ルツ記1章19~22節(日本聖書協会「新共同訳」)
ベツレヘムに着いてみると、町中が二人のことでどよめき、女たちが、ナオミさんではありませんかと声をかけてくると、ナオミは言った。
「どうか、ナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください。全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです。
出て行くときは、満たされていたわたしを
主はうつろにして帰らせたのです。
なぜ、快い(ナオミ)などと呼ぶのですか。
主がわたしを悩ませ
全能者がわたしを不幸に落とされたのに。」
ナオミはこうして、モアブ生まれの嫁ルツを連れてモアブの野を去り、帰って来た。二人がベツレヘムに着いたのは、大麦の刈り入れの始まるころであった。
使徒言行録11章4~18節(日本聖書協会「新共同訳」)
そこで、ペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた。「わたしがヤッファの町にいて祈っていると、我を忘れたようになって幻を見ました。大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、天からわたしのところまで下りて来たのです。その中をよく見ると、地上の獣、野獣、這うもの、空の鳥などが入っていました。そして、『ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい』と言う声を聞きましたが、わたしは言いました。『主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は口にしたことがありません。』すると、『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない』と、再び天から声が返って来ました。こういうことが三度あって、また全部の物が天に引き上げられてしまいました。そのとき、カイサリアからわたしのところに差し向けられた三人の人が、わたしたちのいた家に到着しました。すると、“霊”がわたしに、『ためらわないで一緒に行きなさい』と言われました。ここにいる六人の兄弟も一緒に来て、わたしたちはその人の家に入ったのです。彼は、自分の家に天使が立っているのを見たこと、また、その天使が、こう告げたことを話してくれました。『ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。あなたと家族の者すべてを救う言葉をあなたに話してくれる。』わたしが話しだすと、聖霊が最初わたしたちの上に降ったように、彼らの上にも降ったのです。そのとき、わたしは、『ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは聖霊によって洗礼を受ける』と言っておられた主の言葉を思い出しました。こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。」この言葉を聞いて人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した。
5月28日(日)のペンテコステ礼拝以降、毎週の日曜日の礼拝では、教会の誕生から始まり、キリストの福音を宣べ伝える使徒たちや教会の様子をたどってきました。
使徒言行録8章以降を振り返ってみますと、8章で、福音宣教者と呼ばれたフィリポがサマリアで伝道したこと、エチオピア人の宦官に洗礼を授けたことが記されていました。
これらの出来事は、1章8節に記されている「エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」という主イエスの言葉が着々と実現していることを示しています。エチオピア人の宦官の洗礼の出来事は「地の果てに至るまで」、すなわち異邦人伝道が行われていくことの端緒になった出来事です。そして、使徒言行録は、異邦人伝道がさらに進められていく様子を伝えます。
9章になると、教会を迫害していたサウロ、後にキリストの使徒となってパウロという名前になります。そのパウロが召されてキリスト者になる様子が描かれています。その中で、「あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である」と神が宣言する場面が描かれています。パウロが伝道のために宣教旅行する様子は13章以降に記され、その宣教旅行において、異邦人へも福音を宣べ伝えたことが教会に報告されています。今日の説教の題である「異邦人に信仰の門が開かれた」はその報告の場面(14:27)からとったものです。
さて、フィリポの伝道とパウロの伝道の間に記されている使徒言行録11章は、ペトロがカイサリアで行った異邦人伝道についてエルサレムの教会に報告をした場面です。8章に記されていたフィリポのエチオピア人の宦官への伝道は異邦人への福音宣教ということでは重要な意味を持っていましたが、サマリア伝道の時のように教会が関わってはいなかったので、フィリポ個人の働きだったと言えます。しかし、ペトロの福音宣教の出来事がエルサレムの教会へ報告をし、それを教会が受け入れ、「神を賛美した」とあるので、異邦人への伝道が個人的な働きでなく、教会としての業となったと言えます。
全ての人を救う神の御計画は、アブラハム、イサク、ヤコブに告げられ、預言者たちもそのことを伝えていました。しかし、長い歴史の中で、そのことが忘れられ、また誤った選民思想によって自分たちの救いだけを考えるようになっていました。キリストが使徒たちをユダヤ人と異邦人に派遣し、神の救いを宣べ伝えさせました。このように異邦人への伝道は、神の民の歴史の新しい始まりとなったのです。
ベツレヘムに着いてみると、町中が二人のことでどよめき、女たちが、ナオミさんではありませんかと声をかけてくると、ナオミは言った。
「どうか、ナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください。全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです。
出て行くときは、満たされていたわたしを
主はうつろにして帰らせたのです。
なぜ、快い(ナオミ)などと呼ぶのですか。
主がわたしを悩ませ
全能者がわたしを不幸に落とされたのに。」
ナオミはこうして、モアブ生まれの嫁ルツを連れてモアブの野を去り、帰って来た。二人がベツレヘムに着いたのは、大麦の刈り入れの始まるころであった。
使徒言行録11章4~18節(日本聖書協会「新共同訳」)
そこで、ペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた。「わたしがヤッファの町にいて祈っていると、我を忘れたようになって幻を見ました。大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、天からわたしのところまで下りて来たのです。その中をよく見ると、地上の獣、野獣、這うもの、空の鳥などが入っていました。そして、『ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい』と言う声を聞きましたが、わたしは言いました。『主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は口にしたことがありません。』すると、『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない』と、再び天から声が返って来ました。こういうことが三度あって、また全部の物が天に引き上げられてしまいました。そのとき、カイサリアからわたしのところに差し向けられた三人の人が、わたしたちのいた家に到着しました。すると、“霊”がわたしに、『ためらわないで一緒に行きなさい』と言われました。ここにいる六人の兄弟も一緒に来て、わたしたちはその人の家に入ったのです。彼は、自分の家に天使が立っているのを見たこと、また、その天使が、こう告げたことを話してくれました。『ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。あなたと家族の者すべてを救う言葉をあなたに話してくれる。』わたしが話しだすと、聖霊が最初わたしたちの上に降ったように、彼らの上にも降ったのです。そのとき、わたしは、『ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは聖霊によって洗礼を受ける』と言っておられた主の言葉を思い出しました。こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。」この言葉を聞いて人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した。
5月28日(日)のペンテコステ礼拝以降、毎週の日曜日の礼拝では、教会の誕生から始まり、キリストの福音を宣べ伝える使徒たちや教会の様子をたどってきました。
使徒言行録8章以降を振り返ってみますと、8章で、福音宣教者と呼ばれたフィリポがサマリアで伝道したこと、エチオピア人の宦官に洗礼を授けたことが記されていました。
これらの出来事は、1章8節に記されている「エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」という主イエスの言葉が着々と実現していることを示しています。エチオピア人の宦官の洗礼の出来事は「地の果てに至るまで」、すなわち異邦人伝道が行われていくことの端緒になった出来事です。そして、使徒言行録は、異邦人伝道がさらに進められていく様子を伝えます。
9章になると、教会を迫害していたサウロ、後にキリストの使徒となってパウロという名前になります。そのパウロが召されてキリスト者になる様子が描かれています。その中で、「あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である」と神が宣言する場面が描かれています。パウロが伝道のために宣教旅行する様子は13章以降に記され、その宣教旅行において、異邦人へも福音を宣べ伝えたことが教会に報告されています。今日の説教の題である「異邦人に信仰の門が開かれた」はその報告の場面(14:27)からとったものです。
さて、フィリポの伝道とパウロの伝道の間に記されている使徒言行録11章は、ペトロがカイサリアで行った異邦人伝道についてエルサレムの教会に報告をした場面です。8章に記されていたフィリポのエチオピア人の宦官への伝道は異邦人への福音宣教ということでは重要な意味を持っていましたが、サマリア伝道の時のように教会が関わってはいなかったので、フィリポ個人の働きだったと言えます。しかし、ペトロの福音宣教の出来事がエルサレムの教会へ報告をし、それを教会が受け入れ、「神を賛美した」とあるので、異邦人への伝道が個人的な働きでなく、教会としての業となったと言えます。
全ての人を救う神の御計画は、アブラハム、イサク、ヤコブに告げられ、預言者たちもそのことを伝えていました。しかし、長い歴史の中で、そのことが忘れられ、また誤った選民思想によって自分たちの救いだけを考えるようになっていました。キリストが使徒たちをユダヤ人と異邦人に派遣し、神の救いを宣べ伝えさせました。このように異邦人への伝道は、神の民の歴史の新しい始まりとなったのです。