海外旅行です。 鉄道模型紀行ツアーは1993年からでしたが、それよりも前、1984年にアメリカのシカゴに行ったのでその思い出を書いてみます。 鉄道の旅ではないのですが、少し鉄道や、鉄道模型も出てきます。
1984年、初めてのアメリカ。 1ヶ月間、シカゴ大学に行きました。 職場は職務免除という処置をしてくれて、旅費は出ないけれど、仕事に行かなくても給料は出るというありがたい処置で、上司が頑張ってくれて、なんとかアメリカに行くことになりました。 もちろん、旅費や滞在費など全て自費です。
目的はシカゴ大学の某実験室で実験をしてその結果を持ち帰ることです。当時、教授が日本人で、そこにとても親しい友人が研究員でいたので、私が英語を話せなくても生活はなんとかなるだろう、行くのなら友人が居る今だ、という感じでした。
ツアーではなく一人旅、航空券を買った旅行者の人が、伊丹空港まで付いてきてくれて、チェックイン、成田乗り換え、シアトル乗り換えですが、荷物がちゃんとシカゴのオヘア空港に着くように手続きしてくれました。 海外旅行はロンドンに行ったことがありますが、今回は完全な一人旅でドキドキです。
伊丹、大阪空港からJALで成田に向かいます。
横に座っていたのが、大学生らしき男。 今からアメリカに行って、ヒッチハイクで西海岸から東海岸までアメリカを横断するという。 空港のデッキには彼の友人たちが送りに来て、手を振っている。 まだ、海外旅行が今ほど盛んではなかった頃なので、送りに来ているのだ。
やがて離陸、途中で飛行機が少し揺れ出した。 すると、彼が、「大丈夫でしょうか? 怖い。腕を見てください、」と言うので見ると蕁麻疹のようにブツブツが出ている。 よっぽど心配なのだ。 これで一人でアメリカ横断できるんだろうか? と心配になったが、バスでも揺れる、飛行機だって揺れると言ったら安心したのか、蕁麻疹も治ったようだった。 ほんまに、彼はアメリカ横断をできたのだろうか?
さて、成田。 北ウイングだ。 海外行きのウイングで、歌でもあったが憧れの北ウイングで出発を待つ。 彼ではないが私も期待半分、心配半分だった。
ここから、アメリカのシアトルまでユナイテッドの飛行機だ。 当時であればアンカレッジに寄ったと思うのだが、記憶にない。
アメリカの地図です。 西海岸のカナダに近い街、シアトルで国内線に乗り換えてシカゴに行きます。
今ではイチロウ選手のおかげでシアトルがどこだか知っているでしょうが、当時はシアトルとは一体どこなのかよくわかりませんでした。 飛行機の中にあったこの地図で確認したのでした。
シアトル着陸寸前。 多分、これが初めて撮ったアメリカの写真だ。 車が右側を走っている。 アメリカだ!
この写真はシアトル空港だと思うのですが、今見ると日本語も書いてある。その時には気づかなかった。
ここで、入国審査がありました。
アメリカへの入国は厳しい。 「シカゴに行きます。」 「ホテルは?」 「ホテルではなくアパートに入ります」「アパートの名前は?」 「知りません、オヘア空港まで友人が迎えに来てくれて、アパートまで連れて行ってくれます」 「それじゃあ、わからん、期間は?」「1ヶ月です」「1ヶ月? NO! ダメだ、入国させない」
こんなことを流暢な英語で話せたわけはないのですが、こんな感じで、入国審査員とのやりとり。
入国させないって、ここから日本に帰らなければならない、困った。 見ると間近に日本人ツアー客を連れた日本人のガイドがいる。 あの人に頼んで交渉してもらおうか?
と思った時に。審査員が「帰りのチケットを見せろ」 チケットを見せると、 「OK」 と入国することができました。 アメリカに居座って住み込まれたら困るので、帰りのチケットで帰国を確認したようでした。
これで、一段落ではありません。 荷物チェックです。 チェック室で私のスーツケースが、ちゃんと運ばれて来てチェック。 すんなりOKでしたが、その荷物がまたどこかに運ばれて行ってしまった。 荷物がちゃんとシカゴに着くのか心配でした。
シアトル空港は大きくて、国内線のゲートに行くのに空港内の地下鉄を使います。
地下鉄の中です。 本当に何もかもわからない手探り状態での旅行です。
やがてシカゴのオヘア空港に着きましたが、アメリカは広い。 シアトルとシカゴの間でも時差がある。 だから、何時間乗ったのかよくわからない。
オヘア空港には友人が迎えに来るはずでしたが、実験が忙しくて来られないので、教授の奥さんが来てくれました。 日本人ですが、初対面で、しかも教授夫人。 恐る恐る挨拶をすると、さあ、行きましょうとさっさと歩き出した。 さっぱりした人のようです。 荷物室で受け取ったスーツケースを急いで押して、そう、奥さんは歩くのが速いんです。
車に乗って、オヘアからシカゴのダウンタウンを抜けてアパートのある南の方に向かう。
高速道路のように見える広い道の横を見ると、広い敷地に家が建っている。 どの家もペンキで塗った柵があり、トムソーヤーではないがアメリカの家だ、本当にアメリカに来たのだ。
しかし、車はこんなに錆びた、ガタガタの車が走っている。 雪対策の道路に撒いた塩の為だとのこと。 車検がないのでガタガタになっても乗っているそうだ。 これはシビックだ。 日本でこんなに錆びたシビックを見たことがない。
やがて、目的のアパートに着き、夫人が手続きをして、部屋に連れて行ったもらった。 そして、私はこれで、と帰って行ってしまった。
ここはどこ? どうしたら良いの? ベットと寝具や台所付きの部屋で、とりあえず、そのままで寝られる。
かくして、アメリカ1日目の夜を過ごしたのでした。
そうだ、飛行機の中でのことを思い出した。 スチュワデス(客室アテンダントなんで無粋な言葉ではなかった)が飲み物を聞きに来たので、「ミルク』と言った。 胃が心配だったのでミルクを頼んだのでしたが、持ってきたのは、ビール。 えっ、ミルクじゃないのと思ったのですが、そんなことな事は英語では言えない。 ビールを飲んだのでしたが、この後の海外旅行でも同じ経験をしたことがあります。 ミルクの発音をビールと聞き間違えるなんて? と思うのですが、結構、この間違いはあるそうで、アメリカ人は日本人がミルクと言ったのをビールに聞こえるようです。
つづく
、
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます