丸底フラスコのブログ(goo版)

ヤフーブログからの引っ越し組

金沢旅行記 5

2016-07-13 17:07:24 | 絵とか写真
二日目の朝は結構本降りの雨。
雨の勢いは普通にでも、なんせ風が強いので横から降ってくる。


本日は妙立寺という、しかけだらけの通称「忍者寺」へ。
ツアーになってて、事前予約が必要なのですが
朝いちばんなのにすごい人。なかなか人気の名所だった。

広い通りから入っていくと、こじんまりしたお寺。

イメージ 1

門から通りを見たところ。

イメージ 2


時間になると境内にあつまり、申し込み名を言って寺の中へ。
ご本尊の前に、L字型に座る場所が設けられていてそちらへ案内される。

私ら一番の組の後も、同じくらいの数の観覧者が境内に集まっていて順番待ってた。それほど人気なんだ~。


最初、テープでお寺についての解説が流れる。
真面目な男性の解説が続くのだが、そのまじめさ故に
じわじわとした面白さが・・・。
「おひとりで勝手に歩かれると、出てこられなくなる恐れがあります。」
みたいなアナウンスがあり、笑いそうになる。実際くすくす声がする。
もし行かれたら、機械的な解説と思わず、絶対最初から最後まで聞いてほしい。くすっとくるから。

申込者名ごとに呼ばれ、4つのグループに分かれる。
おそらく社員旅行の、鹿児島からの団体さんもいた。


忍者寺といっても、忍者とは一切関係がございません。と解説のお姉さんが繰り返していた。

江戸時代ちょっとしたことで取り潰される諸大名が多くある中、
表だって武士を抱えておくことができないから(あいつ謀反起こそうとしてると思われる)
沢山の寺院群を作り武士が寝泊りできるようにしてある。


だからもし「万一」のことがこの寺で起きていて火でも放たれたら、
今私たちはこの姿を見られなかったかもしれない。


以下、寺の内部は撮影禁止なので文字ばっかの説明になっちゃいます。


落とし穴が2か所あり、そのうち一か所がふだんは賽銭箱として機能している。

入ってそうそう穴があるわけで、これじゃあ参拝客がことごとく落ちてしまうとのことから、通常時は賽銭箱とし非常時は外す。
だから賽銭箱が床に埋まっているという珍しい作りだ。
しかも畳一枚くらいのでっかい賽銭箱。それが二つ。
現代のお金いっぱい入ってた。


もう一つの穴は、普段から薄暗い階段の途中板を外すと
一番下の下男部屋へおっこちてしまう。
敵の落とし穴や、いざというときの逃げ道になる。

今でさえ明かりがあるから見えるけど、当時夕方や夜中にとおったら、多分提灯があろうが行灯があろうが、足元真っ暗で穴は見えない。



金沢城公園の五十軒長屋とくらべると、天井の梁が大きく曲がっている。
これは天然の木をつかっているのと、この地方は湿った重い雪が降るため、積もってもうまいこと力を分散する仕組みになっていた。


お姉さんのうしろに続いてぞろぞろ行くのだが、確かに今自分がどこにいるのかよくわからなくなる。

一緒に回っていたグループの人も「一人で探検してみたい」というくらい、迷路のように面白い。
(そんなことしたら最初の解説の通り、出てこられなくなります)

押入れ開けると隠し階段というのをみて「ドラえもんみたい」という声がでて一同笑った。

今じゃあ欠陥住宅とか言われちゃいそうな屋根の高さが部屋の場所で違う茶室も、それなりの意味と役割があって
建築を考えた人はなかなかの策士だなと思う。少なくとも普通の大工ではなさそうだ。


お姉さんカンペもなくぜーんぶ解説して回ってて、毎回のように同じことしゃべって頭に入っているとはいえ、すごいなあと感心してしまった。
自分記憶力ないからダメだわ。


ここは歴史に詳しくない方でも絶対その建物の仕組み自体が面白いから、絶対損はないと思う。



これ本気でどっかのプラモデルメーカー、特にお城とか出しているところ、企画したら面白いと思うんだけどなあ。
屋根とか階とか取り外せて、仕掛け見られるようにするの。
もちろん仕掛けも動かせる。
お寺が許可しないかもしれないけど。


もう一つ建物自体ではないが面白い仕掛けのモノがある。それは井戸。
建物が井戸を囲むようにたっていて、この井戸が金沢城への逃げ道としてつながっているのではないかという説があるそうだ。

でも途中に川があり、当時の技術で川底のさらに下にトンネル掘るなんでできないから謎とされている。

3階の窓からお茶を汲むための滑車があったり、
何かがあって逃げ道を失ったとき絶対に井戸へ降りられるように
部屋の窓は井戸のある方に必ずあいてるなど、これもわくわくな話だ。
ちゃんと調べた人はいないそうで、どこかの大学の研究チームとかテーマにしそう。



拝観を終えたら次は長町武家屋敷跡へ。
ちょっと小降りになってきたかな。