美術の学芸ノート

西洋美術、日本美術。特に中村彝、小川芋銭関連。真贋問題。他、呟きとメモ。

20190913〜0925までの呟き

2019-09-25 21:24:00 | 日々の呟き

「想定外」が言い訳に使われることが、東日本大震災以降、特に多くなったような気がする。
生死に関わることは、想定外も想定して、想定外を限りなくゼロに近づけて欲しい。
特に科学者たちが「想定外」と言えば許される風潮も考え直すべきだ。科学は対象を限定するから想定外も起こりやすい。

科学は、対象を厳しく限定したり、条件を付けた考察であるから、対象や条件が少しでも外れると、「想定外」も起こりうるし、起こりやすい。


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秋晴れの富士山宝永火口 - 続 曇りのち快晴


「長期評価の信頼性について、福島県沖で地震が発生する具体的根拠が示されておらず…」と判決文内容が毎日新聞に紹介されているが、特定の地域で地震が発生する具体的根拠など、誰が示せるのか?長期評価の信頼性と有益性は、むしろ震災自体が証明したとなぜ裁判官は言わないのか。


「本当の父親でない」と言われたからと言って、カッとなり、小4を殺害するこの未熟さと非人間性は許されない。感情のコントロールができない未熟な大人が、大罪を犯してしまうのだ。

本当の父親ではない、と小学4年生ぐらいなら、言うことはあるだろう。そこで感情のコントロールができずに、カッとなって大罪を犯してしまう未熟さと非人間性、これは決して許されるものではない。
義父であっても、いや、義父だからこそ立派に子育てをしている親も多いのに。


「長期評価の信頼性について、福島県沖で地震が発生する具体的根拠が示されておらず、津波工学の専門家や内閣府から疑問が示されていたとし、福島県なども防災計画に取り入れていない点を列挙」と判決文内容が新聞に紹介されていた。長期評価の信頼性や有益性は、震災自体が証明したと言えないのか…


9月21日の毎日新聞経世済民術に「ヤフー、ZOZOを買収」のよこたしぎさんの「え」が載っていた。

そこには孫さんと前沢さん。
画賛句にこうあった。

月へ行く
友を見送る
夜風(ヤフー)かな


ダニ学者の五箇公一氏が食べてみたいダニがいると今日の毎日新聞に書いている。「ナミケダ二の体液には抗菌作用などの生理活性を示す物質が含まれ…インドでは、古くから『食薬』として利用されている」。

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20190907〜0911までの呟き

2019-09-25 20:57:00 | 日々の呟き

原詩と甚だ意味が異なる「故郷の空」や「蛍の光」で有名なスコットランドの国民的詩人、ロバート・バーンズは、遅くとも明治39年ごろには、わが国で、単に素朴な農民詩人としてではなく、「多感多情な人」つまり恋多き詩人として、また、「功名の心燃えるがごとき人」として知られていたようだ。


ブルーレイで録画したモネの「睡蓮、柳の反映」を復元するNHK番組を見終わっていない。が、一言、忘れないように書いておく。
AIに何百万回も学習させて最初に提示された復元画像の色彩やマティエールには失望した。私の脳の中に予想されていたものともかなり食い違ったことがわかった。(続く)

モネの最晩年の大睡蓮を復元するのに、70年代からの作品をデータとしてAIに取り込んでいたが、あまり必要なかったようだ。最初に提示された復元画像には不適切な紺の部分がかなりあったのが私には一番気になった。微量のピンクや黄も重要。白は大量に用いるが、表層には効果的な微量が現れる。

「睡蓮、柳の反映」を復元するには、白黒画像で形態を確定し、油彩画家に、マルモッタンよりもオランジュリーや米国の大睡蓮を観察させて描かせるのが、おそらく研究者たちの脳にある復元イメージに最も近いものになるだろう。AIは復元画家が色彩に迷った時に参考にする。多分、協働作業になるのでは。


国立西洋美術館、モネの「睡蓮、柳の反映」は、スタンプでなく肉筆の署名があるから、NHKの番組では、完成作としていた。そうかもしれないが、復元予想画像を見ると、ラカンブルの言葉にもかかわらず、オランジュリー美術館のとは同列ではない。作品としては西洋美術館の2メートル方形サイズの睡蓮をとる。

もちろん、作品の大きさから言えば、オランジュリー美術館の大睡蓮の関連作品であることは明らかだが、モネが最後まで残そうとした作品にはならなかった。


「この美学は…過去のすべての芸術作品を包括するとともに、現代芸術と職人技術の大部分を説明できる。…現代芸術のうちで極度に観念的な表現、デュシャンの「泉」も拒否できる利点がある。」
佐々木健一著『美学への招待 増補版』の山崎正和氏による毎日新聞評より。


「モネの白黒画像が、AIの学習によって自動的にカラー画像にいっきに変換されたのではなく、全く逆に、段階を追うごとに人間的・人為的な要素が復元画像の中に入ってきたのではないか。」


カンナ燃えさかる犬が死に婆が死に

人類滅亡百年のちの秋の空

今日の毎日新聞、季語刻々で坪内稔典氏が紹介した行方克巳氏の句。

草に臥て青空みれば天と地と我との外に何物もなし

藤原咲平氏の短歌、「霧ヶ峰を愛したお天気博士」の短歌、今日の毎日新聞より


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モネの「睡蓮、柳の反映」

2019-09-09 19:46:00 | 西洋美術
壊滅的な状態で日本に返還されたモネの「睡蓮、柳の反映」、この作品をデジタル復元しようとするNHKのTV番組を見た。

前にブルーレイで録画しておいたものを見終わったのでその感想などを書いておく。

まず、これを復元しようとする国立西洋美術館の関係諸氏の熱意に敬意を表す。

さて、フランスで「発見」され、日本に返還されたというこの作品、恐らくフランス当局では、疾うに展示を諦めて、保管庫にそのまま見捨てられたように眠らせていたものだろう。その意味で今回の「発見」に特別な驚きは感じない。

モネの作品に対するこの数十年、いや半世紀にわたる驚くべき評価の高まりが、こうした壊滅的な作品にまで特別な注意が向けられるようになったということではないか。

この作品を今回、AIなどを使ってできるだけ正確に復元しようする試み、その成果の復元画像は、TVでは大きく3段階にわたって提示されていた。

まず、筑波大のAI研究者による初期から晩年に至るモネの作品200点ほど(だったか?)を(因みにモネの油彩画は2000点以上ある)AIに何百万回も学習させて、白黒画像に色を着けた復元画像を製作する。これが第1段階。

だが、これは、西洋美術館の館長を始めとする美術館専門家に、作品の上半分と残された下半分とに様式的な違和感があると指摘されてしまった。また、特に復元された中央部の黄味がかった色彩に問題があるとされた。

様式的な違和感は、TV画像からでも確かに容易に感じられるものだったし、色彩については、私は作品上方にいくつかあった紺色がかった部分に最も問題があると感じた。

色彩の問題については、モネの初期作品からのデータ入力(データの価値評価に対する不適正さ)の影響が出たと考えられたようである。

初期作品や、もっと多くの真正なデータを入れるのは悪くはないとは思うのだが、復元しようとするのは、年代のはっきりしている晩年の作品であるから、初期作品のデータと晩年作品のデータを等価値のものとして処理したとするなら、あまり適切ではなかったということになる。

美術専門家からの違和感の指摘で、委託された復元担当者は、今度は晩年のモネの作品を多く所蔵するとマルモッタン美術館に向かう。

これが第2段階のデジタル復元画像に向かう最初。

ところが、モネ晩年の未完成作品が多いこの美術館を委託担当者が訪れて、大学のAI研究者とともに製作した第2段階の画像は、私が見るところ、全体になぜかグレーがかった臆病な色調になっていた。これは頂けない。

委託された担当者は、これまでの方法では白黒写真に色を付けていくという感じになって、平板になってしまうところに問題があると反省し、今度は、現存画家にモネのストローク(筆致)を模倣させ、それをAI研究者とともに、デジタル画像に取り入れて、第3段階の復元画像製作に取り組む。

AIによるモネ作品の客観的データ学習では、何百万回やっても、専門家を満足させることはできないと覚ったらしい。

こうして、モネ作品以外の人為的なデータも組み込まれることになった。確か500に及ぶモネの特徴的とされるストロークがデータ化されたようだ。

モネがほとんど無意識的になしている無数のストロークのうちから、意識的、人為的に選ばれたものが、つまり、そのような模倣的に制作された断片が、データ化されたということである。

こうして番組の終わりの方で提示された第3段階の復元画像、これには、西洋美術館の専門家も、前の画像に比べると、かなり満足した様子であった。

確かにストロークの効果を取り入れた第3段階の画像は、その力強さのみでなく、なぜか色彩まで見違えるほど修正されており、格段に良くなっていた。

色彩も青や深い緑の階調を中心にかなり脳の中に描かれた復元画像のイメージに近いと感じるものであった。

ただ、今度はストロークがやや過大に強調されているきらいがあることは否めない。

モネと同じ形態のストロークでも、すべて意識的に模倣して描いたものであるから、そこが目立ってしまうのかもしれない。

モネ自身のストロークは、意識的なものばかりでなく、むしろ大部分が無意識的な自然なコントロールから生まれたものである。

すなわち、作品全体に統一感や生動感を持たせつつ生まれたスピード感や力強さをもったストロークではないから、今度は逆にストローク自体がやや目立ち過ぎるものとなっているのだ。

もちろん、第3段階の復元画像は、前の段階よりは、かなり良いものではあった。が、それはAIによる何百万回の学習による成果とはおそらく言えないだろう。

モネの白黒画像が、AIの学習によって自動的にカラー画像にいっきに変換されたのではなく、全く逆に、段階を追うごとに人間的・人為的な要素が復元画像の中に入ってきたのではないか。

美術専門家の批評的眼差しや、データとなるモネの作品の選択領域の制限、現存画家のストロークなどの要素が、回を追うたびに復元画像の中に入ってきたというのが事実だろう。

これは、控え目に言っても、中間に立って最も苦労したであろう委託業者と、美術専門家の眼と、AI研究者との協働作業だったのだ。

だが、TVのナレーションは、なぜかAIの学習の成果を、繰り返し強調し、「何百万回」の学習などと言って、その驚くべき回数を強調しているのが不思議でならなかった。







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小川芋銭と小原無絃の『バーンスの詩』

2019-09-07 17:08:00 | 小川芋銭
小原無絃(要逸)訳『バーンスの詩』
明治39年2月に出版されたこんな本を見つけた。

何処に見つけたかというと、これが何と小川芋銭の『草汁漫画』を明治41年6月に出版した日高有倫堂の広告の中にあった。

しかも、まさしく『草汁漫画』そのものの奥付の後に付いた広告の中に見つけた。

こんなことから想像すると、やはり芋銭の『草汁漫画』「小春の午後」の中に出てくる「バーンス」とは、やはりロバート・バーンズのことに相違ないと思うのだ。

おそらく芋銭は、自分の本が出版されることになる同じ出版社の原文対照の詩によるこの本を読んでいたのではないか。

この本の評価は高く、例えば「明治期におけるバーンズ流入」を書いた難波利夫氏は、こう言っている。

「無絃小原要逸は、始めて ここに単行本の 「バーンスの詩」が、明治末期、堂々本格 的の出現と相成った次第である。」

しかも、既に小原無絃が、バーンズを

「その人や 多感多情 にして、功名の心燃 ゆるが如 く、その詩や古法旧格を脱して天真林直の精神を現じ、最も創新を以て勝る」と説いている点について、
「実に要を得た概括である」と称えている。

これによって、芋銭が『草汁漫画』を出版するころ、バーンズは、単に素朴な「農民詩人」というだけでなく、「多感多情」の人であり、「功名の心燃ゆるが如き」人であったことも知られていたと言ってよかろう。
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20190827〜0906までの呟き

2019-09-06 13:11:00 | 日々の呟き

・芋銭の『草汁漫画』における短文「小春の午後」は謎が多い。

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・ジョー オダネルさんが長崎で撮影した「焼き場に立つ少年」の写真の記事が、昨日の毎日新聞に出ていた。
非常に目を引きつける写真なのだが、少年が背負っている1歳ほどの子どもは、ただぐっすり眠っているように見えたのだが…

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・芋銭の短文「小春の午後」をどう読むか。18世紀スコットランドの国民的詩人、ロバート・バーンズの伝記的事実との関連性を探る。

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・邂逅。(その4) snowtotoroblog.com/genius-2019-8-5 @より
「現代の日本に生まれた彼女でさえ僕に会うまで誰にも見つけてもらえなかった…」
こういう世界もあるのだな。
数学者が天才少女に邂逅したという…

・邂逅。(その5) 〜パトロン求む〜 | すのうの部屋
数学者が天才少女を発見したという…

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・「法律や契約に忍び込ませて全体を骨抜きにする抜け道条項を米国では『ジョーカー』と呼ぶそうだ。」今日の毎日新聞余録より。
その他の語彙、循環定義。
ちなみに音声変換ではジョーカーが浄化と出てきた。誰にとっての浄化か、知らないが。

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・昨夜10時過ぎT市A交差点で、車、青信号のところ、右から自転車を降りて横断歩道をゆるゆる渡って来た男を発見。急停車して彼が渡り切るのを待った。ところがこの男、その後、車を降りろとばかりの身振でこちらに向かってきた。危険を察知し私は遠回りに車を発進。暫く興奮と怒りが収まらなかった。

・後続車が接近していたら、私の車は追突されていたかもしれないし、この男もどうなったかわからない。それより何より、信号無視のこの男を私は轢いてしまったかもしれない。本当にゾッとした。


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