自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

風邪をひいたら、自分で気(合い)を流してみよう

2015年11月27日 | 自然治癒力セラピー協会のセラピー

 

要注意)自然の経過を乱すもの  20151127

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自己施術ができるようになると、

‘此処に手をまわして気を入れたいけど 届かない“

という箇所が感じられてくる。

セラピーをして、後日来られて、

“どうしても肩甲骨周りに手が届かなくて” 

とおっしゃる方たちがいる。

体は経絡などであるいは、チャクラ線で

つながりあっているので、手が届かなくても、

最終的には

“そこ(たとえば、肩甲骨付近)を解こう”と 

集中的に意識を寄せるだけでも届かないところ

に気がまわることがある。

それが あまり釈然としないときは、

背中の裏側と反対の前身の箇所、たとえば、

肩甲骨あたりなら、前身ごろの、あばら骨当たり

に軽く 掌で気を流すだけでも、通じる。

何故、このようなことが起こるかと言えば、

人の意識、特に、強い念(文字どおり、

今の下に心があるように、今強く発する想い)

は 体に通じやすいからだ。

手を怪我している、片手が不自由だとか

言う方は、その方法で十分 自己施術を

行うことが可能だろう。

それを整体の創始者 野口春哉氏も 

認めていて以下のように書いている。

“体の一部はこわばったままでいる。

そこへ力を集めて抜く。

抜こうとしただけでは弛まないが、

一旦力を集めて抜くと抜ける。

それをこわばったところに順々に行う。 

しかし、只力を入れて抜いても弛まない。

弛むには十序がある。その弛む順序が体

によって違う。

使いすぎているところが、緩まない。 

その方より疲労の度合いで弛む順序が

生ずるのであるから、力を入れて抜いて

弛まぬところを

気張って弛めようとしないで、体の順序に

従って、力を入れ抜く。“ 

つまり、背骨を伸ばしてイスに腰掛け、

あるいは、正座し、体の“緩めたい箇所”

に想念を送るのだ。 

送る際、一度そこに力を物理的にかけて、

息を吸って、少し筋肉を緊張させる。

それから、その箇所にいれた力をぬき

ながら、息を吐いて リラックスさせていく。

息を吸うとき、文字通り、‘

息=いき’は‘生きる気’、つまり、

気をその凝った個所に充満させるような

心持で息を吸うのだ。

但し、ここで 野口氏は 

“体の順序に従って力を入れ抜く”ことが

大切だと、記述している。

確かに、多くのクライアントの方たちが、

施術後、一人で行う場合の解く順番を

お尋ねになる。

大体は頭から首、肩、胸、両腕、腹の

順番に下に下がって気をいれることを

お勧めしているが、中には、傷む箇所

から先に解きたいと考える方も少なくない。

ある個所に慢性的な痛みがある場合、

そこから“ほぐしたい”という思いが

強いので、その前に、腕や首、

腰に、気をいれてみてください~と

お話しすると怪訝(けげん)な顔をされる。

“そこは、特に痛くもなんともないのに

・・ですか?”という質問される。

“体のバランスを考えて”とお答えして

いるが、痛い所だけに気を流しても、

あまり、効果が無い場合が多い。

さらに、痛いところがこっているの

ではなく、ほかに原因がある場合も

多々ある。

つまりや凝りは、時間の経過で体の

異なる場所に症状として出てくる

場合がある。

そのあたりを 以下のように野口氏も

指摘している。

 “肩が凝っているからそれをとろうとか、

腰が痛いから腰から緩めようとか、

初めから決めてかかることは交差点の

交通巡査がさばききれないで、

気張っているのと同じで

目の前の片側のことしかわからない”

つまり、そういう風にしても、

延々と後に車の続いていることが見えない。”

ので、かえって気の渋滞をまねいて

症状が改善されないことになる。

たとえば、風邪を例にとってみると、

”咳が出るから咳を鎮めよう。 

熱が出たから熱を下げよう。

脚が痛むからそれを抑えよう、と

今感じているところにばかり気を取られている

と、整理がつかない。“

つまり感じている痛みや不調、体のその部位が

はっきりしているところを何とかしたいと思って

そこから施術を始めても効果が上がらない

のはそのためだろう。

“その気になったことをいちいち何とか

しようと手を出すから経過が乱れる。

風邪の経過という交通の流れの

全体を捕まえてみていない。

次の交差点の赤青のことをみて、

整理に当たらなければ整理できるものではない。“

だから、

余分なことをすれば経過を乱す。 

何もしないで、ただ体を弛めていた方が、

かえって。すらすらと通る。“

ということにもなりかねない。

体の凝りやつまりを解いて、気を通し、

体が弛んでくると、風邪の症状はどうなるだろう?

“弛んで汗が出ると風邪が通過したのであるが、

余分に頑張っていると熱がでる。

経過促進の自然の方法である。 

肩がこわばっていれば、咳が出て、

鼻がつかえていれば、くしゃみが出る。 

是も弛み発汗する順序です。”

ここでも 野口氏は繰り返しのべているのだが、

私たちが普通 風邪を引いて治っていないと

思う原因の、くしゃみや鼻づまり、

頭痛や咳などの、“症状”は実は、風邪が

うまく経過していっている過程なのだ。

咳が出たり、鼻がつまる。 

くしゃみを連発したり発熱したりする。

場合によっては、関節が痛んだり、

下痢をしたりするのだが、

“腰が痛むのも、そこがまだ弛まないと

いう知らせである。”

肯定的に症状をとれば、心配ばかりする

だけではなく、その通知を受けた箇所を弛ませ、

気を流して解こうとするきっかけになるだろう。

だから、野口流でいけば、あるいは、

自然治癒的療法でいけば、風邪をひいたとき

の心がけと自分で施術する場合、

“風邪を引いたら、まず、身体中の力を

抜いて、体を弛めてしまうのです。

緩めれば汗が出てさっさと経過してしまう。 

ところが自分では緩めたつもりなのに、

体の一部はこわばったままでいる。

そこへ力を集めて抜く。

抜こうとしただけでは弛まないが、

一旦力を集めて抜くと抜ける。

それをこわばったところに順々に行う。 

しかし、只力を入れて抜いても弛まない。

弛むには十序がある。

その弛む順序が体によって違う。

使いすぎているところが、緩まない。 

その方より疲労の度合いで弛む順序が

生ずるのであるから、

力を入れて抜いて弛まぬところを

気張って弛めようとしないで、体の順序に

従って、力を入れ抜く。“

 という方法も有効なのだ。 

実際 具体的にどこに気をいれたら 

風邪に効果的かということを知りたい方のために、

野口氏は次のように書いているのでそれ

ご紹介したい。

“胸椎三と四がくっついているものは

鎖骨付近につまりがある。

下痢がひどくても、頭痛が激しくても、

胸椎三と四がついている場合が多いので

これで大方よくなる。

同じ兆候でも、胸椎五番が飛び出して

いる場合は頸椎(けいつい)六と七に、

胸椎十が飛び出している場合、

頸椎三と四に気を流す。

胸椎十番が捻じれているのは風邪が

体の中で引っかかったことを示している。

泌尿器に異常が現れる前である。 

十番や足の内側に気を流せばよい。“

風邪を上手に経過させるということは、

こうした胸椎や頸椎などのひきつれに

異常を残さないということでもある。

風邪ひいて、腎臓が悪くなったり、

咳だけまだ残っているという場合、

神経痛になったり

呼吸器に不調を感じたりするのは、

きちんと体の整理をつけなかったと

いうことなのかもしれない。

心して、風邪をあなどらず、しかし、

風邪の治りかけを見極め、一層 

健康になるように

体を調整しながら、風邪を経過

したいものだ。

 

参考文献)  風邪の効用 野口春哉 

株式会社 全生 昭和53年改訂6

 

 

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ハイヒールとさまざまな風邪の種分け

2015年11月23日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 

気の流れを整えるときの注意事項:風邪の話、あれこれ・・・・   2005・11・23

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私が以前、まだ 息子が生まれる前、

姑(はは)の神気法を受けて自律神経失調症を治した時の話だ。

“どこが一番詰まっていて、最初に手当する箇所を知りたい”と姑(はは)に聞いたところ、

胸骨(鎖骨付近)の部分という返事をいただいた。

そこで ちょうど治療中だったので、両手を置いて、姑(はは)の目の前で確かめたところ、

“片手を置いて”と注意された。

これは以前、ご紹介した野口氏の“風邪の上手な経過方法”の話の中でも

似たようなことが書かれていたので、本を読みながら、“片手を置く”といわれたときを想いだした。

霊気のマスターをとったクライアントが私の元に来られた事があった。

その人は“気を入れる場所”に、両手を体の凝っている部位を挟むように、体の前身頃と後ろ身頃に

置いてみせた。片手ずつで善いのですよと思わず言葉が出たが、こうした方法をとる気功術もあることを知った。

ただし、風邪を治す時の気の入れ方が、片手ずつというのはそれなりの理由がある。

野口氏の言葉を引用すると

“腰を抑えて、両方腫れているように思えても、両方抑えることはしないのです。 

胸椎5番の痛い方の側、まず、それを押さえる。その理由は風邪は片側ずつ引くからです。 

必ず、片側ずつする。 ついでにこっちもなどとやると、経過が遅くなってしまう。

片方やって治ったとみたら、今度は逆をやる。

まだその時には逆の方は風邪を引いていないのです。 

しかし引いていなくても、右が治ったら、左、左が治ったら今度は右側をやるわけです。“

体のバランスをとるためにも、右、左、と順番に解いていくわけで、これは神気法でも共通することと思える。

テレビ風邪というのがあるそうだ。

ご存じだろうか?

寝ながら、テレビをみて風邪を引く…ということだが 具体的に言えば、テレビを横になって

近場で寝ながら見ていると、目の疲労がたまる。

横になりながら、本を読むのも、起きて読むより、何故か目の疲労度が高い。

目の疲労は、頭の疲労、そして胸椎3番あたりに下りやすいので、そうしたとき、呼吸器系に影響出やすい。 

呼吸器系の風邪の他に、消化器系に来る風邪の場合。

下痢をともなったりして、特に治りがけに下痢しやすい。

野口氏は 消化器系の風邪の下痢か腸そのものに問題があって、下痢しているのかの見極めは 

腰椎2番の異常か、4番の異常の違いと言う。

異常というのは、なかなか、素人ではわかりずらいのだが、その骨の異常な突起とか、

気の滞りを感じさせる何かが見られた場合の判断による。

下痢は体の大掃除とはよく言うのだが、もし、腰椎2番の異常によるものなら、風邪のひき終わりとみてよい。

野口氏はこの場合、簡単な上手に経過する対処方法を記している。

“この場合、足を組んで眠ると、すぐ経過しました。 下痢の繰り返しが続く場合は、寝相を気にして

正す母親を持った子供に多かった。 中には食物を制限されて、長引いている子供もいた。可哀そうなことです。”

テレビ風邪も含めて、呼吸器系の風邪の場合。

咳がなかなかとまらず、かといって、風邪の症状が重くなるわけでもならず、熱は対して出ないのが多いようだ。

野口氏は

“こういう体は胸椎一番と、其の側の後頭部の下りを但し、腰椎一番を正すと容易に経過してしまう。 

腰椎一番の異常のため、腰痛を伴う人も多い。が、手首を正すと容易に消滅する。”

呼吸器系の場合、要は、後頭部、腰の上部をよく解くこと。

咳が出るから、気管支のある胸を解きたくなるが、体の不思議はこうしたところにもある。 

手首を解いただけで、腰部もほどけると野口氏は臨床的に体験されたのだろう。

実際、そういうことなのだ。

さて、風邪から耳鳴りを起こす場合がある。

それを泌尿器系の風邪と分類している。

喉に異常を感じ、それが 耳鼻を経て、最終的に泌尿器に異常をもたらす。

その時、倦怠感とともに、肩こりや耳鳴り、排尿が変化したり、便秘を伴う場合があるという。

この場合、腰椎2番、3番に捻じれを生じている。

重くなる(捻じれがひどくなり、硬化する)と、首や胸部が突っ張り、背中部に筋肉の収縮を感じ

神経痛のような痛みを感じる場合も出てくるようだ。

腰を解けばよいのであるが、足首の異常なども平行して出てくるのもあるようで、もし足首に

過去損傷(打ち身、捻挫等)した場合は足首を解くことも手であろう。

この場合、素人ではなかなか、腰を、しかも、腰椎23番を解くことは簡単ではないだろう。

 野口氏はそんな場合、

“発熱時の後頭部温法、発熱前の足湯は特に有効。 

床にはいってから、足を組んで尻(腰)を上げる動作を数回繰り返して眠ると、もっとも有効的”

と書いている。(p・118

いまどき、11月も終わりになり、今年の秋は過ごしやすいのか、いまだに、ベランダの朝顔が大輪の

花をつけている。 最低温度も13度程度、最高温度はお日様の出る日は20度以上になり、過ごしやすい。

一方、本格的な紅葉の季節、秋の深まりを観じ始めている。

ひと月ほど前までは暖かな日など、それなりの汗が出ていたのが、気温が下がるに従い、

少なくなってくる季節でもある。

汗が出ないとどのような負担を体にかけるか?といえば、泌尿器への負担だろう。

発汗すれば、それだけ、泌尿器の水分とともに、体の不純物や不必要な要素を排出する働きを

助けていたのだが、秋の深まりとともに、夏や秋の始まりのような頃とは違ってくる。 

たとえば、血液の過剰塩分を汗で排出することが少なくなるので、血管が硬化したり、血圧が上がったりしてくる。

胸椎五番を正すということが大切だと野口氏は言う。

胸椎五番の位置は、首を曲げたとき一番突起ある背骨箇所から数えて5つ下に行ったところがそれにあたる。

体操するとき ここに意識する、例えば、前かがみになって体をねじるとちょうど胸椎5番に適当な刺激を与えやすい。

ゴルフの素振りなどがそのポーズに匹敵するだろう。

最後に、ハイヒールのご注意を申し上げたい。

女性の特権としてハイヒールがある。 

ズック靴を履いている時とヒールのある靴を履いている時と、気分すらも変わる。 

姑(はは)は私が若いころ、やや高いかかとのある靴を履くたびに、“体に悪いから履かない方が良い”

と忠告を繰り返していた。 若さとオシャレに気を取られ、なかなか、かかとの無い靴に移行することは難しかったが、

体の詰まりを体感できるようになると逆にハイヒールの靴を敬遠することになった。

その理由もよくわかってきた。 人間は直立歩行だ。 猿たちはゴリラを含めたって歩くとき体を曲げている。

その違いは、人間の足の裏には三点支持、つまり、三点に力がかかるのに対し、猿たちは 外と後ろの

二点しか支持するところがないからだ。 足の裏の三点に力を入れると腰は伸びる。

しかし、三点入らないと、腰が曲がるのだ。 

ハイヒールを無理して履いて歩いている女性の中にはぎこちなく痛々しく体を前方に傾けているのを見ても、

辛そうだなあという感じを受ける。 ハイヒールを履くと この三点支持が足の重心が崩れ指先の方へ

余分に体重がかかるので、腰椎三番、ちょうど臍(へそ)の真後ろにある骨に付加がかかる。 

それが長い間のヒール靴着用の間に、捻じれたり、凝ったりして 体の順気のめぐりに支障をきたしてくることが

往々にしてあるということになる。 

こういう方が風邪をひきやすかったりする。 そして、その経過がスムースにいかないということにもつながりやすい。

ズック靴やペッちゃんこ靴では味わえない、女性の密かな楽しみのハイヒール着用も ほとほとに

・・・とご忠告したい理由だ。

 

参考文献)  風邪の効用 野口春哉 株式会社全生 昭和53年改訂6

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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風邪の予防には・・:頑張らなくてもよいから・・

2015年11月19日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 

頑張るときのタイミングと力の入れ方  20151119

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途中で七五三の日を挟んだので風邪の効用シリーズが中断してしまったが、

また、風邪の予防シリーズにもどりたい。

クライアントさんからメールがきた。

遠隔療法をご一緒に一時間ほどしてから、ご自身で体を解くことが可能だという体感を持たれ、

“また、夜の一時、手当をして頑張って見ます” という内容だった。

がんばらなくてもよいから、リラックスしてください”と返答した。

気を張るところ、そのタイミング、頭ではるか、腹ではるかで、同じ“がんばる”行為の結果が違う。

以前からご紹介している整体創始者、野口春哉先生はそのところをわかりやすく説明している。

“一歩手前で気を張れば、万病を予防できるのに、病気になってから気張るから、あべこべの結果を示す。 

そこが心理的な衛生を解くことの難しい所以です。‘おお寒い’とその時に、ふっとお腹に力をいれてしまえば、

風邪をひかないのに、風邪をひいてしまってから‘たかが風邪だ’と頑張っていると、悪くなってしまう。”

病気をしても気張らないというのは 案外難しいものだ。

医者に‘検査の結果、これこれでこういう病名で、こうした症状です。“と証言されれば、大概の人は、

仕方ない。病気に負けないよう頑張ろう。‘と どこかで ’自分は病気である‘ということを素直に認めるとともに、

その病気を’克服しよう‘と、思うものだ。

野口氏の言う、風邪を引く前に‘気張る’ことが大切で、風邪をひかないと予防につながるということは

どういうことだろう?

著書の中からそれを引用させていただく。*1

“‘まあ、寒い!’などと、はっと思うと、風邪を引くのですが、そのとき、お腹に力を入れると、

それだけでもう風邪をひかない。

手も怪我したときに、はっと思うと、血がドンドン出るが、はっと思わなければ血は出ない。 

火傷したときでも、はっと思うと火ぶくれになるが、お腹に力をいれていれば、火ぶくれにならない。

火にあたる部分が広い殻、火ぶくれになるのだと言う人があるが、そうとは限らない。 

気絶している人は半分焼いても火ぶくれにならない。 まして死んだ人の体ではならない。 

普段用心深い人ほど、火ぶくれになる。だから、火ぶくれは心理現象で、はっと思う

防衛的な心の現象であるとみてよいものです。“

ここで注目したいのは、心身一如を主眼にして、心療内科を創設された九州大学池見教授の

考え方と同様、体の反応(症状)は心の影響下が大きいということと同じことを野口氏が述べていることだ。

五臓六腑の内科の話だけでははない。 

火ぶくれや風邪といった、日常茶飯事の切り傷や火傷の後の体の反応でさえ、普段のその人の

心構えや心情が現れていると言う。

普段用心深い人ほど火ぶくれになる’、これは ‘防衛的心情の強い人’ほど、体(皮膚)が過敏に対応するということだ。

これに近い興味ある話を先日、認知症の方たちのみ対象にしている介護ホームのホーム長から伺った。

そこに入っている認知の人の大半は5分前に起こったことさえ忘れているほどだから、もし、

骨折しても自分が骨折したという’記憶‘がない。

だから、大腿骨を骨折しても、骨のつき方が早く、少々痛みがあっても、歩きだそうとする意欲がある限り、

ひと月もしないうち、寝たきりにならず、廊下を歩き回っているということだった。

自分で防御しよう、抵抗する心が無い人は、自然治癒力的回復のままに反抗するものがないから、

このようなことが起こるのだと思う。

 

母は先日、右肩を脱臼した。

整形病院で少々力づくで外れた腕を基の位置に入れた。

痛い痛いと顏をしかめ、しばらくは三角筋で安定させていたが、数時間後からは

ご飯を一人で食べることは全く問題なくなった。

母は、職員さんなど、周りに気をつかい、一人で食べようとしつつも、”何故痛いのかわからない”

という塩梅なので、返って、脱臼した腕を使いすぎないよう固定することにした。

このように、心に思い入れがあれば、いろいろな症状が残るものだが思うということは現実に映し出す

投影機だ。 

野口氏は、はっと思わなければ出血しない’ということを 自ら講演客の腕をつかって、証明した。

一番前に座った人を檀上にあげて実際 畳を縫う針をさして”血が出ない”ことを実験していたというから驚かされる。

唐突に刺されれば、ハット思う間もないから、血は出ない。

あるいは、熱い火鉢の鉄の箸を一瞬 肌につけても、焼ける匂いはしても赤く火ぶくれにならない。

だが、しばらくすると、野口氏の講演会には、前の席が空席が目立つようになり、実験を無言で拒否する人が

増えたようだ。

野口氏も さすが、自分の腕まで差し出すことはなかったようだ。

その辺りを自ら次のように書いている:

“私は昔講演会で、はっと、思わなければ、出血しないということを説明するのに、

いくら口で言っても相手に分らないので、畳針を用意しておいて、前の人に、

‘ちょっと手を出して御覧なさい’、‘エイ!’と気合をかけてさっと畳針をさしてしまう。

そうして、‘痛くない、痛くない’と言わせ、痛くないと言いながら針を抜くと、血がでない。 

また、焼き火箸をいきなりそばの人に出して、‘ちょっと、手をだしてごらんなさい’と、

お腹に力をいれて握らせると、皮膚は焼けても、火ぶくれにならないということも実際に実験しました。”

気合いをかけて注意をよそに引く。

注意がよそに行くので、刺されても痛くないと野口氏は考えた。

こうして、心が弛んではっとしないよう、こうした抑え処に、腹に力を入れてぐっと気張ることが

風邪をひかない一つの対応だと野口氏は自身の体験から語っている。

気張るタイミングについては、

“本当は癌なども風邪をひくと良くなるし、血管硬化でも風邪を引くと柔らかになるのだから、

風邪の上手なひき方を考える方が本当である。

風邪を治すといって、‘なにくそ’などと、気張るのは、風邪のひきかたとしては最低で、

そうやって、風邪を育てている場合が少なくない。

治そうとしても、治らないという以上に癌とか結核とかいうものの中には、

そういう気張りでどんどん悪くなってしまう性質がある。

癌と気がついたときから急に悪くなったというようなのは、大抵はそういう人なのです。“

“闘おうと思ったり、いよいよ気張ったりした人なのです。

だから、病気で気張っている人は自分で病気を育てているとみてよい。

なる前にはならないように、心を充実することがいるけれども、なってから、気張るということは良くない。

それは自分自身の心の抵抗で体を壊していくからです。 

だから、潜在意識の反抗ということを全然無視して、体だけ、あるいは病気だけ治そうということは難しいのです。“

この野口氏の言葉、実は病気だけにあてはまるものではないと私は考える。

あらゆる問題、人間関係、金銭関係などに置き換えてもあてはまりそうだ。

私たちの体と心の調和、心の中にある三つの意識の調和、そうした調和なしには、

あらゆる問題も解決しないと考えている覚者は少なくない。

言葉と想いと行動を一致させること。 これもなかなか難しい。

でも、こうしたことが私たちの創造的生命力の力を発揮させる原動力になるということ・・・

 

次回にその続きを・・・

 

(*1) 引用部分“風邪の効用” 野口春哉、株式会社全生 改訂6版 昭和53年)

 

 

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超古代史に見る、七五三の祝

2015年11月15日 | 超古代日本の精神(ホツマツタヱ)

 

 日本伝統的風習のルーツについて 2015・11・15

****************

今日は七五三。

お参りに行かれる方もいるかもしれない。

秀真伝(ほつまつたえ)の ”東西の名と煌虫去る

紋(あや)”には、現在でも祝われている、

さまざまな、節句にちなんだ祝いについて

述べられている。


重陽(ちょうよう)の節句というのは、1月1日、

3月3日、5月5日、7月7日、9月9日、など、

奇数月と日が重なる、めでたい日をさす

 

さて、七五三の祝の由来については、イザナギ・

イザナミの両神が、婚姻を済ませ、御子を御生みに

なり、天照大神(男神)の姉にあたる、和歌姫の

幼少時代にさかのぼる。


その箇所を引用すると:

 “それ和歌の本緣について述()べると、

古天両神の長女にます若姫の神は、三歳に

なる時、父母神の厄年にあたるなり。


故に三歳になる直前に、(いわ)(くす)(ふね)

に乗せられて、()てられ給う。“

 

ここでは、イザナギ・イザナミの尊のご長女で

ある、若姫は三歳の年に、ご両親の厄年にあたり、

厄除けのために、川に流されたとある。


そして、育ての親となる、金折命(かなさくの

みこと)に拾われる。

(これは儀式的意味もあり、実際、金折命は
自身の乳飲み子と死別したばかりで、妻が乳が
張り、乳母として和歌姫を育てる役を言い
つかったとする観方が有力である)


そのあたりの記述が以下にあある;

“金折命はこれを拾(ひろ)ったと云()って、

廣田(ひろた)に西(にし)殿(どの)を建()て、

其の妻の乳()をもって養育をなすなり。”


これは、現在の兵庫県西宮市にある 廣田神社

である。

”拾った”が、廣田に名前を変えたのだろう。

(現在では、古事記主体で神社が運営されているため 

御祭神が往々にして異なる。)


養父・金折命は姫を、可愛がり、成長するにつれ

アワの歌を教えたことが次の箇所に、記されている:


“初めにアワウワを教ゆる。手を打()ちて、気を

(ひら)き、眼を(ほそ)めて笑うなどなり。”


ここは、現代でも変わらない赤子をあやす言葉が

出てくる。

カイグリカイグリ、トットノメ・・アワウワアワワ・・・

などと手を打って、笑い顔であやしていたのだろう。


”手を打ちて、気を開き”というところは、興味深い。

拍手する意味合いの一つに、凛とした拍手の響き音は、
気を高め、順気を流れ指す、言霊の一種の役目を
もっていたことがわかる。


相撲でも、お祝いの席でも、参拝時でも、人は、こうして
礼拝時や、お祝いの”お手を拝借”の声に合わせて、
無意識に拍手をしている。

さて、姫が成長して三歳になった時の祝いが、

描かれている;


“三歳の誕生日には初めて食膳を供え、食を

進めて行儀を教ゆ。


三年の冬至(とをぢ)には髪(かみ)(をき)祝を

なす。“ とある。


昔の三歳は、数え年なので、現在の2歳だろう。
乳や離乳食を主体としていた食事から、膳の
盛り付けで、一人前の食事をいただき、
行儀作法も教えられ始めた。

そして、冬至に、髪の結い方も、赤子と区別
されるようになった。


ところで、1月1日に、正月になぜ、餅をつくのか? 

の記述も同紋に出ている。

“元旦には初日(はつひ)(もち)を搗()きて、

天地(あわ)の神(かみ)に供(そな)えて敬(うやま)い 

父母(ふぼ)(がみ)に礼(れい)をなすなり。”

と記されている。


祖先は、神代の昔から、元旦に餅をついて、

神に供え、父母に挨拶をして、新年を迎えていた。


3月3日の、女の子の節句になっている、ひな祭り

の由来しては、

 “三月三日には桃(もも)の花を供(そな)えて

(ひな)(かみ)を祭り”


一方、男の子の節句、五月五日に関しては、

菖蒲(しょうぶ)と粽(ちまき)を供(そな)える。”

と 現代でも変わらない風習が述べられ、供え物と

して菖蒲や粽(ちまき)が出てくる。

 

七夕として祝う、77日、これは中国からの逸話がもとになって

いると多くの人が考えているが、ホツマツタヱの

中には、日本の独自の祭りとしての記述が出ている。


“七月七日は木綿(ゆう)・麻(あさ)(たく)(はた)

を祭り”と記されている。


九月九日の節句は、現代では、ほぼ忘れられて

いるが、その日は、

“菊(きく)・栗(くり)を供え祭るなり。”と書かれている。

 

さて、話を元に戻して、七五三の、5歳の男子女子の

祝い方が、次に述べられている。

“五年の冬には、男は袴(はかま)()は被衣(かつぎ)

()る。”


五歳を機にして、男子女子とも、衣装が新たに 袴や

カツギといった、装束に変わることが書かれている。


さらに5歳の年の冬に“言葉を改(あらた)めてという

記述がある。

 

そして、若姫の養父、金折命(かなさくのみこと)は、

姫にあわの歌”を教えた。

“常に阿()()(うた)を教(おし)ゆなり。”

 

この歌を知っている現代人は少なくない。

その歌とは、

“あかはなま  いきひにみうく

ふぬむえけ  へねめおこほの

もとろそよ  をてれせゑつる

すゆんちり  しゐたらさやわ“


この歌は、体の中の気を整える働きを48音で、

48の経絡に呼応する言霊によって、為され順気

を回すといわれている。 


秀真伝えでは、

若姫の神は常に葛(かだ)(がき)(うち)の、

(こと)を弾()ながら、()()(うた)

(うた)うなり。

 

(おのづ)と音声(おんせい)の道が開けて言葉が

明らかとなれり。“


若姫は琴の音を伴奏に常に、あわ歌を歌った。

すると、五臓六腑ほか命門が整い、身体が順気の

巡りのおかげで病知らず、長命を得る秘訣を

体得したと、以下のように記述されている:


“五臓(ごぞう)・六腑(ろっぷ)・緒()

(命門(めいもん))を五音七声

に別()け、人身呼吸の気が通りて

左右二十四経に通い四十八声となる。


身体(からだ)の中の順気が滞(とどこお)

なく循(めぐ)り、(おのづ)(やまい)

知らず長寿を得る(のり)なり。“

 

中国から 気功が伝わったとか、印度のヨガから

気の調製術が伝わったとか諸説あるなか、

秀真伝え”を読む限り、日本には、神代の時代に

“人身呼吸の気が通りて左右二十四経に通い

四十八声となる”と”気”について確立した

考えが古代日本には、あったことがわかる。



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心と風邪:潜在意識が働く、唯心論から見る風邪

2015年11月11日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 

風邪をひかない人、引かない奥義    2015・11・11

**************************

風邪の上手な経過の方法について、入浴法なども加えてご紹介してきたが、

実はもっと、奥義があった。

私どもの自然治癒力セラピー協会では 病の予防も、その癒される過程も、

“心の働き”を第一義に考えている。

どんな病気も心の持ち方次第と言っても過言ではない。

その病気が心の持ち方で治るかどうかと問われれば、その人自身の自信と生命力への

完全なる信頼度に依ると究極的に答えるだろう。

だけど、病気や不調で苦しんでいる人に、そういっては角が立つことがある。

病気の原因はこうだと医師に言われたことを信じている場合、例えば、

”~菌”が見つかったと検査で明らかになれば、その人は、それが原因だと納得しているだろう。

その菌でさえ、心の持ち方次第でコントロールできるなんて信じられないだろう。

悪玉菌、善玉菌という分類があるが、菌も使い方次第で体に有意義になるものだ。

 

次に、”体は物質でできている”と信じている人。

当たり前のことだが、細胞、原子、電子という物理的名前が付いている、私たちの

体のミクロな部分は確かに、物質的だ。

しかし、今の最新の量子物理学では、私たちの体を形作っている最小の最大級のミクロの

世界では、量子物質は、固体ではなく、最新顕微鏡などの計器に現れたとおもえば

消えてしまう、摩訶不思議な、代物なのだ。

だから、エーテル体とか波動体とか呼ぶ人もいるが、実際、こうしたエネルギー体は

私たちの本質の心と深くかかわりあっているので、いかようにもコントロールできるところ

なのだ。

物質というのは、固体として目の前に存在しているのだから、その不調を治すには、

物質の形状を物質(薬など)によって、変える必要があると信じている人は、お医者様も

含めて、こうした最新物理と医学の交叉点がみえていないようだ。

 

さらに、自分を甘やかしたい人。 他者の同情が嬉しい人。

すぐに治っては、大事にしてもらえる時間、休める時間が減る。

だとしたら、少し、風邪気味を引き延ばそうと 潜在意識で決めた人。

潜在意識というのが曲者だ。

私たちの現在意識では15ピットの情報量しか認知できないが、潜在意識では

その何万倍もの情報量を秘めている。

誰でも、自分で人生のかじ取りをしていると信じているが、今の意識ではなく、

生まれたときから、あるいは、宇宙に飛び出した生命体のときからの意識を地層の

ように、堆積させて、その中の情報からコンピューターより緻密にソフトを組み立てて

今を対処している場合が多いのだ。

例えば、季節の変わり目には風邪を引く~と潜在意識が思い込んでいると、

秋風に変わる頃、くしゃみなどして“あ、風邪だ”とその古い巻き戻しのヴィデオドラマの

シナリオどおりに、風邪を引いたりする。

潜在意識は自覚できないものだけに、母親からしょっちゅう、“厚着しないと風邪ひくわよ”

と注意されていた子供が大人になると、春風が吹く頃、やはり一枚カーディガンを

脱いだだけで風邪をひく。

反対に、薄着だからこそ、風邪をひかないと親に育てられれば、厚着して風邪をひくこともあるだろう。

そうした過去の記憶をとっていくためにも、顕在意識で本当の自分の生命力や、

身体と心の関係を知りながら、舵とりをしていくことが大切だろう。

風邪ひとつとっても、こういうことなのだから、もっと、重篤といわれる病に関しては、何をか言わん・・・

“ガンと闘うな”と提唱した医学博士の意見をご紹介したことがある。

心理的に言えば、癌だと宣言された途端、”断固戦う” と 癌に対し、意思表示した患者ほ

ど、長患いしたり、急激に癌が進行したりするのも、“ガン”を “敵として認める”から、

その時から、癌は、本当に敵になる。

さらに、“闘う”という反抗心が心の調和を乱して不安定になるから、体に悪い。

 

そういうわけで、風邪を引いたという人に、“お大事に”と無難にかわすことも必要だし、

今までブログでご紹介したように、“風邪は経過させて、もっと、健康体をつくるための自

然調整”と答えることも可能だ。

本当のことを言って“角が立つ” こういう人たちに、風邪と心と体と生命の神秘を話して

も、聞く耳を持たない場合が多いだろう。

 

風邪時に風呂に入るかどうか?の質問に関して 野口氏はこう述べている。

“‘風呂に入って大丈夫’と答えるときにも、この人は私のいうことを本当に理解して

聞いているのだろうかということを、まず、よく考えてからでないと、‘入っても大丈夫’

とうけあえない。 その代り、‘用心した方が良い’と言う場合は、私が相手を、

理解がないとか、いくら話しても分らない人というときです。”

相手が理解しているかどうか? 

それは相手の心の内を読みながら、応えを用意することが必要ということだ。

お釈迦様も多くの教典を残し、いろいろな段階段階の教えを 違う表現方法で説いた。

同様、セラピストも 病の原因や癒されかたというのは、その人にあった方法があるのな

ら、一緒に考え、相手の理解度にあった、療法の説明をするなどの、細やかな心配りが大切

だろう。

 

野口氏は “受け身な心と風邪”という小タイトルで次のように書いている。

“一旦、(心が)方向づけられたら、意思でどんなに努力しても、その空想には勝てない。

結局空想が方向づけられた方向に体の動きは行ってしまうのです。

寝相が悪いと風邪を引く、こたつに入っていると、風邪を引く、ぬるい湯に入ると風邪をひくといって、

それを警戒している人ほど、そういうことで風邪を引く。

それでいて、私どものように、風邪をひいたら、それを機会に体を治そう、癌になるような

鈍い体にならないように上手に経過させようとしていると、今度は風邪のようが

意地悪をしてついてこない。 

だから、風邪を引こうなどと、決心したら最後、風邪はなかなかひかないのです。

意思の努力では風邪はひけませんね。

どこかで、俺はなかなか風邪をひかないのだとおもい、自分でそういう方向づけをしている

から、なおさら、風邪をひかなくなる。 

風邪の活用などということを考え出したら最後、風邪をひかないのです。 

 

下線をひいた部分は、潜在意識の範囲をさしている。

知らない間に、人はすべての事の対処に対して、自分で方向づけしているにもかかわらず、

気が付いていないことが多い。 その結果、

“‘風邪を放っておいてもよい’とか、‘風呂に入ってもよい’とか、‘何を慕ってよい’とか言うこ

とはよほど相手の理解度を読んだ後でないと、言えない。

うっかり言うと、さらに、その風邪が重くなるような様相を呈する。

相手の感受性によっては、すらすらゆかず、自分で風邪を作っていくということを知ってお

いてほしい。 

元来、風邪は自分の心理作用で造る部分が非常に多いのであるということをよく理解して、

その上で特殊な処置方法を考えたらよいと思います。“

ここで、”受け身の心”については・・・

“風邪の性質そのものが細菌によるものではないということ、予防注射をして、風邪を

防ごうというような受け身な心が風邪を誘発しているのかもしれないということを

わかっていただきたい。・・・・”

と野口氏はコメントしている。 

予防接種するかたは多いと思うが、しなかったから、かかりやすいだろうと

もし心配しているかたがいるとすれば、むしろ、”しなくても大丈夫”と判断した

ご自身の生命力に信頼を置いていただきたいと思う。

 

 

 

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