
期待感と怒りをなくすための考え方
6月11日令和6年***********************************************************
人間関係をギクシャクさせる一番大きな要因、それは、”怒り” だと思います。
怒りといっても、いろいろな表現があります。
笑っていても、内心に怒りを持っている人は意外と多いものです。
どんな種類の”怒り”にせよ、少しでも”怒り”を心に覚えると、風のごとく、相手に伝わるものです。
そうすると、敏感な相手なら、何か居心地の悪さを、感じるでしょう。
相手は、居心地の悪さの分だけ、今までのような自然な振舞がその怒りを出している私に対して、難しくなるようです。
それを、相手の素っ気なさ’とか、’心のない’態度と、とるために、二人の間に、悪循環が始まります。
それは思い込みにすぎないのですが、”不満”に拍車をかける結果となると、微妙な亀裂がはいるかもしれません。
勘違いからくる、この亀裂は、自分の心の陽気をむしばみます。
陽気をむしばめば、心身は一つですから、身体の不調につながるかもしれません。
”怒りを感じない心の土壌”は、とても必要です。
では、どのように、”心”を、耕したらよいのでしょう?
そもそも”怒り”は、どこから、生まれるのでしょう?
それは、自分の生きてきた(何世代も含めて)過去の記憶からだと覚者は言います
その記憶には、しっかりと、 ”こうなら、こうあるべきだ”という、”自分のルール”が 形造られてきています。
そのルールは、それぞれ、微妙に異なり、自分の”正しいと思う基準”になってますから、相手がそれに合わない言動をとると、”期待外れの気持ち”から、小さな怒りの種が生まれます。
なぜなら、怒りとは、そもそも、相手に期待した結果が外れた時、生まれる感情だからです。
ですので、今日の指標が出てきました。それが、”与える側にたつ”こと・・で解決するわけです。
与える側 と、受ける側。
ここに、一つの法則があります。
それは、”与えた側のほうが、その報酬(報復)を受け取り側より先に、受けとる”という、法則です。
この場合、”怒り”を先に発した(与えた)のは、私だとします。
この法則によれば、”怒り”を投げかけられた相手より先に、私は、その”怒り”の痛さを感じるのです。
言い換えれば、自分の出した”怒り”で、より多く、”傷つく”のは、私の方です。
”怒り”で、その日の、食事が何を食べても、美味しくなかったり、 ”怒り”の感情が、自然に心に反芻され、心が疲れたり、”怒り”から受ける”負の影響”は、自分が、直面することになります。
受け取り側の、負の影響はどうでしょう?
相手は、私が投げた”怒り”を、次の選択肢の中から選ぶでしょう。
①賢明な人だったら、それをうけ流すか、怒りを怒りと感じないかもしれません。
②落ち着いて考える人なら、投げかけられた”怒り”の原因を考えて、それを解決する術を考えるでしょう。
さらに、私は、怒りという、負の感情を投げかける代わりに、陽の感情に転換する
こともできるはずです。
なぜって、怒りの原因が、自分の”価値観(基準)”にあると知れば、相手の行動が自分の期待する基準に満たされないと思えば、むしろ、相手の価値観を考えてみるゆとりも出てくるかもしれません。
そして、期待するより、相手に、相手が望むことを、与えてあげようと思えば、与える側になり、陽の気に変える事ができるわけです。
陽の気を投げたその結果は、巡り巡って 自分に返ってきます。
だから、愛されたければ、愛すること。
認めてもらいたければ、認めること。
尊重されたければ、相手を尊重すること。
という発想になるでしょう。
話は少し、それますが、怒っている相手を理解するということは、厳密に、不可能でしょう。
なぜなら、何千年か何万年かわからない、幾世代を経た魂を持つ相手は、自分の全く知らない体験を積み上げてきて、その人なりの、価値観を創り上げてきていて、それが”怒り”の原因となっているのですから・・・
ならば、”相手の価値観と、私の価値感とは、まったく異質だから、理解できないところがあるのは当然”、というぐらいの認識でちょうどよい距離感が持てるのかもしれません。
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