美術の学芸ノート

西洋美術、日本美術。特に中村彝、小川芋銭関連。真贋問題。他、呟きとメモ。

2020025〜0221までの呟き

2020-02-22 10:53:00 | 日々の呟き
ラジオを聴いていたら、ある医師が、腸は第二の脳ではなく、むしろ、脳が第二の腸なのだと言っていた。脳がない生物はいても腸の役割をもたぬ生物はいないから。それほど大事なのだと。発生的?にも、進化の上でもそうだろうと。



「ブチ切れる」ことを米国では、going postal というそうな。
昨日の毎日新聞日曜版より


「断捨離とは、モノを捨てることを目的としているのでは、すがすがしい空間づくりを目指していくもの」と、やましたひでこさんが言っている。昨日の毎日新聞日曜版より

「ところが、それに立ちはだかる存在が同居家族にいるのです」とも。すがすがしい空間に対する美的価値観が、家族でも違うこともあるし、まったくそういうことに無頓着な家族もいるからだろう。美的価値観が違うとバトルが起こることもある。


藻谷浩介氏が日曜日の毎日新聞で言っている。「2018年、3325人。19年、9月までの累計で3000人超え。新型コロナウイルスとは別なウイルス感染症=旧来型のインフルの死者数である。今、米国で大流行しており、2200万人も感染し、12000人もの死者が出ているが、なぜかあまり語られない。(要旨の一部)」


東京高検検事長の定年半年間延長か…「これで検事総長に昇格する道が開けた」という。16日の毎日新聞より


蕪村の句、「炉ふさぎや床は維摩に掛替る」は小川芋銭の画賛に間違えて引用されている。さて、この蕪村の句の本来の意味は?


なぜこれがアートか?こうした本は多い。だが、「アートでなくて結構」と言う人はいないのか。


蕪村の句「炉ふさぎや床は維摩に掛替る」の意味と芋銭の画賛

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小川芋銭『草汁漫画』「柚味噌」の画賛(続)

2020-02-20 18:50:00 | 小川芋銭
蕪村の句「炉ふさぎや床は維摩に掛替る」の解釈を示した本があれば教えてほしいとT市立図書館司書のMさんにお願いしたところ、直ちに大正5年発行の合本『蕪村句集講義・遺稿講義』と平成12年発行の『蕪村全句集』をお持ち頂いた。

前者の中で子規がこんなことを言っているのには目をむいた。

「炉塞ぎでも炉開きでも、今迄維摩がかかっていたのを下ろしたにしても、新たに維摩をかけたにしても、句の趣味の上に別に変わったことはあるまい。終わり五字のたるんだ所など調子が月並に近い。即ち月並がこういう所をよく真似てやるのだ。」

すると鳴雪がすかさず「たるんだとは」と問い質してはいる。

子規は「かけかわる」と読んで、これを「たるんでいる」と言う。

だが、鳴雪は、自分はこれを「かけかえる」と読んでいたが、とくらいつく。

子規の答えは「自他からいうと無論そうだが、かけかわると言う方が目の前に維摩の像が出て来るように覚える。」

しかし、当初、子規は蕪村のこの句があまり気に入らなかったように見える。

ただ、「かけかわる」の方が目の前に維摩が出て来るように覚えると主張しており、この点はそうかもしれないと私も感じた。

だが、鳴雪はあくまで「かけかえる」だと譲らない。議論がなんだか、妙なことになってきたようだ。

私も終わり五字はどちらだろうという疑問も前から持っていたので、この二人の議論は、それはそれとして面白く読んだ。

子規は、蕪村の終わり五字を「たるんでいる」と言いながらも、「かけかわる」と読んで、蕪村の句を逆に新鮮に解釈している!

けれども、炉ふさぎになぜ維摩像という疑問は、二人の議論からは解けない。

炉塞ぎになぜ維摩像かということに関連して、子規の言い方はあまりに乱暴に過ぎないか。

というのは、炉ふさぎの「ふさぐ」という言葉が、「維摩」という言葉を導き出したと思われるからだ。なぜなら、維摩には、雷のように響く恐ろしい沈黙、すなわち維摩の一黙があるから。

だから、維摩が出て来るのはどうしても炉塞ぎでなければなるまい。

この点、『蕪村全句集』の注解では、こんな答えを出していた。

「維摩:維摩の一黙の故事で知られる。炉塞ぎに合わせて床も維摩居士の掛け軸に掛け替わった。口を慎めの謂か。炉塞ぎに口ふさぎを利かせた。」

私に解ったことは、蕪村が、維摩居士の掛け軸に掛け替えたのは、周辺文人たちの習慣ではなかったということ、子規も鳴雪もそこは問題にしていなかったということ、そして正に維摩像に「掛け替わった」のは、「ふさぎ」という言葉が一つの「沈黙」を、沈黙と言えば維摩を導いたのだろうということ。

炉ふさぎ→(ふさぎ→一つの沈黙→)維摩像

蕪村は「口を慎め」とまでは言っていないように思うが、維摩の一黙と炉塞ぎを結びつけたのは、それでよいのだと思う。

蕪村は「炉ふさぎや〜」とさりげなく月並のような句を提示して、私のようになぜ維摩像なのだろうと思う者に謎かけしたのかもしれない。

こうしたことから、芋銭が「柚味噌」(下の挿図)の賛に「炉開きや床は維摩に…」と書いたのは、もとよりとうてい解釈のしようもないものだったのだ。

だが、こうした画賛の解釈の苦しみからも学ぶことは多い!


(画像は国立国会図書館のデジタルコレクションから引用)

*蛇足
まさか、芋銭は、子規が「炉開きでも炉塞ぎぎでも、趣味の上で変わらない」と言うので、わざと取り違えたのではないだろう。
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20200126までの呟き

2020-02-18 21:01:00 | 日々の呟き
依頼書やら賞状やらを受け取る人と与える人の写真が新聞に載っていた。
なぜか与える人だけがカメラの方向に顔を向けていた。
そんなに自分の顔が写されたいのか?

今日の毎日新聞、人生相談の回答。相談者は発達障害らしい46歳の娘とその娘に育てられている小六の孫のことを心配しているのに、発達障害の心配に触れた視点からの回答ではなかったのが残念。

電子マネーやデジタル通貨ばかりが流通するようになれば、本物の紙幣などにリアリティがなくなる。当該国民がそれを本物と見分ける能力も衰え、偽物紙幣で払われても気づかなくなる。そして、元々人為的な発明品である印刷された本物紙幣の価値崩壊が始まるに違いない。

世の中の他のすべての価値と同様に大多数の芸術作品の価値は、きわめて不安定なものであり、本質的に主観的なものだ。美術館や評論家や美術史研究なども、その不安定で主観的な価値の一部を可能な限り共有して客観的で永続的な価値に置き換えたいと思っている人々の国際的な装置と捉えうる。

土浦市の図書館下にあるギャラリーで吉田正雄の世界展。1961年に氏がパリに行った時はまだアンカレッジ経由しかなく乗客は8人で、日本人は二人という心細さ。機内で「何なりとお申し付けください」と言われたので「僕の隣に座って」とお願いしたら笑われたとのこと。パリ行きもまさに隔世の感!

画家、吉田正雄氏は、1961年のパリは本当に真っ黒だったとその印象を語っている。パリの建物が洗浄されたのはその後のことだったのだな。今、パリをそんな風に言う人はいないだろうから、なぜそんなに真っ黒だったのか分からないだろう。#土浦
#吉田正雄

<思い出すだけだけで恥ずかしくなり、「ワアッ!」と叫び出したくなることがたくさんある。私もそう。詳しくは書けません。たぶん小説でも書けないでしょう。…「あの頃」の自分を知っている誰かの眼…彼らこそ…>
今日の毎日新聞、人生相談、高橋源一郎氏の回答より。

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小川芋銭『草汁漫画』「柚味噌」の画賛

2020-02-18 20:37:00 | 小川芋銭


(画像は国立国会図書館のデジタルコレクションから引用)

『草汁漫画』の冬の部にある「柚味噌」の図の画賛に「炉開や床は維摩に掛替る」というのがある。

冬の部の画賛に一見相応しいような月並俳句に見えよう。

しかし、この画賛句、非常に問題が多い。
まず、第一に意味がよくわからない。

炉開きになると床の間の掛け軸は、なぜ維摩像に替わるのだろう。それは、一般的、習慣的なことなのか…?

ところがこの画賛句、既に北畠健氏に指摘されているように元の句は、蕪村の
「炉ふさぎや床は維摩に掛替る」
なのだ。

炉開きと炉塞ぎでは、まるで季節が反対だから、これは実に問題だ。

絵は柚味噌だから冬の部にあり、当然、「炉開き」の画賛句でなければならない。
だから、これでは全く画賛として解釈のしようがないではないか!

では、本来の蕪村の句
「炉ふさぎや床は維摩に掛替る」
とはどんな意味なのだろう。

これもなかなか解釈が難しい。
炉塞ぎの句としてよく例に挙げられているのだが、その意味を教えてくれるものはネット空間には無さそうである。

なぜ、炉塞ぎの季節になると、床の間の掛け軸が維摩像に「掛替る」のか?

維摩像にするのは、当時のある範囲の文人たちの習慣なのか、それとも蕪村だけの意味付けがあるのか?

そして、この「掛替る」は、「掛け替える」と読むべきなのか、「掛け替わる」と読むべきなのか?

こんな疑問が次から次へとわいてきた。
芋銭の(とり違え?または思い違いによる?)画賛の意味を解釈する前に、本来の蕪村の句の意味もどうにもよく解らないでいた。

それでお手上げ状態だったのだが、私の地元の図書館司書であるMさんの助力で、参考になる文献を探していただいた。次回はそれについて次に書いてみよう。
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