臨時投稿:神の観方:”現在過去未来” 2025-6-3
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ニール・ドナルド氏が”神”から受けたメッセージ(*1)を発表してベスト
セラーになった。
そこから引用した箇所を中心に、記事を書いたのが2017年㋂㏴。
今、読み直してみると、若干の私の云わんとする論点がずれていることに気が
付いた。
無視をしておけないので、もう一度推敲させていただいた。
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”あなたは、過去をもとに,自分の価値を決めるが、私(神)は,未来をもとに
あなたの価値を決める”
”いつまでこの不幸が続くのだろう~"(以上引用)
落ち込みながら人はなかなか、明るい未来を心に描けない。
が、神から見れば、明るい未来しか’無い’かのようだ。
”未来にこそ、真実がある。
過去にはない。
これまでしたことは、これからすることに比べれば、重要ではない。
これまで犯してきた過ちは,これから創造するものに比べれば何の意味も
ない。”
(以上引用)
創造?
これから創造するもの?
想像できないけど、きっと これから未来に、自分が創り出していく何かがある
と思うと悪い気はしない。
多くの人は、きっと、未来を描く以上に、過去のことをひきずっているのでは
ないかと想像する。
たとえば、
”いままで生きてきた中で、生産性のある行動を、仕事をなしてきたのだろうか?”
”職場で、家庭で、育児の過程、趣味や奉仕活動で、どれだけ、満足できる成果が
つくれたのだろうか?”
感性の強い人、人との関係に敏感な人、自分を責めがちになる人、人といて、疲
れる人達は、反省が強い。
自分自身も、どちらかというと、その類(たぐい)の人間であることは、自覚
しているので、対人関係のからむ、こうした、“成果”に関しては、自信がない。
神”は続ける:
”すべての過ちを赦そう。”
”あなたの間違った情熱も赦そう。すべて赦そう。
間違った意見、見当違いの理解、有害な行動、自分勝手な決定、
すべて赦そう”
”ほかの人は赦してくれなくても、私は許す。”
”ほかの人が罪悪感から開放してくれなくても、私は開放する。”(以上引用)
これを読む限りでは、神の前では、罪人は、いないのだ。
人が裁き、そう決定付けている、この世の中にだけ、存在しているのだ。
実際、歴史的にみても、罪人が、聖人になった例がある。
たとえば、インドの、大長編叙事詩の、”ラーマーヤナ”の作者がそうだ。
”ヴァールミーキ”と伝えられる。
彼は、人を襲う盗賊だった過去をもっている。
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神は言う:”自分の実存する聖なる意識に気が付いた時、瞬きほどの 瞬間に
人は、聖人になる”~と。
なぜなら、その理由を神は続ける:
”ほんとうのところ、罪人などいない。
誰も罪を犯すことなどできない。
まして、私(神)に対してありえない。
だから、(私は)貴方を赦すという。
本当はあなたを赦すのではない。
ただ、あなたを(罪の意識、自分の本質を隠している転倒妄想から)
解放するのだ。
赦さなければならないことは何もない。
あなたを解放することはできる。
だから、今、解放しよう。”(引用終わり)
神は どんな状況下でも、”傷つく”ということはあり得ない。
だから、
”どんなことがあっても 私は傷つかない”と 重ねて神はいう。
そして、傷つきえないものは、傷つけることもできないからだ。
むしろ、神は、人間を解放する。
罰を与えるどころでなく、罪意識を持っている人を、許し、”罪はないよ”と囁く。
それが、このセンテンスに表現されている;
”あなた(罪の意識、自分の本質を隠している転倒妄想から)解放するのだ。”
そして、
”私は無礼だ、失敬だと機嫌を損ねたり、傷ついたり、損なわれたりしない。
そんなことはあり得ない。
あなたも同じだ。
ほかのすべての人もそうだ。
ただ、あなた方はみな、自分が傷つけられ、被害を受けたと思うから、
復讐しないではいられなくなる。
苦痛を経験するから、お返しとして人に苦痛を与えずにいられなくなる。”
(以上引用)
苦痛にしろ、被害にしろ、そんなものも、本当は、本当の世界では、妄想の無い
次元では、存在しない。
”あなたも同じだ”・・・そう、私たちの本質は、ここにある・・・
傷つけ、傷つけられる存在ではない・・・と。
神は続けて言う;
”あなたが、自分の言葉を守れば、多少は筋が通るかもしれない。
あなた自身、何が正しいとか間違っているとか、考え方を、始終、
変えている。
個人でも社会でも同じことだ。”
ここで、一般の人は、こう抗議するだろう:
”いえ、罪はあります。
悪いことは悪い事なのです。
苦しんだり、被害を受けたりして、傷つくことは、絶対あるのです。”
それに対して、神は、こう云う:
”あなたが、自分の言葉を守れば、多少は筋が通るかもしれない。”と。
あなたが、そういうのなら(罪があるというのなら)、自分の信じる正義は、どこ
にあるのか?
自分が正義とする信条に、あなたは、”言葉と行動と心”を一致させているのか?~
という神からの質問が、伝わってくる。
私たちの生きている世界の”正義” それは、誰が決めたものだろう?
そして、私が信じている”正義” それは、周囲の、社会の、世代の常識の影響を
どのくらい受けているのだろう?
そして、事実、個人レベルだけでなく、社会レベル、国レベル、人類レベルで、
常に歴史の中で、”正義の内容”が変ってきているではないか?
*1 ”神との対話”ニール・ドナルド・ウォルシュ サンマーク出版(株)