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「総員死ニ方用意」 戦艦大和乗組員たちの遺書

2024年06月23日 16時17分15秒 | 一言
 「総員死ニ方用意」の文字。乗組員たちは遺書をしたため、親元に形見を送りました。死地に赴く特攻作戦。1945年4月6日、戦艦大和が向かった先は沖縄でした。
 当時の連合艦隊首席参謀はこう主張していたそうです。「沖縄のあの浅瀬に大和がノシ上げて、一八吋(インチ)砲を一発でも射ってごらんなさい。日本軍の士気は上がり、米国軍の士気は落ちる。どうしてもやらなくてはいかん」。(吉田満・原勝洋著『ドキュメント戦艦大和』)。
 しかし翌7日には米軍の猛攻をうけ、沖縄のはるか手前の海で撃沈。乗組員3332人のうち、3056人が亡くなったとされています。きょう沖縄「慰霊の日」を前に、「平和の礎(いしじ)」には昨年に続き大和乗組員の名が多く刻まれました。
 沖縄戦で亡くなったすべての人々を対象とし、戦争の実相を後世に正しく継承するという礎。新たな刻銘をふくめ、これで24万2225人の名前が記されたことに。戦後50年となる95年の建立後、今も増え続けています。
 本土決戦の捨て石とされ、失われていったあまたの命。ふたたび軍備が強化され、辺野古の米軍新基地建設でも大浦湾の工事が強行されようとしている沖縄。デニー知事は今年の「慰霊の日」に、来年の戦後80年に向けて沖縄の思いを力強く発信すると。
 大和の沈没後に救助され生還した乗組員は、のちの世に伝えたい思いを残しています。「絶対に昔の軍国時代みたいにならないようにして、平和な世の中を送ってもらいたい。それだけが願いです」


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