『到知』メールマガジンからの転載です。
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“ 山では生死を分ける体験をするわけですから、
どんなことでも対応できる
準備や用心をしておく必要があります。
すべて自己責任において
最悪を想定しておく必要があります。
最近、「想定外」という言葉をよく耳にしますが、
厳しい言い方をすれば、
想定しないこと自体が問題ですし、
単なる言い訳でしかありません。
山ならば死を意味します。”
塩沼亮潤(慈眼寺住職)
2011年7月号特集
「試練を越える」より
http://www.chichi.co.jp/monthly/201107_pickup.html#pick1
片道24km、高低差1,300m以上の山道を16時間かけて往復。
1,000日間、9年の歳月をかけて4万8,000kmを歩く大峯千日回峰行。
山では生死を分ける体験をするとは、
この極限の行を満行した塩沼亮潤師の体験から来る実感です。
「大自然の中で修行するということは、
大自然の懐の中に入っていくことです。
ですから、生死を分けるような体験を何度もするわけです」
「その時いつも心に感ずるところは、
ただただ自分の至らなさを反省する。
そういうところに、気持ちが行き着くと思うんです」
この度の震災に伴う原発事故では、
関係者から「想定外」という言葉が何度も発せられ、
その対応ぶりに不信感が集まりました。
このことは私たちに、大切な教訓を
与えてくれているともいえます。
自分の任務に対して、
初心を忘れ、傲慢、マンネリに陥ることなく、
日々謙虚に、緊張感を失わずに邁進してゆきたいものです。
……………………………………………………………………………………転載終わり
『想定外』と考えることは、政府や会社だけでなく、個人も楽なのですよね。
準備段階では、
「この位まで準備しておこう。想定外のことが起きたら仕方がない。」
と考えることが出来ますし、
いざ起こってしまったら、
「想定外のことが起きてしまったから仕方がない。」
と考えることが出来ます。
しかし、今の想定外は、死を意味します。
今回の津波でも、
「避難場所はここだけど、あそこの高台まで行こう。」とみんなを誘導した子供さん、
そして、
普段から親に、「逃げるときはそれぞれが逃げる。絶対迎えに来ないで。」と言い聞かせていた子供さんのお陰で、家族全員が難を逃れることが出来た例もあります。
これからもこうした場面が出てくることがあるように思えます。