等で「第二次大戦の栄光」として放送されたりするのと同じ感覚である。劣等民族を高等民族が征服し、支配する、その証拠として、こうした残虐さが反復されているのである。
 こうした「自分達の優越を誇示する」ことで強権国家はかろうじて生存している。現在の日本のメディアも同じ状況にあり、小保方氏を袋叩きにして「正義、正義、事実、事実」と額に青筋を浮かべながら怒鳴り散らしたり、ダウンタウンの品性下劣な「ドキュメンタリー」のように、日本の地方を見下して「東京に住む勝ち組が勝利を満喫する」内容を流しているわけである。

 コロセウムの見せ物(テレビ)に熱狂するのは、自ら虚像に騙されることを望む、人間として最も惨めな姿と言える。
 日本の終末状況は、こうした点に端的に見て取ることができるだろう。

 コロセウムの見せ物で帝国を維持するしかなかったローマ帝国の支配階級は100年も経たずに滅びた。それとパラレルに考えられる「明治以来の近代日本の支配階級」は、実はもう終わっている。次の新しい時代を共同体は望んでいる。


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