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インフルエンザと風邪、二木博士の特効薬はないというお話(5)

2018-12-16 08:25:34 | 自然治癒力

近藤医師による医学的常識に対する異なる観方       2018・12.16

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完全食について話を進めているところだが、最近のニュースで今年もまた、インフルエンザが猛威を振る

い始める兆候がある~と聞いたので、テーマを変えて、今日はインフルエンザについて、書いてみたい。

二木博士(*1)が、わかりやすく説明している箇所(*2)があったので引用してみる。

 

“インフルエンザとは、どのような病気で、風邪とどう違うかというと、普通の風邪ならば、鼻かぜをひい

た、咽喉かぜをひいた、とか、今度はかぜをひいて胃腸を壊したといった具合に、本当の一部分だけしか

侵されなくて、大したこともなくすぐ治ってしまうもので、普通、感冒と唱える。

 

この感冒というのは、病名ではない。それはむしろ抵抗力の弱った人が侵される誘因のことである。抵抗

力の弱っているときに、寒さに会って、鼻カタル、咽頭カタル、気管支カタルを起こしたというが、これ

は寒さそのものが病気にするのではなく、抵抗力減弱の結果である。抵抗力さえ強ければ、氷室に三十分

や一時間入っていても、風邪をひくものではないから、風邪という病気ではなくて、カタルが病気であ

る。

それが病名で、誘う原因が寒さである。”

 

インフルエンザの症状としては主に次の三つがある。

①神経症状、②カタル症状、③胃腸症状、それぞれどういうのかといえば、

①神経症状では、頭痛や足腰が痛んだりして、気分が落ち込んだりする。

②カタル症状とは、鼻水が止まらなかったり、タンが多く出たり、腸カタルならば、下痢が止まらない。

最後の③胃腸症というのは、食欲がわかず、胃腸は弱くなり、害される。

 

風邪が局所的症状ならば、このような形で、インフルエンザはもっと、全身に症状が出て、この三つの症

状が主要症状として、ともに来たり、別々に前後して自覚されたりする。

しかし、二木博士は、インフルエンザは決して怖いものではなく、“一週間か長ければ二週間から三週間ぐ

らい、症状は出るが、熱が出て苦しい状態が過ぎると、必ず治るものだ。死ぬのは千人に1人くらいで、

怖いのは本来のインフルエンザではなく、その合併症のほうだ。”と述べている。

 

以前、風邪の原因とその薬があれば、ノーベル賞ものだと話した知りあいの医師のことをブログで取り上

げたことがあったが、インフルエンザも風邪と同様、まだ、その究極の原因がわかっていないという。

以下は、慶応義塾大学病院に勤務していた近藤医師の著書(*3)にしるされている言葉をそのまま引用さ

せていただいた。風邪薬のにかかわらず、高血圧と判断される基準値など、いわゆる”常識”的な基準値

に疑問を投げかけている近藤医師の意見は、当たり前を少し立ち止まって考える良い判断機会になると

思い、掲げさせていただいた。

                     

①風邪薬も抗がん剤も病気を治せない~ことについて

**********************************

”病気の9割は医者にかかったからといって、治るわけでも回復が早くなるわけでもありません。

そして、副作用や後遺症のリスク はとても大きい。たとえば、風邪のウイルスに作用して、治せる風邪

薬はまだ発見されていません。

                     

熱を下げる、解毒剤や咳止めなど、不快な症状を一時的に抑える ”対症療法薬” も、体は束の間 ラク

になっても、回復は遅れます。発熱やせきなどの 症状はすべて、体がウイルスを追い出そうと闘ってい

るサイン。薬は体の治癒力[須田注:自然治癒力をさす)を邪魔します。

 

インフルエンザを ワクチンで防げるとか、リレンザなどの治療薬で治せるという 医学的な証拠はなく

せいぜい”効果が期待されている” レベルです。一方、風邪薬やインフルエンザワクチンの副作用で亡く

なる人は大勢います。”(p・4)

 

②高血圧のガイドラインについて 

*********************

”高血圧患者が4千万人、高コレステロール血症3千万人糖尿病は予備軍を含めて2300万人・・と、日本に

は凄い数の病人がいることになっています。

 

これは 薬を売るための策略としか思えません。’この位は治療したほうがいいよ’ という高血圧の基準が

たいした根拠もなく、どんどん、下がっているのです。

 

長い間、最高血圧の基準は、160mmHgだったのが2000年に140 に、2008年のメタボ健診では、

ついに、130 までに引き下げられています。 五十歳を過ぎたら、”上が130” というのは、一般的な

数値ですから、大抵 高血圧患者にされ、降圧剤を飲んで”治療”するはめになる。

 

その結果、薬品業界はホクホクです。1988年には降圧剤の売り上げがおよそ、2千億円だったのが

2008年には1兆円を超えて、20年間で売上が6倍に伸びています。総コレステロール値も、日本人は高

いほうが長生きだと10年以上前からわかっているのに、 基準値はなかなか上がりません。

コレステロール低下薬の スタチン類は年間2000億円の売上があって、関連医療費はその三倍と言われ

ています。

 

問題は血圧やコレステロールを薬で下げると、数値は改善しても、早死にするリスクが高くなること、

界中の 数万人規模の追跡調査ではっきりしています。高血圧というのは 上140mmHg,下90m

Hg が基準値でそれ以上は高血圧症とされます。 

この基準値が全くあてにならない。病気ごとの専門学会が造っていますが、総合体質で根拠なく数値が決

められています。高血圧の原因は9割以上は不明です。また、日本人の血圧を下げることによって、死亡率

が下がる、心臓病や脳卒中などが減ると実証されたデータは見当たりません。

 

大人になると 動脈も老化して、硬くなり、血圧を先に送る力が衰えます。そこで、体は年をとるほど、

血圧を上げようとしまいます。脳や手足の隅々まで血液を送り続けるため、それを薬で下げたら、ぼけた

り、ふらついたりしてしまいます。

 

フィンランドで75歳から85歳までの”降圧剤を飲まない”男女521人の経過を見た調査では、80歳以上の

グループでは、最高血圧が180以上の人たちが生存率が最も高く、最高血圧180を切った人たちの生存率

はガクンと下がっています。なのに日本では最高血圧は130で病気にされ、薬で下げようとさせられてい

るのです。” (p・6)

                              

③基準値はどうして決まるか?

”基準作成委員の多くが製薬会社から巨額の寄付金を受け取っているのも問題です。たとえば、2005年に

作成された、高血圧の基準も含む、日本版メタボ診断の作成委員会メンバー。 そのうち、国公立大の医

師11人全員に2002~04年の3年間に 高血圧などの治療薬メーカーから、合計14億円も寄付金が

渡っています”

 

 

以上、近藤医師の言葉を引用させていただいたが、二木博士と近藤医師の、人間の生命力の持つ治癒力に

対する観方が似ているように思われる。 血圧が高くても、それは体が血液を循環させるための智慧、高

いから悪いのではなく、高い圧力がでるのは、その必要性を体が持っているからであり、生命力が強いか

らだと発想を転換してみる。 二木博士がインフルエンザが治る過程で、高熱を出して、2週間ほど、静養

していれば、自然に治るものだという上記の言葉などは、体の自然治癒力への信頼が行間に見られる。

インフルエンザは決して怖いものではなく、真の特効薬が無くても、他の病気を誘発しないように、よく

休養し、普段からふさわしい食事をとり、抵抗力のある体を作っておくことで自然に治るという立場を

とっている。

                      

さらに、コレステロールでいえば、近藤博士は”いまだに悪者扱いのコレステロールも、実は長寿のもと” 

と言っている。これも、コレストロールに対する常識を転じて観た言い方だろう。 そして、何年かごと

に改正されるそれらの基準値には、根拠がない、と近藤医師は書いている。

だとしたら、基準値によって、右往左往するより、自分の体の声、食事や睡眠、休息やストレスの回避な

、今、自分の身心が、何が必要で何が不必要なのか語り掛けている声をしっかり聴きとることが大切だ

ろう。

”症状”は、病気そのものではない。病気にならないよう体が異常な侵入者や状況に、対抗して熱が出た

り、正常化しようとして 活動している生理作用の顕れだと、近藤医師や二木博士を含めて 生命医療に

携わる医師は考え、むやみに薬を出すことを躊躇さえしているようだ

 

 

 

*1)明治6年 秋田佐竹藩の藩医の家に生まれる。20歳までいろいろの病気に悩み、玄米食の実行により、健康となった。明治34年東大医学部卒、駒込病院勤務中伝染病の研究をしながら、栄養学的に食物の研究に努力する。ドイツに留学し、天然免疫性に関する医学界における世界最高の業績を残す。帰国後、赤痢駒込菌を発見し、鼠咬症病原スピロペーターの発見によって、学士院の恩賜賞を受けた。かたわら、二木式腹式呼吸を発表、玄米・菜食、すなわち完全食を提唱した。その間、当で愛教授、都立駒込病院長、日本学士院会員、養生会会長、豊島丘女子学園理事長、修養団団長、その他多くの要職を兼ねる。藍綬褒章を賜り、その後昭和30年11月3日、文化勲章を授与せられた。

 

*2) “健康への道” ~完全正食の医学~ 東京書院発行、昭和32年

*3)”医者に殺されない47の心得” 近藤誠著 2013、 株)アスコム

 

 

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二木医学博士の完全食とは?(4)

2018-12-11 07:44:06 | 自然治癒力

 

赤子の授乳時に秘められた、類脂体と免疫の話  2018・12.11

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玄米の成分を考えてみよう。87%はでんぷん、たんぱく質は7.9%、2.3%が水溶性不変質脂、

1.6%が無機分~自然の塩。リン酸が0.84%など含まれている。このような、玄米食に含まれる有

機的栄養分の解析結果、博士(*1)が玄米食を完全食という理由の背景は以下の3つに要約でき

① 玄米食に含まれるたんぱく質は白米にすると34%ほど減るため、白米食では自然とほかに

んぱく質を含んだ食品をとるようになる。 植物性たんぱく質は、豆製品に多く含まれるが、戦後

動物性たんぱく質へ嗜好は移ってきているようだ

 

そのため、健康面への弊害が出てきていると博士は考える。動物性たんぱく質の過剰摂取は疾病と

いう形で人の健康をむしばむという理由の1つに、動物性たんぱく質は体内で消化されない分が毒

して腸内で発酵するからだ。 いわゆる自家中毒のようになり、それが基で病の引き金になり

やすいと博士は言う。自著(*2)から引用すると:

 

日本人が動物たんぱく質を食べると、しばしば中毒して、風邪をひいたりして、炎とかカタルと

いう病気を起こす。炎(えん)と名付けられた病気を数えてみると、病の8割ぐらいにあたる”

 

一方、玄米中心の食生活であれば、たんぱく質も適当に含まれ、他の食製品から補給する必要もあ

まりないので、肉製品からの動物性たんぱく質を体がそんなに必要としなくなるというのだ。

 

”玄米だと何もそんな物を選ぶ必要はない“

 

② 次に 玄米に含まれる、脂質を見てみよう。 白米食だと、含有脂質が少ないため、他の食に

から補給することになる。 精製された小麦粉で作った白い食パンには、確かにバターがよく合

うし、”~丼”というどんぶりものには、白米の上に天ぷらや肉類の揚げ物など、動物の脂質や植物

油を使った食材がふさわしい。健康ブームで、肉より、魚の脂は体に優しいとされていても、長い

目でみると、決して体に負担のないものとはいえないようだ。 

 

なぜなら、それらの脂質は、水に溶けない不溶性油であり、言い換えれば、変質油と変質脂肪な

ので、人の体に入ってもそのままでは、栄養効果が出ない。 胃腸によって、十分に消化されるこ

とで栄養分となるが、そのための胃腸への負担は玄米に含まれる水溶性の脂質と比べると大きい。

 

③ 次に、玄米に含まれる無機分を見る。

これは、いわゆる灰分(かいぶん)といわれる栄養素で、30種類ほどあり、自然の塩ともいわれ

る。塩といっても、舌の上にのせても、塩気の味はしない。完全な塩だからだ。その完全な塩とい

うのは、ケイ素、チタニウム、カルシウム、カリウム、マグネシウム、ワナジウムという、無機質

の要素が多く含まれていて、人の血液にとって、特に大切な栄養要素となる。

 

一方、市販の塩には、クロールとナトリウムしか含まれず、舌の上にのせれば、旨味より、塩辛い

味がするのはこの成分のせいだ。 この塩では、骨や歯、血液といった組成を作ることはできな

い。それどころか、時には体に有害になることもある。

たとえば、腎臓炎のとき、咽喉が弱っているとき、腎臓廟のとき、医師から塩辛いものは避けるよ

うに言われるだろう。

こうした病がなくても、長年の、生活習慣の塩の取りすぎで、中年以降、腎臓炎を起こす人は多い

し、骨の栄養とならないから、老年に骨が萎縮していき、カルシウム欠乏やヨード欠乏を引き起こ

すことがある。 

 

中高年で高血圧の人が多くなるのも、この影響があるだろう。血圧は高くなったり、肋骨に水

がたまったり、咳が出たりなどなど、市販の塩気の過剰摂取が長年にわたると、このような形で、

体の不調和として、表面化してくるから、市販の塩の過剰摂取には気を付けたい。

 

④ 次に、玄米に含まれる、リンの有機化合物について考えてみる。

玄米に含まれるリン酸は多く、成分の一割に近い量が含まれる。 一方白米ではわずか、0.009%

しかリン酸は含まれておらず、10%と0・009%という、大きな差が見られる。

玄米食中心にしていれば、特に、リン酸を補う必要性はないが、白米を主食にしたとき、補食する

必要がてくる。しかし、分析したリン酸は有害であるので、医者が簡単に処方して、出せるもの

ではないらしい。人の健康には大切な要素であるにもかかわらず、補うことができないため、白米

を中心に食していると、やはり、長年の間には、病の要因として体に現れる場合があると博士は指

摘する。

 

⓹ 最後にでんぷんを見てみよう。

白米は玄米の皮部分を向いた部分であるから、でんぷんは含まれる。ところが、上記でみてきてよ

うな、体に必須のの有効繊維は実より”皮”のほうにあるわけだから、脂肪、蛋白、ビタミン、類脂

体など、が 白米として精製されるときに捨てられていることになる。

そのほかの有効成分はというと、玄米には、ビタミンA.B.C.D.Eが含まれるが、白米はビタミンに

関しては、ゼロだ。 ならば、ビタミンはサプリメントで補おう~という人は多いが、博士の考え

方によれば、ビタミンは“生きた食べ物”からとる以外に人の体に吸収され難いから、サプリメント

の効用は、精神的な満足度からくる安心感(リラックス)程度で、実際の栄養効果は期待できない

ということになる。

 

このように見てみると、玄米が完全食という博士の言葉も納得できそうだ。それ以外に、注目した

い栄養素として類脂体について、一言、付け加えさせていただきたい。先回のブログで触れたよう

に、“類脂体”という生命要素、有機体が玄米には含まれている~というポイントだ。”生命素”と名

付けられた、この有機体について、博士の著書から引用させていただく。

 

“活動性類脂体は、すなわち生命素である。これは脂肪に属する物体という意味で、脂に似ている

が、脂でもなく、水でもない。・・類脂体は今日まで普通栄養学ではあまり考えられなかったが最

近だんだん明らかになってきたのである。“ 

 

たとえば、牛乳の例をとってみよう。取り立ての乳にはは水と十分混和して、どこにがあるか

わからない。しかし加工すると、クリームの層ができる。このクリームから、バターを造り、さら

に、たんぱく質として残った部分を精製してチーズができる。

 

つまり、脂分を加工して乳製品が造られ、言葉を換えれば、類脂体を非活動性に変容させて加工品

が生まれる。つまり、その時点で、“生きていた乳は死んだ”ということになる。

私の体験だが、デリー滞在中は必ず、自家製のヨーグルトを創るのだが、このとき、スーパーで

パックされているミルクでは、できないのだ。 地元の牛で絞った乳を袋詰めにして朝特定の時間

に売りに来るそれを使えば、100%、ヨーグルトが出来上がる。そのミルクは雑菌など入っている

のを考慮して軽く沸騰させ、人肌ほど冷めたところで、前日残ったヨーグルトを小さじ一杯いれて

かき回せ、土鍋に入れて一定の温度で一晩おくだけで上質なヨーグルトが出来上がっている。

これも、類脂体がどの程度、牛の乳に残っているがが関係しているのだろうか? 生きているミル

クかどうか?というところが関与しているのだろうか?

 

ちなみに、日本でこれをしようとしたが、日本の市販のヨーグルトと牛乳でうまくいった試しがな

いので、やはり、生乳といっても、日本で売られているそれは、加工された要素が大きいのだろう

と察しているが、如何なものだろう?

 

生きているミルクかどうか? このことは、人間の乳にも言えるそうだ。だから、人間の生来の智

慧で、“生きた乳”を赤子に与える特別な術を、母子は知っていると博士は言う。

冷えたり、空気に充てたりしただけで、乳の類脂体は非活動的になってしまうし、太陽にあてた

ら、もっと始末が悪いというわけで、母子の授乳は、赤子唇が乳腺の出口に吸い付いて、口とい

う暗室の中に上手く吸い込み、空気や光線に触れさせない。

 

次に冷やしてはいけないから、親の体温と同温度の暖かい口の中に蓄える。空気に充てないよう

に、真空の中で赤子は母親の乳を吸い入れるのだ。本能的に、“生の生きている乳が無備な赤子

の身体の免疫育成や成長に役立つ“よう、”完全食“として赤子に与えられているわけだ。 

 

この二木博士の説明で、母体から授乳された子供の免疫力の確かさは従来から言われていたが、母

乳本来の栄養素、特に類脂体がそのまま赤子の体内に流れていくその仕組みに、”なるほど”と目か

ら鱗(うろこ)が落ちる感がする。

 

*1)明治6年 秋田佐竹藩の藩医の家に生まれる。20歳までいろいろの病気に悩み、玄米食の実行により、健康となった。明治34年東大医学部卒、駒込病院勤務中伝染病の研究をしながら、栄養学的に食物の研究に努力する。ドイツに留学し、天然免疫性に関する医学界における世界最高の業績を残す。帰国後、赤痢駒込菌を発見し、鼠咬症病原スピロペーターの発見によって、学士院の恩賜賞を受けた。かたわら、二木式腹式呼吸を発表、玄米・菜食、すなわち完全食を提唱した。その間、当で愛教授、都立駒込病院長、日本学士院会員、養生会会長、豊島丘女子学園理事長、修養団団長、その他多くの要職を兼ねる。藍綬褒章を賜り、その後昭和30年11月3日、文化勲章を授与せられた。

*2) “健康への道” ~完全正食の医学~ 東京書院発行、昭和32年

 

 

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ナッツ一粒、食して親木を食べるとは?~二木医学博士(3)

2018-12-04 07:40:18 | 自然治癒力

病~症状~自然治癒力の発動=生命力 2018.12.4

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さて、先回は、“日本の本来の求心的な医学的研究”という博士の話で終わった。その求心的な中心に位置

するものが、生命力であるということも、博士(*1)は語っていた。 この生命力が働く限り、また、寿

命の全する時が来ていない限り、病にかかっても、“必ず治る”、”治ってきた” いう、博士の体験をお

伝えした。

 

私見で恐縮だが、私自身、博士と似たような病歴背景をもち、病にかかっても、自らの体の中に存在する

生命力=自然治癒力を完全に信じ切ることで、乗り切ってきたという自負がある。自分自身、癌を患っ

た。その大きさは自分でも自覚されるほど、日常生活の中で支障になっていたから、外科手術をした。

その癌の切開後、実は、余命宣告とともに、最悪のケースを防ぐ方法として、さらに半年の入院治療、い

わゆる、集中治療の必要性を夫は担当医師から、勧められていた。私自身はその話を聞く前に、自主退院

をしてしまったので、その後、検査を含めて、病院に足を運ぶことなく、難なくその余命期間が過ぎてか

ら、感慨深げに当時を振り返って語る夫の話を聞かされて驚いた。 

 

生まれつきのアトピー性疾患や他様々な虚弱体質的病状で暗い青春時代を送っていた自分が、こうした体

験を経て、さらに、協会を立ち上げる前からの不治宣告を受けた方のアートマセラピー施術で、根気強く

正常な健康体に戻った回復体験を持つにあたり 二木博士のごとく、”病とは?症状が現れた状態をそうい

うのなら、その症状とは何か? 症状は生命力の健康体に戻すための働きの発露で、いかに、症状経過

を、乗り切るか? 膿(うみ)や熱、痛みや吐き気などの症状を如何に、体の外に出し切れるか? それ

が回復の要(かなめ)であり、それが過ぎれば、以前よりいっそうの健康体に戻ることができる”という体

験に基づく念ができた。

 

自然治癒力と生命力に対して、私の信仰にも似た全託は、皆様にぜひ、持ってくださいと勧めても、誰も

が簡単に持てるものではないと思う。 が、少なくても、その力が発揮しやすい体を創ることは、続ける

意思があれば、いろいろな方法があり効果を期待できると思う。 たとえば、筋肉をつける運動や、呼吸

法とともに行うストレッチ運動やヨガ、散歩や登山、そして、食事療法などがい浮かぶ。

同時に ”気の持ちよう” を意識することは、自分の心の鍛錬(たんれん)であり、これも大切だ。

心身一如(しんしんいちにょ)という言葉がある。体と心は一体であるという意味だが、”今の気持”

どのように保って生活しているかは、行動を起こす基盤とも言えるから、無視はできない。

 

さて、話を戻すと、その生命力が十分発露させる方法の1つが、食事療法で二木博士は精通していた。 

士は、れを完全食と銘打った。 その完全食の実行は、胃腸の働きを高め、血液の清らかに維持、免疫

力の高まりを期待でるもので、それがもっとも健康体が必要とするという意味から、完全食と呼んだ。

 

その完全食とは、玄米食 を中心に置くものだった。自ら玄米食に徹した博士は、その効用を、生まれな

がらの虚弱体質を創建な体質へと変えて、多くの病に打ち勝ってきた自らの体験で証明した。そのあたり

を、博士の言葉から引用(*2)する。

 

肉食は日本人にとって、適応食ではない。日本人が中華料理や西洋料理を毎日食べていると、胃腸を悪く

するが、菜食なら、いつまで続けても、飽きないのは、日本には菜食が適しているからだ。人間は植物の

上で発達した。何故かといえば、ビタミンが植物にあり、動物は皆、植物からそれを借りて生きている。

虎や獅子は、ビタミンをウサギから借りて、ウサギはビタミンを野菜から借りる。魚はビタミンを海藻か

ら借りている。事実、生命素、ビタミン、ホルモンなどは、みな植物体に発達したものである。それを動

物が借り当ているのであるから、人間が動物食をとるということは、借り物をまたかりることになるから

生命素が足りなくなる。

 

すなわち、肉、魚などにはビタミンが足りない。そこで、海岸の人は生の海藻を、里や山の人は野菜を食

べるとよろしい。”

 

動物食を食わずにすめばそれにこしたことはないが、食べなければならないときは、生きた動物を食べる

ように心掛けなければならない。・・・日本では北海道、東北地方にでもコメができるのだから、日本人

には肉食をしなくても植物で養われるのが良いのである。

 

植物のないエスキモーなどへ行くと、野菜も果物もないから、仕方なくオットセイやアザラシを取って食

うということになる。しかし、彼らは生きた物を取って食べるのであって、死んだ物を貯えておいて食う

ようなことはしない。”

 

ここで博士がいわんとしていることは、日本人が、エスキモーのように、オットセイやアザラシ、生きて

いる生ものを食べよということではなくて、完全食とは、つまり、”生きている物”を食べるという点が主

眼だ。 

 

たとえば、白米や精製米は死んでしまっているが、玄米は生きている。豆腐は加工されているから死んで

いるが、豆は生きている。刺身なら生魚だからよいかといえば、皮をはいで、頭も取ってあるから、不完

全食で、むしろ、ワカサギのように、頭から尾まで食べれる魚のほうが完全食に近いということになる。

芋や玉ねぎなどは放っておくと、蒼い芽が出てくるから、生きているということになる。木の実などは、

タミン、マグネシウム、カルシウム、などが含まれ、生命力を維持するために肝心な類脂体”が多量に

まれているため、完全食といえるだろう。

 

類脂体という言葉は聞きなれないのだが、生命力の根源的要素だと博士は言う。別名、“生命素”という言

葉で博士は呼んでいる。生き物にとっては無くてはならない要素だからだ。 だから、木の実は、まさ

に、生命素の固まりで、これを一粒食べるという事は、親木から受け継いでいる生命力をそのまま食べる

ことになるから、極端だが、その木一本の栄養素を食したのと同じだと博士は言う。

 

のように、完全食を取っている体の特徴は‘生き生き’していることだ。‘生き生き’していると、健康的な

生活が送れる理由は、その体は、血液が汚れておらず、血流が良いので、体の細胞に酸素や、栄養素が行

き届き、免疫力が優れ、代謝がよく自然治癒力を十分発揮できるからだ。

 

改めて問う。自然治癒力とは何か? 本来備わっている、病に侵されないように、自己防衛する力のこと

だ。その要素の1つが天然免疫性であり、これが優れているために、ばい菌や寄生虫などに強い力を発揮す

ると考えられる。

二木博士は次のようにこれを評している;

 

バイ菌や寄生虫がつくのは必ず死にかけた体につくものであるから、体を生き生きとしておけば、これを

防ぐことができる。病とは古人がいうように‘病は自ら招くわざなり’で、動物にはほとんど病気はない。

野生の動物はみな生理的死で死んでいる。人間もまた、自ら病を招きさえしなければ、病気になることは

なく、みな元気に楽しく暮らすことができて、自然に燈火が消えていくように大往生をとげることができ

るのだ。天然免疫に対して人工免疫もある。天然痘にかからないよう、種痘をするとか、はしかにかから

ないように、血清注射をするという、人口免疫である。

 

しかし、この人工免疫は一番免疫の度が強い、天然痘でさえ、せいぜい3年ぐらいのものであって、だんだ

ん免疫力は衰えて、決して永久完全なものではない。

 

これに反し、天然免疫はすべての病気発生と同時に免疫してしまうから、チフスや赤痢にもかからない。

つまり、この天然免疫を持っていれば、すべての病気を一緒に予防できる。・・・天から与えられた、こ

の天然免疫を失わないようしなければならない。”

 

博士の上記の言葉で、赤線で強調した言葉がある。”自ら、病を、招きさえしなければ”というところだ。

言い換えれば、病はその人が’招いている’ と言葉を言い換えることができるかもしれない。この言葉は含

蓄がある。 つまり、病とは、ストレスや心のアンバランスな状態不摂生な食事や生活習慣、などが長年

積もって、自業自得で、体に現れたものにすぎないといえそうだからだ。

 

だから、理想的な生活は、完全な光線を浴び、清らかな空気を吸い、汚染されていない水や添加物が充満

していない完全食をとる生活だろう。、食べすぎず、おなかに溜めないようにし、胃腸に負担をかけすぎ

ず、血液をドロドロにせず清らかな状態を保つ努力をしていれば、天然免疫力は年にかかわらず、強く

なっていき、生命力と活力を維持すると博士は言う。

 

そのような体になれば、たとえ、ばい菌を飲んでも、影響がない体になるという。なぜなら・・・”胃の中

の塩酸が、ばい菌をみな殺しにしてしまうので、決して病気にかからない。寄生虫がどこから来ても、必

ず胃の中へ入るから、塩酸に殺され消化されて、アミノ酸になり、栄養物として吸収してしまうのであ

る。” からだと、博士は、述べている。

 

 

 

*1)明治6年 秋田佐竹藩の藩医の家に生まれる。20歳までいろいろの病気に悩み、玄米食の実行により、健康となった。明治34年東大医学部卒、駒込病院勤務中伝染病の研究をしながら、栄養学的に食物の研究に努力する。ドイツに留学し、天然免疫性に関する医学界における世界最高の業績を残す。帰国後、赤痢駒込菌を発見し、鼠咬症病原スピロペーターの発見によって、学士院の恩賜賞を受けた。かたわら、二木式腹式呼吸を発表、玄米・菜食、すなわち完全食を提唱した。その間、当で愛教授、都立駒込病院長、日本学士院会員、養生会会長、豊島丘女子学園理事長、修養団団長、その他多くの要職を兼ねる。藍綬褒章を賜り、その後昭和30年11月3日、文化勲章を授与せられた。

*2) “健康への道” ~完全正食の医学~ 東京書院発行、昭和32年

 

 

 

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二木医学博士の生命論~生命を全うした生き方とは?(2)

2018-11-28 11:50:00 | 自然治癒力

 

中心帰一的なアプローチな方法が日本古来の医学の基礎概念          2018。 11/28

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今月帰国したばかりのインドでのご報告をさせていただいたが、滞在中は、完全菜食の友人宅にお世話に

なった。 たとえ、菜食の食べ物でも、外で調理されたものを、御裾分けしようとして断られた。

何が入っているかわからない、どのような人(カースト階級〛が造ったのか不明だ、というわけで、イン

人知人が自宅で作ったけど~とランチを持ってきてくれたが、それを、部屋の中に持ち込むことさえ、

遠慮するような空気が家の中に漂っていた。 三週間、完全菜食で過ごしたが、実に胃がすっきりして、

気持ち良い思いをした。 完全菜食というのは、卵がダメなのはもとより、玉ねぎ、にんにく、キノコ類

などもNGであった。 デリーの大気汚染は世界有数だが、野菜はなぜかフレッシュで味わいがあった。

 

さて今日の話題は、二木博士(*1)の菜食主義に話が進んでいく前のプロローグにあたる。

 

まず、唐突だが、総括的な博士の病気への信念、つまり、“疾病は必ずなおる”という考え方を観てみた

い。疾病は必ずなおる~という信念はどこから来ているのか?博士の著書(*2)から引用したい。

 

“私は長い間、いろいろな病気をした体験から、‘病気は必ず、治る’という信念を得た。病気して死なない

のは、なおりつつあるからだという信念のもとに、その病気のもとを探して、その根を断つことに努める

のならば、病気の力より、治る力のほうが勝って、病気が全快する。これが疾病の根本原理だと私は信じ

ている。”

 

やや、大雑把な言い回しのような気もする。”病気して死なないのは、なおりつつあるから”という箇所で

ある。病気すれば、’治る’か、’重篤になる’か、場合によっては、死に至るか極端に言えばどちらかのだか

ら、博士が言う、’直りつつある’ということと、’死なない’ということとの見極めがどこにあるかが肝心

ろう。

ここでは、生まれつき虚弱体質だった、博士が赤子の時から、青年期、成人してもなお、多くの病にかか

りながら、結局のところ自己の信念療法により、自然治癒力が最大限に発揮される方法を信じて、それら

の病を克服してきたという体験に基づく結論であるのだろう。

 

それでは、その信念療法とはいかなるものか? ご自身が西洋医学の医者であるにもかかわらず、西洋医

学に基づいた医学は、博士の信念療法の礎えとは少し異なるようだ。 なぜなら、西洋医学の研究方式は

遠心的であるために、本質をついていない~と二木博士は自著で述べているからだ。

 

“西洋医学は西洋人の医学であって、決して日本人のための医学ではない” 

 

つまり、西洋医学と日本人に適応する医学とは根本的に異なると博士はいう。その理由を次のように挙げ

る。

 

西洋医学の文化的気候的背景が、日本人のそれとは異なり、西洋医学が発達する過程がそうした環境

を念頭に発達しているわけで、そこから、すでに日本人がそれを取り入れるに、無理な点がある

“西洋医学は肉食を中心とした民族は、鉄砲を発明して狩猟し、船をつくって、魚をとり、寒ければ暖房で

温め、風の入らない家をつくるというように、自然と調和するより、自然を無視して、自然研究が足らな

い人工的なものであることが、西洋医学の長所でもあり、欠点ともなっている”という。 

 

一方、日本民族はどうであったかといえば、

 

日本は自然に恵まれ、水は清く、空気は澄んで、日光はきらきら輝き、立派な食物が豊富にあり、自然に

頼り、自然に感謝し、機械文化は西洋と比べ遅れ人間に病気は少なかったのだ。” 

 

博士のここでいう、’日本独自の医学’とは、東洋医学の分類に近いものがあるだろう。たとえば、’気の流

れ=順気’の滞りが病の原因であるということは、中国から文化が渡ってくる以前に存在していたと、‘ホツ

マツタエ’には述べられているが、すでに日本人の祖先は、順気が健康の礎であることは知っていた。

同時に、博士が述べているように、自然と人間の生活は離し難く、家材には、湿気や熱さに柔軟に対応で

きる、木や和紙などを用い、釘を使わずにはめ込み、冬にも夏にも適応する日本従来の建築様式があっ

た。

このような自然との共存ともいえる、古来日本人の生活様式は日本独自の文化を育む背景になり、ひいて

は博士の言う、’日本独自の医学’を生み出してきたのだろう。

 

ところで、’西洋医学と日本人の不適合性’を指摘する博士は東大医学部を卒業している。その当時の研究方

を振り返り、博士は次のように、西洋医学の研究方法における視点と日本的医学の視点との違いを述べ

ている:

 

“西洋は遠心的研究である。たとえば、解剖学的研究では、動物を解剖して、骨、肉、神経があり、その先

の細胞はというように枝から枝へ、葉から葉へと細部にわたって、研究している。博士論文を例にとれ

ば、或る人がある一つのことを研究して博士になる。次の研究者はさらに一歩先の枝葉のような細かいこ

とを研究して博士になる。どこまでいっても、研究しきれない。上の方の事を研究した人は下の方の事が

わからず、下の方の研究をした人は上の方の事を知らない。

こうして、いつになっても、まとまらないのが遠心的研究であって、西洋の学問は皆、これである。日本

の医学の研究も現在はこの方法であって、よく世間で、‘ノミ、シラミの事を研究して医学博士になったの

だから、人間のことはわかるまい’などと言われても仕方がない。” 

 

 

かつて、アポロ宇宙飛行士の1人が、’西洋の科学的研究とは、分析を重ねているが、その実、本当の‘何

故’という核心部分に決して触れることがない~´という言葉を述べているが、共通した意見のように思

う。

二木博士が西洋式と対角線上にあるという日本方式とはどのようにものなのだろうか?

 

“われら日本式は、求心的帰一的研究である。どういうことかといえば、個々の現象を一つの中心にまとめ

てしまう方法である。医学で言うのなら、その中心というのは、生命である。生命には空気も日光も水も

草も木も必要である。そして、空気も日光も水も草も木もすべて生命に帰一するのである。” 

 

求心的方法とは、中心を常に念頭に入れて問題解決を図る方法でもある。

医学的に観れば、私たちの命、生命力こそ、その中心にあるものだ~と博士は以下のように述べる。

 

“この生命は永遠にわたって、変わることがない、宇宙の大生命の根源に通じている。その大生命体の根源

は遠心的研究ではいつまでたっても到底握ることができないから、枝葉の研究から元の方へ帰る求心的研

究をしなければならないのである。日本の研究は古来そうであった。”

 

としたうえで、日本には、昔、存在していたという仙人を例にとりあげる。

 

”仙人は気の実を食って、清らかな水を飲み、清らかな山の光線に当たり、朝早くから働き、現在も田舎の

長寿者の暮らしがそうである。” 

 

が、長寿者もいずれは死を迎える。健康な死、天命を全うした死がそこにある。天命を全うした死に方と

は?博士はこういう。

 

“まるで油が尽きて、燈心が風が吹かないのに消えてしまうように、苦しみ一つない、いわゆる生理的死が

それである。この生理的死には、少しの病はない。胃、腸、肺、心臓、脳、すべて健全である。動物は

皆、この生理的死で死んでいる。

山へ行っても、だれも動物の死骸を見ることはない。彼らは死ぬまで健康で、行くべきところに行って、

死んでいるのである。” 

 

確かに、この言葉の後半部分、動物の生理的死についてはうなづくことがある。特別の異常な殺され方、

餌に毒を盛られるとか、人間に切り裂かれるとか、車との衝突などの事故死を除いては、小動物や、ハエ

や昆虫にいたるまで、スズメや鳩を含めて、人間に死骸をさらけ出すようなことはめったに、ないのだ。

きちんと、死に場所を定めて、自分の昇天の時を知って、しかるべき場所に移動しているのだろう。 

二木博士は、これを大往生(だいおうじょう)とも呼び、最近は大往生する人が多くないとし、それは

 

“今日の医学の研究が、生命を離れて、端へ端へと行っている

 

からだという。

 

 

*1)明治6年 秋田佐竹藩の藩医の家に生まれる。20歳までいろいろの病気に悩み、玄米食の実行により、健康となった。明治34年東大医学部卒、駒込病院勤務中伝染病の研究をしながら、栄養学的に食物の研究に努力する。ドイツに留学し、天然免疫性に関する医学界における世界最高の業績を残す。帰国後、赤痢駒込菌を発見し、鼠咬症病原スピロペーターの発見によって、学士院の恩賜賞を受けた。かたわら、二木式腹式呼吸を発表、玄米・菜食、すなわち完全食を提唱した。その間、当で愛教授、都立駒込病院長、日本学士院会員、養生会会長、豊島丘女子学園理事長、修養団団長、その他多くの要職を兼ねる。藍綬褒章を賜り、その後昭和30年11月3日、文化勲章を授与せられた。

*2) “健康への道” ~完全正食の医学~ 東京書院発行、昭和32年

 

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文化勲章受章者、二木医学博士の生命論~腹式呼吸~(1)

2018-11-21 17:08:26 | 自然治癒力

 

病は原則、克服できる~と体験実感した背景          2018 11/21

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”生命医療”に関してかなり以前ブログで触れたことがある。それは、自らの病の克服と患者の臨床的体験

が基軸となって、生命医療を提唱した内田医師の話だった。今日から数回にわたり、その生命医療を彷彿

とさせる、医学博士 二木謙三氏(*1)の体験と健康実践方法などをご紹介したい。

 

博士は、昭和30年文化勲章を受章された。私の手元に博士の著書(*2)ある。ご一緒に紐解きながら、

博士の自らの”体の機能への信頼”を、具体的な病の症例とともに理解し、さらに、健康を保善する食事

正食‘を考えていきたい。

 

博士は明治30年生まれ。一歳まで生き延びられないであろうという周りが認めるほど生まれながらに病弱

だったと、博士は次のように書いている:

“リンパ腺が晴れやすく、中毒にかかりやすい。皮膚に痒いものができ、それをかくと、腫れて膿をもつよ

うになり、それはだんだん広がり、慢性皮膚病となった。かゆいので夜はねむれず、不眠症になり、目も

悪くなり、眼精疲労で目が痛く、明るい光で書物は読めない。絶えず頭痛がし、胃腸は悪く、便秘や下痢

に苦しめられた。” 

 

不健康が原因で、小学校には遅れること3年、ようやく、9歳にして入学できたという。この時期、博士は

食用療法の大切さを子供ながら、初めて体験し、それが博士の提唱する”生食”の考え方の動機になってい

るように思う。

一昼夜、無尿症になり、尿毒症を起こしかけて、危篤に陥ったときのことだった。 漢方医であった、博

士の叔父が小豆(あずき)の煮汁を与え、体が改善に向かった。博士の言葉を引用する:

 

“塩物をことわって、毎日、小豆(あずき)の煮た汁を飲まされた。そうするうちに、不思議にも一日一日

尿が出るようになって、体がやせてきた。私は子供心にも食べ物がこれほど、体に大きな関係を持つの

かと驚異を感じた。” 

 

医食同源という言葉がある。まさに、普段の食事の内容如何で、長い年月でみると生きた薬となり、薬同

様健康に一役かっているということだ。 博士の子供時代の、急性腎炎は小豆汁によって改善をみた。そ

のとき、痩せて青白くなったのだが、この状態をむしろ、自然治癒力の発動した結果と、肯定的に、博士

こう分析している。

 

“私は病気の時は顔色が蒼くなって体が痩せるのは、血管が収縮して病気に対する抵抗力が強くなるせいだ

いうことを、身をもって体験したのだ。” 

 

体調が悪いと、食欲がなくなる。 周囲から、顔色が悪いと言われると、何か、病気ではないかと、不安

が助長する。博士は、このような状態は、自然治癒力の働きとして、実際は、体の中で抵抗力が増し、病

に対し闘うためだと理解した。

小学校から中学時代になると、神経衰弱にかかった。

高等学校にいくと、それがまたひどくなり、健忘症になった。具体的にいうと、万全の準備をもって試

に臨んでも、土壇場で、試験用紙をみて頭がぼーっとしてしまい、何も思い出せなくなってしまう。そ

せいで落第したが、博士自身、健康になるために、自ら独自の健康法をこのころから実践し始めている

“人並になりたいという一心で、人から何かよい健康法をきくと、すぐやってみた。特に複式呼吸、冷水摩

擦、駆け足などは熱心に実行した。” とある。

 

腹式呼吸は 胸式呼吸(*3)と異なり、臍の下、臍下丹田から息を吐き、静かに、おなかの重心に息を吸

い込んでいく方法だが、これを続けることにより、虚弱体質だった博士が、学校の徒歩競争に一番でゴー

ルインしするほど体の力に自信がもてるようになった。 

 

“私は最初から一等をとろうとは夢にもおもっていなかったが、しかし、古人の言の正しいことをしみじみ

知った。白隠禅師のすすめたとおり、腹式呼吸は全身の力を発揮させるものであることを痛感した。”

と記している。

実際、複式呼吸は、瞑想でも、ヨガでも、ストレッチ運動でも、呼吸はその効果を発揮するための要(か

なめ)となっていることは、今ではよく知られている。

 

息と精神とは密接な関係を持っている。たとえば、興奮すると、息が荒々しく、いわゆる、息が上がった

状態になり、精神的にますます、落ち着かなくなるものだ。。耐久力が必要なことをするときのみなら

ず、歌唱や演説、声を出すときに腹式呼吸でハラの底から力を出すと、聞いている人の心に届きやすい。

普段から腹式呼吸を意識して行っていると、自然と、身についていくものだとも思う。

 

さて、博士はこうして、自分自身の体験を通して、健康法を、健康になりたい一心から試みていたが、つ

いに胃腸病を克服するときがきた。

それは大正9年のインフルエンザ流行の年だった。当時、伝染病研究所の部長をしていた博士は、胃酸過多

悩まされていた。本文から引用する:

“大正9年インフルエンザが大流行したので、私は昼食を食う暇とてもなく、しばらく昼食をやめていた。

すると、胃の具合がたいへん良くなったので、それからは忙しくなっても、二食にしていた。

その後一食にしたらどうだろうかと、当時玄米を研究的に食べていたので、最初冬一か月だけ、寒げいこ

のつもりで玄米一食にしてみたところ、胃酸過多症がなおってしまった。”

 

二木博士はこうして、それから、玄米一食を貫いた。

60歳のときには、ますます健康に自信がでて、合気道の創始者、植芝氏に師事し、10数年間、毎朝道場

に通って、合道の稽古に励んだ。当時の日課をこう綴っている。

”朝4時に起床、禊(みそぎ)をして、牛込若松町にある合気道本部道場に新宿西大久保から通い、合気道

の稽古をして、6時に帰宅、それから一日一食の朝食をとった。玄米ご飯一杯と、野菜の二分間煮(無塩、

無糖)と果物という簡素さだった。” 

 

まるで仙人のような食事だ。博士は、小食であればあるほど、睡眠時間が少なくて済むという。玄米食は

完全食だとよく聞くが、博士の体験をもってして語られると、それも説得力のある話だと思う。

 

さて、ここまでは博士の持論の背景となったご自身の病気の克服の手記であるが、次回は、博士の具体

的な病理学理論に触れてみたい。

 

 

 

*1)明治6年 秋田佐竹藩の藩医の家に生まれる。20歳までいろいろの病気に悩み、玄米食の実行により、健康となった。明治34年東大医学部卒、駒込病院勤務中伝染病の研究をしながら、栄養学的に食物の研究に努力する。ドイツに留学し、天然免疫性に関する医学界における世界最高の業績を残す。帰国後、赤痢駒込菌を発見し、鼠咬症病原スピロペーターの発見によって、学士院の恩賜賞を受けた。かたわら、二木式腹式呼吸を発表、玄米・菜食、すなわち完全食を提唱した。その間、当で愛教授、都立駒込病院長、日本学士院会員、養生会会長、豊島丘女子学園理事長、修養団団長、その他多くの要職を兼ねる。藍綬褒章を賜り、その後昭和30年11月3日、文化勲章を授与せられた。

*2) “健康への道” ~完全正食の医学~ 東京書院発行、昭和32年

*3)腹式呼吸は二木式腹式呼吸なるものを博士は発表している。それを簡略してみると、以下のような方法でできる。“平田篤胤(ひらたあつたね)先生が述べているように、寝る前に、体を仰向けにした状態で、足を強くふみのばし、下腹に力をいれて、息を数えながら、胸から上を虚にし、原から下を実にするという心持で行うのが良い。・・・・呼吸時は、吸うときは、原のふくれるように少し腹が固くなるように息をすい、あまりいきまないように少しとらえて、精神を落ち着かせて、静かに吐き出す。胸の方から先に空気を出す。次に上腹部にある空気が胸を通って、外へ出て下腹に少し残るように出す。吸うときも吐くときも下腹には力をいれて、長く徐々に吐いたり出したりすることが大切だ。また、呼吸は鼻でするのがよい。この呼吸は八分いれて八分出すことを数回繰り返してあまり疲れない前にやめるとよい。

 

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