しゃりお @ 撮り鉄倶楽部

最近の鉄道撮影記録と懐かしい国鉄時代の写真を気ままに更新してます。

あの頃の  山陽路の優等列車たち  急行 とも ・ 鷲羽

2017-02-20 12:00:00 | 国鉄時代
今夜から再び夜勤勤務
取りあえず昼から夜勤に備えて寝るために一杯飲みながらの更新ですが、今日は体調もあってチョット少なめの酒量(笑

昨日の日曜日は良いお天気の一日でした。、
私はと言えば、疲れが溜まっていたのか体調がイマイチで昼前に子供と買い物と昼食を食べに外に出たくらいで、あとは週明けからの夜勤もありますから体調回復に家でゆっくりとしておりました。

ここのところほとんど撮影にも出かけていませんから当然 ネタ切れ・・・(^^ゞ
いつもの如く 撮影したままブログに載せなかった「蔵出し写真から・・・」での更新もあったのですが、本日は久しぶりに懐かしい国鉄時代の写真を紹介している「あの頃の・・・」

約二年振りの更新になる「あの頃の・・・」

以前ご紹介した懐かしい国鉄時代の「あの頃の・・・」記事は、ブログカテゴリー「国鉄時代」からご覧になれます。


約二年前の更新では、山陽新幹線 博多開業前の優等列車が数多く走っていた、山陽本線が栄華を極めていた時代の特急列車を中心に紹介していましたが、今回は特急列車にも負けず劣らず本線を数多く走っていた「急行」列車

以前の記事でも書かせていただきましたが、山陽新幹線 (岡山~博多)の開業は1975年(s.50年) 3月 10日 私はまだ小学 4~5年生でした。
まだ写真撮影などはしておらず、暇と時間があれば当時住んでいた福塩線沿線や時には山陽本線沿線で頻繁にやって来る列車を飽きもせず眺めていたものです。
今回は私の撮影した懐かしい国鉄時代の写真ではありません。
私が中学1~2年生の頃、とある方から頂いた写真です。
頂いたのは今から約40年ほど前の私が中学生の頃ですから、残念ながら詳しい経緯はすでに記憶はありません。

また今回の写真は、約二年前の更新でご紹介した「特急列車」の記事を書く折にスキャナーでスキャンしたものですが、当時は10年モノの古いスキャナーを使っており、スキャナーの調子が悪くモアレ等のノイズが多くあり写真が少々見にくいです。

前置きが長くなってしまいました・・・(^^ゞ


山陽新幹線 博多開業以前の'70年代 山陽本線が栄華を極めた頃
特急列車と共に今ではほとんど無くなってしまった 急行列車も花形として本線を数多く走っていました。

今回は私の住む地元に由来する列車名 急行「とも」大阪(新大阪)~三原 を定期3往復+季節1往復

165系 急行 とも            1往復は赤穂線経由での運転があったようです。
名称の由来は 私の住む福山市の港町、今も江戸時代の町並みが残る港町(福山市鞆町)として有名な 鞆の浦 から
定期列車の運転としては1969年10月の時刻改正から70年10月の時刻改正までのわずか1年間だけの短い期間でした。
やはりと言いましょうか、大阪(新大阪)~三原間と言う中途半端な運行区間が災いしたのでしょうか?
定期列車の運転が無くなってからも季節列車の臨時としての運転が行われていたようですが、1972年 山陽新幹線岡山開業に伴い季節列車も廃止になたようです。






急行「鷲羽」大阪~宇野

165系 急行 鷲羽       関西から宇野を結んで四国へのアクセスという役割を持っていました。
山陽新幹線の岡山開業以前は本州と四国を結ぶ主力列車でした、そして宇野~高松の航路は宇高連絡船
名称の由来は岡山県児島にある鷲羽山(わしゅうざん)に由来していました。




急行 鷲羽   余剰になった153系が阪和色(新快速)になり、時には阪和色で急行 鷲羽にも運用に入っていたようです。

最盛期の1968年頃は153系により11往復が運転されていましたが、1972年の山陽新幹線岡山開業に伴い昼行急行が全廃され夜行急行の1往復のみになりました。
その後、時間帯の悪い夜行の急行 鷲羽は乗客が減少し、1980年9月30日に廃止になりました。

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