車でイギリスの田舎を走っています。


車でイギリスの田舎を走っています。
鉄道模型のある生活ブログはFC2ブログに引っ越ししました。
こちらのブログは、そのうちに閉鎖されますが、それまでは見ることができるはずです。
ただし、数日中に更新はしなくします。
FC2のブログの使い方がよくわからないと昨日も書いたのですがこのgooブログでもあまり良くわからずに使っていました。 それは用語です。 テンプレートとかプラグインとかその他いろいろの用語がわからない。 例が載っていないので、下手に触ると元に戻せなくなりそうで怖いのです。
というような苦労をしていますが
今日は、FC2ブログには海外旅行を書きました。これはこちらのブログにあったカテゴリーを一通り作りたいからです。
海外旅行 1979年 イギリス旅行
ヤンゴンの日航ホテルの朝。 今日は帰国日です。
お客さんですよとの声に玄関に行くと
ウインさんご夫妻が挨拶に来てくれました。 この旅行記の初めに書いたようにウインさんが日本に研修に来た時に、私が池袋まで迎えに行って、それから3ヶ月間大阪での研修の面倒を見て、たまには京都や奈良に観光にいったりして、とても感謝してくれていたのです。 そして、旦那さんは初めて会ったのですが、私の帰国前に会いに来てくれたのでした。
嬉しいものです。 そしてお土産ももらいました。 ミャンマーのジャケットでした。
そして、お二人が帰ってゆきました。
ヤンゴンの空港に向かいます。 こうい風景も見慣れてきた頃帰国です。
出国検査。 ミャンマーともお別れです。
帰途もバンコクで乗り換えて関西空港に向かいます。
無事にバンコク行きの飛行機に乗りました。 滑走路に出て行く途中で離陸待ち。
これが長い、待っても待っても飛行機は動き出さない。 ここでは軍の飛行機が優先で、民間機は待たされる。
1時間ぐらい待ったかな? やっと離陸して、かなりの遅れです。
この海はどこかな、 インド洋だろうか?
バンコクにつきました。 ここからは東京組と分かれるので、関空に行くのは2人です。
ミャンマーからの飛行機が遅れたので、乗り換え時間がない。
急いで、搭乗ゲートに向かうのだけれど、放送で私の名前が呼ばれている。 近くの係員に連絡してくださいと言っている。 でも、係員を探すよりも搭乗ゲートにさっさと行かなければ。 バンコクの空港内を2人で走ってなんとか搭乗ゲートについた。 係員が乗用車を用意していて、その車で飛行機に向かう。 なんとか、関空行きの飛行機に乗れました。
客はほとんど日本人でした。 大阪に着く頃、近くの席の人が新聞を読んでいるが、ガサガサとうるさい。 新聞はページを繰ったり、折る時にすごくやかましいのです。 周りの人たちもやかましいと思っているのですが、電車でもそうですが新聞を読んでいる人は、自分が雑音を出しているとは思ってはいない。 堂々とガサガサを続けている。
ついに、私の連れが「喧しい」と怒鳴った。 新聞を読んでいたおっさんはこちらを睨んだ。 でも私の連れはリハビリ関係の視察で一緒に行った人ですが、もともと柔道の整復師をしていて、柔道も段を持っている大きな人です。 新聞を読んでいたおっさんは、不服そうにまだ新聞を持っていたけれど、私の連れが睨み返したので、おとなしくなった。
というようなハプニングもあったけれど、無事日本に帰れたのです。
でもね、預けた荷物が間に合わなかった。バンコクでの乗り換えで荷物は乗り遅れていたのです。
数日後、荷物は家まで送られてきました。
ほんとうにこんな感じのところがありました。
公費で行っているので、この後、正式な報告書を書いて、まとめて製本されて、関係部署に配られて旅行は終わりです。 旅行の世話やこういう書類の製作をしていただいた事務方の人、ありがとうございました。
ミャンマーでいろいろ対応していただいた方々ありがとうございました。
マンダレーほか大地震に遭われた方々、お見舞い申し上げます。
ミャンマー旅行 おわり
マンダレーの空港です。
中国が作ったのでヤンゴン空港より豪華なのですが、ここで乗るはずの飛行機が何故か、オーバーブッキング? か何かで、二人しか余裕がなく、団長ともう1人が先に帰って、我々3名、すなわち王宮に一緒に行った仲良し3人組は後の便でということになりました。
マンダレー:ヤンゴン間の便は1時間に一本ほどあり、けっこう飛んでいます。
空港のレストランで、まずは昼食。 カレーライスです。
そして、ビール。 団長がいないと良いんです、居られると気を遣ってビールなど飲めない。 飛行機に乗れなくてよかった、自由時間を楽しめます。
やはり日本の市バスみたいな空港内バスでこの飛行機に乗りにゆきます。
アテンダントさんは綺麗な人です。
ヤンゴンに着いて市場を覗いてみました。 ヤンゴンの街の普通のところに行ったことがないので少し覗いたのですが、夕方ですでに店は閉まっている時間でした。
夕食を食べている家族がいました。 暑い国なのでしょうか、こうやって外で食事をしている姿はよく見かけました。
ホテルに帰ったあと、この船の形をしたレストランに行きます。 ミャンマー最後の夜です。
入り口です。 ビルマの昔の武士の格好だろうか。
大きなレストランです。
バイキングです。 豪華なレストランでしょう。
こんなものを持ってきたのですが、美味しそうかどうか、ご自分で判断してください。
舞台ではいろいろな催し物をやっています。
そこに、私のところに日本人のお爺さんがやってきて
日本酒の紙パックをくれました。 月桂冠だ、本社は我が家から歩いて5分のところにある伏見の銘酒だ。 嬉しい!
仲間は「ミャンマーにも知り合いがいて顔が広いんですね」と言うのですが、実はこのお爺さんは、昨日マンダレーヒルの上で、夕日の撮り方を教えたあげた人だったのです。 奇遇にもここで顔を見かけたので、お酒を持って来てくれた。 やはり人には親切にしておくものです。
ミャンマーの夜は更けてゆきます。 明日は帰国です。
つづく
マンダレー セドナホテルの朝です。 朝食後出発前、
ホテルにプールがあります。 この周りはマラリアを運んでくる蚊を徹底的に駆除してあるので安心との事。
プールに入りました。 ドイツ旅行の時に水着はいつも持って行った方が良いと習ったので海外旅行にはいつも持って行きます。
優雅な感じでしょう?
目の保養にもなるし。
本日は、伝統治療院を訪問。 上のプールの写真と対照的でしょう? これがミャンマーの面白いところで、立派な所と素朴な所が共存している、とはいえ立派な所はちょっとだけですけれど。 この建物は立派な方です。
こういう薬草を使って治療するんです、薬として飲むのではなくて温めて治療。
そこで、私もモデルになって、治療してもらっています。 女性の持っている袋の中に薬草が入っていて温かい。
ここでもおやつで歓迎されました。
さて、今日はこれからヤンゴンに帰ります。
途中美しい服を作っている店に寄りました。
綺麗な糸がたくさんあって
大きな作業場で機織機がたくさんあって、若い人たちがたくさん働いていました。
プログラムが貼ってあります。それに沿ってこの糸を通して機織りをしているのです。
鏡を入れて、織っている布の裏を見せてくれました。 花柄が見えています。 こういう仕事をこの娘さんたちはしているんだ。
その横には芸能人? のプロマイドが貼ってあって、お気に入りの人の顔を見ながらの仕事です。 やはり若い娘さんだ。
こんな大きなポスターも貼ってありました。
マイクロバスで空港に向かっています。
料金所みたいな柵があって、ここから高速道路?
とても高速道路とは思えない。 牛が荷物を牽いている。
たくさん人が歩いている、何でだろう? 祭り??
やっぱり何かあったみたい。見物人がたくさんいました。
ここにも牛車が
こういう情景も癒される感じです。
私としては横にある鉄道の線路を睨んでいて、列車が来たら写そうと狙ったのですが来なかった。 腕木信号が写っています。
というような景色にところを通ってマンダラ空港に戻って来ました。
ヤンゴンまで行くのですが、ここでちょっとトラブルが、
つづく