蓬莱の島通信ブログ別館

「すでに起こったことは、明らかに可能なことがらである」
在台日本語教師の東アジア時事論評あるいはカサンドラの眼差し

人類に断続平衡進化の時代が間もなく訪れる?!3:20世紀の常識は21世紀の非常識

2016年12月26日 | 20110311東北関東大震災と政治
(写真:「世界のニュース」さんより:アフリカの経済的支配を目指した中国の政策で、大陸には大量のアフリカ系移民が溢れている。バブル崩壊で、こうした政策は社会的混乱の大きな要因になり始めている。)
 気づかないうちにもう年末になってしまった。本ブログが夏に予想したように、アメリカではトランプが当選し、20世紀後半の社会が完全に終わったことを告げている。
 人類に断続平衡進化の時代が間もなく訪れる?!2:イギリスの英断は21世紀の進路を示している

 ひとつの時代が完全に終わり、時代は完全に未知の時代に入っている。そこでは過去の成功体験は何の意味も持たない。むしろ、健康な思考力や適応力を阻害する、害悪、旧弊、守旧の基盤になるだけであろう。その中で現在の日本社会を呪縛している、最悪の社会的神話のひとつについて考えてみよう。


1.進化論における「適者生存」説と「断続平衡進化」説
 日本にダーウィンに代表される「適者生存」説による19世紀西欧の進化論が入ってきたのは、エドワード・モースが東京大学で講義をした頃で、1859年に発行されたダーウィンの『種の起源』の発表の、約15年後の1870年代半ば(明治10年代)である。

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エドワード・モース
二度目の来日
1878年(明治11年)(40歳)、4月下旬、家族をつれて東京大学に戻った。
6月末浅草で、『大森村にて発見せし前世界古器物』を500人余に講演し、考古学の概要、『旧石器時代』『新石器時代』『青銅器時代』『鉄器時代』の区分、大森貝塚が『新石器時代』に属することを述べ、出土した人骨に傷があり現在のアイヌには食人風習がないから「昔の日本には、アイヌとは別の、食人する人種が住んでいた」と推論した[3]。演説会の主催および通訳は、江木高遠であった。(講演の中の『プレ・アイヌ説』は、考古学の主流にならなかった[4]。)
7月中旬から8月末まで、採集に北海道を往復した。この間函館にも『臨海実験所』を開いている(矢田部良吉「北海道旅行日誌」鵜沼わか『モースの見た北海道』1991年)。10月の『東京大学生物学会』(現在の『日本動物学会』)の発足に関わった[2]。日本初の学会である。
この滞日期には、『進化論』(4回)、『動物変進論』(3回)、『動物変遷論』(9回)の連続講義を始め、陸貝、ホヤ、ドロバチ、腕足類、ナメクジ、昆虫、氷河期、動物の生長、蜘蛛、猿、などに関する多くの学術講義や一般向け講演をした。江木高遠が主宰した『江木学校講談会』の常任講師であった。(『動物変遷論』は、1883年、モースの了解のもとに石川千代松が、『動物進化論』の名で訳書を出版した。)
貝塚の土器から興味が広がり、1879年初から、蜷川式胤に日本の陶器について学んだ。5月初めから40日余、九州、近畿地方に採集旅行をし、陶器作りの見学もした。
1879年7月、大森貝塚発掘の詳報、"Shell Mounds of Omori"を、Memoirs of the Science Department, University of Tokio(東京大学理学部英文紀要)の第1巻第1部として出版した。ときの東大綜理加藤弘之に、「学術報告書を刊行し、海外と文献類を交換するよう」勧めたのである。(この中で使われた"cord marked pottery"が、日本語の『縄文式土器』となった。)
1879年8月10日、冑山(現在の熊谷市内)の横穴墓群を調査し、その31日、東京大学を満期退職し、9月3日、離日した。後任には、チャールズ・オーティス・ホイットマンを斡旋した。
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 モースの伝えた『旧石器時代』『新石器時代』『青銅器時代』『鉄器時代』の歴史の時代区分は、今の私たちを未だ拘束している。こうした時代区分自体が、実は生物進化を社会進化に類推で当てはめた社会進化論的発想による幻想で、原始的なものから文明へと人類が進化したという、19世紀の社会進化論による一種の「歴史の捏造」である。事実の面でも使用道具の素材変化=人間の文明の発達ではまったくない。金属器が存在しなくても、16世紀にヨーロッパ人の侵略を受けて疫病で壊滅する以前のアメリカ大陸の文明は、非常に高度に発達していて、現在の私たちにもまったく理解できない様々な農業技術、石材利用技術等が存在していた。特に注目されるのは、ユーラシア大陸やアフリカ大陸ではほとんど発達しなかった食材の多様化が非常に高度に発達していたと考えられる点である。

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トウモロコシ物語 メソアメリカ古代文明圏における食糧技術
世界遺産マチュピチュとインカ帝国! 失われた南北アメリカの古代文明

マヤ文明の実像に迫る
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 砂漠や乾燥地帯での食糧生産や密林地帯での食糧生産など、ユーラシア大陸やアフリカ大陸で発達した文明はいずれも到達できなかった高度の農業技術をアメリカ大陸の古代文明は持っていたと考えられる。文明の進化を、ひとつの基準による序列(ランキング)で捉えるエドワード・モースのような19世紀ヨーロッパの帝国主義思想=社会進化論では、人類文明のさまざまな可能性はまったく捉えることはできない。
 近代日本の成立させた大日本帝国が1945年に人類史に残る悲惨な敗戦で滅亡した背景も、実は、完全に間違った社会進化論的発想を近代化に不可欠な事実、真理と誤解したことから来ているとも言える。その政権を作った支配階級の後継者が1945年以降も支配階級として君臨しているため現代の日本は、明治から1945年までの日本の近代史を、唯一の正解と見なしているが、それはまったくの共同幻想に過ぎない。明治以降の日本の近代化は、文明化の回答のひとつに過ぎず、唯一の成功例ではない。1945年のあまりにも惨めで恥ずべき国家滅亡の悲劇からみれば成功モデルですら実はありない。大日本帝国のような、短期間で発展の頂点から惨めで救いのない滅亡を遂げた国家は、世界史上では決して多くはない。強いてあげれば、やはり近代の悲惨な申子と言える「ナポレオン帝国」や「ヒトラー帝国」「ソビエト連邦」のようなものしかないであろう。いずれも歪んだ思想が生んだ幻想によって作り上げられた神話的国家(ナポレオン帝国はフランス民族の優越、ヒトラー、スターリン、大日本帝国もそうした神話的な民族優越性を国家の根拠にしていた点では共通している)であった。

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15 進化論の衝撃
 自由民権運動のかたわらに進化論を置くのは唐突のように見えるが、それは、明治10年代の日本に紹介された進化論がいかに大きな関心をもって受け止められ、やがて社会進化論に発展して民権運動に対する弾圧の理論的支柱となった経緯が、今では忘れられているからである。
 ダーウィンの進化論(『種の起源』の刊行は、1859年)は、おおまかにいって、1)枝分かれ的進化の主張、2)自然選択説の提示、からなる。このうち1)についてダーウィンは、まだ遺伝ないし突然変異のメカニズムが知られていない時代にあって、変種ないし新種の発生の経緯については不明としながらも、さまざまな事例を検討しながら、同一の祖先からの分岐によって新しい種があらわれると主張。ついで、2)「自然淘汰」によって「適者」が「生存」して進化がおこなわれるのである。
 生物進化については、19世紀前半のフランス人ラマルクの説がすでに知られていた。これは、既存の種が獲得形質を遺伝させることによって進化するというものだが、聖書の記述に基づいて、神があらゆる種を創造し、それ以降種は不変であるとするキリスト教会から反発を受けた。ダーウィンの『種の起源』は、その種が枝分かれ的に分化することを主張するものであったから、それ以上の反発を受けた。しかし、前項で示したように、開化史( History of Civilization )がすでにヨーロッパでは受け入れられており、一般には進歩ないし進化という考え方が好んで迎え入れられた。ダーウィンの進化論は、その一般の傾向に科学的裏づけを与える役割をはたしたといえる。
 しかし、進化論は、動物学者以外の一般人には、むしろ2)の「自然淘汰」説がアピールしたようで、その考え方も「優勝劣敗」「生存競争」という矯激な標語となって広まった。さらに、ダーウィンがいっさい示唆しなかったにもかかわらず、これを人間社会に適用して、食うか食われるかの帝国主義時代の指導理念として利用する傾向が生じた。これを社会的ダーウィニズム、ないし社会進化論という。自然法的な自由権というものは一種のイデオロギーであり、非歴史的に、いわばアプリオリな形で提示されるのを常とする。一方、進化論は種の変化を論じるもので、時間の経過を踏まえた通時的な議論を含んでいる。この通時性が学問的と見なされ、民権論の非歴史性を妄想と見なす傾向が生じた。たとえば後に触れる加藤弘之のように、「弱肉強食の原始の時代に天賦の自由なるものはなかった」「自由権は、文明がある段階に至ってはじめて、強者から弱者に恩恵的に付与される」と論じる傾向である。これはとりわけドイツで著しく、国家が強力になるまで自由権は制限されるべきだ、国家が強大になってようやく人民も自由を享受できるとする国権主義が発展した。この社会進化論は明治10年代中葉以降、日本および東京大学にも入り込み、民権思想圧迫の理論的支柱として利用されることになった。
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 現代の日本社会では「明治のものはすべてすばらしい」式のまったく誤った社会的神話がマスコミ、大学、出版業界、政府などの支配階級によって流布されているが、完全な歴史の妄想と捏造である。ナポレオン帝国、ドイツ帝国、ソビエト連邦、大日本帝国等、いずれも皮相な近代思想=社会進化論的発想に染まった、誤った思想から生まれた国家で、急激な発展と悲惨な最期も共通している。
 近代化した国家にとって社会進化論を乗り越えることがいかに重要か、お分かりいただけるであろう。日本市民の未来は、その一点にかかっている。

 では、どう乗り越えればいいのか?その答えも生物学がすでに輪郭を示している。

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断続平衡説
断続平衡説(だんぞくへいこうせつ、Punctuated equilibrium)は、生物の種は、急激に変化する期間とほとんど変化しない静止(平衡、停滞)期間を持ち、”徐々に”進化するのでなく、“区切りごとに突発的に”進化していき、小集団が突発して変化することで形態的な大規模な変化が起きるとする進化生物学の理論の一つ。区切り平衡説とも呼ばれる。
1972年に古生物学者ナイルズ・エルドリッジとスティーヴン・ジェイ・グールドはこの考えを発展させる記念碑的な論文を発表した。彼らの論文はエルンスト・マイアの地理的種分化理論、マイケル・ラーナーの発生学と遺伝的ホメオスタシス理論、および彼ら自身の古生物学研究の上に築かれた。エルドリッジとグールドは、チャールズ・ダーウィンが主張した種の漸進的な変化は化石記録には実質的に存在せず、化石記録が示す断続と停滞は、ほとんどの種の実際の歴史を表していると主張した。
断続平衡説は通常、系統漸進説と呼ばれる理論に対比して用いられる。漸進説とはグールドらによれば、大きな集団が全体的に一様に、ゆっくりと、均一の速度で安定した状態を保ちながら進化が起きることと定義されている。この見地からは理想的には化石記録はゆっくりとなめらかに変化するように発見されるはずと予測される。この説の問題点として、変化しつつある中間の段階の化石がほとんど見つかってこなかったことを彼らは挙げた。それに対してダーウィンとその後継の進化生物学者は、地質学的記録では地球の歴史を完全には記録できないという説明を用いてきた。つまり化石記録がまだ見つかっていない(ミッシング・リンク)か、単に化石にならなかったというわけである。エルドリッジらの主張では、化石にならなかったのではなく、“何百万年も変化し続ける”中間種というものがそもそも存在しない。種は種分化の初期の段階で急激に変化していき、ある程度の形が整うと、その後何百万年とほとんど変化しない平衡状態になるというのである。
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 論争は続いているが、社会進化論のようにひとつの尺度で優劣を捉える「優勝劣敗」「生存競争」によってその環境で勝ち残った者が進化の姿だという、より劣った段階から発達した段階へという縱に発達していく発想は微視的にすぎ、スケールの大きな単位、範囲で見て行くと、種の分化は横に広がる多様化の中で実現しているという考え方が「断続平衡進化説」である。
 現在の生物種の大半はカンブリア紀に起源があり、そこから平衡的に進化してきた。ダーウインの進化論に従う考え方は、その平衡的に分化した生物種の枝の中のある種のさらに下位グループの変化(魚、馬、猿の分類下位グループ・・・)だけを見て、生物全体の進化に拡大解釈したり、足、手などの部分だけを取り上げて、その変化を捉えたりしているため、全体から切り離された部分の傾向を全体に敷衍するという誤った方法を執っている。全体的な傾向から見ると、以下の論文のように生物種の多様化は時間経過とともに進んでおり、それは決してある種の競争上の勝利などと言うものではなく、優勢種の交代に過ぎない。

 「大量絶滅」を乗り越えてきた生命進化

 また分化した種同士は、進化上は同列にあり、植物に比べて動物が進化している、単細胞生物より多細胞生物が進化しているなどという19世紀の樹形図は完全な誤りで、上下関係でイメージすること自体が生物の世界ではまったく無意味である。一部を除けば、空も飛べない海にも住めない哺乳類がなぜ魚類より進化しているなどと言えるのか、微生物は乾燥しきった砂漠や地殻の深部数十キロまで適応と進化の結果、生活圈を広げていると考えられているが、そうした微生物と較べ、人間の適応できる環境は極めて限定されており、環境破壊が進めば、人間の生活圈は急速に縮小するであろう。人間は果たして進化の勇なのだろうか?
 基本的には、生物はただ分化しているだけである。類人猿の進化はどうか?これも「優勝劣敗」「生存競争」によってその環境で勝ち残った者がヒト属の進化の姿だということではなく、種の中で一定の方向で分化と進化が進んだ結果と見るほうがいいであろう。

 日本社会が近代の神話、限界が来ている近代の成功体験を乗り越えて、次の時代に入るためには、近代をミスリードし、1度は日本国家の惨めで救いのない破滅を惹起した社会進化論的発想を捨てることが、最も大切な一歩になるだろう。


2.品性下劣さそのもの:アメリカ合衆国最後の大統領トランプ
 実は、以下の部分は夏に書いて放置していた部分だが、2017年以降の混沌とした世界を予兆していると思われるので、説明を補っておきたい。今、実態が明らかになりつつあるが、トランプはロシアの傀儡、あるいは、ロシア勢力の代弁者になる可能性が高い。まさに、金と自分の権力のためには国も社会も売ってしまう品性下劣の極み、トランプの本質を示す行動だろう。ヒトラーが一時期は、独裁者としてスターリンを崇拝していたのとよく似ている。白痴に近い知能には、暴力=権力の象徴のように写るらしい。

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ロシアにサイバー攻撃奨励?=トランプ氏、クリントン陣営猛反発
06:13時事通信
 【フィラデルフィア時事】米大統領選の共和党候補、実業家ドナルド・トランプ氏(70)の27日の記者会見で、ロシア政府に民主党候補のヒラリー・クリントン前国務長官(68)に対するサイバー攻撃を促すかのような発言が飛び出した。クリントン氏の陣営は反発を強めている。
 米国では最近、ロシアに融和的なトランプ氏の選挙戦を後押しするため、ロシア政府が民主党全国委員会のシステムに不正侵入し、クリントン氏に不利な情報を流出させたのではないかとの見方が出ている。
 フロリダ州での会見でこの見方について問われたトランプ氏は「ロシアかどうかは誰にも分からない。中国かもしれない」と指摘。ただ、「行方不明になっている(クリントン氏の)3万通のメールをロシアが見つけられることを望んでいる。報道機関から報酬をたくさんもらえるだろう」と語った。
 クリントン氏が長官在任中に送受信したメールの約半数を「公務に関係ない」としてサーバーから消去したことを当てこすった発言だ。
 これに対し、クリントン氏陣営は「主要政党の大統領候補が政敵へのスパイ行為を外国勢力に促すのは初めてだ」と非難。「この問題は政治ではなく安全保障の問題になった」と発言の不適切さを訴えた。米メディアによると、トランプ氏の発言には「言語道断だ」(パネッタ元国防長官)などと批判が広がっている。 
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米民主党のメール流出、ロシアの関与示す証拠=米当局者ら
07月26日 10:06ロイター
米民主党のメール流出、ロシアの関与示す証拠=米当局者ら
 7月25日、米当局者とサイバーセキュリティーの専門家は、米民主党全国委員会のシステムがハッキングされ、機密情報を記した電子メールが流出した問題で、ロシアが米大統領選に影響を与える目的で流出に関与したことを示す証拠があると明らかにした。写真はベルリンで2013年5月撮影(2016年 ロイター/Pawel Kopczynski)
(ロイター)
[ワシントン 25日 ロイター] - 米当局者とサイバーセキュリティーの専門家は25日、米民主党全国委員会(DNC)のシステムがハッキングされ、機密情報を記した電子メールが流出した問題で、ロシアが米大統領選に影響を与える目的で流出に関与したことを示す証拠があると明らかにした。
米連邦捜査局(FBI)はDNCへのサイバー攻撃について捜査していると発表した。サイバー攻撃自体は6月時点で当局やサイバーセキュリティー専門家に知られていたが、民主党がヒラリー・クリントン前国務長官を正式に大統領候補に選出する全国大会の開催直前に党内部の電子メールをリークするというタイミングに米政府当局者は注目している。
米政府の捜査に関わるある当局者は匿名を条件に、サイバー攻撃についてこれまでに集められた情報は「ロシアで計画が練られたことを合理的疑いの余地なく示している」と指摘。
メールをリークしたタイミングは「敵にダメージを与えるための典型的な諜報作戦のあらゆる特徴を表している」とした。一方、ロシアのプーチン政権がサイバー攻撃を指示したと確実に証明することは不可能かもしれない、とも述べた。
DNCから流出した電子メールは、内部告発サイト「ウィキリークス」が22日にリークした。この中にはクリントン氏の対立候補だったバーニー・サンダース上院議員の快進撃を食い止めようと画策するメールも含まれ、本来、中立な立場であるはずのDNCがクリントン氏に肩入れしていた事実が暴露された。
DNCのデビー・ワッサーマンシュルツ委員長は24日、この問題の責任を取る形で辞任を表明した。
米下院情報特別委員会のメンバーである民主党のアダム・シフ議員は、同委員会はDNCへのサイバー攻撃について説明を受けたとし、「外国にいる犯人は大統領選への影響を画策している可能性がある」と発言。今後はロシアあるいは他国との関連について情報を求めていくとした。
クリントン陣営の選挙運動責任者は24日、CNNに対し、専門家の話として、共和党の大統領候補に指名されたドナルド・トランプ氏を支援する目的でロシアのハッカーらによってDNCのメールが公表されたとの見方を示した。
一方、トランプ陣営はクリントン陣営の主張をばかげているとして退けた。
トランプ陣営から、ロシア、中国にハッキングのための機密情報が売り渡されている可能性が高い。トランプの場合は、選挙資金(選挙人買収資金)確保のために金で相手に情報を売っていた可能性がある。
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 2016年秋のアメリカ大統領選挙の結果、こうした売国奴を大統領にするという決定をアメリカ市民が下した場合、事実上、アメリカ市民自身が自らの手で合衆国の終焉を告げる投票をしたことになると7月に書いたが、結果はその通りになった。20世紀をリードしたアメリカの世紀もトランプの登場で完全な終焉を迎えることになるだろうが、それは、愚劣なローマ市民や軍団兵が自らの欲望を満足させてくれるという理由で白痴に近い無能な皇帝を次々に選んで国家の急速な破綻をもたらした「ローマの軍人皇帝時代」を髣髴とさせる。ローマの各地方に皇帝が乱立し、事実上、ローマは内戦状態に陥った。

 軍人皇帝時代

 今後のおそらくは半世紀、アメリカ国内は勿論アメリカ洲全体、そして、アメリカという後ろ楯を失うヨーロッパ、アジア、アフリカ共に大きな混乱の時代を迎えることは避けがたい。
 混乱の時代には、そうした理由があって混乱が生じている。人類史には常に起こる、組み替えの時代である。避けることはできない。大事なことは20世紀の常識を全部、捨てて、現象に即して判断することである。判断の基準は、自己の目的ただそれだけである。今までの常識、マスコミの宣伝等々はまったく意味を持たなくなる。
 その意味では、私達は文字通り、1950年のサンフランシスコ条約体制=秩序から解放されたのである。

3.混沌の方向=慢性的日常的暴力
 ローマ帝国の衰退期からゲルマン民族のローマ帝国領への侵攻を経て、西ヨーロッパは数百年間、暗黒の時代を迎えた。

 ヨーロッパ世界

 この時代、西ヨーロッパでは慢性的戦闘が続き、暴力、殺人、強盜、略奪、強姦が日常化して、都市は衰退し、人口も急激に減少した。同じ現象は混乱期の中華帝国にも見られる。よく知られている三国志の時代も似たような状態だった。漫画で読んだり、ゲームで遊んでいる分にはなんの問題もないが、殺される庶民の側にいるとしたら、どうしようもない世界であったろう。

 三国時代
 南北朝時代

 すでに地球上のあちこちで、それを予感させる状態が発生している。

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戦闘激化の南スーダンで性的暴行120件、PKO要員が見ぬふりか
2016年07月28日 14:02 発信地:国連本部/米国
戦闘激化の南スーダンで性的暴行120件、PKO要員が見ぬふりか ×南スーダンの首都ジュバにある国連施設で警備にあたる平和維持活動(PKO)要員。国連南スーダン派遣団(UNMISS)提供(2016年7月11日提供、資料写真)。(c)AFP/UNMISS/BEATRICE MATEGWA
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【7月28日 AFP】国連(UN)は27日、南スーダンでサルバ・キール(Salva Kiir)大統領を支持する政府軍とリヤク・マシャール(Riek Machar)第1副大統領(当時)の支持勢力との間で激しい戦闘が再発した今月8日以降、少なくとも120件の性的暴行事件が起きたと発表した。国連の平和維持活動(PKO)要員が暴行現場を目撃していながら見逃した疑いがあるとして、調査を開始したという。
「PKO要員が窮地にある市民を救助しなかった疑いがあり、深刻に受け止めている」と、ファルハン・ハク(Farhan Haq)国連事務総長副報道官は述べ、国連南スーダン派遣団(UNMISS)司令部が調査を行っていることを明らかにした。
 報道によると、少なくとも1件の女性暴行事件の現場にPKO要員が居合わせたが、何もしなかったという。AP通信(Associated Press)は目撃者1人の証言として、基地の入り口近くで女性が兵士2人に襲われ、助けを求めて叫んでいるのを中国とネパールのPKO部隊員30人余りが見ていたと伝えた。
 ハク副報道官によると、首都ジュバ(Juba)では国連基地の付近を含む市内各地で、軍服を着た南スーダン兵と私服の男たちが市民に対し性的暴行をはたらいたとみられ、集団暴行も起きたという。被害者には未成年者も含まれているという。
 ジュバでは、7月8日~11日に政府軍とマシャール氏支持派との間で激しい戦闘が続き、少なくとも300人が死亡、数千人が国連の基地に避難した。キール大統領は25日、マシャール氏を副大統領職から解任し、後任にマシャール派のタバン・デン・ガイ(Taban Deng Gai)前鉱物相を任命。マシャール派内部では深刻な分裂が起きている。(c)AFP
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【AFP記者コラム】「レイプキャンプ」の衝撃、南スーダン内戦
2015年11月20日 18:53 発信地:南スーダン
【11月20日 AFP】私は戦争犯罪を探して南スーダンへ行き、それに遭遇した。
 話をした女性の一人、38歳のニャマイさんは、5人の子どもの母親だった。2年近く続く内戦で政府軍による直近の攻撃があった4月、北部ユニティ(Unity)州の村から連れ去られた。他の何百人もの女性たちと同じように、彼女も武装した男たちに拉致され、何日間も歩かされ、常に見張られ、頻繁に縛られた。夜になると10人もの兵士が、彼女をレイプするために列を成した。「せめて1人だけにしてほしい、みんなで来るのはやめて」と懇願した。すると、棒で殴られた。
 戦乱で打ちひしがれた人々を保護する施設で、6日間にわたって行った数十のインタビューにより、誘拐と性的虐待の組織的形態が明らかになった。少女たち、女性たちは数日、数週間、あるいは何か月にもわたって拘束されていたレイプキャンプでのおぞましい体験を証言した。それは私がこれまで世界各地から報じてきた中で、あまりにも衝撃的な出来事の一つだった。
南スーダン・ユニティ州上空から(2014年2月23日撮影)。(c)AFP/HANNAH MCNEISH
■残虐行為の噂
 スーダンで何十年にも及んだ内戦の末に和平協定が結ばれ、6年後の分離独立への道が開かれた2005年以来、私は南スーダンを訪れている。遅々として不安定で段階的ではあったが、2013年12月までは、楽観的な見通しとともに進展はしていた。しかし、その12月、南スーダンで最も力を持つ政治指導者で元軍事司令官である2人が与党内での主導権と、それによってもたらされる国と石油など資源略奪の支配権をめぐり戦闘に突入した。
 両者の武装勢力によって、この誕生したての国が、私が最初に訪れたときよりも悪い状態に陥るのに時間はかからなかった。インフラへの物理的なダメージよりも、残虐性と同胞に対する暴力性をさらに増した内戦による社会的破壊によるダメージのほうが大きい。
南スーダンのサルバ・キール大統領(左)と、リヤク・マシャール前副大統領(撮影日不詳)。(c)AFP/Simon Maina - Ashraf Shazly
 スーダンとの国境沿い、南スーダン北部の広大な沼地と森、油田が広がるユニティ州で今年初め、今回の内戦の中でも最悪の部類に属する事件が起きた。
 残虐行為の報告は、4月から9月にかけて政府軍の攻撃がまだ続いていた頃から、少しずつ漏れ始めた。国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)と国連南スーダン派遣団(UNMISS)は、似た特徴を持つ襲撃について一連の警告を発していた。女性がレイプされ、多くは複数の武装した男たちに襲われて殺され、遺体が木につるされていることもある。それから、子どもたち、特に少年たちが殺されている。家が放火され、時に人が中にいようとも火が放たれる。少年たちは子ども兵として、少女たちは荷物持ちとして勧誘されている。村全体が徹底的に破壊され、わずかな財産や値打ちのある家畜が略奪されている。
 明らかに戦争犯罪だと思われる状況を報道するために、私はユニティ州へ行くことを希望した。それによってこの紛争の本質にある何かを捉えて読者に伝え、南スーダンの内戦に対しもっと注目が集まってほしいと思っていた。
南スーダン・ユニティ州の州都ベンティウ郊外にある国連南スーダン派遣団(UNMISS)の避難民キャンプ上空から(2015年9月16日撮影)。(c)AFP/TRISTAN MCCONNELL
■ベンティウの国連キャンプで
 首都ジュバ(Juba)へ飛び、それから北部の町ベンティウ(Bentiu)へと向かった。この時期、高度7600メートルの上空から見る南スーダンはただただ青く、沼地は雨と川からの水であふれていた。延々と続いていた緑が途切れたとき飛行機は高度を落とし、白い屋根の建物が並ぶ、荒野に切り開かれた町ほどの一画の上を旋回した。
 私が乗った国連(UN)のプロペラ機は、ベンティウ郊外の泥の滑走路に着陸した。もう一方の端では政府軍の兵士たちが、軍が使っている輸送機アントノフ26(Antonov 26)から印のない木箱を降ろしていた。大型の機関銃を搭載したランドクルーザーが3台、近くでアイドリングしていた。そのうちの1台のフロントグリルの上には、ピンク色の造花で作った冠が置かれていた。
 国連平和維持軍の基地までの道のりは短かった。内戦が始まって以来、国連の6つの基地は家を追われた何万人もの人々のための避難所となっている。だが、町にまでなっているのは、このベンティウだけだった。私が到着したとき、そこには11万8000人が暮らし、さらに毎週、1000人単位で到着していた。
南スーダン・ユニティ州の州都ベンティウ郊外にある国連基地の周囲を歩く避難民(2015年9月20日撮影)。(c)AFP/TRISTAN MCCONNELL
 和平協定が結ばれたにもかかわらず、平和は訪れていなかった。住民たちにとって、国連の基地は何にもまして安全な場所だった。ガーナやモンゴルから来た平和維持軍が監視塔で見張り、周囲のパトロールも行っているからだ。新しく到着する難民たちがいると聞いて、私はそのキャンプの南側の入り口付近へ行った。その途中、戦争のせいで学問を中断した経済学専攻の学生に通訳を頼むことができた。
 息が詰まるような暑さの中、いくつもの家族がすし詰め状態になっているテントの一つに近づき、私は自分が記者であり、この内戦による被害について知りたいと説明した。そして誰か話をしてくれる人はいないかと尋ねた。キャンプの住民は大多数が女性と子どもで、私が最初に話かけた女性が取材に応じてくれた。
 それはすさまじい内容だった。
 南スーダン・ユニティ州の州都ベンティウ郊外にある国連キャンプにまきを集めて戻る若い女性(2015年9月20日撮影)。  (c)AFP/TRISTAN MCCONNELL
 政府軍とその同盟部族の民兵たちが彼女の村を襲撃した。7人の男性が殺害されるのを彼女は目撃した。2人は住まいにしている小屋の中で生きたまま焼かれ、5人は銃殺された。義理の兄弟も1人殺された。
 隠れていたやぶの中から、女性たちが襲われるのも見た。「幼い子どもがいて逃げることができなかった女性たちが、次々と違う男たちにレイプされた。結婚している女性たちをレイプし、少女たちを連れ去った」と彼女は言った。
「何人、連れ去られたのですか?」と、私は聞いた。「私が知っているのは4人。1人は18歳、2人は15歳、もう1人は12歳だった」と返ってきた。女性は、誘拐された少女の1人の姉妹が近くに住んでいるので案内してくれると言った。
 南スーダン・ユニティ州の州都ベンティウ郊外にある国連キャンプの外を所持品を持って歩く若い女性たち(2015年9月20日撮影)。(c)AFP/TRISTAN MCCONNELL
 次のテントで、1組の姉妹に会った。姉と妹の間の女きょうだい6人がいなくなっていた。武装した男たちが皆を連れていくのを、2人は沼地から見ていたという。
 別のテントには拉致され、集団レイプされた28歳と15歳の姉妹がいた。12歳の娘と一緒にレイプされた母親もいた。乳児を含む5人の子どもと引き離されて2か月間、監禁されていた女性もいた。
 どこまでも続いた。テントを訪れるたびに、個々が体験した恐怖が語られた。ただし、その類似性からは、体系的に、組織的に、計画的に行われていることがうかがえた。
 南スーダン・ユニティ州パリアン郡で避難する女性と子どもの一行(2011年6月23日撮影)。(c)AFP/PHIL MOORE
 ベンティウでの6日間、私は何十人もの女性や少女たちにインタビューを行った。拉致されて逃れてきた女性たち、あるいは自分の子供や姉妹、母親が経験したことを知る女性たちだった。徐々に、この犯罪の姿が見えてきた。
 多くの女性たちが、野営地について語った。女性たちはそこで日中は縛りつけられ、武装した男たちに見張られ、夜は列をなす男たちに集団レイプされた。「レイプキャンプ」というしかない場所だと思った。
南スーダン東エクアトリア州のパゲリで撮影されたスーダン人民解放軍(SPLA)の戦闘員(2011年6月23日撮影)。(c)AFP/SAMIR BOL
 このニュースが出た今、何か起きるだろうか。南スーダンで勃発した戦闘中に繰り返される残虐行為の単なる脚注として終わり、無視されて忘れ去られるかもしれない。
 しかし私は、そうならないことを願う。
 現在の和平協定の一部として、南スーダン内外の混成の判事団による戦争犯罪法廷の設置が予定されている。旧ユーゴスラビアやルワンダの国際戦犯法廷、あるいはシエラオネ特別法廷にならったもので、これらの法廷では政治指導者や軍幹部たちが裁かれ、有罪判決を受け、投獄された。
 和平プロセスによって、忘却を強いられることなく平和が維持されるならば、南スーダンで犯された罪に正義が下されなければならない。そのとき、ユニティ州のレイプキャンプは起訴状の上位に記されるべきだ。(c)AFP/Tristan McConnell
この記事はAFPナイロビ支局(ケニア)のトリスタン・マコーネル記者が執筆し、10月6日に配信されたコラムを日本語に翻訳したものです。
スーダンの首都ハルツームでAFPの取材に応じる性的暴行の被害者である南スーダン人、エバリナさん(2015年3月9日撮影)。(c)AFP/ASHRAF SHAZLY
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 人類史上では、20世紀の社会が犯罪と見なした「戦争による残虐行為(非戦闘員市民の虐殺、女性への慢性的レイプ)」は、繰り返し起こってきた常態で、20世紀にそれを犯罪として防止しようとしたのは、人類史上では希有な出来事だった。しかし、現在ではそれができなくなりつつある。それを防ぐ役割をしていた国連軍自体が、自国の利益のために、「戦争による残虐行為(非戦闘員市民の虐殺、女性への慢性的レイプ)」を公認し、自らも実施している。

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南スーダン PKO中国軍ら交戦に住民無視し逃げ出す レイプ助けに応ぜず
南スーダンの首都ジュバに駐屯して国連平和維持活動(PKO)に従事している部隊が、政府軍と反政府軍の間で交戦が繰り広げられていた今年7月、民間人から数十回にわたって保護要請を受けたにもかかわらずこれを無視したという主張が持ち上がっている。中国軍のPKO部隊に至っては、武器や弾薬も残したまま逃亡したと伝えられている。
米国ワシントンDCに本部を置くNGO(非政府組織)の「紛争地域民間人センター」(CIVIC)は10月5日(現地時間)、この事件に関する報告書を発表して「国連は民間人保護任務を果たさなかった当該PKO部隊に対して責任を問い、透明性を高めるべき」と主張したという。AFP通信などが報じた。
南スーダンには61ヶ国から派遣されたPKO部隊合わせて1万2500人がおり、このうち2500人が首都ジュバにある2つの基地に駐屯している。
報告書によると今年7月、首都ジュバでは4日間にわたり政府軍と反政府軍の間で交戦が繰り広げられ、PKO部隊の基地にも攻撃があった。
この過程で、民間人を含む300人以上が死亡し、この中には中国軍2人と南スーダンの記者1人も含まれていた。
また、南スーダン政府軍と反政府軍は、現地にやって来た救護活動家を含む民間人の女性数百人に性的暴行を加えた。
PKO部隊は当時、基地の内外で民間人が死亡し、性的暴行に遭っているにもかかわらず、出動しなかった。基地に対する攻撃があった時にのみ撃ち返す程度だった。
少なくとも5人の外国人救護活動家が基地の近くのホテルに連れ込まれ、集団で性的暴行に遭った時も、数十回にわたって救助要請を受けたにもかかわらずこれを無視した。
さらに中国から派遣されたPKO部隊の場合、反政府軍から強い攻撃を受け、武器や弾薬も残したまま持ち場を捨てて逃走した。
以上、
国営新華社通信は、現地時間の7月10日午後6時40分ごろ、キール大統領派とマシャール副大統領派の戦闘が発生した首都ジュバで、難民キャンプの警戒任務にあたっていた中国派遣部隊の装甲車1台に砲弾が命中。隊員2人が死亡したと発表した。このほか2人が重傷、3人が軽傷という。中国は国連南スーダン派遣団(UNMISS)に文民警察官を含む要員約3000人を派遣していると報道していた。
一帯の長年の紛争での大量の武器や中国が原油購入の見返りに南北スーダン政府に対して輸出している武器や弾薬が豊富に存在する地、生半可なことでは部隊派遣はやれない。
今回の中国軍の逃亡事件、たまたま巻き込まれ攻撃を受け、過去戦闘に携わったことのない中国軍であり、パニック状態になったと見られる。軍隊はその部隊の統率力がすべてでもある。
世界各国に軍隊を派遣させた国連の紛争地での統率力が必要だが、PKO部隊のレイプ事件を隠蔽するなど事なかれ主義の潘基文では、所詮、無理、最悪だ。こうした国連主導での中国軍の逃亡も解釈すべきだ。
<南スーダンの骨肉の争いの2つのポイント>
南スーダン問題は権力の主導権争いにあるが、骨肉の戦いとなっているのには2つの原因がある。
1点目は、対立する大統領と元副大統領は共に南スーダンをスーダンから独立させたスーダン人民解放軍/運動 (南スーダン自治政府初代大統領、SPLA/M創設者:ジョン・ガラン・・・2005年7月30日へリコプターが墜落し死亡)の同志であった。統率者ガランを失った中で、キールが跡目となったが、指導者を失った影響は大きく、分裂すれば、どうなるかは自明の理。大統領が副大統領を解任してコトが始まった。
2点目は、双方の出身部族が異なることだ。サルバ・キール・マヤルディ大統領は南スーダン最大の部族であるディンカ族(約100万人)、元副大統領のリエック・マシャール・テニィはヌエル族(約30万人)出身。
(南スーダンの人口は約1000万人で土着系部族が多数存在し、アラブ系は少数派だが存在している)
2011年1月、キールは初代大統領に就任した。元々スーダンの南スーダン自治政府の第2台大統領で、独立に際して初代大統領となった。
2013年7月、キール大統領がマシャール副大統領を解任した。同年12月、マシャール元副大統領派は、クーデター事件を勃発させ、クーデターは失敗に終わったものの、政府軍は完全掌握に至らず、国連仲介で停戦に双方合意した。しかし、その後も散発的に戦闘状態が続き、これまでに5万人以上が死亡し、避難民は230万人に達するとされる。現在では、世界一の最悪国家となっている。
部族問題は、1990年代に起きたルワンダ大虐殺、フツ族が少数派のツチ族を約70~100万人大虐殺した事件のとおりだ。そのルワンダは南スーダンの南にある。
2003年には、スーダンにおけるダルフール民族浄化大虐殺事件もあった。アラブ系が土着民族を殲滅させた事件である。背景には地下鉱物資源がある。
<舞台裏に利権・利権・利権>
<スーダン・ダルフール・南スーダン問題は中国の独り舞台>
スーダンはアラブ系が支配する国家だったが、以前からの土着民族との紛争が絶えず、西部と南部で問題を抱えていた。西部ではダルフールでの大虐殺問題を抱え、南部では2005年7月9日、南スーダンの武装組織SPLAを取り込み、連立政権を樹立し、南スーダンに対して自治権を認め、紛争を終結させていた。そして2011年7月南スーダンは独立した。
<スーダンと南スーダンとの紛争は油田利権にあった>
現在スーダンおよび南スーダンの原油のほとんどを購入しているのは中国、油田開発も中国国営企業が行っている。
その油田地帯の多くは、スーダン南部や南スーダン北部にある。
以前のスーダン時代から原油売却の一部が中国からの武器購入に充てられ、アラブ系の政府からアラブ系部族に大量に中国製武器が供与され、ダルフールでは土着民族がその武器により大量虐殺され、60万人以上が殺され、大量の難民が生じた。
中国政府は、形式的には国際舞台で活躍しているというフリをするため、各地にPKO部隊を展開、南スーダンにも大量に派遣している。
しかし、南スーダンでは政権がどちらに転んでも利権を確保すべく、今回は、難民キャンプが攻撃され、中国PKO部隊にたまたま砲弾があたり、武装放棄して逃げたもので、なんら不思議ではない。
こうした利権が渦巻くスーダン・南スーダンに対して日本は、ノコノコ何の利権、何の利益を求めて日本軍を派遣するのだろうか。
スーダンのオマル・ハサン・アフマド・アル=バシル大統領は、1989年にクーデターによって軍事政権を誕生させた。ダルフール民族浄化大虐殺事件では、国際刑事裁判所から逮捕状が出ているが、中国の反日軍事パレードでは、国連創設来最悪と欧米の主要マスコミのほとんどから酷評されている潘基文国連事務総長と仲良く出席している。
スーダンのバシル政権は、油田地帯がある南部でSPLA/Nの活動に苦慮しており、南スーダン政権(SPLA/M)の油田地帯も含め、力で捻じ伏せようとしている。
中国は、スーダン、南スーダンに関係なく油田利権を確立しており、南スーダンの政権争いの紛争をコントロールできない中国は、国際連合のPKO部隊を利用して、沈静化させたいだけ。
<住民保護無視し逃げる中国軍をカケツケ警護へ>
日本軍、「YOU 何しに南スーダンへ」行くのだろうか。
日本軍は、住民や難民の保護要請を無視し続け挙句、武装放棄して逃げる中国軍をカケツケ警護して、逃げるのを手助けするつもりだろうか。そんなことしていたら日本軍はいくら命があっても足りないだろう。
スーダン・南スーダンで石油利権・地下資源・武器輸出という利権を貪る中国政府が派遣した中国軍も名目上はPKO部隊だ。逃げる中国軍をカケツケ警護しなくっちゃ。
中国軍の武器以外の戦闘能力は、ベトナム正規軍から過去、叩きのめされ、逃げ帰ったように高くなく、武器が限定されたPKO部隊ではさらに逃げるが勝ち状態だったと思われる。
また、中国軍が、大統領派、元副大統領派のどちらを反撃したとしても、どちらの派からでも批判され対象になり、その後の南スーダンの利権に支障をきたす可能性がある。
こうしたことから、中国政府から、中国軍の駐屯地が両派の交戦状態下に陥った場合、住民や難民など無視して逃げ去ることを最優先する指示が出されている可能性すらある。今回は逃げる最中に被弾した可能性が高い。
南スーダンやダルフールの大虐殺の影には、常に中国だけの利権が絡み、中国の兵器が使用されている。
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 日本の白痴マスコミの言説のような時代遅れの人道主義では、もうどうにもならない時代がもう来ている。自衞隊もすでに失われた20世紀の理想主義に振り回されると、場合によっては、中国軍と現地勢力の包囲攻撃で虐殺、全滅させられ、中国から「日本軍が勝手な行動した」などという捏造した宣伝の素材にされかねない。混沌の時代には、すでに古い理想を持つこと自体が判断を狂わせる。

 大変な時代が来たとも言えるが、新しい時代の幕開けとも言える。
 中国の南北朝時代(日本は、弥生時代、古墳時代)は、慢性的な戦闘はあったが、地方の開発が進み、南方は豊かな土地に変身して、高度の文化が栄えた。

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南北朝
この時期、華南には宋、斉、梁、陳の4つの王朝が興亡した。こちらを南朝と呼ぶ。同じく建康(建業)に都をおいた三国時代の呉、東晋と南朝の4つの王朝をあわせて六朝(りくちょう)と呼び、この時代を六朝時代とも呼ぶ。この時期、江南(長江以南)の開発が一挙に進み、後の隋や唐の時代、江南は中国全体の経済基盤となった。南朝では政治的な混乱とは対照的に文学や仏教が隆盛をきわめ、六朝文化と呼ばれる貴族文化が栄えて、陶淵明や王羲之などが活躍した。
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 西欧がローマ帝国滅亡後の暗黒時代に閉ざされていた頃、地中海の対岸・中近東ではその後、モンゴル人による侵略と民族浄化戦で今ではほぼ完全に失われた高度のイスラム教文化が発展し、ヨーロッパとは異なる文明が発達していた。
 アッバース朝

 道は常に未知の世界に通じている。2017年はその姿が明らかになるであろう。


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3 コメント

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貴稿拝見 (孫景文)
2017-04-25 15:05:16
2006年の「教育改革は可能か」を拝見。
最近、台南の教育部局長との懇談があり、数年前から数値評価の偏重を是正し、教科の数値評価は30%となり、他は義行・義志といわれる他への奉仕活動を単位とする教育施策に転換した、との説明があった。

日本版の「官製ゆとり」ではなく、あるいは政府が手が届かないためなのか、あるいは台湾民主主義や現状への問題意識(将来への憂慮)なのか、当局者は果断に転換を図った。

まさに経済や軍事力の数値判別ではなく、真の国力である深層の情緒性の毀損を憂慮したかのような変化への受容だ。

「人情は国法より重し」にある緩やかな連帯と調和、そして「外の賊を破るは易し。内の賊を破るは難し」にあるように、名利欲望の連鎖と拡大に憂いた、これまた稀な「人物」によっておこなわれたものだろう。

栄枯盛衰に諦観を持つ人々の将来推考と試行に加えて貴稿の意を添えれば、内なる賊の退治は容易だと思う次第。

http://blog.goo.ne.jp/greendoor-t
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ご訪問ありがとうございます (蓬莱の島通信ブログ)
2019-01-15 10:14:35
ご訪問ありがとうございます。2017年から、方向性が見出せず、ブログを書いていませんでした。お返事が遅れ、失礼いたしました。台湾の教育改革のお話、ありがとうございます。私は台湾の大学で教えているので、少子化対策と就職問題が大きな課題なのですが、小中で教育方針の転換が行われたとすれば、民進党の方針が当を得たことになります。2018年末の選挙で、経済面での不満で、民進党政権は敗北しましたが、その原因は政府が国民に方針を説明しないことです。国民にこうした価値観を語ることで、台湾の進路が開けることを多くの台湾市民は理解できると思います。2019年は大統領選挙戦の年で、台湾の命運が掛かっています。台湾が困難な局面を切り抜けられるように願っています。
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ここで書いたトランプ大統領への評価は間違っていました (蓬莱の島通信ブログ)
2019-01-15 10:20:07
2016年のアメリカ大統領選挙前に書いたもので、トランプ大統領が何をしたいのか分からず、ここで書いている評価は完全にメディアの情報によるもので間違っています。トランプ大統領は、グローバル化の制限を政策にしているという極めてはっきりした、行き過ぎたグローバリズムへの批判があり、それは現在の世界情勢から見れば極めて正しい選択です。異質な社会が接近しすぎると葛藤の方が増大し、最悪の場合には全体が破壊されてしまう危険性があります。グローバリズムを再調整する、それが今後の最大の課題です。社会が崩壊すれば金銭、資産など何の意味もありません。
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