九州北部、中国・四国、近畿で一斉に梅雨入りが発表されました。
いよいよ鬱陶しい季節がやって来ました。
私はと言えば、来週は急遽 夜勤シフトから外れて時差出勤に・・・
私の反対番の同僚が来週明けからしばらく会社を休むので、その穴埋めで時差出勤になりました。
出勤時間は午後1時からと何とも中途半端な出勤時間で仕事終わりが午後10時の微妙な時間・・・(-_-;)
しかもそんな中途半端な運用?は私一人・・・
他の同僚は通常運用 (笑 仕事の兼ね合い上仕方ないのでありますがね。
さて、徳山駅で撮影していた岩徳線の写真ついでに、本日も徳山駅での写真をもう少し
あの頃は徳山に遊びに行く度に駅で撮影していましたので比較的多く写真が残っていますが他の写真は又の機会にでも

EF66-42 s.52(1977年)頃 徳山駅
写真左に当時徳山駅まで運用のあった421系・423系交直両用電車と当時走っていた郵便荷物列車用の積荷が台車に載せてあります。
当時は郵便荷物列車が到着する度に多くの荷物が積み下ろしされていました。
今では絶滅寸前のロクロクゼロも当時は華々しい活躍でしたが、ブルトレ牽引までには8年後(1985年)の事になります。

EF65-97 当時の主力機関車のEF65 0番台も先ごろついに絶滅しちゃいました・・・(泣
当時はEF58やEF60、EF61と共にまた来たよ・・・てな感じでスルーする事が多かったのです。
今から思えば何て贅沢な選択だったのか思いますが、当時の当たり前の光景の中で、少ない小遣いの中でのフィルム購入と現像代では致し方ない選択だった様に思います。
写真後ろにはこれまた当時 小売業で一世風靡したダイエーとニチイの看板が写っています。

EF65-? と 80系 湘南電車 写真の80系は全金属車ではなく半鋼製車のようです。
80系の停車しているホームは先ごろの徳山駅橋化工事に伴い撤去されてしまったようです。
当時は日常の光景でしたが、今では両車共 見ることの出来ない国鉄時代を代表する名車両達
非日常?の特急車両の撮影も楽しく記録的に好材料ですが 何十年か経って、当たり前の日常の中の見慣れた車両の思い出が一番記憶で大切な物になっている事が今ではよく判ります。
近所の沿線で撮影するも やって来る列車拒まず、マメに撮影するんであります (笑
いよいよ鬱陶しい季節がやって来ました。
私はと言えば、来週は急遽 夜勤シフトから外れて時差出勤に・・・
私の反対番の同僚が来週明けからしばらく会社を休むので、その穴埋めで時差出勤になりました。
出勤時間は午後1時からと何とも中途半端な出勤時間で仕事終わりが午後10時の微妙な時間・・・(-_-;)
しかもそんな中途半端な運用?は私一人・・・
他の同僚は通常運用 (笑 仕事の兼ね合い上仕方ないのでありますがね。
さて、徳山駅で撮影していた岩徳線の写真ついでに、本日も徳山駅での写真をもう少し
あの頃は徳山に遊びに行く度に駅で撮影していましたので比較的多く写真が残っていますが他の写真は又の機会にでも

EF66-42 s.52(1977年)頃 徳山駅
写真左に当時徳山駅まで運用のあった421系・423系交直両用電車と当時走っていた郵便荷物列車用の積荷が台車に載せてあります。
当時は郵便荷物列車が到着する度に多くの荷物が積み下ろしされていました。
今では絶滅寸前のロクロクゼロも当時は華々しい活躍でしたが、ブルトレ牽引までには8年後(1985年)の事になります。

EF65-97 当時の主力機関車のEF65 0番台も先ごろついに絶滅しちゃいました・・・(泣
当時はEF58やEF60、EF61と共にまた来たよ・・・てな感じでスルーする事が多かったのです。
今から思えば何て贅沢な選択だったのか思いますが、当時の当たり前の光景の中で、少ない小遣いの中でのフィルム購入と現像代では致し方ない選択だった様に思います。
写真後ろにはこれまた当時 小売業で一世風靡したダイエーとニチイの看板が写っています。

EF65-? と 80系 湘南電車 写真の80系は全金属車ではなく半鋼製車のようです。
80系の停車しているホームは先ごろの徳山駅橋化工事に伴い撤去されてしまったようです。
当時は日常の光景でしたが、今では両車共 見ることの出来ない国鉄時代を代表する名車両達
非日常?の特急車両の撮影も楽しく記録的に好材料ですが 何十年か経って、当たり前の日常の中の見慣れた車両の思い出が一番記憶で大切な物になっている事が今ではよく判ります。
近所の沿線で撮影するも やって来る列車拒まず、マメに撮影するんであります (笑