八幡鉄町教会

聖書のお話(説教)

「主イエスに注がれた香油」  2014年3月30日の礼拝

2014年04月21日 | 2013年度~
出エジプト記30章23~30節

  上質の香料を取りなさい。すなわち、ミルラの樹脂五百シェケル、シナモンをその半量の二百五十シェケル、匂い菖蒲二百五十シェケル、桂皮を聖所のシェケルで五百シェケル、オリーブ油一ヒンである。あなたはこれらを材料にして聖なる聖別の油を作る。すなわち、香料師の混ぜ合わせ方に従って聖なる聖別の油を作る。それを以下のものに注ぐ。すなわち、臨在の幕屋、掟の箱、机とそのすべての祭具、燭台とその祭具、香をたく祭壇、焼き尽くす献げ物の祭壇とそのすべての祭具、洗盤とその台。あなたがこれらを聖別すると、神聖なものとなる。それに触れたものは、みな聖なるものとなる。アロンとその子らにこの油を注いで、彼らを聖別し、祭司としてわたしに仕えさせなさい。

マルコによる福音書14章3~9節

  イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」

  今日の聖書の箇所は、受難週の第4日目、水曜日の出来事です。
  ベタニアは、エルサレムの東側にある小さな村で、ここに主イエスと弟子たちが逗留し、エルサレムへ通っていました。
  この日に、主イエスと弟子たちがエルサレムへ行ったという記述はなく、代わりに二つの出来事を伝えています。ひとつは弟子の一人であるイスカリオテのユダが、ひそかに主イエスを役人に引き渡そうと取引をしたこと、もう一つは、一人の女性が主イエスの頭に香油を注いだことです。この二つの出来事は共に主イエスの死に関わっています。
  主イエスの頭に香油が注がれたのは、食事の席でのことでした。
  過越の祭りが近づいており、遠方から多くの人々が集まってきていました。ベタニアはエルサレムに近い村でしたので、遠方から来た人々もこの村に宿泊し、この食事の席にいたと思われます。
  一人の女性が、いきなり主イエスの頭に香油を注ぎました。あっという間に香りが部屋に充満し、せっかくの食事も台無しです。周りにいた人々が怒り出すことも当然のことでしょう。「憤慨した」、「彼女を厳しくとがめた」という言葉が、その怒りの激しさを表しています。しかし、人々は食事のことではなく、その女性が香油を無駄にしたことをとがめました。「三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができた」というのが、彼らの言い分です。
  純粋なナルドの香油は、とても高価なものでした。300デナリオンというのは、当時の労働者の約一年分の給金に当たります。またその香油の容器は石膏の壷とありますが、高価なアラバスター(雪花石膏)製のものです。それを壊して香油を注いだとありますから、この女性がその中身を全部使い切るつもりであったことが分かります。人々がもったいないと考えたことは、ごく自然のことでしょう。
  しかし、主イエスはそのように憤る人々を制して、「わたしに良いことをしてくれた」、「前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた」、「福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられる」とおっしゃいました。
  香油を注いだ女性をかばったとも言えますが、それだけではありません。主イエスは、やがてご自身が十字架におかかりになることをおっしゃっておられるのです。それはこのエルサレムに来る前から弟子たちに何度も告げておられたことでした。
  「福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられる」とは、主イエスが十字架におかかりなることが決して突然でなく、また偶然でもなく、むしろ神の御計画である事を示しているのです。そして、その時は迫って来ていました。
  さて、主イエスが十字架におかかりになるのは、いったい何のためなのでしょう。それはすべての人を罪から救うためです。すべての人の罪の贖いをし、とりなしをしてくださるためです。
  主イエスは、憤る人々に対し、香油を注いだ女性をかばいました。主イエスが十字架にかかられたのは、この女性のためだけではなく、ここで憤っている人々のためにも十字架にかかられたのです。そして、それから二千年後の時代に生きている私たちのためにも十字架にかかってくださったのです。
  もし、私たちが周囲の誰かに対して憤っているなら、思い出さねばなりません。私たちが怒っている相手のためにも、主が十字架にかかってくださったことを。その人のために十字架にかかってくださった主イエスに逆らって、私たちは自分の正しさを主張し、なおも憤り続けるべきなのでしょうか? 罪人であるこの私を赦してくださった主は、その人のためにも十字架にかかり、その罪を赦しておられるのです。

「神の権威」  2014年3月23日の礼拝

2014年04月19日 | 2013年度~
民数記16章1~3節

  さて、レビの子ケハトの孫でイツハルの子であるコラは、ルベンの孫でエリアブの子であるダタンとアビラム、およびペレトの子であるオンと組み、集会の召集者である共同体の指導者、二百五十名の名のあるイスラエルの人々を仲間に引き入れ、モーセに反逆した。彼らは徒党を組み、モーセとアロンに逆らって言った。「あなたたちは分を越えている。共同体全体、彼ら全員が聖なる者であって、主がその中におられるのに、なぜ、あなたたちは主の会衆の上に立とうとするのか。」

マルコによる福音書11章27~33節

  一行はまたエルサレムに来た。イエスが神殿の境内を歩いておられると、祭司長、律法学者、長老たちがやって来て、言った。「何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする権威を与えたのか。」イエスは言われた。「では、一つ尋ねるから、それに答えなさい。そうしたら、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。ヨハネの洗礼は天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。答えなさい。」彼らは論じ合った。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。しかし、『人からのものだ』と言えば……。」彼らは群衆が怖かった。皆が、ヨハネは本当に預言者だと思っていたからである。そこで、彼らはイエスに、「分からない」と答えた。すると、イエスは言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」


  受難週の第3日、火曜日の出来事です。
  この日に、主イエスは多くの人々と論争をしています。その最初となったのが、今日の聖書の箇所です。
  主イエスが歩いておられた神殿の境内とは、前日に主イエスがおこされた騒動の場所、異邦人の庭です。そこへ、祭司長、律法学者、長老たちがやってきました。彼らはユダヤ人たちの指導者的立場にある人々で、その中には最高議会の議員もいたかも知れません。
  彼らは「何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする権威を与えたのか。」と詰問してきました。当然、前日の騒動のことを言っているに違いありません。
  主イエスが追い出した売り買いをしていた人々は、大祭司の許可を得て商売をしていたのです。ですから、主イエスのなさったことは、大祭司とその権威に逆らうことです。祭司長、律法学者、長老たちは、主イエスの行為の根拠が大祭司の権威を上回るものかどうかということを問題にしているのです。
  現代の私たちにとって、誰の権威で行動するかということは、時代遅れのように思えるかも知れません。それはまた、権力主義のような響きを感じるかもしれません。「何の権利があって・・・」と言う方が現代的であるかも知れません。ちなみに、権威、権力、権利を、聖書は同じ言葉で表現しています。
  祭司長、律法学者、長老たちは、大祭司の権威を重んじ、そしてそれはその大祭司を立てた神の権威を重んじることだと考えていました。ですから、主イエスの行動を、神の権威に逆らうものと考えたのです。また、主イエスの口から「神の権威による」と言われても、それを客観的に証明することは出来ないと考えていたことでしょう。
  彼らの問いに対して、主イエスは逆に問い返されました。「一つ尋ねるから、それに答えなさい。そうしたら、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。ヨハネの洗礼は天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。答えなさい。」
  質問に対して質問で返すことは、当時一般に行われていたことでした。主イエスがおっしゃったヨハネとは洗礼者ヨハネのことで、彼が行っていた洗礼は神の権威によるものなのか、それとも人間が勝手にしていたことかという問いです。
  祭司長、律法学者、長老たちは、ヨハネの洗礼に神の権威があるとは認めたくはなかったでしょう。なぜなら、ルカ福音書によれば、ヨハネは祭司の家系でありながら、祭司の務めを継ごうとはせず、荒れ野に住み、ヨルダン川において洗礼さずけていたからで、それは神殿の祭儀を批判する行為と考えられたからです。しかし、ヨハネの洗礼には神の権威がないと答えると、群衆を敵にまわしてしまいます。人々はヨハネを預言者だと思っていたからです。そこで彼らは「分からない」と答えました。群衆が怖かったからです。彼らは、信仰の指導者として、神の御言葉を注意深く聞き分ける責任あったにもかかわらず、それを放棄したのです。神を恐れるよりも、人を恐れる者の姿がここにあります。
  結局、祭司長、律法学者、長老たちは、神の権威ではなく、人の権力に従っていただけであったのです。ですから、彼らは確信を持ってヨハネの洗礼を否定することをせず、群衆を恐れ、責任ある行動をしなかったのです。人間の権力に頼るものは、人の目や評価を気にするものです。
  彼らだけではありません。後に、主イエスを十字架にかけるよう命令を出すローマから派遣されていたユダヤ総督ポンテオ・ピラトも同じでした。彼は、主イエスには罪がないと知りながら、群衆の要求に負けて十字架刑を言い渡したのです。
  私たちはどうでしょうか。いったい何の権威によって生きているのでしょうか?人間の権力でしょうか。それとも、「私の権利」によってでしょうか?
  現在、私たちが住む社会において、自分の権利を主張することはゆるされています。これが民主主義の社会です。これは大切なことですし、この様な社会を大切にしていくことは重要です。しかし、ここで気をつけておかねばならないことは、ひとりひとりの権利を重んじるということは、言い換えるならば、人が百人いれば、百人の王様がいることと同じだということです。そこで、お互いが喧嘩をしないために、規則を作ったり多数決で物事を決めていくと言うことになります。時として、それは数の暴力になることもあります。それは結局、人間の権力に頼っていることと同じです。
  主イエスが異邦人の庭から商売人たちを追い出したのは、神殿のあり方が神の御心に反していることに対する警告でした。主イエスは群衆から支持されることを期待してはいないのです。ただ神の御心を行おうとされたのです。そのために、ユダヤ人の指導者たちから命をねらわれるであろうことも覚悟していたのです。
  古代のキリスト者たちは、迫害の中、キリストに対する信仰を堅く守り続けました。彼らは自分たちの権利を主張する事も許されませんでした。たとえ全てを失っても、たとえ理不尽に扱われようとも、神の権威に従って行動することを選んだのです。神の権威に従って生きるとは、神の恵みによって生きるということです。殉教した人々は、この神の恵みによって生きることを選んだ人々だったのです。
  祭司長、律法学者、長老たちの「何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする権威を与えたのか。」という問いには、主イエスを排除する目的がありましたが、その意味は重要です。私たちも、同じ問いを主イエスにせねばなりません。そして、主イエスは私たちにも問い返されるでしょう。あなたは誰の権威で生きるのか、と。そして、誰の恵みによって生きるのか、と。
  私たちキリスト者は、キリストを信じる者であり、キリストの権威に身を委ね、キリストの恵みによって生きる者なのです。
  キリストの権威に従って生きる者は、いたずらにキリストの権威を振りかざしてはなりません。それでは、祭司長、律法学者、長老たちと同じになってしまいます。むしろ、キリストのように、神の権威に従って人に仕えるのです。主イエスは、次のように教えておられます。
  「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」(マルコ福音書10章42~45節)