2006年ミャンマーに医療事情の調査に行きました。
ヤンゴン到着の翌日

まずは、JICA訪問

ミャンマーの医療事情などを聞きます。 マラリアが多い、などなど。

マイクロバスで移動して

日本大使館です。

大使館の人に挨拶 日本はミャンマーに**億円ほど援助している、中国も発電所を作ったり援助しているなどの情勢を聞いて

立派なレストランに移動して

在ミャンマー日本国大使と昼食です。

マイクロバスで移動。 日本のバスがたくさん走っています。右側通行用にドアを付け足した様です。 もちろん乗用車やトラックも日本のものがほとんど。

今度はメインの訪問先。 ミャンマーの保健省です。 左端の体格が良い人が今回の調査団の団長さんです。
首都は軍の都合で移転しているのですが、保健省は移転せずにヤンゴンにあります。

座っている方が、ミャンマーの保健省の人で、立っている人が通訳です。 団長が色々質問したら通訳がミャンマー語にして話をしてくれるのですが、この通訳さん、ミャンマーも日本のことも色々詳しくて、難しい質問でもちゃんと通訳してくれます。
でも、通訳を挟んではまどろっくしくなってきて、お互いに英語での話になりました。 私はミャンマーでの放射線技師の教育についての質問。 だって、帰った後に報告書を書かなければならないので、幾らかの情報がいるからです。

各人の前に水のペットボトルとティッシュが置かれていました。 ティッシュの箱の絵柄が富士山です。 ちょっとびっくりです。
水も日本で売っている水の様な気がしました。 保健省の人が用意してくれていたものです。
また移動して今度は国立保健検査所です。 これは訪問メンバーに血液検査関係の人がいたからです。
メンバーの関係するところに各一箇所は行く義務があります。

マイクロバスで検査所へ。 男もスカートの様なものを着ていますが、これはロンジーと言います。 ミャンマーでは正装なので、保健省の人やここの職員、もちろん通訳もこのスタイルです。

検査所なので、検査する人たちはほとんど女性でした。 ここでも終いには英語で、この女性たちも英語を話せます。
検査に使う測定機器なども見て

最後にはマイクロバスまで送ってくれて、ミャンマーの人たちは日本人にとても良いのです。 第二次世界大戦で、日本軍がそれまで植民地にしていたイギリス軍を追い払ったので、長年の植民地から解放されて喜んでいる様です。

マイクロバスで移動。 街の風景を見られるのは移動の時だけです。

今度はAMDA (特定非営利活動法人)という施設。 この方は日本人で、ここで母子保健について現地のスタッフを育成しています。 日本から薬を送るだけではダメで、現地での指導が大事とのこと。 偉い人がいるものです。

こういう穴があって、街灯もなく真っ暗なので、夜は外に出ない様にとのこと。 納得です。
やっとホテルに戻りました。

夕食は日航ホテルのレストラン、弁慶です。 MJCというミャンマーを支援している団体のようで、この方達と会食です。
ちなみに、ミャンマーのビールは世界のビールコンクールで賞を取ったそうです。 美味しかったと思ったけれど忘れました。
いやはや、朝から何件、施設を回ったか、そして夜までお仕事。
旅費を出してくれている旅は、キツイです。
つづく