丸底フラスコのブログ(goo版)

ヤフーブログからの引っ越し組

ただいま

2015-03-28 04:22:22 | ぶつくさ
今日は送別会でした
久々に長居した…いつも二次会はいかない私がこんな時間に帰宅です。

笑あり涙あり人生相談あり仕事相談あり、アニメや音楽やギターの話、歌って食べて飲んでつぶれて
ほかの人の想いや考えを聞けたいい機会でした。
なんかせつなくなった。
今回退職するのはお一人ですが、その人ともっと話できたらよかったな。
作業場も違うからなかなかでしたが。

また明日も頑張ろう。
あ、もう今日か。
はやいとこ寝よう。
起きたとこでいくとは言いましたが
午後じゃさすがにやばいかな。

Surfaceの電源が入らなくなった時の対処法

2015-03-26 01:09:16 | デジタルなもの
購入してまだ1年たってないのに
突然Surfaceの電源が入らなくなってしまった。

最初は電池がないのかな?と10分ほど電源につないで放置。

しかしつかない。

さらに10分放置。

やっぱりつかない。



・・・こ、こわれた?(;A;)


surfaceは書籍型マニュアルはないので、デスクトップパソコンを起動させて対処法を探すとあった!

ペーパーレスはいいけど、これしかパソコン持ってなかったらオワリじゃんか・・・とおもいつつ、
ありがたくその対処法を掲載しているページをみてその通りにやった。



おかげで治った。まったくびっくりしたなーもう。

パソコンて起動してるとランプがちかちかする箇所があるものだが、surfaceは全くそれがない。
それに音も静かなので、ざわざわしているところにいれば
画面が明るくなるまで起動してるんだかしてないんだかわからない。


起動してるのかしてないのか判別つくランプがついてるとよかったな。




対処法:(surface pro3以外はこの方法はダメと言ってた)
1 電源ボタンを30秒押し続ける(公式ページには記載がなかったが、参考にしたサイトに書いてあった)
2 音量の+ボタンと電源ボタンを15秒押しつづけ、その間に一瞬ロゴが表示されるが気にせずにそのまま。
3 10秒最低待って、一度電源ボタンを押す(すぐ離していい)
4 再度電源ボタンを押す→起動するはず


これで起動しない場合は修理だそうです。
なんと、公式マニュアルに書いてないという不思議な対処法。
別のバージョンのsurfaceではやっちゃいけないことだからということなんでしょうけど
書いておいてほしいなあ・・・・・・
びびりましたよ、短期でもうだめにしたのかと。


もしこれを読んでいる方がいつかSurface Pro3をいじる機会があって
こんな目に合ったら、こんな対処法があるよと片隅におぼえておくといいですよ。

参考にさせていただいたサイト様
http://www.nanigoto.com/shutdown/


マイクロソフト
★このリンク先にある「ツーボタンによるシャットダウン」を参照
http://www.microsoft.com/surface/ja-jp/support/warranty-service-and-recovery/surface-pro-wont-turn-on


便利になるのはいいけど、すぐにみられるマニュアルがついてないのって
不慣れなユーザーには酷だとおもう。



決意

2015-03-22 20:36:44 | 無題
捨てるぞ
捨てるぞ
捨てるぞ


貰ってもらえるものは寄付!

目標押し入れ1区画分(くらいの不要物を出すということ)
でかごみ袋の準備はOK!
あ、分別袋、用意してない!

できることなら本棚、雑もの入れがわりの食器棚を半分にしたい!





さあ、ここに書いたちゃとたからには、やらなきゃだめだよ~

日暮里舎人ライナー

2015-03-20 02:04:29 | 無題
先日、日暮里舎人ライナーにのる機会がありました。 モノレールだってこともしらなければ、これ「とねり」だっけ?と読む自信もなかったのに。日暮里のホームも、ガラスのホームドアのむこうの電車本体がよくみえなくておどろいた上、自動運転だっていう。
ハイテクだな~とおもい、自分の乗ってきた車両の最後尾をちらっと振り返ると、窓がおおきい!近い!

いつものJRの感覚だと、運転席のむこうに
線路が遠くに見える作りなうえ、
カーテンされてるとがっかり・・・なのだが
これはもう最前列で見放題な先端部だった。

それに高いところを走っているので、とても景色がいい。

日暮里出たすぐは高いビルの隙間を縫うように走っており、
なんかSF映画っぽいわぁとそれはそれで楽しめた。
しだいに都内ほど高層の建物がなくなり住宅地に。

でも中央線の三鷹~中のあたりの息詰まるほどの密集というかんじがなく、少しゆとりを持った印象。
縦じゃなくて横に大きい建物(商業施設、工場かな)もあるし、学校や運動場っぽいのがあったり。


そして時間帯が夕刻で、日がかなり傾いているのに
それを遮る「山」がないのだ。

冬なんかとくに、自分の家の最寄り駅から南側目の前にみえる山に日がかくれると、「ああもう一日終わっちゃった」と損した気分になる
4時くらいでほんとならまだもう少し日は出てるのに、そこでもう終了感が残念でならない(寒いし)。ここはそれがないな、と思った。
まあモノレールの上という高所から見てるのもあるけど。

西多摩で生活してると、西を見れば山。世界はそこで行き止まり。
でもここは違った。

うすら秩父の山だろうか、西にみえるは見えるが
私が毎日見ている山とは顔が違う。
低くて遠くて「あそこまで世界が広がってんだなあ」と、関東平野を体感できる景色だった。



車窓から見えた光景は、薄く広がる雲がレースのカーテンのように太陽光を柔らかくさえぎっていて、まぶしく無く暗くなくいい暮時。
ちょうど日の右下少し離れた部分に薄ら彩雲じみた色づいた雲が見えた。


扇大橋のあたりでは、ずっと向こうからゆったりとした川幅と土手が続くし、
夜には首都高を照らすオレンジの等間隔の明かりの下を
これまたほぼ等間隔で車の列が動く。


ちょうどモノレールの線路と交差する形で通っていて、電車の両側どちらにも延々と伸びている。


毎日乗っていたら慣れっこになって驚かない景色なのかもしれない。
都内にあまり来ないので、こういう変わった景色が見られるのは楽しい。
いいなあこの線路。また乗りたい。
乗りに行くには遠いけどね。

【投稿ネタ】引っ越しの思い出は?

2015-03-13 00:53:55 | 無題
今だから笑って言えることがあってですね。

おおよそ引っ越しとは言えないかもしれませんが。



もう10年以上前。
まだ祖父が生きていたころ。
「まだらぼけ」といわれる症状が出てきていました
普段普通なのに、あるとき突然おかしいことをいいだすとか
ある事象だけがどうしても理解できないとか
ほんとにまだらに記憶の混乱がみられるような様子です。



次第に夜も寝ずになにやらがたがた家探ししたり
(財布とか通帳とかなんであれ夜中に捜したがるんだろう
そのせいで昼間ガーガー寝ている。


いざ起きれば今昼だか夜だかわからず、本当の夜になったらねられず・・・深夜まで家探しの繰り返し。
また数年前に転んで圧迫骨折したことがあり
夜中寝てるとトイレに行くたび起こすように。毎日2回3回は当たり前です。



こっちも日中仕事があるのでつらくなってきます。
夜中眠いのに起きてって、その不満みたいのも我々からにじみ出ていたのを感じたのかもしれない。

ある時、私の父親(祖父にとっては息子)がどうしてもわからなくなってしまったんですよ。
なぜか祖父の兄(長男のことを「せな」とよびます)と思い込んでしまい、

「せなは働かねぇでいつも(家の)奥にねてやがる」というニュアンスの愚痴を言い始める始末。日中そこにはだれもいないのに。
自分に息子はいる、ということはわかるのに、目の前にいるその息子は「せな」だと言い張る。こっちがもう疲れてしまいます。

徐々に妄想も入ってきたり、自分で思うようにいかなかったり、
周囲の認知能力が落ちてきたんでしょう。
常に「わけがわからねぇ」というように。


ある日突然。
両親がいる部屋でテレビをみていると
突然すごい形相でやってきてなぜか出てけ!と。
父親と言い合いになり、母が仲裁に入りますが、もうどうにもならなくなってきました。

昔から言い出したら聞かない性格の上(近所でもそれで通ってた)、今すぐ出ていかないと本気で火をつけるとかものを投げてくるとか何をしでかすかわからないので
私と父は見切りをつけ、黙々と大きなカバンに荷物を詰め始めました。


母だけが泣きながら祖父を説得しましたが聞きゃ~しない。

洗面所に歯ブラシをとりにくと、廊下を歩いている音で
「まだいるのかよぉ!」と怒鳴られる始末。
その問いかけには無言で、心の中では「もうすぐ出てって一生帰らねえよ!」と思いつつ
ひっつかんでもどってきました。(数か月後戻りましたが)


車に布団を積み込み、最低限の着換えとか服とか日用品、お金や通帳をもちだします。夜中の11時とかそんな時間帯に。

そう、夜逃げも同然で我々は家を出たのです。




私はその時就職活動中・・・

車で2~3分の本家のおばがちょうど入院中で家が空いており、
当時隣に娘さん夫婦がいたおかげで、訳を話し鍵を開けてもらい、1週間ちかく転がり込ませていただきました。
娘さんも家が長期無人でいるよりは人がいてくれたほうが防犯になると快く迎えていただけました。

こんな真夜中に、ひたすらにありがとうございますの言葉しか出ない……。


後日入院中の叔母に事情を話すと、持っているアパートの一室があいてるからと
そこに事が収まるまで借りさせていただけることになりました。
もう足向けて寝られないってこのことよね。



距離的にはそんなに離れておらず、居場所を知られたら来かねないので、父の兄弟にまで住まいを教えませんでした。
そのおかげで教えろ教えないと言い合いになり
「まったくなんでおやじのために兄弟喧嘩なんかしなきゃなんないんだ」と嘆く始末。


一度、駅で当時高校生だった隣に住むいとこにあってしまい
「こっちで会ったこと言わないでね」と念押ししておきました。



私はその間に就職先(最初はアルバイトね)がきまりました。
他の社からも結果を待つ際も、まさかこんな状況で「今履歴書に書いた住所電話にはいません」とは言えず、
「家が工事中なので違うとこにいます。だから何かあったら連絡は携帯電話にお願いします」とうそをついたものです。

まだ当時は週3回だったため休みの日にこっそり家に戻り、
母親と必要なものをくすねてくるという
自分の家なのに泥棒じみたことをしておりました。まったくなぁ……

やはり祖父も一人ではいられず、父の妹や弟がそばに住んでいるので面倒は見てもらえていました。

出て行ってすぐは「こんな家もやしてやんだ」などと父の弟の嫁さんにもらしていましたが、お嫁さんが「じゃあお父さん今日からどこで寝るの?」ときくと、自分も困ることを理解したようです。


長く続くわけがなく、でてって1か月くらいですかね。
結局は戻ってくれないとこまるって言いはじめてると
兄弟たちから連絡があり、話し合いの末家に帰ることになります。

出て行ってすぐは、もう本当に火事になってもおかしくないと
半分覚悟を決めたこともあります。


帰宅してからも周囲の協力のもと、家で面倒はみていました。
交代で泊まりに来てくれたり、きている間はそちらの家で寝かせてもらうこともできて、
施設に入るまでに「でてけ」と言われることは2度とありませんでした。




いまだからこうして笑話で「あの時はほんと災難だったわ~」と
冗談交じりに話せるけど、直後はもう思い出しただけで
怒りがこみあげてくるし、一番世話をしていた父と母に対しての態度が許せなかったものです。
そのくせ自分全然役にたってなかったな…(--;)
せいぜい私が休みの日に日中およびがかかったら何かするくらい。


「お呼び」というのは祖父の枕元にナースコールよろしくセットしてある、押すとチャイムが鳴る仕掛けです
しかしそのおかげで、そのチャイム音は両親のトラウマ。
某コンビニのドアの開く音とおなじなのでその店嫌いだそうです。
コンビニさん貴方のせいではないのよ・・・



ものの数か月ではありましたがなかなかスリリングな期間でした。
もうこんな思いはしたくないですね。
ただそのおかげで、いざというとき必要な持ち出し荷物が
少しわかった気がします。
かといって防災袋の中身とは少し性質が違う気もします。


はい、引っ越しとはいいがたいお話でした。おしまい。