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自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

2017年㋂21日の記事を読んだ方へ

2025年06月03日 | 健康と直結する”一元論”について
臨時投稿:神の観方:”現在過去未来” 2025-6-3
------------------------------



ニール・ドナルド氏が”神”から受けたメッセージ(*1)を発表してベスト
セラーになった。

そこから引用した箇所を中心に、記事を書いたのが2017年㋂㏴。
今、読み直してみると、若干の私の云わんとする論点がずれていることに気が
付いた。

無視をしておけないので、もう一度推敲させていただいた。
*******************
 
”あなたは、過去をもとに,自分の価値を決めるが、私(神)は,未来をもとに
あなたの価値を決める”

”いつまでこの不幸が続くのだろう~"以上

落ち込みながら人はなかなか、明るい未来を心に描けない。 

が、神から見れば、明るい未来しか’無い’かのようだ。


”未来にこそ、真実がある。

過去にはない。 

これまでしたことは、これからすることに比べれば、重要ではない。

これまで犯してきた過ちは,これから創造するものに比べれば何の意味も
ない。”
(以上引用
 
創造? 
これから創造するもの?
想像できないけど、きっと これから未来に、自分が創り出していく何かがある
と思うと悪い気はしない。 

多くの人は、きっと、未来を描く以上に、過去のことをひきずっているのでは
ないかと想像する。

たとえば、
”いままで生きてきた中で、生産性のある行動を、仕事をなしてきたのだろうか?”

”職場で、家庭で、育児の過程、趣味や奉仕活動で、どれだけ、満足できる成果が
つくれたのだろうか?”


感性の強い人、人との関係に敏感な人、自分を責めがちになる人、人といて、疲
れる人達は、反省が強い。

自分自身も、どちらかというと、その類(たぐい)の人間であることは、自覚
しているので、対人関係のからむ、こうした、“成果”に関しては、自信がない。


神”は続ける:

”すべての過ちを赦そう。”

”あなたの間違った情熱も赦そう。すべて赦そう。

間違った意見、見当違いの理解、有害な行動、自分勝手な決定、
すべて赦そう” 

”ほかの人は赦してくれなくても、私は許す。”

”ほかの人が罪悪感から開放してくれなくても、私は開放する。”(以上引用

 
これを読む限りでは、神の前では、罪人は、いないのだ。

人が裁き、そう決定付けている、この世の中にだけ、存在しているのだ。

実際、歴史的にみても、罪人が、聖人になった例がある。

たとえば、インドの、大長編叙事詩の、”ラーマーヤナ”の作者がそうだ。
”ヴァールミーキ”と伝えられる。

彼は、人を襲う盗賊だった過去をもっている。

**************

神は言う:”自分の実存する聖なる意識に気が付いた時、瞬きほどの 瞬間に
人は、聖人になる”~と。

なぜなら、その理由を神は続ける:


”ほんとうのところ、罪人などいない。 

誰も罪を犯すことなどできない。 

まして、私(神)に対してありえない。

だから、(私は)貴方を赦すという。

本当はあなたを赦すのではない。

ただ、あなたを(罪の意識、自分の本質を隠している転倒妄想から)
解放するのだ。

赦さなければならないことは何もない。
あなたを解放することはできる。 

だから、今、解放しよう。”(引用終わり
 

神は どんな状況下でも、”傷つく”ということはあり得ない。

だから、

どんなことがあっても 私は傷つかない”と 重ねて神はいう。

そして、傷つきえないものは、傷つけることもできないからだ。
むしろ、神は、人間を解放する。

罰を与えるどころでなく、罪意識を持っている人を、許し、”罪はないよ”と囁く。
それが、このセンテンスに表現されている;


”あなた(罪の意識、自分の本質を隠している転倒妄想から)解放するのだ。”

そして

”私は無礼だ、失敬だと機嫌を損ねたり、傷ついたり、損なわれたりしない。

そんなことはあり得ない。

あなたも同じだ。
ほかのすべての人もそうだ。 

ただ、あなた方はみな、自分が傷つけられ、被害を受けたと思うから、
復讐しないではいられなくなる。

苦痛を経験するから、お返しとして人に苦痛を与えずにいられなくなる。”
以上引用
 

苦痛にしろ、被害にしろ、そんなものも、本当は、本当の世界では、妄想の無い
次元では、存在しない。
”あなたも同じだ”・・・そう、私たちの本質は、ここにある・・・
傷つけ、傷つけられる存在ではない・・・と。

神は続けて言う;


”あなたが、自分の言葉を守れば、多少は筋が通るかもしれない。 

あなた自身、何が正しいとか間違っているとか、考え方を、始終、
変えている。

個人でも社会でも同じことだ。”


ここで、一般の人は、こう抗議するだろう:
”いえ、罪はあります。
悪いことは悪い事なのです。

苦しんだり、被害を受けたりして、傷つくことは、絶対あるのです。” 

それに対して、神は、こう云う:

あなたが、自分の言葉を守れば、多少は筋が通るかもしれない。”と。 


あなたが、そういうのなら(罪があるというのなら)、自分の信じる正義は、どこ
にあるのか?

自分が正義とする信条に、あなたは、”言葉と行動と心”を一致させているのか?~

という神からの質問が、伝わってくる。


私たちの生きている世界の”正義” それは、誰が決めたものだろう?
そして、私が信じている”正義” それは、周囲の、社会の、世代の常識の影響を
どのくらい受けているのだろう?

そして、事実、個人レベルだけでなく、社会レベル、国レベル、人類レベルで、
常に歴史の中で、”正義の内容”が変ってきているではないか?






 *1 ”神との対話”ニール・ドナルド・ウォルシュ  サンマーク出版(株)



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”大きな自分” は、 周囲の音に、煩わされない ③

2025年05月13日 | 健康と直結する”一元論”について


座禅行 と ハエのブンブンの関係
**********************

さて、”大きな自分”が”私たちの姿”である
という話題が、5月10日の内容でした。

それと対照的な、小さな自分を、’エゴ’(小我) 
と呼んでいます。
エゴが強い人 というと、自分勝手な人という
イメージですが、エゴも、生きていく以上
とても大切な自分です。

”自分を守る、サバイヴ”するためには、
自身の肉体的感覚から、発生するエゴの声は
生きていくうえで 太古の昔から必要だった
でしょう。


エゴが”肉体レヴェルの声”だとしたら、
大我の声は、”魂の声”といえるでしょう。
”魂の声”を聴き分けることが、幸せと健康
には、不可欠です。


さて、小我 と 大我 との大きな違いの
一つは、心の”つぶやき”の量の違いです。

”つぶやき”というのは、心の中で絶えず、
湧き出ている”独り言”のことです。


皆さまも、今、これを読みながら
もしかしたら、心の’おしゃべり源泉’から、
いろいろな、つぶやきや 時には、感情が、
湧き出ているのに気が付きませんか?


私自身は、散歩していても、料理していても、
パソコンをチェックしていても、心には常に、
多かれ少なかれ、独り言が浮かんでは
消え、消えていきます。


心のストレスの原因にもこれが、実はなって
いるのですね。

ある言葉にひっかかると、気になり、考え
思い出して、また、反芻することがあります。
これが、一つの心のエネルギーの無駄な消耗
”考える”ことの、ストレス要因です。


でも、それが、”エゴ”の特徴ですから、それ
を理解して、どうしたら、それにひっかからず
悠々とした広い、大きな、自分の心を持つか
というのが、今日と次回のテーマです。


座禅を組むのも、瞑想をするのも、その方法
の一つでしょう。

が、座禅していても、この独り言は、ふっと
でてくるようです。

その証拠に、”独り言”にひっかかり、体が反応
すると・・
どこか、ぴくっとしたり、一瞬、わずかに、
体型がゆがむ。

それを目ざとく、感知した、修行僧が、竹刀で 
その修行者の肩を叩き、喝をいれてくれる:と
いう仕組みになっていることでもわかります。


この、自然と、心に、湧き出る思いは、
連想ゲームのようです。

観察していると、最初の想い次の想い
を生み はるか離れた話題に発展して、
頭の中での独り言は、続いています。


さっきも書いたように、独り言の源泉が、
”エゴ”領分の意識です。
たとえれば、ハエが飛ぶときに出すブンブン
という音にも似て、いつも、心の中にこの
ブンブンが聞こえているはずです。


そこで、インドの大師は、こう言います:

”ハエはハエで、顏の周りを飛ばしておけ”

つまり、ブンブン という しつこい、ハエの
音に似ていて、抑えようとしても出てくる声
(想いの波)は、そのままにしておきなさい~
というのです。

一方、 ”大我”の声は、”魂の声”ですから、
この”ブンブン”が聞こえている間
なかなか、聞き取れません

そのときは、
”ブンブン音を、❛聞き流している自分’を意識する
ようにしなさいと大師は続けて言います。


心の中に湧いてくる、おしゃべりに耳を貸さず、
ただ、流れていく雲をみるようにその間、
自分は、無反応でいる練習をしなさい
というのです。

なぜなら、”聞き流す側の自分の眼と耳(心の)”
こそ、魂と直結している”自分”の領域だから
です。


そうこうしているうちに、雲が途切れて青空が
広がるように、心に晴れやかな光景が広がる
だろう~と大師は教えてくれました

時間はかかるかもしれませんが、”大我の声
を聞く”、と、決心したら、小我とその違い、
そして、魂の安定した情緒を保証してくれる
内側からの”声”も、理解できると教えて
くれました。


その声に随っていれば、安らかな、ストレス
フリーの心情に そして、その声によって、行動
していれば、他者を傷つけることなく、最善の
方法を選んで穏やかに和やかに、事が進んでいく
というのです。

結局、突き詰めていくと、身体細胞や器官も、
最善の活動をしてくれる~健康につながるという
ことでしょう。




 
 

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年をとらない、コツ ③

2025年04月19日 | 健康と直結する”一元論”について
 

孔子先生の 空点に達した時の言葉・・
*********************

 
時間と空間の無い、世界 など、夢の中
ぐらいだろうか?

否、夢の中でも、夢中で逃げている夢
などは、その空間の広さや、差し迫る
時の恐怖などを感じるときもあるから
そうではない。

こんな体験をされたことは、皆さまは
ないだろうか?

あっという間に立つ時間
狭い部屋なのに、その狭さが全く気に
ならない空間。


ここで、質問を最初に戻し、”年を取らない”
ことと、
”コンパスの針が置かれた中心点”との関係に
話題をさかのぼると・・・


前回書いたように、私たちが、”我”を越えた
無我の境地に、近くなればなるほど、

私たちの考えや行動の原点が、ヨギのいう、
歳をとらない、原点、である、”久遠の点”に
近くなるという事。


この久遠の点 と、難しい抽象的な呼び方を
している、ポイントこそ、時間からも、空間
からも、束縛を受けない、唯一の、”場所”
だと、先人は言う。


場所 というのは、適切な表現ではない。
なぜなら、この言葉には、すでに”空間”
として、限られたところを意味するから・・
 

そして、不適当な言い方な一番の理由は、
ここは、私たちの、意識 の中だけにある、
からだ。


意識=現実 (意識が 今生きている現実
を創り出している)

上の方程式の意味するのは、意識したとおり
に、実際の、三次元の自分の環境に、自分
の意識が反映されている~ということだ。


ならば、

久遠の意識=時間と空間に左右されない現実
空間(我の無い意識を保つと、時間と空間に
左右されなくなる)

という方程式も成り立つだろうか。


つまり、’久遠の点’に、心の重心が常に、
留まることができれば、

現実的に、”時間”にも”空間”にも煩されなく
なるはずだ。


ここで、孔子の言葉をここで、思い出した:
”七十にして矩 (のり)を越えず”


意味は、”思うまま、欲するまま、気の向く
まま、心の赴くまま、行動しても、言葉を
発しても、誰も傷つけず、自己表現を
可能にできるのが、70歳を越してから”

と私は解釈している。

付け加えるのなら、ここには、時間と空間の
束縛すら感じ無い。

自然に、律しようと無理したり、考えたり
せずとも、その時と場と人々に適応した、
所作が取れるのだから。


ここまでたどり着くためには、日頃の
努力が必要なことは、孔子先生もこう
のべておられることから
わかる;

子 のたまわく、吾 15にして学に志し
30にして、立ち、40にして惑わず、50に
して天命を知る。60にして耳従う


”論語”の中の有名な言葉だが

15歳で人生の奥義を学ぶ決心をしてから、
人生紆余曲折、努力に努力を重ねて、
本当の自由な境地に至ったのが70歳である
ということだ。


自由な境地”こそ、”制約の無い境地”であり、
我儘に振舞って、制約が無いというわけで
なく

何をしても、何を言っても、それが、周囲の
環境と相手とそして、自分に対して、すべからく、
マッチングした、ものとして、所作言動が
なされる境地である。


言い換えれば、ここに至って、意識が久遠点、
あるいは、空点 に達し得たということでは
ないのかしら・・


私は、孔子先生が、 宗教(神・仏)を抜きに
して、道(どう)の修行から、それに達し得た
ことに、最大の敬意を感じる者の一人である。


 


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年をとらないコツ②

2025年04月15日 | 健康と直結する”一元論”について

ぷう助 人間年齢125歳(犬年齢26歳) 世界最長老犬


******ぷう助君が、こんなに可愛い理由 



久遠意識というのは自我がない、
無執着の意識である。
というのは、前回のお話。 


”老いる”のには、"時"という
ベルトコンベアーに 何も考えずに
乗っかっていれば、仕上がるものです。

そのベルトに乗っていると、大衆意識
常識、マスコミが誇大化させる世の中
風潮などに色に、自然と染まっていく
からです。


常識 というのは大切な一方、曲者で、
それに逆らわず生きている限り、人は、
老いの法則に方程式通り、世に言う
”老人然”が、自然と、具体化表現化
されていくわけです。



老いることは、一つの自然本能。

老いないことは、この自然本能に”意識”が
抵抗してこそ、結果が、正比例します。


大衆意識のエネルギーに逆らうこと。

自然治癒力生命力を最大に活用しながら、
常識の流れをさかのぼっていけるか が
アンチエイジングの秘訣です。


老いとは、健康常識が拍車をかけている
といっても、過言ではない
・・たとえば・・・

段階を上りながら、押されていく老化の
刻印はつぎのようなものがあります。

40代からは、少しずつ、筋肉が衰えていく
いう刻印、

50代、これからアルツハイマーに向けて、
脳内の海馬が縮むだろうという刻印


60代以降は、血圧や血糖値の問題が
誰にでも、当たり前になるという刻印、


70代は、心臓麻痺や脳梗塞が、突然
訪れて、半身不随になるリスクは、明日
にもあるという刻印。

老化とともに、関節などの軟骨が、年と
すり減るから、腰痛や足痛がある
のは当然という刻印、

80代90代では 半数が、認知症になる・・
だろうという刻印。
 
 

そこで、”久遠の今”に意識の中心を置く
という努力を、常日頃 することの大切さ
がでてきます。

意識を、時間と空間の無い、その点に
置くことで、簡単には、 ”老い”の刻印が、
押されない身体になるのです。


なぜなら、自分のそうした意識波動は、
老いの刻印波動より、もっと、繊細で、
老化という、波動数が異なるものは、受け
付けないからです。



もう一つのもっと、シンプルな老いない
理由は、
老い を考えなければ、老けることがないと
いう事実えす。


たとえば、人間以外の生き物たちがそう
です。

彼らは、過去を思わず、今のみを生きて
います。


つまり、今 の意識だけで、”過去も未来
への思いは無い”ということです。

今の意識しかない”から、ある意味、
すでに、時間の無い世界に近いところで、
生きているのです。


考えたり、悩んだり、
”傷つけられて恨んだり”
”自尊心を傷つけ 傷つけられる”

などなど、自我の生み出すストレスは無く、

時間も無い世界に近く生きているなら、
過去を振り返り、
未来を考え、悩み、考えぬいて、計画する
などというエネルギーを費やすこともない
わけです。


だから、彼らは、人間のように老け顔に
なったり、皺だらけになったり、年寄り然
とした風貌とは、無関係で生きていられる
のでしょう。

冒頭の写真のワンちゃんの顔をみていると
幸せ色になります。
その理由は、理屈抜きに、ほんとうに
アンチエイジングの生き方をしていることが
伝わるからです。



写真のワンちゃんについて)

世界最長寿の犬としてギネスブック
に認定されていた、栃木県さくら市の
雄の雑種犬「ぷースケ」君。

2011年に、亡くなったが、老衰と
みられる。
26歳と9カ月だった。

飼い主の主婦篠原由美子さん(42)に
よると、人間で言えば125歳を超える
年齢。

ぷースケは、亡くなる数日前まで、朝夕の
散歩を欠かさず、餌も元気に食べていた。

だが5日朝にn体調が急変し、餌を
食べず、ぐったりとして息をするにも
苦しそうになり、

買い物に行った篠原さんが午後
1時半ごろ帰宅すると、約5分後に眠る
ように息を引き取ったという。

〔共同通信〕
(2011年⒓月6日記事参考)




 
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年を重ねても老けないために。。。 ①【推敲版】

2025年04月09日 | 健康と直結する”一元論”について
現代も、幽身と肉身を操って、生きている2000歳といわれる
”ヒマラヤババジ”


赤ちゃんのようなみずみずしさが、なくなるわけ 
**********************


印度時代(16年間インド在印)に、スピリチュアリズムを標榜して、師 を探し
求めていた。

自分が師と仰いだ方は、確かに年をとらなかった。


年をとって、老けられたり、病気になったりする先達者は、いらしたが、それは、弟子たちのカルマを、自分の身に乗っけて、自らを犠牲にしているかの風情
だった。


師と準じた自分の知るところの 尊敬するヨギたちは、100歳の年齢を超えても、若々しく、人里を離れて修行を続けていらしたし、その中でも、ヨギの長老格で
神人合一しているといわれる、ヒマラヤのババジの推定年齢は、2000歳と言われ
ていた。


このババジは、肉体や幽体を自由に操り、 時と場合を、選択して出没し、必要とする人の前には、肉体として、姿を顕したりされた。


実際、クリヤヨガを世界に広めた、ヨガナンダ師は、ババジと出会い、アメリカにヨガ思想を広めるべく、使命を与えられた方だった。

(厳密には、ババジが、ヨガナンダ師の元を訪れて、彼に、その使命を授けた)


そうした先人たちが、一つの共通した真理を伝える;

それは、
私たちが、本質の自分に気が付いて、それにつながれば、三次元の肉体の老化という制約に反して、老いることはない”

ということだった。

**************

”本質の自分”は、この身体の”主”であると、”悟る”こと。

身体の煩(わずら)いに関しては 何よりも、”本質の自分”とつながっている
普段忘れている、自覚を、思い出すこと。”

**************

私は、16年のインド生活の中で、ヒマラヤの聖者たちといわれる、”ヨギ” から
それを間接的に教わった。

上に、書いた”年を取らない秘訣”は、意味深(しん)であった。

それは、”久遠(くおん)の今”に生きること、につながった。


久遠の今?

”Stay at void point over your self-conscious"


”久遠の今に生きなさい” というのだ。

久遠の今 は、 ”void point” の訳だ。

あるいは、そのまま直訳すれば、空点 になる。
 


では、”久遠の今”というのは、どこにあるのだろう?
今、ここに在る。

そして、 私たちの、心の中にある。


今、あなたの周囲の環境を、三次元に書かれた”円”と仮定してみる。

その”円”を描くには、何が必要か?
コンパス(あなたの意識)が必要だ。
 
その、”コンパスの針”を置くところが、円の中心点になる。
同時に、”意識の中心点”になる

その円は、人がいろいろな想いを重ねていくうちに 無数に、出来上がる。
喜怒哀楽の感情をもって描く円は、様々な環境をつくる。


こうして、人が生まれてから、はじめは、小さな環境(円)の中で生活し、
次第に、成長とともに、意識の多様性と発達によって、コンパスの脚は
長くなるとともに、大きな円を いくつも、幾つも 描き続け、今の
環境(最終的な円)がある。


では、円の中心 を見てみたい。

円の中心になる、点は、”自我意識”の象徴だ。

つまり、まだ、自我意識ができていない、赤子の無垢な真っ新(さら)
な魂に軸を置いた、小さな円は、空点(久遠の今の点)がぶれていないから
赤ちゃんは、あれだけ、周囲を魅了するほど愛らしい。


 成長するにつれて 本来の純粋な意識に“我”という”エゴ意識”が覆い、
本来の中心点に被さる”空点”に合わなくなる。

自我意識で、空点から、ぶれ始めたところで、描いた円(内外環境)に
苦 悲しみ、憎しみなどの、負の感情に占められる割合が多くなっていく
***********

ここで ”年を取らない、コツ” の話に戻してみたい。
”空“の特徴は、時間と空間が存在する、三次元を越えていること。


もし、”久遠の今 を生きる空点を意識して、意識の中心を置く”ことができたら
三次元に存在しながら(肉体的には)、意識は、異次元に存在することができる。
時間の無い世界だ。

すると、そこに描かれる円(環境)には、歳をとる という現実のルールと異なる
世界が出現することになる。

つまり、意識が肉体を造り、環境を作るというルールの世界に生きることになる。
これが ”歳を取らない、老けない秘訣”につながっていく。





続く



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