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自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

”風邪をひいたら、経過を活用して、もっと健康になろう ②

2025年04月29日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方


体癖と風邪の関係2025/4/29
*******************

体癖とは、具体的には、立っている姿勢が、左右、
どちらかに少し傾きがあったり、歩いている時、
左右の足の歩幅が微妙に違ったり、くつろいで
座っている姿勢も、それぞれ固有の座り癖がある
ような”体の癖”をいう。

それは、身体の重心にも関係するし、平衡感覚がずれて
いるためといえるだろう。

こうしたバランスの配分を、野口晴哉師は、”体量配分
呼んでいる。

自然治癒力セラピー協会では、その体量配分の
アンバランスの原因は、身体のつまり
(順気が整っていない箇所)があるからと考える。

野口整体では”偏り”という表現をしているように
思う。

要は、”身体のバランスの崩れ”がこうした体癖の
基にはあるということだろう。


さて、あらためて、風邪に関して、この身体バランス
(体量配分)がどう関係しているか、野口師の言葉を
みてみたい;


”体量配分を測定していると、配分比に乱れが多くなると
風邪をひく人が多く、風邪を経過してしまうと、体量配分
比は、風邪をひく前よりバランスがとれるということが
わかる。”


つまり、身体のバランスが損なわれている時は、
風邪をひきやすくなるということだ。

言い換えれば、身体の気の流れの滞りが多ければ
多いほど、身体バランスが崩れていることが、
風邪の要因になり得るということだろう。


が、風邪をひいても、それを上手に経過させれば、
原因となった、歪みや、詰りが自然と是正される
と野口師は言う。

これこそが、風邪の有効活用ともいえるだろう。


野口師は、そのことを、こう表現している:

”風邪が、偏り運動修正や、潜在的偏り疲労の
調整を行っていることは事実である


ところが、反対のケースもあるから一概には
そう言えない。

それは、風邪を早く治そうと、その治療
(主に西洋医学)に頑張ってしまうと、
逆効果が出るという事実だ。

野口師は、それをこう、表現している;


”風邪の治療に工夫し過ぎた人は、風邪を経過
しても、体量配分比の乱れは、正されず、
いよいよ ひどい偏りを示すことがある。”

”風邪のあと、体の重い人達がそれで、他の人は、
蛇が皮を脱いだように、さっぱりし、新鮮な
顔つきになる。


つまり、上手に風邪をひけば、体のバランスが
整い、以前より、爽快に感じるし、
反対に、風邪をひいたあと、体が重いと感じる
なら、風邪をひいても、まだ偏りが是正されて
いないということになる。

風邪の症状を上手に出し切ると
(自然治癒力によって)
感じる爽快感は、前より、若返った感じとか、
免疫がついて 体がさらに、強くなった実感を
伴うものだ・・・

一方、西洋の薬の”一辺倒” で、風邪を
乗り切った場合は むしろ、まだ、身体が重く
感じるものだ。

実際、”身体が本当に重い”人は、 ”疲れている”とか
”体が重い”という感覚すら 無くなっている。

だから、そういう人ほど、 ”ほどほど” とか、
”無理しない”という感覚がわからずに、風邪を
ひいていても、薬を飲みながら、文字通り 
身体を酷使する傾向にある。

”上手に風邪を経過させる” のは、ある意味、
とてもデリケートな方法なのかもしれない。


熱が出た、咳が出る、痰がからむ、喉が痛い、
鼻水が黄色くなっていく、と、症状を憂い、
こうした症状を早く抑えて、・・・と頑張ること
が、野口師のいう、”風邪の治療に工夫し過ぎた”
という意味だろう。


では、どう具体的に対処すればよいのか?

一言で言えば、症状に一喜一憂するより、"原因
となっている体の偏り(かたより)を正すこと”。

上手に、症状を出しながら、生活を改めること。
風邪の引き始めと、引き終わりの時期は特に、
無理せず、経過をまつべきだと、野口師は
述べている。


****************




引用箇所:”風邪の効用”野口晴哉著 (発行所)全生 昭和53年







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風邪が流行ってますね! ”健康になるための風邪の活用” ①

2025年04月28日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方


”風邪をひく”の 健康的目的は?
************************ 2025年4月28日

私の尊敬する、神次元の療養師、整体の創始者野口晴哉氏の言葉は、素直に、頷ける。

今日から数回にわけて、野口師の考え方を、原著から引用して、皆さまに、ご紹介させていただきたい。

*********

①”風邪は誰もひくし、また、いつもある。
夏でも冬でも秋でも春でも、どこかで誰かが引いている。”

今でも、マスクをしている人をたくさん見かけます。

花粉症かと思いきや、喉風邪がはやっているようです。
声がかすれたり、喉に痛みを覚えたり、時には、発熱もあり、コロナかと思ったら、陰性で、風邪と診断されたという話を、何人から聞いたばかりです。


②”しかし、まれに、風邪をひかない人もいる。

本当に丈夫で、その生活が身体にあっているか、そうでなければ、適応感受性が鈍っているかであって、後者の場合、癌とか、脳溢血とか、また、心臓障害などになる傾向の人に多い。”


この言葉は、野口氏の長年の臨床的体験から、出てきている言葉でしょう。

同時に、ここに、風邪の意義 のヒントも隠されてます。

つまり、’風邪を引く’のは、ある意味、身体が自然治癒力を発動して、調整している時でもあるからです。


たとえれば、機械のネジが緩んだり、パッキンがずれたり、欠けそうになっているところを、故障するまえに、メンテナンスをするのと同様に、’風邪をひくこと’は、
ある意味、身体の合理的、かつ、最有効的メンテナンスであるというわけです。


ここに、”どうやって、風邪を有効にひくか? ”
そして、
”健康への足がかかりにするための経過の方法?”

という疑問と、方法論がでてきます。


それを、明日から、数回にわけて、具体的に、野口師の言葉を軸に、ご紹介させていただきます。


******************

引用箇所:”風邪の効用”野口晴哉著 発行所)全生 昭和53年


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生命力は完全です。

2025年04月22日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方


"人を赦す”とは、自分と相手の”完全性”をみとめること。
***************

相手を攻める。
よく考えてみると、それは、相手を責めているのでなく

'自分の中にある、同じ性質を重ね合わせて、不愉快に
なっていることがよくある。

相手を責めたくなる時、自分の中にある、同じ”嫌な奴”
と'嫌な相手' の性格を 重ねあわせている時だ。


”人を赦す”ときは、だから、”自分自身も赦す”という
ことになるだろう。

相手の嫌な欠点に傷つくことが、なければ、相手を
責めることもない。

もし、気が付いたら、それは、自分の中にも同じ
波動のものがあるから、共鳴していると、思うと
違う角度で、現状を観れる。


これが、私が、このブログに載せている”自分を
愛すること” につながっていく。

相手を責めながら、結局、そんな自分に愛想が
尽きて、くたびれている。


”自分自身を赦す” と、何が変るか?
言葉を変えて、

”自分自身を愛する”と 何が変わるのか?


自分自身の卑小さや、未熟さや、時には、嘘も方便
と言い訳しながら、これまで、何気なく、ついてきた
”うそ”や、我ながら、”なんて馬鹿なんだろう。”
と落ち込むほどの、自分の愚かさなど、

結局、そんな自分を、避けてきたり、観ないふりして
奥深い内心では、自分さえ、”愛するに足らない”と
思っているのが、ほとんどの人の場合だろう。


先日も、ある全国的に有名な、某所の庭園の庭師の
かたと、顔なじみになって、半時間ほど、お話を
伺った。

植物の素晴らしさ、
具体的には、植物の人も気が付かない、霊的能力、
動けない身体ゆえ、その、感性の豊かさと、実際、
感情も持っている事実。

その方に、”植物が完全なように、あなた様も完全と
いうことですね”と申し上げたら、きょとんとされた。


植物の不可思議さ、、、大自然の智慧と一体になって、
”生かされて”いることを享受しているし、telepathyで
植物同士、交流もしている。
自分の傍にいる人が、どんな人かも見抜いているし、
好き嫌いもあるかもしれない。

が、何よりも、大自然(空、風、水、土、など)と一体
になって、自我をはることなく、あるがままに、でも
完全体に生きている。



こうした、私たちが享受している、恵みに、体感できない
のは、悲しいかな、私たち、頭脳のある人間のほうだ。


”意識しなくても心臓や肺臓、五臓六腑が健全に
作動している”不思議さに

気が付いて、
”私(小我)ではない私の自覚”、を感じ取りながら
今を生きている人は、決して、多くは無い。


”私でない私”、は、”本当の私”であり、
”あなた(小我)ではない’あなた’”、が、本当のあなた。

今、批判したり、責めたり、怒ったりしている
対象の”あなた”は、この世だけの一時的な”あなた”の
姿、本当のあなた を 知ったら あなたは、もう、元の
小さな自分に戻れなくなるほど、激変するのだから・・


そう考えると、”私(小我)を愛している私”
今の生活の、主人公になってくるはずだ。


主人公?
そう、この肉体の・・そして、・・腹をたてたり
責めたりする自分自身を、微笑んで見つめられる、
主人公・・・に。






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年をとらない、コツ ③

2025年04月19日 | 健康と直結する”一元論”について
 

孔子先生の 空点に達した時の言葉・・
*********************

 
時間と空間の無い、世界 など、夢の中
ぐらいだろうか?

否、夢の中でも、夢中で逃げている夢
などは、その空間の広さや、差し迫る
時の恐怖などを感じるときもあるから
そうではない。

こんな体験をされたことは、皆さまは
ないだろうか?

あっという間に立つ時間
狭い部屋なのに、その狭さが全く気に
ならない空間。


ここで、質問を最初に戻し、”年を取らない”
ことと、
”コンパスの針が置かれた中心点”との関係に
話題をさかのぼると・・・


前回書いたように、私たちが、”我”を越えた
無我の境地に、近くなればなるほど、

私たちの考えや行動の原点が、ヨギのいう、
歳をとらない、原点、である、”久遠の点”に
近くなるという事。


この久遠の点 と、難しい抽象的な呼び方を
している、ポイントこそ、時間からも、空間
からも、束縛を受けない、唯一の、”場所”
だと、先人は言う。


場所 というのは、適切な表現ではない。
なぜなら、この言葉には、すでに”空間”
として、限られたところを意味するから・・
 

そして、不適当な言い方な一番の理由は、
ここは、私たちの、意識 の中だけにある、
からだ。


意識=現実 (意識が 今生きている現実
を創り出している)

上の方程式の意味するのは、意識したとおり
に、実際の、三次元の自分の環境に、自分
の意識が反映されている~ということだ。


ならば、

久遠の意識=時間と空間に左右されない現実
空間(我の無い意識を保つと、時間と空間に
左右されなくなる)

という方程式も成り立つだろうか。


つまり、’久遠の点’に、心の重心が常に、
留まることができれば、

現実的に、”時間”にも”空間”にも煩されなく
なるはずだ。


ここで、孔子の言葉をここで、思い出した:
”七十にして矩 (のり)を越えず”


意味は、”思うまま、欲するまま、気の向く
まま、心の赴くまま、行動しても、言葉を
発しても、誰も傷つけず、自己表現を
可能にできるのが、70歳を越してから”

と私は解釈している。

付け加えるのなら、ここには、時間と空間の
束縛すら感じ無い。

自然に、律しようと無理したり、考えたり
せずとも、その時と場と人々に適応した、
所作が取れるのだから。


ここまでたどり着くためには、日頃の
努力が必要なことは、孔子先生もこう
のべておられることから
わかる;

子 のたまわく、吾 15にして学に志し
30にして、立ち、40にして惑わず、50に
して天命を知る。60にして耳従う


”論語”の中の有名な言葉だが

15歳で人生の奥義を学ぶ決心をしてから、
人生紆余曲折、努力に努力を重ねて、
本当の自由な境地に至ったのが70歳である
ということだ。


自由な境地”こそ、”制約の無い境地”であり、
我儘に振舞って、制約が無いというわけで
なく

何をしても、何を言っても、それが、周囲の
環境と相手とそして、自分に対して、すべからく、
マッチングした、ものとして、所作言動が
なされる境地である。


言い換えれば、ここに至って、意識が久遠点、
あるいは、空点 に達し得たということでは
ないのかしら・・


私は、孔子先生が、 宗教(神・仏)を抜きに
して、道(どう)の修行から、それに達し得た
ことに、最大の敬意を感じる者の一人である。


 


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年をとらないコツ②

2025年04月15日 | 健康と直結する”一元論”について

ぷう助 人間年齢125歳(犬年齢26歳) 世界最長老犬


******ぷう助君が、こんなに可愛い理由 



久遠意識というのは自我がない、
無執着の意識である。
というのは、前回のお話。 


”老いる”のには、"時"という
ベルトコンベアーに 何も考えずに
乗っかっていれば、仕上がるものです。

そのベルトに乗っていると、大衆意識
常識、マスコミが誇大化させる世の中
風潮などに色に、自然と染まっていく
からです。


常識 というのは大切な一方、曲者で、
それに逆らわず生きている限り、人は、
老いの法則に方程式通り、世に言う
”老人然”が、自然と、具体化表現化
されていくわけです。



老いることは、一つの自然本能。

老いないことは、この自然本能に”意識”が
抵抗してこそ、結果が、正比例します。


大衆意識のエネルギーに逆らうこと。

自然治癒力生命力を最大に活用しながら、
常識の流れをさかのぼっていけるか が
アンチエイジングの秘訣です。


老いとは、健康常識が拍車をかけている
といっても、過言ではない
・・たとえば・・・

段階を上りながら、押されていく老化の
刻印はつぎのようなものがあります。

40代からは、少しずつ、筋肉が衰えていく
いう刻印、

50代、これからアルツハイマーに向けて、
脳内の海馬が縮むだろうという刻印


60代以降は、血圧や血糖値の問題が
誰にでも、当たり前になるという刻印、


70代は、心臓麻痺や脳梗塞が、突然
訪れて、半身不随になるリスクは、明日
にもあるという刻印。

老化とともに、関節などの軟骨が、年と
すり減るから、腰痛や足痛がある
のは当然という刻印、

80代90代では 半数が、認知症になる・・
だろうという刻印。
 
 

そこで、”久遠の今”に意識の中心を置く
という努力を、常日頃 することの大切さ
がでてきます。

意識を、時間と空間の無い、その点に
置くことで、簡単には、 ”老い”の刻印が、
押されない身体になるのです。


なぜなら、自分のそうした意識波動は、
老いの刻印波動より、もっと、繊細で、
老化という、波動数が異なるものは、受け
付けないからです。



もう一つのもっと、シンプルな老いない
理由は、
老い を考えなければ、老けることがないと
いう事実えす。


たとえば、人間以外の生き物たちがそう
です。

彼らは、過去を思わず、今のみを生きて
います。


つまり、今 の意識だけで、”過去も未来
への思いは無い”ということです。

今の意識しかない”から、ある意味、
すでに、時間の無い世界に近いところで、
生きているのです。


考えたり、悩んだり、
”傷つけられて恨んだり”
”自尊心を傷つけ 傷つけられる”

などなど、自我の生み出すストレスは無く、

時間も無い世界に近く生きているなら、
過去を振り返り、
未来を考え、悩み、考えぬいて、計画する
などというエネルギーを費やすこともない
わけです。


だから、彼らは、人間のように老け顔に
なったり、皺だらけになったり、年寄り然
とした風貌とは、無関係で生きていられる
のでしょう。

冒頭の写真のワンちゃんの顔をみていると
幸せ色になります。
その理由は、理屈抜きに、ほんとうに
アンチエイジングの生き方をしていることが
伝わるからです。



写真のワンちゃんについて)

世界最長寿の犬としてギネスブック
に認定されていた、栃木県さくら市の
雄の雑種犬「ぷースケ」君。

2011年に、亡くなったが、老衰と
みられる。
26歳と9カ月だった。

飼い主の主婦篠原由美子さん(42)に
よると、人間で言えば125歳を超える
年齢。

ぷースケは、亡くなる数日前まで、朝夕の
散歩を欠かさず、餌も元気に食べていた。

だが5日朝にn体調が急変し、餌を
食べず、ぐったりとして息をするにも
苦しそうになり、

買い物に行った篠原さんが午後
1時半ごろ帰宅すると、約5分後に眠る
ように息を引き取ったという。

〔共同通信〕
(2011年⒓月6日記事参考)




 
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