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美術の学芸ノート

中村彝などを中心に近代日本美術、印象派などの西洋美術についての小論。その他、独言など。

ブロックチェーンによる作品の真贋証明は可能か

2021-05-24 20:13:00 | 制限記事

最近の版画贋作問題に関連してブロックチェーンによる贋作防止の試みが進んでいるようだ。


それ自体は大いに結構だ。贋作の防止に少なからず寄与するものがあると思う。
 
ただ、ブロックチェーンによって作品の真正さが証明されるというわけではなさそうだ。
ブロックチェーンの技術を使うことによって証明されるのは、以前から美術史家が言うところのプロヴナンス、すなわち作品の来歴、それもある時点からの来歴に限られるものだろう。
 
そうであれば、ブロックチェーンに登録がある作品だから即、本物であるということの証明にはならない。
 
あるディーラーはブロックチェーンによって作品の「唯一性」を証明するとの微妙な表現を使っている。
つまり、真正さを証明するとまでは言っていない。
 
「唯一性」、これはなかなか紛らわしい表現でもある。
「唯一性の証明」とは、推測するところ、その作品として当該ディーラーが扱った唯一の作品に決して間違いはないということの証明ではなかろうか。
 
ただ、その作品がブロックチェーンに登録されることによって、ディーラーには明らかに逃げようのない大きな責任が課せられるから作品の買い手の方はとしてはかなり安心ではある。
 
万一その作品に問題が生じれば、少なくともそのディーラーまでは簡単に作品の来歴がさかのぼれ、何らかの責任を問うことができるからである。
 
もし、ブロックチェーンの技術が、作品の制作者本人にまでさかのぼれる内容のものなら、作品の真正さも証明されることになるかもしれない。
 
例えば、制作者本人が生きているうちに生み出された現代の作品ならば、ブロックチェーンに登録しておけば、間違いなく本物であることを証明できることになる。
 
その意味で、たしかにブロックチェーンのような技術が使われていれば、今回のような贋作版画が世の中に出回ることは少なくなる効果はあるだろう。
 
一方、何らかの事情があって、ブロックチェーンに登録されない古い本物作品も世の中には、今後ともあるだろう。
 
そうした場合、ブロックチェーンに登録がないから逆に偽物と疑われないかも十分考慮しておく必要がある。
 
本物が、残念ながら偽物と疑われて、世の中から消えてしまうこともまたありうるからである。
 
 
 
 
 
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版画の贋作

2021-02-11 12:31:04 | 制限記事

版画作品の贋作問題が数日前からマスコミを騒がせている。
美術作品の贋作はたいてい忘れた頃にやってくるものだ。ほとぼりが冷めた頃に。

贋金作りよりも版画贋作者に罪の意識が乏しいせいか、今回も版画工房の制作者は画商に頼まれただけでその後どのように使われたか自分の知ったことではないとしてTV取材も受けていた。

自分はたぶん犯罪者ではなく、ただ金が欲しかっただけで、職人として言われるとおり作り、その報酬を受け取っただけということらしい。

2月8日の読売新聞ではサインを入れたのは、画商側のように書いてあったが、ここは重要だ。

偽の署名や偽のスタンプ印を入れた時点で贋作が成立することがあるからだ。

画商は、自ら偽の署名を入れたのか、それとも別に偽の署名や偽のスタンプ印を入れる専門の人物を雇って罪を分散、あるいは曖昧にしようとしたのかどうか、ここは様々な判断をしていくうえで重要なポイントになる。

今回贋作されたのは日本画画壇の巨匠と言われる東山魁夷、平山郁夫、片岡球子、そして洋画壇の人気作家で若くして亡くなった有元利夫らの版画作品で、美術のTV番組などで頻繁に取り上げられた作家たちだ。

これらの作家は、本来筆で絵を描く人たちであって、版画制作についてどれほど詳しいのか私はあまり知らないが、自分が描いた絵の版画を監修してサインするといっても、作家によってそれぞれその厳密さは違うだろう。あまりうるさいことを言わない「巨匠」だっているはずだ。
 
おそらく自らが版を制作するなどというのは一般に現代日本画の「巨匠」たちにあっては稀なことだと思うが、多くの人たちは、デパートなどの画廊で「リトグラフのオリジナル」、あるいは「オリジナルのリトグラフ」などという言葉が飛び交うのを聞くと、「オリジナル」という言葉に眩惑されて、作家本人が自ら版(石版や亜鉛版、今日ではアルミ版)を起こして、刷り上げるまでやるのだと解釈するかもしれない。
 
だがこれは違うのだ。例えば「リトグラフのオリジナル」を「リトグラフによるオリジナル作品」の意味に解するなら、画家は版のもとになる絵を提供し、他人がリトグラフ技法で制作した版画の色味などを監修し、そこに署名や限定枚数を書き込めば、それで売る側はオリジナル版画作品と称してよいのである。
 
上記、日本画の巨匠たちの版画や複製物はかなり以前から出回っており、私も頻繁にあちこちで見かけたことがある。明らかに網点のある写真による複製物であることも多いが、リトグラフのオリジナル版画と称している高価な作品も各所で売られていた。

「版画を作って売れば先生の絵が高くて買えない人々を喜ばすことができる」などと人気のあるこうした画家たちや、その著作権を有する人たちに言って許可を取り、オリジナルの絵のリトグラフによる「複製版画」や、版画用の絵を画家たちに描かせて工房の職人が版画を制作し、それを画家本人や著作権を持っている人が監修して画商が販売する。これらはいずれも「贋作」ではない。だが、オリジナルの絵のリトグラフによる「複製版画」は、「オリジナル版画」とはふつう呼ばないだろう。
 
版画には、芸術家(画家または版画専門の版画家)が絵を描き、自ら版を制作して刷り上げる自画、自刻、自摺による完全なオリジナル版画もあるが、浮世絵のように画家が絵を提供するだけのオリジナル版画も歴史的に認められているから、画家が「版画用の絵」を提供する限り、それは「オリジナル版画」でいいのだが、手で描いた絵の単なる複製であるリトグラフ技法による版画というのは、果たして版画作品としてはいかがなものだろうか。
 
今回の贋作報道では、日本画の巨匠たちの本物の版画も近年、値崩れしているとのことであるが、私は驚かない。
 
一方、これまで正規のルートで制作していた優秀な版画工房職人が、金に困って今回のような画家本人や著作権者の監修が及ばないところで「贋作」版画を制作したとするなら、サインの有無の他、作品内容におけるその差異はそもそもどこにあったのかと問えなくもない。
 
 
 
 


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メモ帳No.8より

2016-09-12 13:36:20 | 制限記事

・莒飡子
 莒飧(きょそん)
 芋銭泖子
 迂泉、芋泉
 雲川
 
・印文例
 う銭(〇に□の絵文字)押印した場合の向きに注意
 雲魚(雲は云、魚は象形文字)
 頂眼
 牝牡驪黄(ひんぼりこう)外 (3文字、偏と旁が反対になっている)
 十日五日一水石は十日一水五日一石から
 心如水
 磊磊落落

・芋銭の『開七画冊』の<開七>とは白楽天の詩に由来する。七帙を開くとは六十を超えたるを言う。七十を超えたるを八帙を開くという。斎藤宛て七月二十一日書簡→p226

・惺々
 主人翁
 坐中堂
 
 斎藤本192頁の<聖中堂>の読みは誤り。

・芋銭の<蟹>に込められているかもしれない図像的意味:横行君子。権力に抗する、我が道を行く象徴。君子文人が好む。

・月は出ず
 月は出づ

 いでず と いづ

・<秋収> 春耕に対しての秋収。<秋旻>と読んでいる人もいる。

・「小川芋銭全作品集挿絵編」198頁 作品番号767 <歳月短□中>となっているところは<歳月短檠中>と読める。

 
  
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美術史家・青木茂の 「よろず手控帖(五)<にせものほんもの>考」(2)

2016-09-09 14:11:37 | 制限記事

以下は青木茂氏の標記の論考後半部からのメモです。
あまり耳慣れない言葉もメモしておきました。
論考中取り上げてある本もメモしておきました。
決して青木氏の眼から見てよい本や図録ばかりではありません。

この論考は、氏が怪しいとみている展覧会名や作家名が実に具体的に、生々しく書いてあるので現役学芸員にとって参考にもなるし、今後の仕事をする上での警告にもなると思います。

また美術界の大御所について、その仲間誉めと鑑識眼のなさや人間性まで強烈に批判しており、度肝を抜かれます。

・せどり

・口銭(こうせん)

・出久根達郎『店主敬白』(『古書彷徨』収録)

・内容がにせものや模倣作の新本は無数にある。(確かにそうだ。本の模倣作やアイディアの盗作は、時間をかけて共に読んでみないとわからないので、一目で比較できる美術作品より発覚が遅れるが、当ブログ執筆者もあると思っています。どこかで聞いたような推理小説の筋書き、学術論文における先行研究のアイディア盗用などです。)

・浅井忠の模写が本物として扱われている例がある。

・彼の模倣作にもにせものがある。

・にせものとして描いたのではないが、(誰かが)後からサインを入れ、本物とされている作品もある。

・最近(1997年時点)の展覧会では、崋山、松岡寿、浅井忠、ジョサイア・コンドルの作品に同意できないものがある。

・北斎の油絵はダメ、小布施の北斎は全面的な検証が必要。

・<佐野乾山>の関連資料はなぜ今になってたくさん発見されるのか?

・京都国立近美での久我五千男所蔵「キリシタン美術の再発見」展、出品作のほとんどがにせものに見えた。
観山旧蔵以外の洋風画はキリシタン美術に見えなかった。

・住友慎一編『佐野乾山の実像』昭和63は、問題作をほんものとする側。

・「近代日本洋画のあけぼの展」、ほとんど総てよろしくない。所蔵者は住友慎一氏。

・落合莞爾『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』1997

・吉薗佐伯は公開した方がよかった。そうすれば付属資料の本物にせもの論議も消えただろう。

・吉薗佐伯に関する市の報告書(平成8年6月)は、作品も資料も否定している。

・(吉薗佐伯を支持する)落合氏の1997年の本、今までの見方に変更を迫るような事実や見解は展開されていない。

・『紫朱 速水御舟の偽作画集』、貴重な図書 偽作91図掲載

・久我氏著作に関連する河北倫明氏によるある序文への青木氏の不信と憤慨。


当ブログ執筆者は、青木氏のこの論考を読んで、住友慎一氏による『実力画家たちの忘れられていた日本洋画』2003 という、私がいた美術館の書庫にあった本の作品図版を見て、なんだこりゃと思ったことを思い出した。

また、この論考に出て来る落合氏の本を私は読んだことがある。様々な実在の人物が出てきて驚くべき内容だが、その内容の検証のためには、相当緻密にノートをとって読まないと混乱するだろう。

吉薗佐伯問題はかつてNHKの「クローズアップ現代」という番組でとり上げられたことがある。当時、全国の館長クラスの何人かは、作品受け入れ側の審査委員として吉薗佐伯を当初は支持していたはずだ。それは、青木氏の上の論考に出て来る河北氏や、論考にはその名前が出てこないが茨城県近代美術館長の匠秀夫氏などが、吉薗資料を支持していたことの影響があったものと思う。

おそらく、吉薗佐伯不支持の画商の判断と同様、「こうした佐伯もあるのか」と多少は感じつつも、当時の審査委員たちは、河北氏と匠氏が資料に関与していることを見て、「日記」などの資料を自ら検証せず、そうした資料があるのだから、作品も本物としていいだろうと傾いたのではないか。


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美術史家・青木茂の 「よろず手控帖(五)<にせものほんもの>考」(1)

2016-09-08 19:09:09 | 制限記事

1997年の『近代画説』6に載っている青木氏の論考、面白い。
その中に書いてあることをここにメモしておくが、この論考自体、短いものだから未読の学芸員は必読と言っておく。
私のように何度読んでも忘れてしまう人もいるだろうから、ここに自分のためのメモだが、公開してみる。

・露伴の骨董談、魯庵のにせものづくりの話が面白い。

・湯浅半月『書画贋物語』(大正8)

・佐々木三昧『書画骨董 偽物がたり』(昭和12初版)洋画の話がない

・昭和31年、神奈川近美での「ほんもの・にせもの展」

・滝川太郎製の、いかにも日本人ごのみしそうなにせものの所蔵家久保貞次郎

・三杉隆敏『真贋ものがたり』
この本に限らず、野間清六『にせものほんもの』、栗林茂『画商』、白崎秀雄『真贋』など結論は八卦見に近い

・本当の鑑識は狩野亨吉が目指したもの 
『狩野亨吉遺文集』所収の「科学的方法に拠る書画の鑑定と登録」、鈴木正『日本思想史の遺産』、杉山二郎『真贋往来』に要約あり

・多くが偽物になり狩野への鑑定の注文は少なかったという

・久保貞次郎『絵画の真贋』

・雅邦には同大、同構図の印刷に近い自身の絵がある

・博物館・美術館で展示され、美術誌に出ると疑心を持つ者も公言できなくなる(これは当ブログ執筆者にも思いあたることがある)

・依頼者との関係で公開されないこともある(これもある)

・フィリップ・モウルド『眠れる名画』1996 岩淵訳
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