美術の学芸ノート

西洋美術、日本美術。特に中村彝、小川芋銭関連。真贋問題。他、呟きとメモ。

2021-7-16までの呟き

2021-08-22 11:29:00 | 日々の呟き
今日の毎日新聞、小倉孝保氏の記事「短気なバイデンさん」は面白かった。
「謝罪された記者も自分はやるべきことをやっただけで、『大統領は謝る必要はなかった』と語っている。」


「英国では、厳しい質問を浴びた指導者は、いかにユーモアで応えられるかが試される。」今日の毎日新聞記事より

毎日新聞の今日の「毎日ことば」第2回を読んだ。ありがちな言葉遣いのミスを指摘していて面白かった。

点字毎日記者佐木理人氏の今日の記事、「耳を澄ませて」を興味深く読んだ。


アルツハイマー病の薬として最近、#アデュカヌマブ が大きく新聞報道された。それについて触れた #石浦章一 東大名誉教授によるNHK #科学と人間、#老化を防ぐ最新医学(13)再放送を聞いた。氏の研究による食物ワクチンなら1人100円で提供できると言っていた。対してアデュカヌマブは1000万円と。

価格については、どういう計算なのかよくわからないけれど、石浦氏は「もし、市販されると」と語っていた。

いずれにせよ、庶民が手頃な価格で安全にすぐ使えなければ、どんなに効く薬を開発しても、喜ぶ人はごく少数だろう。


山田詠美『私のことだま漂流記』5「めざせ読者のなれの果て」、今日の毎日新聞、面白く読んだ。


土石流は、「盛り土により、地下水の流れがダムのようにせき止められ、水が溜まって水圧が上がったことで」(今日の毎日新聞記事より)引き起こされる可能性もあるのだな。


「政治は、特定の価値観よりも、直前の状況への不満につき動かされて変化することが多い。」今日の毎日新聞記事にこう書いてあった。


今、金星がきれいだな。


石沢麻依さんの『貝に続く場所にて』、そのうち、読んでみよう。作者はハイデルベルク大学の博士課程で西洋美術史を学んでいるそうだ。美術史的なメタファーや図像解釈の手法などが文学創作にも反映されている作品かもしれないので、ちょっと興味ある。






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2021-6-30までの呟き

2021-08-22 11:18:00 | 日々の呟き
行動経済学では選択肢が多すぎると人は負担を感じ決められなくなるという。
今日の読売新聞記事より
#選択のオーバーロード現象

そう言えば、専門書は別だが、大きな図書館や書店においても同じような経験をしたことがあるな。
読みたい本が多すぎて選べない!

エリザベス・テイラー扮する「クレオパトラ」昨日TVで見た。4時間超える力作。評価は分かれるが、自分は楽しめたし、見応えあった。

画期的な新薬が開発されても高価すぎるなら、持てるものにしか当面は役立たない。持たざるものは薬価が安くなるまで待てば、ということであってはならない。

中国若者「競争イヤ」「#寝そべり主義」に共感という記事が今日の新聞に載っていた。同じ紙面に、タイではユニークな職業として「ただ寄り添う」という仕事。#レンタルなんもしない人

物は使ってこそいっそうの価値も愛着も出てくるというものだ。
新品の靴でなく、自分を守ってくれた履き古した靴をじっと眺める眼は尊い。
ゴッホの絵を思い出す。

雨の音聞きながら静かに寝よう。

筧被告がこんな言葉を淡々と語っていたと今日の読売記事。「反省はしていない。しても罪はなくならない。死んだ人にも届かない」。あまりにも徹底した即物主義…?
いや、単なる自己正当化?


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マネの水平線 - 三浦篤著『移り棲む美術』を読む

2021-08-20 21:06:00 | 西洋美術
 ちょっと変わったこの本のタイトルは、三浦篤氏がこれまで発表してきた多数の学術論文に通底していたテーマ、あるいはそこに潜んでいたモティーフを象徴的に縮約しているのかもしれない。

 

それぞれの論文は、1冊の本に纏めるにあたり、大幅に書き改められたという。おそらくこのタイトルは、<日仏美術の往還>という大きな問題に可能な限り整合性と一貫性を持たせるべく、考えられたものなのであろう。

それがどのくらい理解可能なものとなるか、それはこの本を読む人の美術史的関心と、その人の問題意識によって、多方面から判断されるものとなるだろう。

 

極東にいて西洋美術史を研究することの困難さは、おそらく多くの日本人研究者が心の片隅に抱いているものではなかろうか。

文献資料の入手のほか、欧米の研究者のように様々な美術館に行って、自分のテーマに関連のある多くの作品を具に検証できないというもどかしさ、これらは容易に想像できる。

日本の学部学生や大学院生などは、研究テーマに関連する展覧会があるからといって、おいそれとは見に行くことはできない。海外においてはおろか、今や国内各地の大都市で多数開催される展覧会においてもそうだろう。多くの場合、経済的な事情がそれを妨げるに違いないし、今日のようなコロナ禍の世界にあっては更に如何ともしがたい。

いきおい実作を見ないまま論文に手を染める後ろめたさや無念さ、それに極東で西洋美術史を研究しているというある種の気恥ずかしさのようなものがあるのは私にもわかる。

 

それでも西洋美術の文献資料がなかなか手に入らないという事情はこの30年ほどでだいぶ解消されてきたし、翻訳文献も格段に増えた。

国内外における印象派研究自体も、オルセー美術館が生まれたころからは、半世紀前とは比較にならないほどに進捗した。

研究文献や優れた印刷の画集、展覧会カタログ、必要な文献を揃えて、目を通すだけでも大変なほどであり、今や「気恥ずかしさ」などと言ったら、かえって悠長だと思われて笑われるかもしれない。

 

だが、半世紀前の印象派研究は、大学での学術研究の対象としては時代が新しすぎるのではないかと思われる風潮もあったし、文献自体も非常に乏しかった。

何しろ、マネとドガ 、それにセザンヌのカタログ・レゾネはかろうじてあったが、モネとルノワールのそれはなく、リウォルドの基本文献とそのビブリオグラフィーに挙げられている手に入る僅かな文献、それにあまり当てにならない自分の直観だけを頼って、スキラ版や国内出版の画集などを眺めながら卒論を書く時代だった。

 

欧米の美術ではやはり古代ギリシャから中世、ルネサンス、バロック美術を経て、せいぜい19世紀前半辺りまでの美術を扱うのがまっとうな研究であり、正統だという強迫観念のようなものがあって、今もなお、そのように感じている西洋美術史の研究者も少なくないかもしれない。

 

だが、クリーヴランド美術館でジャポニスムの展覧会が開かれた1970年代半ばになると、日本における印象派及びそれ以降の美術、芸術分野の研究に<ジャポニスム>というかなり大きな、未発掘で、日本人の西洋美術の研究者にも、かなり魅力的な分野があったのだということが気付かされ、自覚されるようになってきた。

もちろん、それ以前にも極めて少ない文献資料の中で、作品図版の直観的な比較対照などから実に興味深く、示唆に富む指摘をした小林太市郎氏のような存在があったことも決して忘れることはできない。

 

三浦篤氏による『移り棲む美術』という著書は、おそらく、こうした日本人による19世紀後半以降の西洋近代美術の研究が、ある意味で辿るべくして辿った、最も新しい、一つの優れた研究成果を示しているものと言えるかもしれない。

「ジャポニスム、コラン、日本近代洋画」というサブタイトルがこの本のテーマを明確に、具体的に語っているし、整然としたその目次を見れば、これから著者が何を語らんとしているかが明瞭に辿れるようになっている。

そして重要なことは、著者が通りいっぺんの月並みな概論でなく、細部においてどのような発見があるかをも具体的に(一つの体系的なテーマを逸脱することなく)私たちに教えてくれることである。もちろん、様々な仮説は、可能な限り文献によっても裏付けられた西洋美術史家の眼で語られている。

 

そうした中で、印象派絵画と浮世絵版画の作品比較や影響関係への関心から、とりわけ私の興味を惹いたのは、マネの水平線に関する言及が見られる第5章<「マネ・印象派のジャポニスム」再考>であった。

 

この本の口絵に《キアサージ号とアラバマ号の戦い》(1864年制作)という一般にはそれほど馴染みではない、マネの俯瞰的な視点による作品が鮮明なカラー図版で掲げられていることから、私はこの本を手に取った。

著者にとってもマネの絵画における水平線の問題が極めて重要な研究課題であることが察せられたからである。

 

というのも、実は私も、モネをはじめとする印象派絵画における水平線の上昇傾向と、それとは対照的な浮世絵風景版画における水平線の下降していく傾向など、美術における東西の相互の影響関係を考えていたとき、マネの絵画にも俯瞰的な「高い水平線」を持つ作品があることに当然気づいていたし、大いに注目していたからである。

 

このようなわけで、三浦氏が、マネの絵画における「高い水平線」について、実際どのように言及するのかは、たいへん興味のある問題であった。

 

氏は、マネにおける画面上の高い水平線が、1860年代に見られる点を最も強調する。

   その「高い水平線」の革新性について、同時代の批評家や芸術家がどのように驚き、(批判的に、もしくは好意的に)反応したかを紹介することで、著者は、この作品にかかわるマネのジャポニスムの文献的証拠としてもそれらを提示するのである。かくしてマネが1860年代半ばという比較的早い時期に、一つの重要な革新に達したことを氏は最も語りたかったのであろう。

 

「マネ氏は二隻の軍艦を水平線上に遠ざけた。その距離によって軍艦を縮小するという<凝った工夫>をしたのだが、しかし彼が膨張させる海、拡張して絵の額縁まで連れていく海は(中略)、戦闘よりも恐ろしい。」(ジュール・バルべー・ドールヴィイ)

 

これは当時の批評的言辞だ。が、「膨張する海」の描写の迫真性、あるいはその「恐ろしさ」は一面でマネのこの作品の本質を捉えていた。

と同時にその効果のため主要モティーフを「(高い)水平線上に遠ざけた」構図上の凝った奇異さにこの批評は注目していたのである。

そして、その奇異な「遠近法が日本的なやり方」であると、クラルティなどの言葉を引用しながら三浦氏は記述し、論を繋いでいく。

 

「遠近法が日本的なやり方でいささか扱われすぎている。」(ジュール・クラルティ)

 

その上で著者は、水平線が「額縁の高さまで上がっている」とマラルメの言うマネの海景画(訳文からすると複数らしい)とは、キアサージ号とアラバマ号の戦闘を描いたマネの作品に他ならないと述べるのである。

 

「マネの海景画、地平の水が、それを中断する唯一のものである額縁の高さまで上がっている、あれらの絵を見るなら…」(マラルメ)

 

三浦氏は、マネの「高い水平線」は、「ホイッスラーが所蔵する広重の《六十余州名所図絵》」を彼が見ていたからではないかと考えており、1860年代半ばという他の印象派の画家よりも早い時点で、その革新的業績に到達したことをどこまでも主張する。

ホイッスラーが広重のその作品を所蔵していたことは、《紫と金の奇想曲-金屏風》1864年制作)の画中画から推定しているようであるが、ともかく、こうしてマネは、モネの1880年代の作品に多く見られるようになる「高い水平線」よりももっと早くから日本版画の一つの特質を自分の作品に取り入れていた。そのことを三浦氏は、論証しようとしたのである。

 

しかしながら、ここには言及されていないが、印象派の海景画における俯瞰的な視点に伴う「高い水平線」の問題については、実はモネの60年代の作品にも浮世絵風景版画との関連が想定される具体的な作品がまったくないわけではない。

 

例えばヒルステッド美術館の≪出港する漁船≫は、60年代モネの俯瞰的な視点による海景画であり、水平線の位置も他の60年代のモネの海景画よりも明らかに高い。さらに日本美術の影響を想起させるフラットな色面構成が目立つ作品で、しかも地誌的特質が乏しく、アトリエで仕上げられたものである。

 

だが、モネのこの作品は、マネの上述の作品より先に制作されたかと言うと、そうではない。むしろ、モネのこの作品は、日本版画の他に、まさにマネの≪キアサージ号とアラバマ号の戦い≫から、あるいは具体的に刺激されて描かれたのかもしれない。実際、60年代のモネの作品には、マネのフラットな筆法を研究している形跡が他にも認められるからである。

こうしたモネの海景画への影響という点からも、マネのこの作品の先駆性、または重要性は疑いようもない。

 

ところで、三浦氏は、ブラックモンなどの極めて早い時期(1856年時点での『北斎漫画』の発見については議論がある)のジャポニスムについては、かなり慎重な見方をとっており、あくまでマネ芸術におけるジャポニスムにこそ高い意義を与えている。

ブラックモンのジャポニスムは、早期においては、全くの透き写しであったのだから、影響の次元としては確かに高いものとは言えないだろうが。

 

モネのジャポニスムについて三浦氏は、マルモッタン美術館にある有名な《印象、日の出》や、オルセー美術館に収蔵された《かささぎ》の雪景色に「水墨のジャポニスム」の影響、いや「影響・受容」という言葉に問題があるなら、そこから学び取った「選択・摂取」の可能性について、慎重に、かつ大胆にも言及するのである。

 

「あの《印象、日の出》にこそ日本美術を咀嚼した痕跡を見ることはできないか」。(146頁)

 

小ぶりで習作的、もしくは実験的な作品にも見える≪印象、日の出≫に「水墨のジャポニスム」が認められるかどうかは別にして、もし、モネのこの有名な作品に日本美術の影響が認められるとするなら、私には、まさにモネの先に挙げたヒルステッド美術館の≪出港する漁船≫こそ、その作品に繋がる重要作品に思えるのである。

 

ここでマネの水平線の問題から離れるが、ドガのジャポニスムについては、清長の「女湯」(ボストン美術館)における「覗き窓」に「三助」の顔が見えることに触れている。「鍵穴からモデルを覗き見して描いたかのような、ドガのまなざしとも呼応するのではなかろうか」。だが、ドガの辛辣なレアリスムは、よく言われるような「鍵穴」や覗き窓の美学というよりも、私には、完全に反アカデミックな実証的、自然主義な精神をそこに感じさせるものだ。

 

セザンヌの作品におけるジャポニスムについては、「浮世絵版画との関係を物語る手掛かりがほとんどない」と、やや否定的であり、かなり慎重である。(154頁)

これという文献的資料が殆ど見出せないからなのだろう。

 

北斎ばかりでなく、むしろ広重の作品が、モネやピサロなどの作品に彼らの「印象主義」を確信させたという著者の指摘は、ピサロの有名な手紙の一節からも知られるように、おそらくその通りだろう。

 

さて、三浦氏は、印象派と同時代人のアルマン・シルヴェストルの1870年代前半における言葉を引用して、モネの筆触分割を「日本のイマージュ(浮世絵版画のこと)から借用した可能性があると述べた」(136頁)と紹介している。

かなり慎重な言い回しで氏はこれを語っているのだが、印象主義の最も重要な技法である筆触分割まで日本版画から学びえたものかどうか、これに言及するのはなかなか難しい問題である。

筆触分割の技法は、1860年代末にモネとルノワールが共に制作したアルジャントゥイユにおいて光と水が戯れる水辺の描写から自発的に生み出されたというのがこれまでの通説である。

とはいえ、彼らが日常見ていた西洋絵画にはなかったとされる非常に明るい色彩の最初の啓示が、主に日本版画によって印象派の画家たちにもたらされたことは、テオドール・デュレなどが述べている通りに違いない。

 

 

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