ヤンゴンの日航ホテルの朝。 今日は帰国日です。
お客さんですよとの声に玄関に行くと
ウインさんご夫妻が挨拶に来てくれました。 この旅行記の初めに書いたようにウインさんが日本に研修に来た時に、私が池袋まで迎えに行って、それから3ヶ月間大阪での研修の面倒を見て、たまには京都や奈良に観光にいったりして、とても感謝してくれていたのです。 そして、旦那さんは初めて会ったのですが、私の帰国前に会いに来てくれたのでした。
嬉しいものです。 そしてお土産ももらいました。 ミャンマーのジャケットでした。
そして、お二人が帰ってゆきました。
ヤンゴンの空港に向かいます。 こうい風景も見慣れてきた頃帰国です。
出国検査。 ミャンマーともお別れです。
帰途もバンコクで乗り換えて関西空港に向かいます。
無事にバンコク行きの飛行機に乗りました。 滑走路に出て行く途中で離陸待ち。
これが長い、待っても待っても飛行機は動き出さない。 ここでは軍の飛行機が優先で、民間機は待たされる。
1時間ぐらい待ったかな? やっと離陸して、かなりの遅れです。
この海はどこかな、 インド洋だろうか?
バンコクにつきました。 ここからは東京組と分かれるので、関空に行くのは2人です。
ミャンマーからの飛行機が遅れたので、乗り換え時間がない。
急いで、搭乗ゲートに向かうのだけれど、放送で私の名前が呼ばれている。 近くの係員に連絡してくださいと言っている。 でも、係員を探すよりも搭乗ゲートにさっさと行かなければ。 バンコクの空港内を2人で走ってなんとか搭乗ゲートについた。 係員が乗用車を用意していて、その車で飛行機に向かう。 なんとか、関空行きの飛行機に乗れました。
客はほとんど日本人でした。 大阪に着く頃、近くの席の人が新聞を読んでいるが、ガサガサとうるさい。 新聞はページを繰ったり、折る時にすごくやかましいのです。 周りの人たちもやかましいと思っているのですが、電車でもそうですが新聞を読んでいる人は、自分が雑音を出しているとは思ってはいない。 堂々とガサガサを続けている。
ついに、私の連れが「喧しい」と怒鳴った。 新聞を読んでいたおっさんはこちらを睨んだ。 でも私の連れはリハビリ関係の視察で一緒に行った人ですが、もともと柔道の整復師をしていて、柔道も段を持っている大きな人です。 新聞を読んでいたおっさんは、不服そうにまだ新聞を持っていたけれど、私の連れが睨み返したので、おとなしくなった。
というようなハプニングもあったけれど、無事日本に帰れたのです。
でもね、預けた荷物が間に合わなかった。バンコクでの乗り換えで荷物は乗り遅れていたのです。
数日後、荷物は家まで送られてきました。
ほんとうにこんな感じのところがありました。
公費で行っているので、この後、正式な報告書を書いて、まとめて製本されて、関係部署に配られて旅行は終わりです。 旅行の世話やこういう書類の製作をしていただいた事務方の人、ありがとうございました。
ミャンマーでいろいろ対応していただいた方々ありがとうございました。
マンダレーほか大地震に遭われた方々、お見舞い申し上げます。
ミャンマー旅行 おわり