イザヤ書62章10~12節(日本聖書協会「新共同訳」)
城門を通れ、通れ、民の道を開け。
盛り上げよ、土を盛り上げて広い道を備え
石を取り除け。
諸国の民に向かって旗を掲げよ。
見よ、主は地の果てにまで布告される。
娘シオンに言え。
見よ、あなたの救いが進んで来る。
見よ、主のかち得られたものは御もとに従い
主の働きの実りは御前を進む。
彼らは聖なる民、主に贖われた者、と呼ばれ
あなたは尋ね求められる女
捨てられることのない都と呼ばれる。
ローマの信徒への手紙1章8~15節(日本聖書協会「新共同訳」)
まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。わたしは、御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています。その神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。兄弟たち、ぜひ知ってもらいたい。ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望んで、何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているのです。わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。それで、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです。
使徒パウロがローマの信徒への手紙を書いたのは、いわゆる第三宣教旅行と呼ばれる旅の途中で、ギリシアにあるコリントという町での二度目の滞在の時でした。一度目のコリント滞在は第二宣教旅行の時で、そこで約一年半滞在し、その時にローマから来ていたアキラとプリスキラの夫婦に出会っています。その後、パウロは彼らと一緒にエフェソに行き、そこで別れました。彼らと一緒にいる間に、パウロはローマについての情報を得ていたと思われます。ローマの信徒への手紙の最後のあいさつで、パウロが「プリスカとアキラによろしく」と言っているのもこういう出会いがあったからでした。第一回目のコリント滞在期間中に異邦人伝道の決意を固め、ユダヤ人にだけでなく異邦人にも積極的に伝道していくようになりました。こうして、第三宣教旅行の時、ローマに行くビジョンを胸に抱き、さらには西地中海世界にまで伝道しようという思いを強くしていったのです。それは、決してパウロの個人的な関心からというのではなく、世界中の人々に福音を宣べ伝えることは神の御計画であり、そのために、自分が使徒に立てられていると確信していたからです。
8~15節において、パウロがこの手紙の目的を記していますが、15章22節以下でもローマ訪問の目的を記しています。ローマの信徒たちとの信仰の交わりを持ち、さらにはイスパニア(現在のスペイン地方)にまで伝道に行きたいのです。もちろん、神のお許しがあればということです。1章13節に「何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられている」とあり、15章22節でも同じように記しています。また、使徒言行録を見てみますと、パウロが宣教旅行の時に何度も聖霊に妨げられたことが記されています。具体的な事情は分かりませんが、パウロの伝道が神の御計画と導きによるものであることを示しています。パウロのローマ訪問も、すぐに実現したわけではありませんでしたし、しかも囚人として護送されてローマに到着したのです。このことも神の御計画であると使徒言行録は記し、パウロもそのように考えていたことは間違いありません。すべての人を救うことが神の御心です。それを思うと、神が伝道を妨げるとは考えにくいことです。しかし、そこに神の知恵の深さがあるとパウロは考えているのです。主イエス・キリストが十字架にかかられ、それを神の救いと信じることは私たちには愚かとしか見えません。しかし、神はそれによって、信じるすべての人を救おうとお考えになったのです。(Ⅰコリント1:18~25) 救いが人間の知恵や力によらず、神の力によるものとなるためでした。それゆえパウロは言います。「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。『いったいだれが主の心を知っていたであろうか。だれが主の相談相手であっただろうか。』」(ローマ11:33~34)
神が伝道を妨げることは一見矛盾しているようでも、すべての人を救うという神の御計画は変わることはなく、確かなことなのです。それゆえ、パウロも目を神に向け、神の御計画と導きを信じつつ、伝道に励んでいるのです。私たちも神に目を向け、救いを確信し、全ての人々に福音を宣べ伝えましょう。
城門を通れ、通れ、民の道を開け。
盛り上げよ、土を盛り上げて広い道を備え
石を取り除け。
諸国の民に向かって旗を掲げよ。
見よ、主は地の果てにまで布告される。
娘シオンに言え。
見よ、あなたの救いが進んで来る。
見よ、主のかち得られたものは御もとに従い
主の働きの実りは御前を進む。
彼らは聖なる民、主に贖われた者、と呼ばれ
あなたは尋ね求められる女
捨てられることのない都と呼ばれる。
ローマの信徒への手紙1章8~15節(日本聖書協会「新共同訳」)
まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。わたしは、御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています。その神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。兄弟たち、ぜひ知ってもらいたい。ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望んで、何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているのです。わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。それで、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです。
使徒パウロがローマの信徒への手紙を書いたのは、いわゆる第三宣教旅行と呼ばれる旅の途中で、ギリシアにあるコリントという町での二度目の滞在の時でした。一度目のコリント滞在は第二宣教旅行の時で、そこで約一年半滞在し、その時にローマから来ていたアキラとプリスキラの夫婦に出会っています。その後、パウロは彼らと一緒にエフェソに行き、そこで別れました。彼らと一緒にいる間に、パウロはローマについての情報を得ていたと思われます。ローマの信徒への手紙の最後のあいさつで、パウロが「プリスカとアキラによろしく」と言っているのもこういう出会いがあったからでした。第一回目のコリント滞在期間中に異邦人伝道の決意を固め、ユダヤ人にだけでなく異邦人にも積極的に伝道していくようになりました。こうして、第三宣教旅行の時、ローマに行くビジョンを胸に抱き、さらには西地中海世界にまで伝道しようという思いを強くしていったのです。それは、決してパウロの個人的な関心からというのではなく、世界中の人々に福音を宣べ伝えることは神の御計画であり、そのために、自分が使徒に立てられていると確信していたからです。
8~15節において、パウロがこの手紙の目的を記していますが、15章22節以下でもローマ訪問の目的を記しています。ローマの信徒たちとの信仰の交わりを持ち、さらにはイスパニア(現在のスペイン地方)にまで伝道に行きたいのです。もちろん、神のお許しがあればということです。1章13節に「何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられている」とあり、15章22節でも同じように記しています。また、使徒言行録を見てみますと、パウロが宣教旅行の時に何度も聖霊に妨げられたことが記されています。具体的な事情は分かりませんが、パウロの伝道が神の御計画と導きによるものであることを示しています。パウロのローマ訪問も、すぐに実現したわけではありませんでしたし、しかも囚人として護送されてローマに到着したのです。このことも神の御計画であると使徒言行録は記し、パウロもそのように考えていたことは間違いありません。すべての人を救うことが神の御心です。それを思うと、神が伝道を妨げるとは考えにくいことです。しかし、そこに神の知恵の深さがあるとパウロは考えているのです。主イエス・キリストが十字架にかかられ、それを神の救いと信じることは私たちには愚かとしか見えません。しかし、神はそれによって、信じるすべての人を救おうとお考えになったのです。(Ⅰコリント1:18~25) 救いが人間の知恵や力によらず、神の力によるものとなるためでした。それゆえパウロは言います。「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。『いったいだれが主の心を知っていたであろうか。だれが主の相談相手であっただろうか。』」(ローマ11:33~34)
神が伝道を妨げることは一見矛盾しているようでも、すべての人を救うという神の御計画は変わることはなく、確かなことなのです。それゆえ、パウロも目を神に向け、神の御計画と導きを信じつつ、伝道に励んでいるのです。私たちも神に目を向け、救いを確信し、全ての人々に福音を宣べ伝えましょう。