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鉄道模型のある生活ブログ

鉄道模型にかぎらす、なんでも書いてしまいます。

海外旅行  2006年 ミャンマー 9   マンダレー 1  ホテル近辺の朝

2025年05月05日 | 海外旅行

マンダレーのセドナホテルで一夜明けました。

セドナホテルです。

 

鯉がたくさんいました。

 

近所を散歩しました。 堀の向こうは王宮です。 この辺りで皆さん朝の体操をしていました。

 

お仕事に出かける人たちでしょうか、

 

バスも満員

 

懐かしいようなトラックがありました、MAZDAです。 後ろのバスは富士急の観光バスに見えます。

 

少し裏に回ると、普通の民家や店が並んでいました。

 

朝食はこういう店で外食のようです。

 

麺ですね。 うどん? ラーメン?

 

こんな売り方をしている、洗濯もののようだ。

 

店が並んでいます。

 

八百屋さんでしょう。

 

こういう所もあって、蚊に刺されないようにとの注意を受けています。 刺されるとマラリアになる可能性がある。

でも、蚊は居ませんでしたが、季節の問題でしょうか。

 

とても賑わっている。 ここで朝食を食べてお仕事に出かけるのかな。

 

何かをお祭りしてあるのかな。 うちの町内のお地蔵さんのような感じです。

 

若いお坊さんたち、托鉢でしょうか。  お坊さんは尊敬されています。

 

わんこも幸せそうです。

され、我々もこれからお仕事に出かけます。

つづく

 

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海外旅行  2006年 ミャンマー 8   マンダレーに向かう。

2025年05月02日 | 海外旅行

ヤンゴンからマンダレーに向かいます。 マンダレーは先日の地震で大きな被害を受けた場所。

 

ヤンゴン空港待合室。 このバスで飛行機に向かいます。

どこの市バス? 料金後払いなども書いてあります。

 

しめきりと言う日本語もありますし、中には料金表もあって撤去していません。 日本語の意味がわからないから気にならないのでしょう。 空港の中でこういうバスに乗るのは変な感じ。

 

エアーマンダレーのスッチーさんと。 私の両ほっぺに白いものを塗ってあります。

これは

 

ホテルの玄関に置いてあった木の棒を擦りおろしていますが、これはタナカという木です。 これをほっぺたに塗ると日焼け止めとか言われましたが、美容用らしい。 ほとんどの人がほっぺたに塗っているので私も塗ったのでした。

香りが良いとか言われていますが、気が付かなかった。

 

2時間ほどだったか? マンダレー空港に到着。 この空港は立派で、新しい設備も整っていました。 これは中国が建てたもので、ミャンマーに寄っています。

このマイクロバスでマンダレー市内のホテルに向かいます。

 

夕日が沈みかけてきました。 のどかな田舎という感じです。

 

踏切を越して、コンクリート枕木だ、 新線でしょうか?

 

途中、こんなところに寄りました。

 

ここはお寺です。 キンキラキンの仏像があって、その横に錦蛇がいます。 本物のにしき蛇です。 大きくて太い。 生きています。 蛇は仏様の使いなのです。

 

そしてこの蛇が時間になると、この風呂に入りに来るそうです。 もちろん水を張ってからですが、蛇が風呂に入ってまた、元の仏像の横に戻るそうです。

これが珍しいのでここに案内してくれたようです。

 

こんな写真がありました。 かないませんな。

 

観光客が来ると、さっと物売りが寄ってきます。 通訳さんが何か買っています。

女の人の顔にはタナカがたくさん塗ってあって白いです。

 

これは千葉のバスですね。

さて、ここからマンダレー市内に近づきますが、ものすごい車とバイクの量で、交通規則も何もありゃあしないという感じで前から突っ走ってきます。 そこをマイクロバスが警笛を鳴らして突っ切る。

いつ正面衝突をするのかと気が気ではない、ここで死ぬのかと思ったほどの混雑をぶっ飛ばしてやっとホテルに着きました。

 

ホテルに着きました。 セドナホテルと言う立派なホテルです。

交通事故に遭わなくてよかったねと、乾杯です。

 

金髪系も泊まっています。

 

もちろん、肉は焼いて食べますが、いろいろな食材があります。

 

ステージではショーも

 

ロビーで一杯

 

部屋です。 アメニティーも揃っていました。

 

さて、明日も忙しいぞ!

 

つづく

 

 

 

 

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海外旅行  2006年 ミャンマー 7   ヤンゴン 2日目  駅と

2025年04月30日 | 海外旅行

東ヤンゴン総合病院の後、ヤンゴン伝統医療病院に向かう途中

 

陸橋を越えたところで、鉄道の線路を見つけました。

ヤンゴン駅です。

列車の写真を撮りたいと通訳に頼んで駅に連れて行ってもらいました。

ヤンゴンの玄関ですから立派な駅です。

 

でも自由に写真を撮る訳にはゆきません。 駅は軍事施設とみなされているので、軍の許可が必要です。

通訳が、交渉に行ってくれました。 ちょっと駅の中と止まっている列車を撮影したいと、 でも、ダメでした。

撮影不可、ということで、この写真が限度でした。

後からパンフレットで列車の写真を見ました。

こんな感じの列車です。

ちなみにイタリアでも鉄道は軍事施設で、ミラノ駅で写すときには多少気を使いながら写しましたが、観光地以外のところで鉄道を写す時には警察に連行されるかもしれないので注意と旅行書で見たことがあります。

 

さて、

ヤンゴン伝統医療病院です。ここは昔から伝わっている薬草や針などを使っている病院です。 

 

左に見える袋の中に薬草を詰めて、蒸して温めて使います。

カセットコンロのYTMH、なるほどです。

 

施術しているところです。 

町では西洋医学と伝統医学が半々ぐらいで、患者が自分でどちらかを選択してやってくるそうです。 田舎は70%ぐらいが伝統医学。

 

ここでもおやつを出してくれましたが、ティシュの箱が、梅の花でしょうか? これもなんとなく日本風です。

 

実習生かどうか、若い女の人がたくさんいたので、中に割って入って写真を撮ってもらいました。

 

この病院の近所です。 店だか民家だかがたくさんありますが、屋根の上の大きなアンテナが気になりました。 衛星放送?

 

天秤棒を担いて、私の子供の頃は日本でもまだまだたくさんありました。 懐かしいです。

 

ヤンゴンに来てホテルかどこかの施設にしか足を下ろしていない。 一度普通の地面を歩かせてと、少し町を歩いたと言うか立っただけです。 街中にいくつもパゴダがあります。 これも有名なパゴダです。

 

おぼうさんが歩いていました。 この旅行記の初めに上島上等兵がこんな姿で送りに来たと言う小説の話をしました。

 

この建物が、かって日本軍の司令本部が置かれていた所です。

ミャンマーは当時、ラングーンと呼ばれていました。 ビルマのラングーンです。

ラングーンの司令本部、これを聞いて懐かしいと思う人はかなりのお歳です、私にとっては昔聞き慣れた地名です。

 

またまた、陸橋を越えました。 今度は列車がチラッと見えました。

 

これから、飛行機でマンダレーに向かいます。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

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海外旅行  2006年 ミャンマー 6   ヤンゴン 2日目  東ヤンゴン総合病院

2025年04月27日 | 海外旅行

ミャンマー、1日目にいろいろ訪問して、今日は2日目です。

日航ホテルでの朝食です。 特にミャンマーという食べ物ではありません。

今日は東ヤンゴン総合病院に向かいます。 お仕事です。

 

当時、軍が政治をしていたので、アウンサン・スーチーさんは幽閉されていました。 こういう池の横の家です。 教えてもらいましたが、その方向を見るだけで軍に見られるとややこしいことになるので、それとなく眺めた程度です。

その後、民主化でスーチーさんが事実上の最高責任者になったのですが、2021年には軍のクーデーターで刑務所に収監されているとのことです。

この写真は船のレストランです。 帰国前の夜に行きました。

 

東ヤンゴン総合病院到着

ここには私の病院で研修を受けたウインさんがいます。 そのためにこの病院を訪問したのです。

たくさんの人が出迎えてくれましたが、新聞社カメラマンの要請で、ウインさんと記念写真です。

 

島津製のX線装置です。 多分日本から寄付したものでしょう。

私も使ったことがあって懐かしい。

 

もっと懐かしいのが、壁にある茶色い扉。 パスボックスです。 フィルム時代、暗室とのカセッテのやりとりにこの扉を使って受け渡ししていました。 扉の奥の部屋は暗室です。

 

フィルムが入ったカセッテです。 サイズが大角なので、胸部を撮影したのでしょう。 メモは患者の氏名か?

カセッテは日本の岡本製です。一目でわかります。

 

暗室の中。 現像タンクです。 汚く見えますが、現像液が酸化してすぐにこんな色になってしまいます。

壁にかかっている暗室ランプも懐かしい。

 

AGFAのレントゲンフィルムの箱。 テストで使ったことがありますが、アグファはドイツの会社で、当時コダックについで世界2番目に大きなフィルム会社でした。 

 

フィルムハンガーです。 真っ暗な部屋の中で、レントゲンフィルムを一枚ずつこのハンガーに取り付けて、現像タンクに入れて現像、定着、水洗と処理をしたものです。 その後、自動現像機ができてハンガーは使わなくなって、その後はデーラートシステムになって暗室がなくても現像できるようになり、そして、ディジタルに変わってまったく銀塩フィルムは使わなくなりました。

 

左端が放射線科の先生、総看護師長さんたちと記念写真。

 

若い人たちがたくさんいたので聞くと、放射線技師の学生で、実習に来ているとのこと。 がんばれよと言って記念写真。

当時、私も日本の放射線技師の学校で教えていたので、とても身近に感じたのでした。

 

リハビリの部屋で、頚椎の牽引機があったので、牽引してもらっています。 みんな大はしゃぎ。

 

院長さんは女性です。 おやつが出されました。 ミャンマーらしい食べ物はこれが初めてです。 病院あげての大歓迎でした。

 

院長さんはじめ、みなさん送りに来てくれて、ウインさんが手を振っています。 わざわざ日本から会いに来てくれて嬉しかったようです。

この写真で病院の建物が分かりますが、ヤンゴンは中堅クラスの病院です。

 

ミャンマー つづく

 

 

 

 

 

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海外旅行  2006年 ミャンマー 4   ヤンゴンにて1日目

2025年04月21日 | 海外旅行

2006年ミャンマーに医療事情の調査に行きました。

ヤンゴン到着の翌日

まずは、JICA訪問

 

ミャンマーの医療事情などを聞きます。 マラリアが多い、などなど。

 

マイクロバスで移動して

 

日本大使館です。

 

大使館の人に挨拶  日本はミャンマーに**億円ほど援助している、中国も発電所を作ったり援助しているなどの情勢を聞いて

 

立派なレストランに移動して

 

在ミャンマー日本国大使と昼食です。

 

マイクロバスで移動。 日本のバスがたくさん走っています。右側通行用にドアを付け足した様です。 もちろん乗用車やトラックも日本のものがほとんど。 

 

今度はメインの訪問先。 ミャンマーの保健省です。 左端の体格が良い人が今回の調査団の団長さんです。 

首都は軍の都合で移転しているのですが、保健省は移転せずにヤンゴンにあります。

 

座っている方が、ミャンマーの保健省の人で、立っている人が通訳です。 団長が色々質問したら通訳がミャンマー語にして話をしてくれるのですが、この通訳さん、ミャンマーも日本のことも色々詳しくて、難しい質問でもちゃんと通訳してくれます。

でも、通訳を挟んではまどろっくしくなってきて、お互いに英語での話になりました。 私はミャンマーでの放射線技師の教育についての質問。 だって、帰った後に報告書を書かなければならないので、幾らかの情報がいるからです。

 

各人の前に水のペットボトルとティッシュが置かれていました。 ティッシュの箱の絵柄が富士山です。 ちょっとびっくりです。

水も日本で売っている水の様な気がしました。 保健省の人が用意してくれていたものです。

 

また移動して今度は国立保健検査所です。 これは訪問メンバーに血液検査関係の人がいたからです。

メンバーの関係するところに各一箇所は行く義務があります。

 

マイクロバスで検査所へ。 男もスカートの様なものを着ていますが、これはロンジーと言います。 ミャンマーでは正装なので、保健省の人やここの職員、もちろん通訳もこのスタイルです。

 

検査所なので、検査する人たちはほとんど女性でした。 ここでも終いには英語で、この女性たちも英語を話せます。

検査に使う測定機器なども見て

 

最後にはマイクロバスまで送ってくれて、ミャンマーの人たちは日本人にとても良いのです。 第二次世界大戦で、日本軍がそれまで植民地にしていたイギリス軍を追い払ったので、長年の植民地から解放されて喜んでいる様です。

 

マイクロバスで移動。 街の風景を見られるのは移動の時だけです。 

 

今度はAMDA (特定非営利活動法人)という施設。 この方は日本人で、ここで母子保健について現地のスタッフを育成しています。 日本から薬を送るだけではダメで、現地での指導が大事とのこと。 偉い人がいるものです。

 

こういう穴があって、街灯もなく真っ暗なので、夜は外に出ない様にとのこと。 納得です。

やっとホテルに戻りました。

 

夕食は日航ホテルのレストラン、弁慶です。 MJCというミャンマーを支援している団体のようで、この方達と会食です。

ちなみに、ミャンマーのビールは世界のビールコンクールで賞を取ったそうです。 美味しかったと思ったけれど忘れました。

 

いやはや、朝から何件、施設を回ったか、そして夜までお仕事。

旅費を出してくれている旅は、キツイです。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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