美術の学芸ノート

中村彝、小川芋銭などの美術を中心に近代の日本美術、印象派などの西洋美術。美術の真贋問題。広く呟きやメモなどを記します。

中村彝、伊原元治、矢代幸雄とW.フォン・キューゲルゲン著『生ひ立ちの記』

2018-05-06 22:01:43 | 中村彝
伊原元治は、今日、W.フォン・キューゲルゲンの『一老人の幼時の追憶』の翻訳者の一人として知られているが、この翻訳本をめぐっては、彝が描いた俊子像を、その住まいをも訪ねて見たことがある矢代幸雄とも関連がある。

画才もあった矢代は、伊原らが翻訳した『生ひ立ちの記』(改題前の上掲書のこと。大正3年刊)の蔵書票のデザインをしていたのだ。

そのことは10年ほど前に亡くなった気谷誠氏のブログ、「ビブリオテカ グラフィカ」によって私は知った。

すなわち、伊原ら4人の翻訳者は明治44年の第一高等学校卒業記念にこの本を出版したが、『生ひ立の記』の表紙裏面の見返しに矢代幸雄デザインの蔵書票が貼られていたのだという。

それは本の購入後に読者によって貼られた蔵書票でなく、当初から本のデザインとして貼られていたものという。

こうしてみると、大正時代初期における彝と矢代との繋がりは以前からよく知られていたところだが、さらに画家W.フォン・キューゲルゲンの翻訳本を通して、伊原を加えたこの3人は、互いにかなり深い繋がりがあったことが想像され、たいへんに興味深い。

伊原は彝との会話で、美術史家となる矢代の名を出したり、翻訳本について熱心に語ったのではないかと想像される。彝は当然この本の内容もよく知っていたのではないかと思う。

なお、上記に関連した故・気谷氏のブログについては「偉大なる暗闇・岩元禎に捧げられた教養書の先駆」なども参照されたい。
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中村彝の「伊原元治氏像」(3)

2018-05-06 18:58:32 | 中村彝
彝は伊原の肖像を描くのに「写真はなるべくはっきりしたもの、やきましやレッタッチしたものでないのを」弥生に願ったが、届いた写真は「無惨に修正の手が加わって居る」ものだった。

しかし、彝は失望しつつも、その写真をじっと凝視するのだった。

「それでも見て居るとだんだんほんとの伊原君が出て來る。殊にあの落ち着いた優しさと聡明な微笑がよく物を言っている。之で今少しあの浪漫的な所、スピリチュアルな憧憬と憂愁とが現はれてをれば殆んど申分がないのですが、然しジッと見ているとどうかした錯覚の具合か、眉間の所にさうした感がチラチラ動くように見える。かうして静かに眺めて居ると、次第に色々な顔が浮かんでくる。」(大正8年3月2日弥生宛て書簡)

上の書簡内容によって彝が写真をどのように活用して肖像画を描こうとしたかが分かる。それは少なくとも偶々送られてきた「1枚の写真に似せて」肖像画を描こうとしたのではないことが分かる。

むしろ1枚の不完全、不満足な写真を凝視することによって、そこに浮かび上がってくる自分の知っている過去のモデルの本質的な特徴を様々に思い出して、それらを一つの作品のなかに総合し、統合しようとしている。


作品の色調は、全体に暗緑色調で統一し、その対照色に近いオレンジがかった色調も加わる。
一応の完成年である1920年の年記があるが、むしろ1916年、大正5年頃のまさに田中館博士の肖像を全面的に思い起こさせる全体の色調と筆法だ。

写真を参照しつつもおそらくモデルが左手に持った羽ペンは、彝が付け加えたもののようにも見える。

「左の手にペンを持たした事なぞも随分気になりますが、あの姿勢ではどうしてもああする方が自然なので、わざとさうしたのですが、へんでせうか。」(大正9年1月21日弥生宛て書簡)

この彝の言葉はこれまで書簡でしか知られなかったのであるが、こうして今作品が公開されてみてどうだろうか。

この点に関しては、その彝の心配は、確かにそうだと思わざるを得ない面がある。

左手にペンを持っているのがおかしいというのでなく、その手の描写がいささか唐突で、どうしても不自然な感じが否めないのだ。確かに与えられたモデルの写真(これは茨城県近代美術館の小泉淳一氏の確認によれば、今は失われてしまったらしい)のポーズからは、あのようにアレンジするしかなかったのかもしれないが。

彝がこの作品の手の描写において、書簡に見られるように、若干の迷いがあったことは確かだろう。

そう言えば、田中館博士の肖像においても、計算尺を持った左手の方でなく、ペンを持った右手の描写が曖昧なままに終わっていることは認めざるを得ない。

また、大正8年の洲崎義郎の肖像においては、モデル自身が、左手の描写が未完のままに終わっていると認識しているほどだ。が、私はこの作品に関しては、レンブラントのヤン・シックスの肖像との関連から左手だけ手袋をしているように解釈している。とは言え、彝の肖像作品における手の描写の技術的問題から、あるいはその二つの面が重なっていると考えられなくもないのである。







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5月5日(土)のつぶやき

2018-05-06 03:59:19 | 日々の呟き
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