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原発事故収束していない

2013年04月09日 08時55分25秒 | 一言

  東電の汚染水漏水問題により、原発事故は収束などしていないことが、東電事故調査委員会の黒川清元委員長らの参考人質疑で語られました。国会事故調査委員会は昨年7月に解散しましたが、国会として調査について説明を直接聞くのは初めてで、10人中9人が出席しました。この中で委員長であった黒川氏は「事故はまだ明らかに収束していない。放射性廃棄物の問題、水もあるし、”ネズミ1匹の問題もある。実地調査も実現していない」。原子力規制委員会が策定中の新規制基準にかんしても「日本の原発の深層防護というのは大変不十分だ。世界最高水準の原子力安全策とはいえない」と指摘しました。

  崎山比早子元委員は「周辺の県の線量が高い地域も福島と同じように国の責任で健康管理を行う必要がある」と求め、野村修也元委員も規制当局が事業者の「虜」となっていると報告書で述べた体質は「変わっていない」と指摘しました。

  首相官邸前抗議行動も続く中、これらの指摘をまともに考えるなら、収束、再稼働など、ありえません。


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1 コメント

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this way (noga)
2013-04-09 13:52:46
安全は大好きだ。神話も好きだ。安全神話作りは得意で、すぐに信じられる。広めるのもたやすい。
我が国の国策は、安全神話と深く関係しているに違いない。
だが、最悪のシナリオを想定するのはひどく難しい。恣意の人ならそうなる。
これは、平和ボケのようなものか。

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も投降して、75000人以上の将兵の命を救った。
太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるし、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。
日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はないのか。
人命の尊重はどのように考えられていたのであろうか。

それでも日本人は、原発の再稼働を選んだ。
一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。

意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思のないところに解決法はない。
意思は未来時制の内容であり、日本語には時制がない。
それで、日本人には意思がなく、解決法が見つけられない。
自然鎮火を待つのみか。

耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲す。
不自由を常と思えば不足なし。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。
私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、

わかっている、わかっている。皆、わかっている。
ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
十二歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。教養がない。
わかっちゃいるけど やめられない。ア、ホレ、スイスイ、、、、

白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。
我々は、自らは望むことなく危機に陥る民族なのか。


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