安野の作品は、しばしば意識の切り替えを要求してくる。そして、これは、「あなたがふだん真実と思っていることも、ちょっと見方を変えると、このように全く違ってきますよ」というメッセージを視覚的・具体的に伝えることになる。
『ふしぎなえ』は、全く文字がない絵本であったが、『さかさま』には、子供に読んで聞かせるべき文字、「ぺるぺるぺる」というようなオノマトペを含む豊富な言葉と、<さかさまの世界>という明確な「テーマ」が登場する。
「テーマ」と言ったが、「モティーフ」と言ってもよい。「モティーフ」が集まって、「テーマ」を作り、「テーマ」は、多くの場合、作家の「思想」に繋がる。読者は、文字とともに物語を追って行き、実際、本をさかさまにしたりして、画像によっても<さかさまの世界>を具体的に楽しむ。
そして、読者は互いに相手方の世界こそ<さかさまの世界>と見做しているそれぞれの態度の愚かしさがこの絵本の中に具体的に絵として表現されていることに気づく。
『ふしぎなさーかす』では、時間を示す画像(時計と蝋燭。蝋燭は、西洋ではしばしば「生のはかなさ」を示すこともよく知られている)の場面が最初と最後に現れるという構造をもっている。
しかし、子供に読んで聞かせるべき文字は4ページ目にあるだけで、そのあとの展開部は自由に画像を解釈していくほかはない。この作品では、絵の中の鋏は、絵の中で使われており、別の絵を生み出している。また、絵の中のピエロは、絵を描いており、それが一面でこの絵の世界を創造している。
絵は、絵の中のモティーフによって自然に生まれたかのような場面が多く見られる。
絵の中にこの絵本自体が登場し、入れ子構造のモティーフがしばしば暗示されている。しかしこの絵本の重要な意義は―これも入れ子構造に由来するが―後の安野作品にしばしば繰り返されることになる《提示・展開・再現の形式》が、この作品において確立されようとしている点にあるのかもしれない。
すなわち、この絵本の提示部と再現部とは、時計と蝋燭の描かれている場面が相当する。しかし再現部は、単に提示部の場面を再現するのでなく、類似場面ながら、この作品においてきわめて象徴的に表れているように、時間の経過と世界の反転画像を伴っている。
実際、現実世界の場面であるはずの再現部におけるボトルのラベルには夢の中の蝶が描き加えられているし(変化した世界)、絵の中のこの本も、まだ誰も触っていないはずなのに、すでに閉じられた絵本(反転画像)となって存在する。そして、現実に読者がこの絵本を閉じることによって、この絵本の入れ子構造もまた完結する。(提示・再現の作品構造は、後に言及する『きつねのざんげ』にもより完璧な形で現れているので、参照されたい。)
以上のように初期の三部作は、絵と言葉との関係や相互の作品構造においては若干性格の違う絵本作りをしている。しかし、絵本を縦にしたり横にしたり、上下反対にしたり、閉じたり開いたりして、常識的な感覚が軽く揺すぶられながら、絵本の中の絵そのものを主として楽しむという性格は全般に共通している。これら三部作は、非常に新鮮なものとして子供の絵本の世界に迎えられた。
こうして、安野光雅は42歳になって、やっと絵本界にデビューした。そして、昭和45年(1970)、『ふしぎなえ』にシカゴ・トリビューン・オナー賞が与えられ、『さかさま』にも昭和48年(1973)ブルックリン美術館賞が与えられた。40歳代半ば以降、こうした受賞とともに氏の仕事量が急激に増え、堰を切ったように次から次へと新しい作品が生み出されていくことになった。
『ふしぎなえ』は、全く文字がない絵本であったが、『さかさま』には、子供に読んで聞かせるべき文字、「ぺるぺるぺる」というようなオノマトペを含む豊富な言葉と、<さかさまの世界>という明確な「テーマ」が登場する。
「テーマ」と言ったが、「モティーフ」と言ってもよい。「モティーフ」が集まって、「テーマ」を作り、「テーマ」は、多くの場合、作家の「思想」に繋がる。読者は、文字とともに物語を追って行き、実際、本をさかさまにしたりして、画像によっても<さかさまの世界>を具体的に楽しむ。
そして、読者は互いに相手方の世界こそ<さかさまの世界>と見做しているそれぞれの態度の愚かしさがこの絵本の中に具体的に絵として表現されていることに気づく。
『ふしぎなさーかす』では、時間を示す画像(時計と蝋燭。蝋燭は、西洋ではしばしば「生のはかなさ」を示すこともよく知られている)の場面が最初と最後に現れるという構造をもっている。
しかし、子供に読んで聞かせるべき文字は4ページ目にあるだけで、そのあとの展開部は自由に画像を解釈していくほかはない。この作品では、絵の中の鋏は、絵の中で使われており、別の絵を生み出している。また、絵の中のピエロは、絵を描いており、それが一面でこの絵の世界を創造している。
絵は、絵の中のモティーフによって自然に生まれたかのような場面が多く見られる。
絵の中にこの絵本自体が登場し、入れ子構造のモティーフがしばしば暗示されている。しかしこの絵本の重要な意義は―これも入れ子構造に由来するが―後の安野作品にしばしば繰り返されることになる《提示・展開・再現の形式》が、この作品において確立されようとしている点にあるのかもしれない。
すなわち、この絵本の提示部と再現部とは、時計と蝋燭の描かれている場面が相当する。しかし再現部は、単に提示部の場面を再現するのでなく、類似場面ながら、この作品においてきわめて象徴的に表れているように、時間の経過と世界の反転画像を伴っている。
実際、現実世界の場面であるはずの再現部におけるボトルのラベルには夢の中の蝶が描き加えられているし(変化した世界)、絵の中のこの本も、まだ誰も触っていないはずなのに、すでに閉じられた絵本(反転画像)となって存在する。そして、現実に読者がこの絵本を閉じることによって、この絵本の入れ子構造もまた完結する。(提示・再現の作品構造は、後に言及する『きつねのざんげ』にもより完璧な形で現れているので、参照されたい。)
以上のように初期の三部作は、絵と言葉との関係や相互の作品構造においては若干性格の違う絵本作りをしている。しかし、絵本を縦にしたり横にしたり、上下反対にしたり、閉じたり開いたりして、常識的な感覚が軽く揺すぶられながら、絵本の中の絵そのものを主として楽しむという性格は全般に共通している。これら三部作は、非常に新鮮なものとして子供の絵本の世界に迎えられた。
こうして、安野光雅は42歳になって、やっと絵本界にデビューした。そして、昭和45年(1970)、『ふしぎなえ』にシカゴ・トリビューン・オナー賞が与えられ、『さかさま』にも昭和48年(1973)ブルックリン美術館賞が与えられた。40歳代半ば以降、こうした受賞とともに氏の仕事量が急激に増え、堰を切ったように次から次へと新しい作品が生み出されていくことになった。