みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

平和の礎(いしじ)

2017年06月23日 | 俳句日記
本来「礎」と書いて「いしじ」と読ませ
ることは無い。
広辞苑にある「いしじ」とは「石地」と
書いた石ころばかりの荒地のことである。

であるから意味を持たせるならば、荒地
ばかりの沖縄戦を象徴した造語というこ
とになろう。
「いしずえ」でもいいのにね。

沖縄戦が終了した日を日米ともに忘れな
いために、26万の戦没者を忘れないために、この日が定められた意義は大きい。

写真は、一昨日越したばかりの宿の町内
にある六地蔵尊の霊場である。
由来は、享保17年(1732年)の飢饉の際に
犠牲となった人々の、弔いと供養の為の
建立とあった。

縄文の古えから途切れることなく死者を
畏敬し、遺された者が「野生の思考」の
もとで死者と共に生きて来た日本人にと
って、当然の祭祀であり供養だった。

3・11後のみちのくでも、あちこちで
供養塔が建立されていた。
死者とともに生き通しの命を生きる。
その供養の心は、今を生きる者の企ての
無い平和を生き抜く良心の逞しさなので
ある。
「沖縄の日」を忘れてはならない。

〈沖縄や 雲の立ちたる 頃となり〉放浪子

6月23日〔金〕晴
本日、ガスが通じた。
昨日は電気、水道は使えた。
平和ならばこその普通のこと。
今日から風呂に入れる。