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自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

臨時投稿 

2024年06月20日 | 今朝の”インスピレーション”


禅問答のようですが、行間の意味合いはいかに? 2024/6/20
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突然ですが、たぶん、これまでで、一番短い、投稿記事です。
私は、今朝、昔のブログ記事を推敲しながら、このセンテンスを見つけました。

10年くらい前の記事です。
はっとしました。

座禅を組んでいて、ウトウトと心がなまけたときに、喝を入れられたときの、爽快さがありました。

皆さまはどう、受け止められましたか?

この解釈は、後程に。

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 ”私は この世界の中にいるのではなく、世界が私の中にある。

私は この身体の中にいるのではなく、身体が 私の内にある。

私は 心の中にあるのではなく、心が 私の外にある。

私が 自分自身の中で創造を 想念するとき、

身体と心と世界の創造が 同時に 起こるのだ。”








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臨時投稿です!(今朝のインスピレーション④)

2024年06月19日 | 今朝の”インスピレーション”

夢と愛と寂しさ      2024/6/19
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朝目覚めに得たインスピレーション は、鮮烈で心に残り、原稿にしたいと思うのです。

”いつ公開?”となると、やはり、”今”しかないでしょう。

活きのよい魚も 時間とともに鮮度が落ちてしまうのと同様、

’感動’があった朝に、書いて、お伝えして、同志の皆さまとシェアーできたらと思うからです。

ですので 前回の記事 ”本当のわたしの発見①” の続きは、2~3日後にアップされますので、是非、ご覧ください。

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今朝、起きる直前に、見た夢です。

学生時代からの友人(男性)の家に 早朝尋ねます。

すでに客人がいて、生地のサンプルが散乱して、どうやら、テーラーと、新調の服を相談していたのかもしれません。

早々と失礼し、自分の部屋に戻りました。

何人かの知人たちが、集まり、歓談して、楽しそう・・・そこに、先ほどの彼が、入ってきました。

なにやら、大きな団扇(うちわ)を、皆に見せながら、その団扇を私に、渡してくれます。

場面は展開。

その団扇の裏に、こんな言葉が・・”実は、自分は今日、入籍しました。お知らせまで”・・

そして、驚いたことに、私が彼に宛てた、メモやノートの切れ端などが、20枚ほど、団扇のポケットから出てきたのです。
((実際は、このような手紙もメモも書いたことはありません)

”へえ~、こんなものを、大切にとっておいていたのだわ”と、その自分の字で書かれた 古い言葉を、読んでいる夢です。

そして、何やら、相手が誰かと入籍したと、聞いて寂しくなってきたのです。

全く、男性として意識していない人でしたが、もしかしたら?夢の中で、その”寂しさ”に自問自答して、目が覚めました。

そのあとに、”インスピレーション”が、 降ってきました。


はい、文字通り、’降ってきた’。。。そんな感じでした。

”愛は、人に要求するものではない。
私(大きな存在)は、十分な愛を、与えているのだから。

愛は、求めるものではなくて、与えるものだ。

愛を与えて、満足するのは、与えられるものより、与える側だ。

愛を与えた自分が一番、心地良い。

愛を与えるとき、ほんの、少しでも、愛されたいからという想いが心の底辺にでも、あるのなら、それは、愛と思っても、”水のアワの愛”。

少しでも、相手への期待が隠れた愛は、与えた後、至福を得るどころか、’虚しさ’しか残らないだろう。”


今朝の夢は、私の心に、人から”愛”を求める気持ちが、まだまだ、残っている今の状態を、見せてくれたのでした。

付け加えると、このインスピレーションでは、

”愛だけでなく、モノも、期待”も、誰かに秘かに求める心情はご法度(はっと)だそうです。”

誰かとは、”他者”、つまり、家族も含まれます。

親類縁者もちろん、友人知人などをさします。

ついでに、愛犬や愛猫などの家族同様のペットも含まれるでしょう。

なぜ ご法度なの?

”本当の私”が、”本当の幸せと自由”を得るためです。

そして、”パラムアートマ(宇宙的意識・神)”との絆の自覚深めるためです。

厳しいですね。

でも、私の、アートマは、それに同意しました。

そうしてこそ、自身の”心の自立”が達成され得るということを。

”心の自立”ができたとき、人は、環境や他者の思惑に影響されない自分に至るのでしょう。

”心の自立”ができてこそ、”真の魂の自由”を得て、新たなる境地を実現するのでしょう。

まだまだ、時間がかかるような、気がしますが・・・。

今日も良い一日をお過ごしください。







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本当のわたし の発見①

2024年06月18日 | 健康のための心の波動

”わたし”の境界線を知って、枠をとって,楽になりましょう。
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”本当の私を見つけたい”、とこれまで、長い間、もがいてきました。

そこで、今日は、“偽物の、私”(わたし)の枠をとる”という、一つの方法を、試みたいと思います。

肉体の構成で一番大きい比率を占めるのは水分で60%です。

まず、”私の身体”から、この水分を抜き取ります。

つぎに、細胞の中にみられる ”空間”を取り去ります。

すると、私たちの肉体は、新聞紙を 丸めたものよりも小さくなってしまうと、学者は言います。

そうすると、この肉体そのものは、”私”ではありません。

新聞紙大の代物ではないでしょう。

では 本当の自分は、どれ?

それが今日のテーマです。
  
覚者は教えます:

”私たちの体と宇宙にあるすべての物・人との間に 実は、境界線はないのです”と

実際に、物理学的に、これが現代では証明されました。

水分と空間を取り去ったら、私たちの体は巨大な空っぽの空間です。


そして、そこに存在しているものといえば、わずかに点在している素粒子しかありません。

それらの素粒子が、実際は、体を構成している細胞の元なのです。

素粒子は、規則性のない電気の放電をし続けています。

物理学者はこれらの粒子を、レプトン、クォーク・中間子 と
呼びます。 

しかも、それらは、緻密な装置を通してしか観察できないので、肉眼で見えるものしか存在を感知できない人間には、その存在を意識することさえ、不可能です。

肉眼で見え物質というより、それらは、むしろ、波動体である のです。

つまり、現代科学の先端物理学をもって言えば、私たちのの 本質は ”波動体である粒子”と言えます。

だから、私の本質は、”波動体”といえるかもしれません。


波動として、揺れ動き、常に、そこから波動ヘルツを放出しているというのが、私たちの本質なら・・・・エネルギーの変動態、つまり容易に物質的になったり、波動的になったりできる エネルギーそのもの・・
        

粒子にとっては、肉体の”巨大な’空間’は、まるで宇宙の広さのようです。

粒子は、まるで巨大な宇宙に存在する流れ星のような、存在を彷彿とさせませんか?

実際、現代科学ではそうだということもわかっています。

想像してみてください。 

流れ星は、虚空のかなたから、絶え間なく現れて、造され、ね返り、衝突しながら、やがていつの間にか虚空に消えていく・・・・

それが、まさに、私たちの肉体の細胞を 造っている素粒子 の独特の動き方に似ていると科学者たちは言います。
 

もう一つ、現代にいたって、解明された画期的なことがあります。

それは、私たち 肉体の細胞は 意思を持ってい、体の各部はそれぞれ意思伝達しあい、助け合って、外部からのバクテリア細菌など対して体を守ったり、抵抗したりしているということです
 
物理学者は、その、意志の存在する細胞のある拠点を、”知性の場” と 呼んでいます。 

私たちの内臓組織の細胞がそれぞれ、知性を持っているのはそれを形作っている素粒子回転しながら、非物質的な知性” を創造しているからなのです。 
 

ある科学者は、私たちの存在の本質はこの”知性の場” であり、”統一場” とも呼びました。

では、”統一場” が 私なのでしょうか?


むしろ、この統一場の知性を統合して、体としての組織体をまとめている大いなる知性こそ 宇宙の生命力、”パラムアートマ”の本質でしょう。

そして、その受け皿である、各個人には、アートマという、パラムアートマの知性を受け継ぐアンテナがあります。


それが、私の生命の本質でもあるのだと思うのです。

(続く)
 


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心の指標③ 未熟な、昔の、自分にありがとう 

2024年06月14日 | 今朝の”インスピレーション”


苦い体験にもありがとう
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今日の心の指標③です。

自分を愛すること。
自分を赦すこと、が今日の目的です。

過去の苦い体験を思い出すと、自分の未熟さや、かかわった家族や知人の顔が 彷とします。

過去のメモリーには、良いことはあまり記憶になく、とかく墓場まで持っていくなどと、心の奥底に秘めていたことが詳細に記憶に残ることが多いようです。

自分を愛することの第一歩は、こうした記憶を昇華させること。


そうでないと、いつまでも、潜在意識の中に、浄化されない記憶として残り続けるからです。

死んでも、それをあの世へ渡される、負の土産になるからです。

そんな負の土産は、また、生まれ変わったときに、それが清算されるまで、(浄化されるまで)、新しい人生の中に、再現され続けるとしたら、早めに清算しておく方が賢明です。

それには、どうしたら良いのか?

それが、”旧い自分と苦い体験に ありがとうの言霊です。

ありがとう、ありがとう、感謝します。

なぜって、その、おかげで、今の自分がいるのですから。

幼稚だったエゴ意識を、それらの苦い体験を通じて気が付き、改め、角をとって、魂の純粋性を増していきながら、出来上がったのが、現在の私です。


ダイヤモンドは、カットされ、研磨され、光が反射される度合いが大きくなるほど、透明感と輝きは増して、価値があがります。

魂も、同様です。

そんな過去の苦い体験から、研磨され、次第に’’パラムアートマ”の輝かしい 純粋な光(宇宙生命力)を、反射させることができるようになっていくのでしょう。

だから、果敢にも、もっと挑戦してもいいなという、勇気がこの言葉で湧いてくるから不思議です。


”ありがとう、ありがとう、まだ生きている間に、どうぞ、私を磨く体験を、与えてください。”

”きっと、今度は、文句を言うことなしに、粛々と有難く受け止めその苦さを甘さに変える事がことが、できるはずです。”


こんな思いで、過去、自分が傷つけた人々に対して、自分を傷つけた行為に対して、感謝の言葉で、浄化させていただく・・・

それを今日の指標といたしましょう。

皆さま、どうぞ、良い一日をお過ごしください




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心の指標 ②

2024年06月11日 | 今朝の”インスピレーション”


期待感と怒りをなくすための考え方
6月11日令和6年***********************************************************

人間関係をギクシャクさせる一番大きな要因、それは、”怒り” だと思います。

怒りといっても、いろいろな表現があります。

笑っていても、内心に怒りを持っている人は意外と多いものです。

どんな種類の”怒り”にせよ、少しでも”怒り”を心に覚えると、風のごとく、相手に伝わるものです。

そうすると、敏感な相手なら、何か居心地の悪さを、感じるでしょう。

相手は、居心地の悪さの分だけ、今までのような自然な振舞がその怒りを出している私に対して、難しくなるようです。

それを、相手の素っ気なさ’とか、’心のない’態度と、とるために、二人の間に、悪循環が始まります。


それは思い込みにすぎないのですが、”不満”に拍車をかける結果となると、微妙な亀裂がはいるかもしれません。

勘違いからくる、この亀裂は、自分の心の陽気をむしばみます。

陽気をむしばめば、心身は一つですから、身体の不調につながるかもしれません。

”怒りを感じない心の土壌”は、とても必要です。


では、どのように、”心”を、耕したらよいのでしょう?
そもそも”怒り”は、どこから、生まれるのでしょう?

それは、自分の生きてきた(何世代も含めて)過去の記憶からだと覚者は言います

その記憶には、しっかりと、 ”こうなら、こうあるべきだ”という、”自分のルールが 形造られてきています。

そのルールは、それぞれ、微妙に異なり、自分の”正しいと思う基準”になってますから、相手がそれに合わない言動をとると、”期待外れの気持ち”から、小さな怒りの種が生まれます。

なぜなら、怒りとは、そもそも、相手に期待した結果が外れた時、生まれる感情だからです。

ですので、今日の指標が出てきました。それが、”与える側にたつ”こと・・で解決するわけです。

与える側 と、受ける側。

ここに、一つの法則があります。

それは、”与えた側のほうが、その報酬(報復)を受け取り側より先に、受けとる”という、法則です。

この場合、”怒り”を先に発した(与えた)のは、私だとします。

この法則によれば、”怒り”を投げかけられた相手より先に、私は、その”怒り”の痛さを感じるのです。 

言い換えれば、自分の出した”怒り”で、より多く、”傷つく”のは、私の方です。


”怒り”で、その日の、食事が何を食べても、美味しくなかったり、 ”怒り”の感情が、自然に心に反芻され、心が疲れたり、”怒り”から受ける”負の影響”は、自分が、直面することになります。


受け取り側の、負の影響はどうでしょう?
相手は、私が投げた”怒り”を、次の選択肢の中から選ぶでしょう

①賢明な人だったら、それをうけ流すか、怒りを怒りと感じないかもしれません。

②落ち着いて考える人なら、投げかけられた”怒り”の原因を考えて、それを解決する術を考えるでしょう。


さらに、私は、怒りという、負の感情を投げかける代わりに、陽の感情に転換する
こともできるはずです。

なぜって、怒りの原因が、自分の”価値観(基準)”にあると知れば、相手の行動が自分の期待する基準に満たされないと思えば、むしろ、相手の価値観を考えてみるゆとりも出てくるかもしれません。

そして、期待するより、相手に、相手が望むことを、与えてあげようと思えば、与える側になり、陽の気に変える事ができるわけです。

陽の気を投げたその結果は、巡り巡って 自分に返ってきます。

だから、愛されたければ、愛すること。
認めてもらいたければ、認めること。
尊重されたければ、相手を尊重すること。

という発想になるでしょう。

話は少し、それますが、怒っている相手を理解するということは、厳密に、不可能でしょう。

なぜなら、何千年か何万年かわからない、幾世代を経た魂を持つ相手は、自分の全く知らない体験を積み上げてきて、その人なりの、価値観を創り上げてきていて、それが”怒り”の原因となっているのですから・・・


ならば、”相手の価値観と、私の価値感とは、まったく異質だから、理解できないところがあるのは当然”、というぐらいの認識でちょうどよい距離感が持てるのかもしれません。






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