八幡鉄町教会

聖書のお話(説教)

「神の導き」  2017年12月24日の礼拝

2018年02月05日 | 2017年度
出エジプト記13章21~22節(日本聖書協会「新共同訳」)

  主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。


マタイによる福音書2章9~11節(日本聖書協会「新共同訳」)

  彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。

  占星術の学者たちを導いた星を「ベツレヘムの星」と呼ぶことがあります。この星が一体何であるのかは、いろいろな推測がされてきましたが、はっきりとしません。17世紀にケプラーが惑星の動きと関係があると主張したことが、この星についての一番可能性が高い科学的な仮説とされています。
  表面的には、占星術の学者たちを導いたのは星ですが、その星を用いて彼らを導いたのは神です。旧約聖書には、荒野の40年間、イスラエルの人々を導くのに、神は昼は雲の柱、夜は火の柱を用いたとされています。ベツレヘムの星はそれと同じように、占星術の学者たちを導いたのです。
  雲の柱と火の柱は神が共にいますことの目に見える象徴となりました。聖書は、私たちに、神は私たちと共にいてくださり、導いてくださる方だと告げています。
  主イエスを拝みに来たのはユダヤ人ではなく、おそらく異邦人と思われる占星術の学者たちでした。何故、占星術の学者たちだったのでしょう。マタイ福音書にとって重要だったのは、彼らが異邦人だったということです。地の果てから異邦人が救い主を求めてユダヤに来ました。マタイ福音書の最後の場面において、復活された主イエスが弟子たちを伝道に派遣します。全ての民をキリストの弟子にしなさいとの使命が与えられたのです。使徒言行録1章8節の言葉で言うと「あなたがたは、地の果てに至るまで、私の証人となる」ということです。マタイ福音書は、異邦人への伝道に強い関心があったと言えます。そのため、地の果てから救い主を求めて異邦人が訪ねて来、異邦人に救いを伝えるため、地の果てまで行きなさいと命じられたという形式を意識して書かれているのです。
  さて、占星術の学者たちは救い主を求めて、星に導かれて主イエスのもとへやって来ることが出来ました。私たちはどうなのでしょうか。私たちには、星よりも確かな聖書が与えられ、救い主へと導かれています。Ⅱテモテ3章15節で「聖書はキリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を与える」と言われているとおりです。またヨハネ福音書5章39節で、主イエスが「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ」と告げています。神は聖書を用いて、私たちを主イエスのもとへと導いてくださいます。主イエスのもとに導かれた私たちは、さらに神の都、父なる神のもとへと導かれていくのです。主イエスは、「私は道である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことが出来ない」(ヨハネ14章6節)と、約束してくださっていますので、私たちは確実に神の都、父なる神のもとへと導かれていくのです。