『致知』(http://www.chichi.co.jp/monthly/201107_pickup.html)からの転載です。
メールでお送り頂いている「人間力メルマガ」から掲載させて頂きます。
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「わくわくする時と“天のチャンネル”」
竹田和平(竹田製菓会長)
『致知』2005年4月号
特集「極める」より
※肩書きは掲載当時
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「わくわく」ということを、
私は次のようにイメージしているんだけれども、
天はわれわれ一人ひとりに個性、
言うならば周波数の違うチャンネルを与えている。
そのチャンネルが自分にピッタリ合った時が
わくわくという状態だと思います。ですから
「俺がやっていることは、本当にわくわくするのか」
とチェックしないといけません。
そして、そのわくわくは楽しいです。
楽しんでやっていると、周りが
「何がそんなに楽しいの」と言って集まってくる。
あれやり、これやりというのではなくて、
一番わくわくすることを一所懸命やっていると
奇跡が当たり前のように起こってくるんです。
花咲爺でいえば「ここ掘れわんわん」で
金がザクザク出てくる、
そういう不思議現象が起きてくるんですね。
別の言い方をしますとね、
わくわくの反対はひやひやです。
ひやひやというのは不安で、
それはチャンネルが合っていない証拠なんです。
もちろんわくわくしながらやっていても、
法律の問題だとか、いろいろな障害にぶつかりますよ。
そういう時は仕方ないからやめて、次のわくわくを探す。
そしてそれを育てていけばいいんです。
わくわくするのは、やはり人のためになるからですよ。
人のためになっていないと遊びになってしまう。
仕事は人のためになることだから、飽きはきません。
遊びは仕事をするための学びだと考えるべきでしょう。
われわれはすべてのものに生かされている。
お茶が飲めるのも、こういう部屋があるのも、
みんな誰かがやったことであって、
着るものとて自分で作った覚えはない。
ですから私は皆さんへの奉仕の意味を込めて
仕事をさせていただいているわけで、
それがおもしろい。
自分一人のことだけならおもしろみはありません。
────────────────────────────────────以上
“わくわくするかどうか”、というのは、とてもいい判断基準になりますよね。
それは、第三者から見た判断基準よりも、今の自分にとっては正しい、ということになるのでしょう。
回りの方々のアドバイスはきちんと聞きながらも、最終的に決めるのは、自分の心なのですね。
心のそこから、“わくわくするかどうか”。
そこには、もう打算とか自分のエゴはないのでしょう。
自分の使命や役割みたいなものも、“わくわく”の中に内包されているのかも知れませんね。