美術の学芸ノート

中村彝などの美術を中心に近代日本美術、印象派などの西洋美術、美術の真贋問題、個人的なつぶやきやメモなどを記します。

印影による真贋判断の特殊なケース

2016-01-15 19:45:19 | 美術の真贋
銀行では印影は明瞭であるのがよい。不明瞭なものを窓口に持っていくと、自分の預金でも下せない。だが、その作品の真贋判断を決定付けたものは、印肉の残滓などが付いた印影だった。

美術館内でその作品の寄贈受け入れを検討していた。そのころ、私の父が亡くなり、やがて遺産分割協議書に弟の実印を押しもらうことになった。弟の印影は不明瞭で、ふだん使わないためか、印肉の残滓などが詰まったままでの押印だった。やり直さないとダメかな。

だが、その書類を眺めていた時にふと思い浮かんだ。館内で検討していた作品のことが頭の片隅に残っていたのだろう。
この曖昧さは逆に真贋判断に役立てられるかもしれない。

あらためて問題の作品の印影を見ると、それ自体は比較的明瞭であった。だが、印鑑の特定位置に微小な何かが付着したまま押印された痕跡があった。

これだ、私が探していたものは。これが本物とされているその作家の他の作品にも見られないか。
もし見られるとすれば、この付着物こそが本物である重要な証拠にならないか。するとあった。画風から予想される制作年代の本物とされている複数の作品の印影にその目詰まりと同様なものがあった。

一般論としては、印影が本物であっても作品は本物とは限らない。印鑑は死後も残るし、遺族などが本物でない作品をそれと知らずに売却するため、たまたま押印することも考えられるからである。

だが、作家自身があまり気付かないような目詰まりがある印影を持つ作品は、おそらく生前に押印され、しかもその数が非常に限られているはずだ。これは欠損のある印鑑の特徴とも違う。だから、そのような印影が認められれば、そうした作品こそ本物である可能性がかえって高くなると考えてよい。

このことに留意して印影の目詰まりに注目すれば、贋作者がこれを知っていて逆手に取って利用しない限り、この方法は他の作家の真贋判断にも役立つだろう。

制作順についてもその目詰まりは、客観的な判断を下すのに重要な目印ともなる。
つまり、印影の同じ位置に目詰まりが見られるような作品は、その印を用いた作品相互の中では制作時期がかなり近い。複数ある目詰まりのうち部分的に一致しているようであればそれなりに近い。そのように考えられるだろう。

いずれにせよ、真贋判断にとって、印影はきれいなだけがよいのではない。数回限りしか現れないものこそ、作家生前に押印された本物であることを裏付け場合があるのだ。
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