美術の学芸ノート

西洋美術、日本美術。特に中村彝、小川芋銭関連。真贋問題。他、呟きとメモ。

2020-12-27までの呟き

2020-12-29 20:04:00 | 日々の呟き
BUTTONS AND BOWSという懐かしい歌がラジオから流れていた。「〜〜バッテンボーン」と聞こえていた歌だ。「ボタンとリボン」という曲だ。それで<ボタンアンドリボン>と歌っているのかと思ったら、<BUTTONS AND BOWS>だった。



山下洋輔「王政が崩れ、市民が社会の主役となった。革命は終わった。しかしそれでもベートーベンは、ひとり革命児であり続けようとした。」今日2020-12-17の朝日新聞記事より #山下洋輔 は語る、を読む。
山下は第九の第二、第三楽章に注視。


今日の朝日新聞を読むと、外科医の誕生日や休日には、術後死亡率が上昇するという。
そんな日にはあまり手術を受けないほうがよいということになってしまう。
予想されることだが、論文で裏付けられた。
普通人であっても外科医は、ヒューマンエラーなど起こして欲しくないと誰もが思う。


「eveningは昼の終わりから就寝するまで…ユダヤ暦では日没が一日の区切り…24日の日没から25日の日没までが、クリスマス当日…」2020-12-19の朝日新聞記事より


明日が冬至か。
子どもの頃、少しずつ昼が長くなるというのを、勝手に昼の方が長くなると解しておかしい、おかしいと思っていたな。


自分のことを何と呼び、書くかはなかなか微妙な問題だ。天声人語を書く人は、「当方」と書いていた。私や自分では主観が立ち過ぎると感じるからだろうか。


批評家は、「通奏低音」という言葉が好きな人が多いらしい。私がこの言葉に頻繁に出あうようになったのは、江藤淳が活躍していた頃だったな。氏の評論でもこの言葉がよく出てきたような気がする。


山本龍彦氏による2020-12-15の朝日新聞「刺激競争が覆い尽くさぬ世に」を興味深く読む。
「感情のネットワークは、閲覧数などが経済的価値を生むビジネスモデル(「関心」が売買されるアテンションエコノミー)によって、ネット空間に深く根を張る。そのため…新メディアでは読者や視聴者を刺激…

新聞、TVなどの旧メディアは、今や新メディアの「感情文化」の影響から逃れられなくなっている。が、感情文化、刺激競争に飲み込まれないように距離を取れという山本龍彦氏の主張に賛同する。


鈴木彩加『女性たちの保守運動 右傾化する日本社会のジェンダー』が大佛次郎論壇賞。2020-12-16の朝日新聞、選考委員5氏の選評を興味深く読む。#バックラッシュ #ケア労働 #男女共同参画 #慰安婦問題


「多くの日本人は仕事をしている、結果を出しているように見える政治を評価する傾向があります。…政治に限らず、企業や学校などでも結果を出すことが評価されます。一方、今の野党のように政権を追及するのは『仕事をしている』うちには入らないと有権者は解釈しているのです。」富永京子さんの言葉

「NHK放送文化研究所の最新の調査では、今の生活について「満足」「どちらかと言えば満足」を合わせ、1973年の調査開始以来最高の92%が「満足」と回答しています。」「今の若い世代は…あきらめる作法のほうが身に付いています。」富永京子さんの言葉、2020-12-23の朝日新聞記事より




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2020-12-13までの呟き

2020-12-29 19:53:00 | 日々の呟き
今(11月18日)、月と木星と土星が一直線上に並んでいる。



「75歳以上の約7割は年収が200万円に満たない。」今日2020-11-24の朝日新聞社説より
 これが日本の年金生活者の実情。
現役時代、共働きだった家庭は別かもしれないが、専業主婦が多かった以前の日本の家庭や、特にパートナーを亡くした年金生活者の生活は辛い!


「心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花」(凡河内躬恒)
ピーター・J・マクミランの今日の朝日新聞記事を読んで、マネの「白菊の図」に思いを重ねた。
今の時期、散歩すると、民家のあちこちに白菊が目立つ。

「撰者である定家がいかに白という色を好んでいたのかが窺える。特に白いものと白いものを重ねる例には、今回の歌の菊と霜のほか…」P.J.マクミラン
マネの白菊の図にも白と白とが重ねられている。一本のアスパラガスを描いた時も…


TVドラマでは、ダンサーを描いた2点の素描が出てくる。犯人は有能感のある美術批評家。
ドラマとは関連ないが、2点の素描はオルセー美術館やメトロポリタン美術館にある初期ダンス作品の左端部に関連したものだろう。
#gooblog 刑事コロンボと二枚のドガ の絵


近藤康太郎さんの今日2020-12-5の朝日新聞記事を読む。#ポーラネグリ #マヅルカ #食べること #傷だらけの天使


横尾忠則氏が酒井忠康『美術の森の番人たち』を書評欄に書いていた。この本、ちょっと覗いてみるか。


今日2020-12-10、寂聴さんの「残された日々」を読んでいたら、「之繞(しんにゅう)を掛ける」という表現が出てきた。「お岩さんに之繞をかけたような顔になり…」
「輪をかける」という意味だ。

五十年前のことというタイトルで、その最後に「三島さんを毎日毎晩読んでいるせいか、なつかしさがつのってきて、やはりふたりだけの思い出は、自分が書き残しておくべきかと、心が揺れてきた。」#三島由紀夫 #寂聴


「気になっているのは、不自然に論文っぽい表現が散見されることだ」「だろう」や「と感じる」としか書けない場合もあると‼︎(古田徹也氏の言葉、今日の朝日新聞記事より)

よく調べもしないで、「と言われている」と、客観を装って書く人がいたな。


「『論理的思考』を少し学んだところで出世なんてできないし、そもそも変化が早すぎて何が正解か分からない。」井上慎平氏の言葉、今日2020-12-12の朝日新聞より
1988年生まれの氏がそもそも変化が早すぎてと言っているのだからなぁ。

「立派なビジネスパーソンなら古代中国の歴史ぐらい知っていないと恥ずかしい、という空気感です。それが『何の役にも立たないものを読むのは、むしろ頭が悪い』というような風潮に変わった。」井上慎平氏の言葉、今日の朝日新聞より

「どんな経済や社会がよいのか…教養主義をどう復権するかではなく、社会的にどのような価値を成し遂げるべきかという視点から教養を再定義できないか」井上慎平氏の言葉、今日の朝日新聞より


「いま食べられない人々に『思想の転換点』とか悠長なことを説いてもしかたがない…雇用を創出したり、国の貧困率を減らしたりするのは政治の仕事だ。」ブレイディみかこさんのことば2020-12-10の朝日新聞記事より




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もう一人の中村彝

2020-12-21 21:52:00 | 中村彝
日本近代美術史の本を通読した人なら大正時代の重要な画家、中村彝の名前をたぶんよく知っているだろう。
あるいは臼井吉見の『安曇野』を読んだことがある人なら、荻原守衛や新宿中村屋をめぐる人々とともに中村彝の名前を記憶していることだろう。

だが、中村彝という、今日ではちょっと珍しいように見える名前の著名な人物は、実は少なくとももう一人いたと言ったら、あるいは驚くだろうか。

試しにWikipediaではこう書いてある人物がいる。

中村 確堂(なかむら かくどう、天保3年10月8日1832年10月31日) - 明治30年(1897年3月3日)は、幕末から明治維新期の漢学者教育者水口藩校にて教鞭をとり、廃藩置県後は埼玉師範学校(現埼玉大学教育学部)長や彦根中学校(現滋賀県立彦根東高等学校)長を務め、一生を教育に捧げた。

生涯編集

中村確堂は、天保3年10月8日(1832年10月31日)に水口藩士山県彦三郎の3男に生まれ名は彝、後に通称鼎五、字は士訓、号を確堂と称した。14歳で藩校に入ると瞬く間に頭角を現し翌年には藩校助教となると共に水口藩儒中村栗園の養子となった。17歳で儒学見習いとなり養父に替わり藩校にて講義を行ったとも伝えられる。19歳で大津の上原立斎の塾に入り、21歳から大阪京都に遊学し33歳の時に帰藩した。この後水口藩校で漢学を教えた。(以下略)


そこで、中村確堂関連(編集)の文献を調べてみると、こんなものがあった。

日本漢文学読本

日本智囊

尚友小史

栗園詩稿

高等小學文範

文章正鵠

靖康傳信録 3巻

栗園文鈔 3巻

これらの文献では(編集者として)中村鼎五、あるいは中村彝などの名前で出ている。

鼎五は通称、彝が本名である。確堂は号であるから、紛れもなくこの人はまさにもう一人の中村彝なのだ。

中村という名は日本ではきわめて広く、多数見られるものだが、彝という名は今日では稀だから、中村彝という名前の、幕末から明治期に生き、尊皇思想の家系に育まれた人物がいたとは、茨城県民にとってはやはり驚きではなかろうか。

なお、幕末の水戸の過激派にも、野村彝之介鼎実と記述されることがある人物がいたことは、別稿で紹介したことがある。

この野村彝之介鼎実も、中村彝確堂、通称鼎五も水戸の画家、中村彝が明治20年に生まれた時、まだ存命だった。

他にも彝という名を持った幕末の人物はいるかもしれない。

なにせ人口に膾炙した水戸の藤田東湖の詩に「彝倫」の文字が見られる時代なのだ。

今回ここに紹介した中村確堂も、中国古代の祭器である彝と鼎の文字をもっている、これらは単なる偶然ではないのだろう。もちろん、諱と字が関連する文字を使うことがあるのは知られてところではある。



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