人文科学分野で功績のあった方に贈られる『カタルーニャ国際賞』、村上春樹さんが受賞されました。
日本人の受賞は、今回が初めてだそうです。
賞金は、全額震災の被災者に寄付されるそうです。
カタルーニャとはスペインに17ある州の一つです。
その中に、スペイン第2の都市、バルセロナがあります。
バルセロナの人たちは、カタルーニャ語という、所謂スペイン語とかなり違う言葉を話します。
村上さんは、スペインでも大変人気があります。
日本文化の話しになると、まず“Haruki Murakami”の名前が挙がります。
本屋には、翻訳された村上さんの本が、シリーズ化されて置いてあります。
私の前のスペイン語の先生、鼻ピアスをつけた若い女性でしたが、村上さんの大ファンで、訳されたものは全て読んでいました。
村上さんのスピーチの冒頭、前のバルセロナでのサイン会の時に、たくさんの女性読者からキスを求められたエピソードが出て来ますが、さもありなん、と思います。
村上さんは、英語も堪能な方です。
「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」
という有名な言葉を残したエルサレムでのスピーチも英語でした。
http://www.47news.jp/47topics/e/93880.php
しかし、「非現実的な夢想家として」というタイトルが入った今回の受賞スピーチは、日本語で行われたそうです。
そこに村上さんの思いを感じます。
このスピーチは、世界へ向けられたメッセージであると同時に、
それ以上に、全ての日本人に向けられたメッセージなのではないかと感じるのです。
以下、スピーチからいくつか抜粋させて頂きます。
でも、出来れば全文を読んで頂いた方が、村上さんの思いがより伝わってくるのではないかと思います。
歴史に残る素晴らしいスピーチだと思います。
“みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。
十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。
なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。
また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。
我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。”
“日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。
しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。”
“広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。
そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。”
“原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。”
“我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。”
“最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。”
---(以上抜粋)---
『我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。』
心に突き刺さって来ます。
村上さんの、ウィキペディア(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E6%98%A5%E6%A8%B9)
を読んでいたら、次の言葉にぶつかりました。
“コミットメント(かかわり)ということについて最近よく考えるんです。
たとえば、小説を書くときでも、コミットメントということがぼくにとってはものすごく大事になってきた。
以前はデタッチメント(かかわりのなさ)というのがぼくにとっては大事なことだったんですが”
(村上春樹・河合隼雄『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』より)
この頃から、村上さんは、阪神大震災、地下鉄サリン事件等、社会的な大きな出来事を作品の中に取り入れて行きます。
“コミットメント”、今、とても大切な言葉だと思います。