自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

”本物の自由が欲しい”…エピローグ

2024年03月29日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

獄中の私 と、地球を救う私   2024/3/29
*********************************

私自身、今現在、日本で 健康に自由な生活をしています。
が、贅沢(皮肉)なことに、自由な身とは、実は、魂が感じて
いないのです。

たとえれば、肉体という牢獄に閉じ込められて、太陽が射し
こまない、暗い鉄格子の空間に、押し込められているように
感じるのです。

太陽とは、光です。心を温める本物の、無我の愛です。
鉄格子とは、この身体です。

しかも、足には錘(おもり)が付いています。
看守が、規則正しい時間に来て、他の囚人たちと一緒に、働いたり
運動したり、食事をしたりするときだけ、外されます。

錘(おもり)とは、集団エゴがつくっている、この世の恐怖や悲しみ、
怒りや憎しみなどです。

縛られている私は、本来の私です。
魂(アートマ)です。

私は、本来は無限の広がりを持った空間で、鳥のように、自由に
次元を越えながら、過去・現在・未来と、どこへでも、好きなところに
飛び回れる力と自由をもっているのです。

しかも、足の錘(おもり)は、ついていませんから、喜びと愛と平穏
の境地です。

私は、誕生してから アイデンティティーが与えられ、肉体意識(エゴ)
助長しながら、成長してきました。

ところで、看守というのは、大衆意識のことです。

大衆意識が、”社会常識”をつくります。

大衆意識は、別名”エゴの集合体”(エゴは、この場合、自分勝手な
行動をするエゴ的の意味とは違います・次回のブログで詳細を
触れます)です。

エゴは、人から批判されたり、孤立したりするのを嫌いますから、
常識に随い、隣の人とかけ離れた行動をとって目立つのを嫌います。

私のエゴも、当然、常識に則って、生活してきました。

教育制度も、社会制度も、教科書で教えられることも、法律も
この民衆意識の価値観から、決められています。

私も、物心ついたころから、学校で教えられることが、どんな
意義があるか疑問に思いながら、卒業証書をもらうために、学位を
とるために学校を出ました

この獄舎では、看守に逆らえば、そのしっぺ返しをくらうので、
決められた、団体生活を自分の意思を抑えて、行うほか、術が
ありません。

時々、不登校の子供のように、団体行動に適応できない精神状態
は、ここでは、好ましくありません。

担当の医師は、そんな兆候が続いた囚人には、精神薬を飲ませて、
看守や、ルールに反抗したりしないように、おとなしくさせるのが
常だからです。

こうして、薬で骨抜きにされるのが、怖いから、私も自己主張せず
に、看守の指示に従って、生きてきました。

年を経るにしたがって、”自由が欲しい”という内なる声が、どんどん、
大きくなってきました。
今は、それを抑えることができそうもありません。

まあ、ここまで生きれば、多少の、偏屈者と周りに思われても、真の
自分の魂に立ち返って、生きていこうと、思う今日この頃です。

幸い、この獄舎は、自分の真性(アートマ)が覚醒すれば、錘(おもり)
も、鉄格子も、自然と開くという仕組みになっています。

そして、それが、今、危機に瀕している地球を救うことにつながると
いうこともわかりました。

一人ひとりが、自分の”愛と平和の本質”に気が付けば、地球浄化の
波動振動数が、加速されます。

それは、地球の裏側に居る人にさえ、無意識に届き、”魂の本質”に
気づかせ、その時、その人は、自らの足枷(あしかせ)をとって、
鉄格子から飛び出すでしょう。

こうして、大ぜいの人たちが 獄舎から昇華することで、
大衆意識(地球意識)の波動が ”平和の波動”へと変換されていき、
その波動に沿った平和な地球が、実現されていくのです。


続く・・・・・







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”般若心経”関連記事の内容の見直しのお知らせ と お詫び

2024年03月27日 | 協会ホームページ
 
2012年10月の記事一連に関して
************************************
ブログを開けてくださり、ありがとうございます。

2012年10月に投稿した”般若心経”の一連の記事について、
数日前、12年ぶりに読み直し、冷や汗をかく、想いでした。

今、読み直してみると、言葉足らずや、認識不足の点が多々
ありましたので、推敲、訂正などをいたしました。

特に、2014年の2月の、”モーナ女史の浄化の祈りと空”は、内容が
飛躍してたところに言葉を足しました。

私は37歳のとき、相模原市国立機構 相模原病院で余命宣告を受け、
半年間の放射線治療を医師から勧められました。

そのとき ”病は本来無い” という般若心経の真髄ともいえる
”色即是空 と 空中無色” の教えを信じ、自分の空(完全実相)
または、ホ・オポノポノでいう”ゼロ・リミッツの、神に交叉する
原点”に、また、神道の”人は神なり、神は人なり”の、祝詞などに、
精神集中して健康回復を図りました。

そうこうして、3年後には、インドの地に行き、さらに、ヴェーダ
の思想を学び、人間の本質(アートマ)の完全性を、インドの霊的
大気のエネルギーとともに、体感いたしました。

病院には、指定された検査にも 宣告後、一度も行くことなく、
薬もとらず、現在まで生きています。

その体験を踏まえたうえで、少しでも、健康意識が高められたら
という思いで、般若心経に関する、これらの記事を投稿したの
ですが、当時、未熟な部分もあり、皆さまに理解していただける
ような内容ではなかったようです。

12年たった今、自分の信念は当時とぶれてはいないし、変らない
のですが、分かりやすいように、訂正、推敲させていただいた
次第です。

他にも 同年同月に、”黒魔術”体験記など、私のインド滞在
最後の修行となる、”想念の応酬”とその”打開方法”などを、
投稿していますが、驚くほど(恥ずかしいほど)文脈が乱れて
いたために、分かりずらく、申し訳ありませんでした。
推敲いたしました。

もし、ご興味あるかたは(以前、般若心経関連記事を、読まれて
失望された方は特に)もう一度、読んでいただければ、幸いです。

取り急ぎ、お詫びと 改訂のお知らせまでといたします。





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健康・・’自己嫌悪’はNG (1)

2024年03月26日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

自分を愛する一歩
********************
人間関係の中で 癒された時間を持つためには?
癒された時間?

誰に癒してもらうの?
答えは、”自分自身で”・・が、テーマです。
今日はその一回目です。

皆さまにとっての、癒しの時間はどんな時ですか?

大自然に接して、旅の道すがらの人情に、自分の世界に埋没できる
趣味から、美味しい食事のあとに、などなど、人それぞれの方法が
異なるけど 一つ共通しているものがありますね。

それは ”癒された”と感じるときの、心地良さと、エネルギー
補充感、緊張感が解かれてストレスフリーになることです。

前回のブログで、こうした癒しを求めるのに、AIを駆使した機器が 
大活躍していることを書きました。

それを愛用する人たちは、人間関係ではストレスが多すぎるから・・
というのが大きな理由の一つらしいのです。

職場で、家庭で、学校で、サークルでと、誰もが一人でいられる
時間は一日のうちに、ごく限られています。

その他の時間は、人間関係で気を使い、忖度などで波風たたない
ようにしているうちに、疲れてしまうというのです。

でも、逆に考えれば、それは、自分だけの話ではなく、他の
メンバーや同僚、家族、上司、友人たちも、同じ思いをしながら、
日常を生活しているのでしょう。

みんな、笑顔の奥に、我慢と忍耐、本音を言わずに、息苦しさを
感じながら生きているとしたら、”求める癒しを人間関係で、得れら
れるか?”ということになるでしょう。

夫は妻に優しくしてもらいたいし、妻は夫に労わってもらいたい。
親は子供に注意や意見し、子供はそれを”うるさい”と感じる。
友人の悩みを聞き、解決策を一緒に考えても、自分の悩みは、
自分で解決策がわからず、誰からも適格な答えが得られない・・

要するに、こうした人間関係、ほぼ、一方通行です。

相手がもう少し、変ってくれたら、自分はもっと、楽になるのに・・
期待しても、そうそう、人は簡単に変わることはできません。

先人は言います。
”人間の弱い部分であるエゴ意識は、求めるのはたやすく、与える
のは難しい感性を持っている”と。

相手の要求どおり、心から喜んで、相手が満足するのなら、
そうしてみようと、自分のやり方を変えられるのなら、これは、
その人の 大我(たいが)、つまり、アートマの声です。 
愛です。
協調です。
そして、’安寧を喜ぶ心’からです。

観音様や仏様の像を 思い出してくださいますか。
その手のひらは、”(慈悲を)上げますよ”というように、 
私たちに向けられています。

一方、普通の人間意識(エゴ意識)だと、”・・・が欲しい”と、
物乞いするように相手に、物を受け取る形で差し出すのが 
通常のようです。

今、自分の手のひらはどんな方向を向いているのか、時々、
この情景を思い出しながら、私は、自問自答しています。

どなたかに、親切をするとき、見返りを求めていないか? 
これをしておけば、次回のとき、頼みやすいだろう・・
これを断ると、自分は孤立してしまわないか?
以前、これをしてもらったから、お返しをしなければ・・

などという想いが、少しでもある’親切’なら、その時、
差し出す手のひらの形は仏様のそれではなく、お乞食さんの
とあまり変わらないでしょう。

親切を、無我でただ、相手に喜んでもらいたいと行動する
ときの心は、私たちの生まれつきの、魂の特質だと、先人たち
は言います。

つまり、私たちの魂の神聖な部分(アートマ)は、”与えて、
与えて、与える”心だというのです。

親の子に対する無我の愛が、それです。
どなたでも、親であれば、”子供の幸せが自分の幸せ”という
意味がよく理解できるでしょう。

一方、”私は自分が嫌いです、自己嫌悪の塊りです。”
という人が 時々いらっしゃいます。

理想が高いためか、弱点ばかりが目について、自身を責め、
怒りを自分に向けながら、自己卑下しているのです。

理想や自分が求める基準が高い事は、素敵なことです。

でも、だからといって、自分を嫌いになる理由はないのでは?

自己嫌悪の方は、自分が”愛”であるということを知らずに、
エゴ意識が自分だと思っているのでしょう。

弱い自分を嫌悪するより、自分の強い本質に意識を向けて、
そのエゴの自分でさえ、赦して、愛してあげ、弱い自分の味方に
なってあげる気持ちになれば、自分を愛する一歩になるように
思います。

自分を愛することは、観念ではありません。
自分を愛するために、私は、これまでの人生を努力してきたと
いっても、大げさではないくらいです。

自分を愛するとき、他人を愛する意味がわかり、自分の身体を
愛すること、つまり、健康にもつながるということなのです。

自分を愛するとき、身体の細胞たちが、もっとゆるみます。
自分同士で、’けんか’(自己嫌悪や自分を責めていること)
していると、身体に緊張が走るのです。

ちょうど、親同士が、喧嘩しているのを 傍で見ながら傷つき、
不安になる幼児に、その時の身体細胞は良く似ています。
心と細胞波動とは、繫がっているからです。

身体の細胞が緩むと、リラックスすることですから、自然治癒
の源である自律神経の働きと、各内臓機能や、免疫、ホルモンを
含めて、楽に動きを活発化させられるというものです。


次回、このことをもう少し、具体的に 展開してみたいと
思います。






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AIと癒し(後)

2024年03月22日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方


精密なロボットが いたるところで身近な場所で活躍し始めている。
ホテルのフロントデスクに、ビルの案内係として、ヒト型ではなく、
犬型ペット犬として、介護の現場や、災害現場でも活躍していると
いうように。
 
ロボットは、果たして人の心を癒せるのか? 

先日、テレビで、ロボットならぬ、機械の中のアニメ風の女の子に
大いに慰められているという若いサラリーマンが映った。
 
彼は、疲れて仕事から帰ると、その機械をONにして、画面の中
で迎えてくれる可愛らしいキャラクターに ”ただいま!”と 
まず声掛ける。 

すると、”お帰りなさい”という可愛らしい女の子がキュートな声で
返事をする。 
この声を聴くだけで、ホッとする瞬間だと彼はいう。

彼はその機械の中の女の子に、見つめられながら、食事を始める。
彼も、その画面の彼女を見つめながら・・・・

そのキャラクターを見る彼の表情はとても優しく、暖かい。
まるで心を通わしているようだ。
少なくとも、彼の心は、大いに癒されていることが、表情から見てとれた。
 
心が通いあっているような錯覚(さっかく)が、現実の感覚(かんかく)
として、彼を癒している。

結局、その機械の中の、女の子を見つめながら、彼の脳が、フル回転
して脳の力である想像力が働き、その無機物の女の子との”創造された感情”を、
味わっているということなのだろう。

これは、ヒトに、前回お話した、大脳の特質能力があるから可能と
いうことだ。

ロボットとロボットが癒し合うということは無いだろうし、ロボットに
癒しという感覚は、必要もないはずだ。

ロボットという無機物が、人を癒せるか?という問いには、脳の機能を
使い、心があるヒトだからこそ、優しい情緒を無機物にも反映させている
限り、人間とロボットの間には”癒し”が存在するだろう

言葉を変えれば、癒しを味わうのには、なかなか人間同士では、難しい
世の中になってきているような気がする。

どうしたら、ヒトとヒトとが、無条件に癒し合えることができるのか?
それを、次回のテーマにし手考えてみたい。

心の癒しは、身体の癒しに、直結するから・・・
’病は気から’・・というのが事実なら、癒されることで、少々の病の症状
は必ず改善されるはずだから・・是非、’癒し’’癒される’安定した人間関係
が、日常に、普通に、造られる 平和な世の中になっていってほしいと思う。


 

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AIと癒し(上)

2024年03月18日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方
脳内での、生命力の役目
*********2024年3月18日

ニュースを読むのは、アナウンサーではなく、AIの時代がすぐ
そこに来ています。
癒しの世界にも、AIの役目は大きくなるといえそうです。
*************
 
’ホメオスタシス’という言葉がある。 
”恒常性” と訳されている。

医学的には、”外部環境が変化しても、人体の内部環境が影響を受けて
不安定になることなく、常に生体的に安定した状態を維持する” 
ことだ。
 
          視床下部と古い皮質と新しい皮質の位置関係
 
それが可能としているのが、生きている人が持つ、”生命力”だ。

生命力が自律神経ホルモン系に作動して生体バランスをとっている。

自律神経とホルモン系の中枢は、脳の視床下部にある。

そして、視床下部は、間脳の中にある。 
さらに、恒常性を司る視床下部上に隣接している”古い皮質’があり
ここで人間の三大欲望や、人間の本能:情緒を司っている。 

つまり、恒常性をコントロールする”視床下部”と密接な関係をとれる
位置にある古い皮質” で、人の本能が働いている。

この位置的関係を見る限り、本能と、自律神経やホルモンとのバランス
関係は深いいえそうだ。

結局、本能(食・眠・性)は、意思によって、自制的にバランスが
とられてこそ、自律神経やホルモンの恒常性の維持も、正常に行われる
ということだろう。

自律神経は、自分の意志では、コントロールできないとされているが、
本能や情緒なら、自分の意志次第で充分に、コントロールできる範疇だ。
だから、暴飲暴食を慎み、安眠を試み、適度な性生活が、自律神経と
ホルモンの恒常的バランスに貢献して、結果、健康的向上が図れるの
だろう。
 
さらに、本能の座とする”古い皮質”に隣接している上層部。
ここには’新しい皮質’がある。 

その容量は、全体の大脳皮質の9割をめ、その働きは、”古い皮質” 
の本能の座と対極な、”知性の座”といわれる。

その働きは、人の、物事の知覚、判断、思考、意志、計画性、創造
などの働きのほか、情操的な人間的感性の働きを担っている。

こうしてみると、創造的知的な’人間的な欲求’と、身体維持の原始的
’本能的欲求’、自律神経などのバランスをとる、’ホメオスタシス’
というそれぞれの働きの司令塔が 脳内に一列に並んでいることが
興味深い。 

それらは、互いに相互関係を持ちながら、体と心に影響与え合っている
のだ。心身一如(しんしんいちにょ)的な考え方はこうした医学的見地からも、
研究が進められている。

心と、身体の健康が、本来、切っても切れない関係性でつながっている
とするこの考え方は、脳の配置を見ても納得がいく。

癒し、癒されるのも、情緒・本能的・想像的・理解力などの機能が
総合的に働いて、為されるものだから・・が、これらの働きをする
脳を持たない、AI、つまり、人工的知能の産物(ロボット)との
癒しの関係は、どうなのだろう?

続きは、後編に譲りたい。

 
 
            大脳皮質の分業地図

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