美術の学芸ノート

西洋美術、日本美術。特に中村彝、小川芋銭関連。真贋問題。他、呟きとメモ。

2020-5-15までの呟き

2021-05-15 14:22:00 | 日々の呟き
中学生のころ、俳句と短歌の違いがわからなかった。今はよくわかる年齢になったような気がする。
今日はむしろ俳句の方に触れたいとか、短歌の方に眼を通してみたいとか、かなり違うのだ。


SNS投稿監視について、米、民主党は虚偽投稿を放置せず削除を求め、共和党が言論の自由を守れとの論調。
今日の読売新聞記事より


この20年来ほど、あらゆる面で激変が生じている。国際政治情勢、気候変動、地球環境、自然災害、IT、原発事故、感染症。そんな時代の現実と理想的な憲法の間に乖離が生じているというのも、もはや認めざるを得ないのかなという思いが…


きょうようとは、今日の用事、きょういくとは今日行くところ、それが大事だと野村総一郎氏の今日の「人生案内」に書いてあった。


今日の新聞広告で中野信子さんがとっているのはモナ・リザのポーズ、かな?
『暴走する脳 生贄探し』の広告。曰く「危機的な状況が起これば、少しでもはみ出した者から生贄に捧げられます。」

≫美輪明宏の本の新聞広告が出ていた。どうやらモナ・リザのイメージらしい。


暖かくなってくると思わぬ夜の時間帯、思わぬ路地裏などからジョギングする人が、まったく警戒する様子もなく、スピードも落とすこともなく、急に出てきてドライバーをヒヤリとさせます。事故になれば主にドライバーの罪が問われますが、走る人も怪我したら大損です。


#佐藤勝彦 氏による「時代の証言者」(今日の読売新聞)を読む。まさに氏の証言の重要部分に入って来たらしい!#小柴昌俊


YouTubeなどで今のワクチンの問題点や危険性を指摘している発信者がいる。確かにその通りだと思う点もあるが、「だから自分は接種しない」とまで発信者は言っているだろうか?どちらのリスクを取るか自分で判断してねと「警告」しているように聞こえる。


エンディングノートの「延命治療の希望」という項目に、1.希望する、2.尊厳死を希望、3.緩和ケアを希望、4.家族の判断に任せる、5.その他というのがあるらしい。
今のところ、1と4は該当外だな。


今日の読売新聞、編集手帳の末尾「時よ清く…」は、「東京清く」、かな?
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2020-5-2までの呟き

2021-05-15 14:12:00 | 日々の呟き
2021-2-28の読売新聞の「ニッポン絵ものがたり」に日本にあるマリア像の記事がある。#親指のマリア #シドッチ #カルロ・ドルチ #雪のサンタマリア #悲しみの聖母 (南蛮文化館蔵)  #聖母子像(東京国立博物館蔵)



「1990年代…デジタルテクノロジーは自由に国境を越え、統制するのが難しいと考えた。中国のような独裁体制は情報統制できず、崩壊すると信じた。…過去5年で私たちはデジタルテクノロジーが本質的に民主主義ではないことに気づいた。」昨日の読売新聞記事より


「楽観的に考えることは悲観的に考えることよりはるかに難しいのです。マイナスよりプラスの面を発見することは何倍も難しいからです。」
橋本五郎氏の「飛耳長目のロマンチスト」という今日の読売新聞記事より


新型コロナ蔓延によるグレート・リセットだなんて…ディープ・ステートの存在を信じる人はいるのだな、かなり。米国人だと40%ほどらしい。庶民には無縁な国際金融資本とDSを結びつける図式は確かに受け入れられやすい。人々の怨みの情念に訴えて。


このところ読売新聞では、「#動揺する民主主義」ということで #ソーシャルメディアの危険性 を大々的に報道している。


#コンスタブルみたいな空 というのがあった。自分のプロフィール画像は違うな。


医者から貰った血圧手帳に4300万人が #高血圧 と書いてあった。「高血圧は国民の中で一番多い病気」とも。赤ちゃんから老人まで国民の三分の一以上、成人ならもっと多数が高血圧という「病気」なの?高血圧の定義、おかしくない?


学者・先生の書棚を見ると多数の本が。
だが、それらは小説のように最初から最後まで読み通したものではない。多くは必要な時だけ参照する本だ。
人は一生のうちどれほどの本を読めるのだろうね?

図書館に行って様々な個人全集を見ると、人が一生のうちどのくらい書けるのかは想像されるが、読める本はどれくらいだろうね。




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業平とマネ、藤の花とスミレの花(2020-4-27のTwitterより)

2021-05-15 14:02:00 | 西洋美術
ぬれつつぞしひて折つる年のうちに春はいく日(か)もあらじと思へば

長谷川櫂氏の「四季」解説によると「藤の花と書いていないのは、藤の花に添えて贈った歌だからである。言葉が足りないのは業平の歌の特長(ママ)」。(今日の読売新聞より)

ここでマネが描いたベルト・モリゾのスミレの花をイメージ対比。
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