「瓢中観」は、解釈が難しいので、「恵子のふくべ」を先に考えてみる。
この図は、芭蕉の句を賛にした「閑眠」の図に似ている。大きな瓢箪の天辺に、ある人物が乗って、悠然と町の風景を眺めているという趣である。
その瓢箪には恵子のふくべと賛が書かれているから、この図は、「荘子」の逍遥遊篇が典拠になっているように思われよう。
だが、「荘子」のどの場面を、(芋銭らしく)解釈して描いたものだろうか。おそらく、そういう場面は見当たらない。
確かに「荘子」には、恵子の役に立たない大き過ぎるふくべの話は出てくる。
恵子は、荘子の思想を、役に立たないふくべに喩えて暗に批判する。すると、荘子は、なぜそれを大樽にし、川に浮かべて遊ばないのかと恵子に応える。そういう話だ。
芋銭のこの図の瓢箪に乗っている人物が恵子とするなら、恵子は、荘子の言葉を受け容れたことになってしまう。恵子が既に「無用の用」を実践したことになってしまうだろう。
これでは、あまり釈然としない。
私は、この図の意味内容は、芋銭が芭蕉の句意を表現したものである、とここに問題を提起してみたい。
「もの一つ瓢はかろきわが世かな」
これである。
ここで芭蕉が瓢と言っているのは、それを米びつとしたものであり、「四山の瓢」と命名したものだ。
では、なぜこれが、「恵子のふくべ」に繋がるのかというと、それは、この芭蕉の瓢箪が、「四山の瓢」と命名されたその経過を辿ることによって解る。
それを探っていくと、芭蕉が、山口素堂から得た詩とともに、まさに「恵子のふくべ」の話に行き着くのだ。
すなわち、大きな瓢を手に入れた芭蕉は、「荘子」の中の恵子のふくべの話をよく知っていたので、それを役に立たない物とするのでなく、むしろ反対に、その使い道を自分の命を守るに必要不可欠な、実に貴重な米びつとした。
しかも、それに名前まで付けることにし、素堂から意味深い四つの山の名前が入った五言絶句がプレゼントされた。
一瓢重泰山 自笑稱箕山 莫習首陽山 這中飯顆山
この詩には註記が必要だが、芭蕉への温かい思いやりと二人が共通理解できる漢文学の素養が詰まっていた。
今それをここで詳述してもよいが、ここでは、そこから芭蕉の米びつとなった瓢箪が「四山」と命名されたこと、そして、この詩に「瓢」と「這中飯顆山」の字句があることを確認しておけばよいだろう。
ここで芋銭のこの図に戻ると、この図の下に「這天浮物」とあり、これは、芭蕉に贈られた素堂の詩「這中飯顆山」を想起させることが解る。
芋銭が、芭蕉の「四山の瓢」の意味内容をよくを知っていた証拠である。
さらに、ここで芋銭には「閑眠」という、芭蕉をやはり瓢箪の天辺に置いた図があることを、もう一度、思い出してもよい。
すなわち、ここでも瓢箪の天辺に乗っているのは、もはやほろ酔いからは醒めているが、やはり芭蕉その人であると確認できよう。
芋銭の描いた「恵子のふくべ」、ここには、米びつ一つだけが芭蕉翁の世界だとの表現がある。いわば瓢箪の天辺にいる芭蕉のミニマリズムの世界である。
「もの一つ瓢はかろきわが世かな」の句意、それを芋銭が描いた。それは、「這天浮物」と芋銭が言っている世界でもあり、もちろん「荘子」にも通じる世界だ。
以上によって、芋銭の「恵子のふくべ」とは、芭蕉の「四山の瓢」のことであり、それは、そこに描かれた大きな雲と同様に、悠々とした天の浮き物なのである。
ただし、この作品、そんなことはすべて忘れ去って、もっと気軽に見てよいものだろう。これは、「芋銭戯筆」とあるように、決して大真面目な図ではない。
この「漫画」の中にある今の自分に通じたものをある程度知的に楽しみ、筋が通るなら、自由に解釈していけばよい。私も、そのようにして、自分が納得できるよう「解釈」したのである。