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自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

なぜ、病院に行かないの? 施術に不安はつきもの・・・

2024年09月13日 | 介護と自然治癒力
生命力への信奉なぜ、病院に行かないの?  2024年9月13日
*****************************


前書き)

今年の8月も、ジュピは、死線を感じる症状を出しました。
もう、11歳。

今回は、熱中症ではなく、呼吸器系の狭窄症のような感じ。

新しい餌に変えたところ、アレルギー発作のように、
せき込み(人間でいえば)、ひゅーひゅ^と、
喉を詰まらせた呼吸が だんだん大きくなりました。

そのたびに、腹を異様に大きく膨らませないと息が続かない
ような状態になりました。

立って歩くのも、こうした息遣いでは、困難な様子でした。

その異変で、私は、真剣勝負を決意しました。

夜10時から明け方まで、夢中でセラピーをしました。
セラピー中、時折、不安と死が頭をよぎりました。

そのとき、これからご紹介する、10年程前の、施術体験
を思い出して、自分を鼓舞しながら ジュピターの生命力
を信じて、必死に、集中セラピーをしました。

なぜ、病院に行かないの?と聞く方もいるでしょう。

検査時の身体へ負担、薬の副作用、高齢の彼の入院生活、
どれも、決して、彼の生命エネルギーが膨らませる処置
ではなく、むしろ、激減させて、しぼませるだけ・・・と 
以前のチャチャの体験(カテゴリー”ペットロスの癒し”参照)
から私は学びましたから。

そして、自然治癒力で治った身体は、副作用を受けず、むしろ
以前より、耐久性を持った身体機能回復が、期待できるのです。

それは、人間も同じことです。
どうぞ、では、本文を・・・

***********

2014年に我が家に来た、ジュピが、2歳の夏、
熱中症になった。 

8月20日、土曜日

台風が近づいてい不安定な天候、実母と昼食をともにした
際に、午後1時過ぎ、猛暑だったにもかかわらず、ジュピ
を、トイレのため近くまで歩かせた。 

ハアハア息をしていたがいつも通り、元気に、電信柱に
おしっこをして、車に戻った。

その夜は暴風雨になり、散歩は不可能。
朝からトイレをしていない。

真夜中に点検したが、その時も、トイレシートが汚れて
おらず、初めて 彼の体調に疑問を感じた。

翌日21日、朝8時過ぎ

幸い、普通に、トイレをしてくれたが、その後、一滴の水も
飲まず、夜ごはんも食べなかった。

同日夕方6時

陽がおちてから散歩に行ったが、トイレの仕草はしても 
一滴も尿がおちていない。 

ますます、不安になった。

この夜から、アートマセラピーを始めた。 
同時に、チャチャ(過去のブログカテゴリー
”ペットロスの癒し”参照)のことが思い出された。 

もし、明日、月曜日朝、散歩にいって尿がでていなければ、 
セラピーのみでは、自信が持てなかった。

チャチャの時に体験していた、尿毒症になったら、とても
危険だと判断した。

チャチャは、尿をぬくタイミングが遅かったため、腎臓に
負担がかかりすぎ、急性腎不全になり、亡くなったのだ。


22日(月)の朝

トイレシートにかなり、オレンジ色に近い濃厚な尿が
100ccほどでていたので 思わず、万歳!と叫んで
喜んで、文字通り小躍りした。
 
喜びもつかの間、その日、ほとんど水を飲まず、いつもなら、
吠えたり、遊んだり、走り回ったりする、当たり前の光景が
一転して、ただ、うずくまるジュピを見て不安が増した。

パソコンで検索して、界隈の名医と評判ある獣医を探し住所と
電話番号をいくつか控えたほどだった。

彼の症状から 熱中症、あるいは泌尿器系、いずれにしても、
こういう症状は命取りになると、ネット情報には、書いて
あった。

が、不安は募るのに、もう一人の私の心には、(不思議なことに)
電話をかける気が湧き起こらない。

事態を冷静に見つめながら、ひたすら、セラピーを施術
している私がいた。

施術手当をしながら、気の調整と自然治癒を信じていた。
ジュピも、それを感知しているのがわかった。 

私が仕事をしておらず、一段落して座っていると、必ず
そばにきてお腹をだし、さあ、手当を初めて~と言わん
ばかりに、すぐそばに、横たわり、時には腹を見せた。

その時に、彼から、”前の晩に何時間もセラピーしたように 
また手当をして”いうテレパシーが伝わってくるの
だった。

手足を天空にのばして、私の横で、天日干しのひらきの魚の
ように四肢を解放して、セラピーを受ける体制になるの
である。
 
そうこうしているうちに、夕食を少しだけ、口にした

それから セラピー続行。
今日が施術最後、状況変わらなければ、明日は病院に
行くとつぶやきながら、手当を続けた。 

そして、とうとう、セラピーの成果の手ごたえを 
初めて感じた瞬間が来た。

そのきっかけはジュピのオナラだった。

腸が動き、いくつもの小さなガスが排出されている~
と感じた。 

毒素は 気体だが、それが溜まって凝り固まると、
有毒なガスが原因となり、腫瘍などの固体症状として
現れてくることがある。

その毒素を体外に出せば、身体への悪影響は最小限
に抑えられる。 

だから、私にとって、臭いにおいの オナラ は嬉しい
ものだった。 

悪い毒素、気の”滞り”が排泄され、身体が浄化されて
いっている証拠だったからだ。
 
同様、施術している私の体にも相手の状況が映るように
なってきた

グル音(内臓が動く音)アクビ(脳への酸素補給、
免役力を高めるために、体に酸素をとりいれる)が連発して
でてきてますます手ごたえを感じるようになった。
 

8月23日火曜日・・・

やはり、朝 尿をわずかにしたのみだった。 
散歩に連れて出たが、歩きたがらず、抱っこして普段の路を
歩いた。

この夜のセラピーは数時間に及んだが、時間はあっという間
の感で、明け方になった。

この時、私の頭に、アイデアが浮かんだ。 

夜が明けたら、すぐ、ジュピが一番好きな散歩道へ行こう、
それは 座間神社界隈の 大山を仰ぐ、広場と神社境内に
続く散歩道だった。

8月24日朝5時半

車に彼をのせて、15分ぐらいで渋滞もなく座間神社へ。。 

すでにその、清らかな空気の気配を車の中から ジュピは
察知して
出してくれ”とドアに顏をつけていた。 

すでに、気分は上々。元気になっている。

案の定 外に出ると、彼のほうから綱を引っ張るように、
勢いよく、散歩を始めた。 

そして、近場の木の幹に、”おしっこ”をした。
大丈夫、これで、大丈夫、 ・・・ !!!

氏神様に感謝詣でをすませ、30分ほど歩くと、今度は、
突然、吐き出した。  

黄色の液体。 
以前も、すきっ腹の時、液体をはくことがあったが、今回は
少し様子が異なる。 

量が多い。 
暫くすると、また立ち止まり、ねばねば感が尋常でない、
納豆のような液体を吐いた。

ここで 多くの方達は心配するところだろうが、私は
むしろ、胸を文字通りなでおろし、ほっとした。

施術後の反応 症状で ”はく”、”熱”、”下痢”、が 浄化作用
の一環として、反応と称して、一番多く見られるケースだ。

そして、その後は必ず、症状はみるみるうちに改善される
ことを私は、経験から、知っていた。

苦しいだろうが、全部、吐いてしまいなさい・・・
30分ほどかけて、吐き続け、少し 収まったところで
帰宅した。

其の後 自宅に着いて、再び、施術をしていたところに、

朝8時30分

配管工事のためやってきた 顔なじみの工務店社長が、
ジュピと私がいる部屋をのぞいた。

そして、なんだか、異様に今日は部屋がくさいな。
犬のおしっこの匂いまでする” と、顔をしかめた。

この人は8歳のとき、すねを犬にかまれて、犬嫌いで、
わずかな匂いも臭覚に反映されるということで、
するどい指摘でもあった。
 
それは、セラピーを 何日も、し続けていた部屋の中に、
ジュピの身体から蒸気で出ていく毒素の匂いで、空気が
どみ 悪臭がただよっていたことを示していた。

同様のことは、これまでも体験していた。

義母に、数時間、セラピーをしたときだった。
(気功の大家の姑は、私には、自分の身体を手当させた)

ドアをあけて入ってきた夫は異様にこの部屋臭い
指摘した

それと同じことが、この時の、ジュピのセラピーにも
起きていた。
 
こうして、8月24日 

朝6時半をもって、私は セラピー施術師として、再度、
ジュピの生命力の力と、自然治癒力の認識を
新たにすることができた。

つまり、彼は、また一歩、健全な状態に近づいたのだ。

動物も、気の流れを整えることで、自然治癒力が発揮される
下地を 整えることが可能である~ということ。

しかし、その夜は歩きたがらないので、抱っこ散歩、途中、
草の茂みに降ろすとそこで、少々の尿を放出した。

8月25日

朝、ほぼ、通常通りの散歩をして帰ってきた。
食欲も通常に戻り、水もよく飲んだ。

ジュピの神様ありがとう~私は、彼の症状が良くなる
たびにこうつぶやいた。


そして、元気に戻りました。


以上

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 人との好ましい関係を保つために②

2024年08月08日 | 介護と自然治癒力


自分を理解する~他者との会話を通して
******************************************

前回からの続きで、”より良い人間関係をつくるために”
の②です。

PAC という略字は、前回、または、6月30日以前のブログに
説明しています。ご参照ください。

交流のパターンには、三つあることを前回お話しました。

自分と相手の間に、①理解があるか、②話の要点が
かみ合わず、交叉してしまうか、そして、③どちらか、
または、両方が、仮面をかぶったように本音を表さないか・・・

では、次の会話を見てみましょう。

A氏とB氏が登場します。

A氏は、B氏に、喜んでもらいたい一心で、なにやかやと
世話をやきたがります。

一方の、B氏はそれを、有難迷惑(ありがためいわく)か、
’煙たく’感じています。

”親切の押し売りはしないで欲しい”と思っているのです。

世話を焼くという行為は、心の要素でいうと、P(親の心)が
C(子供の心)に対する行動です。

ケアーする心は本来のPの特徴です。

A氏は、外からは、一見、愛情深く、思いやりある人のように
みえますが、池見博士は、ここに見落としがちなポイント
があると言います。

それは、A氏の親切は、本当に相手を想っての行為では
ないということです。

相手からの愛情や関心を得たいがために、親切を装って、
働きかけているからです。

もちろん、A氏自身はそれに気が付いていないでしょう。

相手のB氏も、A氏の本当の思惑など、考えているゆとり
はないでしょう。

でも、結局は、A氏のアプローチは、相手に”自分を見て”と
期待したうえでの行為ですから、それを相手が、重たく
感じるのも、無理がないわけです。

池見博士は、こうした、交流を”防衛的交流”と呼びます。

”自分の本当の欲求や動機が、はっきりと意識化されない
まま、表面的には、それとは異なるパターンの交流が
行われる”ということです。

この場合は、心の領域では、C(子供の心)主導型であり、
相手がそれに反応を示さないということは、相手は、
A(大人の心)で対応しているからでしょう。

この場合の、A氏の親切は、成熟した大人の心というより、
相手に関心をもってもらいたい、という、むしろエゴ的な
子供の心Cの欲求が、隠れているわけです。

こういうパターンは意外と私たちの人間関係にあるような
気がします。

”これだけ、親切にしたのに、何にも恩義を感じていないのは
失礼だ”と、思ったことがあれば、その親切は、相手に何かを
期待していた見返りがないことに お門違いの、”失礼だ”という
言葉がかぶさっているわけです。

この人間関係は、’飼い犬に手をかまれる’ という諺の裏に
ある心理だと、池見博士は言います。

自分のことを考えていてくれている、と相手に思わせて
本当の真意は、別のところにあった、裏切られた、と相手に
思わせる場合も、このケースをひっくり返せばあてはまります。

良い人だと思っていたのに、違う側面を相手から感じ取り、
相手の二面性に気が付かされるようなときです。

信用していたのに、本当な、信用はおけないと、思わせるとき、
まさに、防衛的交流が二人の間にあるのでしょう。

ここでは、自分の心に相手に対する期待や、見返りなど、
そんな要素がないかどうか? 

自分の言葉がきちんと、自分の心を相手に伝えられているか?

誤解を生むような遠まわしな表現になっていないか?

などという、客観的な内省が、役にたつようです。


参考)
”セルフ・コントロールの医学” 池見酉次郎s・57年9月1日 日本放送出版協会
”ストレス健康法” S.50 池見酉次郎 ㈱潮文社
”セルフコントロールー交流分析の実際” 池見酉次郎 杉田峰康 2007年創元社
”続心療内科” 池見酉次郎 1973年 中央公論社
”心療内科” 池見酉次郎 1963年 中央公論社

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介護のヒント

2023年10月18日 | 介護と自然治癒力


2023年10月18日

夫が逝ってから 一年が過ぎました。

これから揚げる介護の例は、内田医師の体験に基づくものですが、

夫の介護当時の、状態と重なるところがあり、改めて読み直し

ご紹介いたします。

************

以下内田医師の実話より引用)

父の死の翌年、96歳で他界した伯父は、80歳を過ぎたころから、

リウマチ性関節炎や心臓病高血圧が治り始め、腰の大きなこぶも、

自爆して、消えてしまった。

老齢になると、病気が治りにくいとか、老化が進んで病気になりやすい

 と一般に考えられているが、既成概念を超越した実話もあるので

ある。

私の父は、歯がないから、消化が悪くなる という概念が無かったので、

ゴボウでも おかきでも、歯ぐきでモグモグして丸のみして、体内に

いれても、消化されて、良い便通であった。

ただ、寝たきり老人が飲食物にむせる、嚥下(えんげ)障害が始まると、

次第にこの世の寿命が終わりに近づいている兆候だ。

(須田注:これは、私の体験からは、そうとも言えないと思うのです。

理由は、私自身、世の寿命が終わりに近づいているとは思えないとき、

よく、喉がつまり、気管支に食べたものが入って行ったようなことが

あったからです。

実母の認知症介護で、疲労困憊になっていると、食事をとると

一口目は、必ず、喉につまってしまった覚えがあります。

嚥下症状がどうか、定かでないかも・・でも 咽て(むせて)

それは苦しかったのを思い出します。) 

 無理に与えず、自然にしておいた方が本人には楽である。”以上引用

 

老人介護についての心得として以下のようなことを 内田医師は、

補足しています。

(1)トイレの 大便をもて遊ぶ老人に対して

子供のころ、泥んこ遊びをしていないのだろうと察し、叱ったり、

やめさせたりしないで、しばらく そのままにさせてあげると、

自然にその行動も2~3日で止まった。

家人によく聞いてみると、はやり、躾の厳しい 良家の育ちであった

という。

 (2)部屋中にヌード写真を貼る90歳の老人

大学の名誉教授だった方。 

90歳になられて、部屋中にヌード写真を貼って困っていると、お嫁さん

が相談に来られた。

若いころから学問研究一筋で 男性の本能を抑えていたので、今こそ

それが表れていると話した。 

いやがらずに、”プレイボーイ”などの雑誌を 数回買って、あげている

うちに自然にその行為をしなくなった。

 (3)ボケ症状

意識が鮮明明瞭な日と、幻覚症状や、繰り返し同じことを尋ねられて、

困る日が相互にきたら、ボケ症状だ。 

つじつまが合わないことを言う時も、話を合わせて対応して、決して、

嘲笑したりしないこと。 放任しないこと。 

その対応次第で、ボケ症状 を増強させないことが可能だ。

ある日、ふっと気が付いて、変な事を言っていた自分を反省すること

もある。

心の奥底では決してぼけているわけではない。

(須田注・このラインは意味が深いと思います。
私の実母は、認知度要介護3で、10年間寄り添いましたが、最後の
年、私の介護疲れがマックスに達して、眠れない日々が続きました

私の脈拍数は、一分間に、30しか達しなくなったとき、ケアマネー
ジャーさんの強い勧めて、実母を、グループホームでお世話して
いただくことに、なりました。

その時、ホームについて、もう、自宅に戻れないと悟ったのか、実母は
周りの人に聞こえるようにこうつぶやいたそうです。
”娘のために、ここに入る”と。

この言葉は、まさしく、ボケているときの母のそれではありません。
これを聞いた私の胸はジーンと、痛みを感じ、今でも忘れられません。

 

(4)寝たきり老人の 清拭(せいしき)~体を清浄にすること

 小さいガーゼに石鹸をつけて片腕、肩胸を拭き、あとはお湯で絞った

タオルでふき取る。 

全身を一度には無理なので、毎日少しずつ場所を変えて行い 手足は

特に垢がたまるので、入念にする。

床ずれのできやすい仙骨部(腰の下)に温湿布をすると、床ずれ予防

になる。

配偶者に先立たれた老人は男性の場合、”ボケ症状”として、昼夜が逆転

して夜中に大声を上げたり、性的異常行動をするときがある。

そんな時にも、尿をとったあと、外陰部に温湿布をすると、おとなしく

なる。

温かい というのは、愛情に通じるからだろう。” 以上引用


温かいというのは愛情に通じる=これは、印象的な言葉でした。
手をさする、添い寝する、肩をなでる、等々、体温を通して、相手に
理屈ぬきに伝えられる、ぬくもりの愛の表現はきっと、大きな癒し
につながるのでしょう。

これは、ボケた、老人だけに限らず、すべての老若男女に通じるもの
なのでしょう。

*********************

 

参考資料: ”生命医療を求めて” 

内科医 内田久子著 平成7年11月1日18刷発行 

発行所 日本教文社

***************

内田医師について: 

昭和2年大阪生まれ・

も行う昭和25年大阪女子高等医学専門学校(現在関西医大)

を卒業

その後 大阪大学附属病院、池田市立病院、

講演活動

 Copyright : NPO Spontaneous Healing Therapy Japan: 

 

 

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自然治癒力セラピー協会の存続をかけて;復活介護体験

2023年08月14日 | 介護と自然治癒力



8月14日/2023
自然治癒力セラピーの揺らぎを体験し、
2023年の今現在、”2020年に発表した記事”を振り返り・・
**************************************

前置き)今日は、三年を隔てた日記を公開させていただいた。

前者は、夫が寝たきりになり、リハビリ病院に居た頃(2019年)
さらに、自宅介護に踏み切る前の2021年の、原因不明といわれ、
自然治癒力への私の信念が揺らいだときの 苦しい思いで書いた
記事。

後者は、コロナが下火になった2022年、まだ歩けない、立てないの
車いす生活の夫(要介護4)を、薬から脱却させるため、自宅介護に
ふみきり、改善が見られた事実の手記である。

この時点で、もし、夫の生命力の発揮が証明されず、私自身の
自然治癒力セラピーへの信念が、”絵に描いた餅”と証明されたら、
私は、この協会をたたむ決意で 当時、真摯に自宅で夫と向き合
っていた。

**********************************************
 2020年 2/11
*********************
私自身の本音・・・

今、夫は、健康を示す数値は、完璧なのに、寝たきり状態だ。

私自身と被施術者の体験結果からお伝えしてきた、
生命力の自然治癒力の素晴らしさを、信念として、このブログ
にも、その発揮方法を、想念エネルギーの振り向け方を
主軸に書いてきた。

 しかし・・・である。

 夫が寝込んでしまってからは、空々しい感覚がサッと、心の
片隅をかすめるようによぎる。

先端の西洋医学の技術をもってしても、精密検査結果は、原因が
わからず、病名もはっきり言えないという、夫の現在の状況・・

 不可思議な要介護4認定を受けたその背景に、自分の信じて
いる方向性と違う、その矛盾に、どうしても、考えこみ、
これまでの信念の揺るぎすら、感じて初めていた。
 
夫に施術をする。 
結果、確かに、データ的には何も異常がないのだから、施術は
効を奏していたのかもしれない。

 だが、何故、かれは、急に、寝たキリになったのか?

 去年6月に、勤めていた通信社に送る原稿を書き上げて、
”これが、最後の原稿となります。しばらく休みます”

というメールを先方に送ったときの寂しそうな横顔が印象的だ。


 
そして、それから、衰弱化が始まり、一日の大半は、寝付くよう
になっていった。

 以前から言葉少ない夫だったが、寝たきりになってからは天井
を見ているだけで、言葉はほとんど発しなくなった。

 食欲も激減した。

 こうした状況の中で、私は、 ’~想念の持ち方で理想を実現
する~’というテーマで、ブログを書き始めた。

 一方で、私の体験によって培ってきた信念が、一番身近な
夫に対して、当てはまっていないのではないか、と、冒頭に
書いたような、何か、空しさを感じるのだ。

2019年入院していたリハビリ病院の看護婦長に、言われた
言葉を思い出す。

“須田さんはやる気さえ起きれば、歩けるし、トイレもできる
ようになり、日常に戻る下地が十分できるはずです。 
心療内科の薬を飲んで、少し、やる気をだしてもらいません
か?”

薬でやる気?がでるなんて・・信じられない・・と内心、
驚いた。 
 
その結論を出すことは待っていただくことにした。 

 ここで、“やる気”というフレーズが私の心にささった。 
”やる気”って何? 

 彼は、彼のこれまでの人生の中で、本当に自発的(やる気で)
に、仕事や趣味や余暇を過ごすことがあったのだろうか? 

 自発的に、という意味は、条件付けなしに、”欲する”という
意味だ。

お給料のため、世間体のため、義務があるから、云々なしに、
という条件なしに・・・である。

そして、私は、今、気が付いた。

 もしかしたら、寝たきりになった彼は今、本当の自分に
なるために、リセットし始めたのではないかと。

 私自身が、自然治癒力が発揮できるはずだという、
”一方的な期待” を抱くことは、今の彼にとって、
プレッシャーをあたえるだけなのかもしれない~と。

 なら、私が、今できることは何? 
それは、むしろ、静かに見守る事だ。
 
彼の中で、自分自身の意思、想い、感情を含め
”本当の彼の感覚”が、自然とわき起こるのを、待つこと
かもしれない。

それが、リセットだから。

 リセットが、意欲につながるなら、本来の生命力が
そのとき、きっと、発揮されるに違いない・・

 だから、私が今、固執している、’想念の力で自分の理想と
する人生を作り上げ、健康を計りたい’~という自然治癒力
の遠隔的エネルギーを送る方法は、今の彼に当てはまる
ものではないと、知るべきだろうと思った。

”遠隔思念
”を送ることは続けても、その効果を、期待すべきで
はない・・むしろ、彼の今のメンタルを、あるがままに、
受け止めてあげたいという結論にいたった。

 コトバを替えて言えば、理想とか、希望とか、夢とか語る前
に、彼の心のありのまま、を認める作業。

そう、思いつつ、謙虚に、このシリーズの続きをまた、発表
させていただきたいと思う。


 
****************************
2023年8月13日~その後の変化:続き
**************************

2022年、初春、コロナが下火になり、やっと、彼は
沢山の薬をかかえて、病院介護生活から、自宅介護へと
移行できた。
精神抗うつ剤や、大きな浣腸薬は、すべて捨てた。

一か月たたないうちに、夫は、車いすから 立ち上がり
トイレまで歩いていき、奇跡的な回復を見せた。

一緒に、ファミレスに行き、ワインを飲んだ。
昼間はデーケア、確実に、普通の生活へと、回復を
見せている夫に、ケアマネさんも、あと、半年くらいで
階段の上り下りも可能になると、太鼓判を押してくれた。

当然、その時の私には、”看取り”という意識はなかった。
夫は、本当に、”進化”ともいえる、”回復”を見せてくれたからだ。

 が、彼は 7月、ケアー施設で、コロナの集団感染した。
通っていた施設は閉鎖となった。

当然、そばで、高熱を出している夫に、水分補給していた
私も、その3日後に 熱が出た。

介護が無理となり、やむを得ず、救急車で、彼だけ、入院
してもらうことにした。

コロナ中、飲まず、食べれずで、私は、5キロ近く痩せたが、
夫を迎えに行きたい思いで気が気でなかった。

夫は、病院で新薬の点滴をされていること、その薬の影響か、
彼はまたうつ状態になり、食事は一切とらず、身体も寝返り
を2週間することなく、硬直したように、横向きで寝ている
だけという情報が耳に入ってきた。

2週間後、普通に戻った私は、急いで夫を、迎えに行った。
信じられないほど、夫は、痩せ、言葉もなく、疲弊していた。

 コロナ前まで、立ったり歩いたりしていたのに、コロナ後は
四肢が硬直したように動かせなくなっていた。
 
病院で、車の後部座席に乗せるのに、10分以上、奮闘したが、
どうにか、身体はシートに運べたが、座っておられず、
崩れてしまった。

 自宅に、戻ったが、必要な介護用品は すでに、返品して
いた。
段差を移動させる、車いす用のスロープも、業者に返却して
いたので、屋内でスタック、さきに進めず、立ち往生して
しまった。

 結局、寝室にまでたどり着けず、その晩は、二人で、簡易
な折り畳みの長椅子を横に倒して、一晩を過ごした。

 翌日から、デーケアー再開。

 迎えの職員さんが、数人がかりで
車いすに乗せ、施設に
行ったが、あちらでも、彼の様子が、あまりに違うので、
”いつ何があっても、おかしくないと判断します”とスタッフ
から、電話が入った。

そして、その為に、訪問医師が紹介された。

事が起きた時、月に一度の往診で、警察沙汰に
ならないからという、配慮だった。

 訪問医師は、私の意見を理解して、薬なしの、自然治癒力
を生かす方針で(看取りの可能性をも示唆)介護していく
ことを了承してくださった。

正直、私自身、退院後の、夫の変わりように、打ちのめ
された。

2019年、夫が、精密検査を受けて、原因不明と判断され、
寝たきりになった、あの出発点に戻った・・・というより、
さらに、現状は、マイナス地点に降下していた。

 思い当たる事があり、改めて、病院からの報告書を、読んだ。

コロナ入院中の2週間、夫は、食事を一切拒否して、西洋医学
に反抗的態度を取り続けていたことが、記されていた。

担当医師の報告書には、 
”自死しかねないほど、落ち込んでいる”

 ”身体を2週間、ほぼ、微塵も動かさない一定位置で横に
猫背で横たわり、時々、乱暴な言葉も吐く”
などと、記されていた。

夫に与えられていた新薬の説明書きを 退院時に渡され
改めて読んだ。
新薬投与開始の許可を、電話で、そういえば、聞かされた。
私は40度の高熱(コロナ)でそれを聞き、口頭で、了承
した。

その説明書きを読んだとき、口頭では、説明がなかった、
重要な事項が 目に留まった。
 
それには、その薬は、まだ’効果がわからない状況下で、
’”副作用としては死もあり’と信じられない、注意書きが
添えられていた。

自分が、コロナになって、意識が朧として電話を受けて
いなければ、投与前に、この薬の副作用を十分に聞く余裕が
あり、この一行を知ったなら、当然、拒否していただろう
と考えた。

こうして夫が病院から自宅に戻り、わずか、2月後だった。

もしや・・という予感から、ある日、私は、海外にいた、
息子にvideo電話した。
そして、夫に、その携帯電話を手渡した。

夫は もう、言葉を話せなくなっていた。

が、意識は、はっきりしていた。
夫は、携帯電話の画面に現れた、息子を、必死で見ようと、
重い瞼をやっとの思いで、わずか、上げて、携帯電話
の画面を見つめた。

まつ毛がさざ波のように小刻みに、震えていた。
彼の意識は、はっきりと、息子の
”パパ、ありがとうね。ありがとう”
と繰り返す、息子の声を、聴いたと思った。

そして、それから半時間後。
予測外のことが起こった。

私と、水分補給の点滴往診でかけつけた、医師と
私の眼前で、あまりにも、静かに、ふっと息を止めた。
止めて、そのままになった。

”須田さん!!”という医師の異様な夫への、呼びかけで、
私は、夫の顔を見た。

私が、点滴をしようとする夫の痩せこけた腕から、
その顔に、視線を移したとき、夫は、すでに、帰らぬ人
となっていた。

今、振り返って思う。

私の自然治癒力と、そのセラピーの信念は、夫の介護に
生かされたの?という疑問。
答えは、”イエス”としたい。

コロナになる数日前までは、夫は、好きな本を読み
ながら、お茶を飲み、静かに語り、心安らかな状態に
復帰した。

何よりも、夫との、夫婦劇場の幕切れには、一生の
宝物となる言葉をご褒美のようにもらった。

それは、亡くなる二週間前の、9月の初めだった。

 夫は、笑顔を浮かべていたので、思わず、携帯電話を向け
”ヴィデオにとっていい?” と聞いて、ONにした。

そして、その中で、夫は、こんな言葉を残してくれた
(形見の言葉となった)

 ”なんで、笑っているの?
と私・・・夫は、 ”ヤスヨといれて、嬉しいから”と答えた。

そういえば、病院から退院してきた日に、深刻な顔していた
私に、 
”笑っている顔が一番。笑って、もっと。”
とも、言っていたっけ。

自ら、携帯ビデオが回っているのを知りながら、
数種類の、ヒョットコ顔をして、私を笑わせた。

新婚時代に、そんな風に、よく笑わせてくれたっけ・・
その彼が、こんな状態の最中(さなか)、復活するとは・・・

久ぶりに、声を出して私は笑った。

この時のことを、今でも、時々思い出す。
特に、口がへのじに曲がって考え込んでいるときに、
亡くなる2週間前の、衰弱しているときに、彼の私を
笑わそうと、してくれた変顔が、浮かんでくる。

そうだ、そうだ、笑わなければ・・・
彼は 残りの私の人生で、最大の、処世術を瀕死の状態
の中、ヒョットコ顔を何度も繰り返して、教えてくれた
のだから・・・



(上)コロナ前の彼。自宅介護一か月半後、車椅子から
立ち上がり、この廊下を3年ぶりに歩いた。
(冒頭写真)
コロナになる、1か月前、3年ぶりに会った友人と談笑



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余命を宣告されたとき・・・

2023年08月07日 | 介護と自然治癒力


遠慮は後悔・・ならば公開  2023/8/7
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前書き)
今朝すでに発表した、記事はいったん取り下げます。
順番を変えて、今日はこちらの原稿を、先に
発表させていただきたいと思います。

数日前、インド時代に2年間、お世話になった日本系IT
事業の上司の奥様からお電話で、上司のご訃報を伺った。

一番悔やまれることの一つに・・もう手術の余地なく、
病院で最期を迎えるのなら、自宅に引き取りたかったが、
そのタイミングを逸して、入院して2か月後に、意識を
保ったまま(前日にお会いされた由)旅立たれたこと
だった。

上司は、病院でどのような想いで日々の、治療をうけて
おられたのろう?

周りには看護婦さんや医師、どれほど、お孫さんや、
奥様にそばに寄り添ってほしい・・と言葉にならない、
願いが高まっていたのだろうか?

良くなることはない・・
悪くなるか死の門が、目の前に、見え始めているときに・・
強靭な意志の持ち主でも、きっと、不安や、心の揺れに、
向き合う勇気は、並大抵では、なかっただろう・・・

”家でなくて、ごめんなさい” と、奥様が謝ると、
”仕方ないだろう”と、上司は答えたという。


介護専門職の友人にその話をした。

いかなる場合でも、もし、本人の強い意志(自宅に戻る)
があれば、医師が強制的に止めることはなかっただろう
ということだった。
上司の、ご家族への配慮があったのだろう。。。と。

今は、介護システムが整っているから、自宅で最期を
みとることは、以前と比べ、普通になってきているという。

まず、往診医師と点滴取り扱い許可を持っている看護師
などを探して、もし、介護保険に入っていれば、ケアマネ
さんと、相談しながら、臨機応変の措置がとれるはずだと
いうことだった。

実際、彼女の兄上は、癌の末期で、三か月の余命宣告を
受けたが、自宅から、病院に数週間に一度、抗がん剤の点滴
を受けながら、余命楽しく、自然治癒力を体感しながら、
癌と共存して、宣告よりはるかに長い、三年余の生命を全う
された。

私自身も、父の余命宣告を受けてから、家に帰りたいと強い意志
を示した、父を、自宅に戻して、最後まで看取ることができた。

”家で死にたい”と、見舞いに行ったときの、父の最期の振り
絞った声を聴き、いてもたってもいられず、行動に移した
私だった。

段取りには、介護度もなく、ケアマネさんがいなかったので、
そこから取り掛かり、訪問医師をみつけることが先決だった。
整えるまで、数週間かかったが、自宅で、父は、家族ととともに
ともに過ごすことができた。

そして、約、ひと月後の明け方、安らかに、添い寝してた
私と母の傍らで、息を引き取った。

引き続き、自分の体験話で、恐縮だが、ほぼ、寝たきりの要介護
4の夫も、薬漬けにされるのを見かねて、自宅にひきとった。
ブログでもご紹介したが、自然治癒力の旺盛な発動により一か月
で、立ち上がり、自ら歩くことができた。
このまま、回復して、一般的な生活ができるようになると、ケアマネ
さんからも太鼓判を押されて、数か月後に、夫はデーケアー施設で
コロナに感染した。

二週間後、”まだ、足首に菌が入り感染症があるので、完治するまでは、
退院させられません。”という、担当医師に、自宅で責任もって、
見させていただくと約束して、退院許可をとった。
入院中、夫は、”自死もしかねない”と、医師のメモに残されているほど
うつ状態になったようだ。

夫とともに、帰宅して、開口一番、車いすで、別人のように、痩せて
筋肉が落ち、動けなくなっている夫は、重い口を開いて出た初の言葉・・

”家族はいいね・・・”

しみじみ そう、言って、深刻そうな顔をしている私に、
”笑って・・笑顔がいいよ” と しっかりした口調で諭した。

夫の最期は、それからひと月後に、来た。
最後まで、頭の回転もあり、私の質問にも首をやや動かして、
YES NO の意思表示ができていた。
そして、眠るように、気が付いたら、私の目の前で、あちらに
移行してしまっていた。

こうした体験から、私は、自宅で最期を、と願う家族様にも、
患者様にも、申し上げたいと思う。

どうぞ、後悔ないように、勇気をもって対応していただき
たいと。

”このまま、自宅で息をひきとったら、死体解剖に回され
ます”・という、上司の担当医師の言葉に、前にすすめなく
なったと奥様は語った。

が、訪問看護の医師が見つかっていれば、死体解剖は
なかったはずだ。

自宅で最期を迎えること・・・多くの方たちの、支えが必要
とはなるが、後で、後悔のない、人生の全う方法であり、
見送る方法でもあると、思う。

特に、延命措置をとらず、自然のままで逝きたいと願う人は
少なくない。
自宅の見取りは、専門職の方たちに意見を伺い、慎重に、検討
すれば、可能性がもっと、大きくなると思う。
一人で、抱え込んだり、迷惑をかけるということに遠慮は
この段階では必要ないと思う。

人生最期の、幕が下りる瀬戸際、後悔は、したくないものだ。













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